【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】7~8日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
いよいよ日本に戻る時が来た?!
6日前にやってきたヨルダンのアンマンにある”クィーンアリア国際空港”に無事帰ってきました。旅の最初が何とも懐かしく思い出される瞬間です。
クィーンアリア国際空港に到着!
初日にアンマンのこの空港に着いて、外に出てこの先に見えるヨルダン国旗の写真を夢中になって撮影した事が思い浮かんでくる。
ここでバスから降りて、スーツケースをガラガラと引きずりながら空港内へと足を進めます。
まずは空港を入ったすぐの場所で、荷物検査があります。
そして荷物検査をすんなりと通り、航空会社にチェックインする前に今日お土産を買った人達はスーツケースを開けて荷物を詰め込んでいました。
”ビニール傘オジサン”は正座して荷物を整理していました。それにしてもこのオジサン、とても荷物が小さい。「こんな小さなスーツケースの中はどうなっているのか?」と1人興味深々に眺めてしまいました・・・。
今回の航空会社は帰りもエミレーツ航空。シルバー会員の特典か?難なく通路側(アイルシート)をゲット。
全員問題なくチェックインが済んだので、保安検査場を過ぎて中に進んで行きます。
空港内に入り、搭乗予定の飛行機の出発時間と搭乗ゲート、それと集合時間を添乗員さんから説明を受けてそれ以降は各自解散、自己責任で再集合です。
今回の旅行用にお金はドルに両替してきたが、まだ50ドル程残っていた。けどまあそれなりにお土産も買ったし、ドルで持っておけばどこかで使う機会もあるだろうとドルは使い切らずに持ち帰る。
という事で何も買いたい物はないので、毎回空港で楽しみにしている事といえば”プライオリティパス”の使えるラウンジでお酒を飲む事!
ネットで調べるとアンマンの空港にあるラウンジで”プライオリティパス”が使えるラウンジが2つ存在するとの事。「CROWN LOUNGE」と「PETRA LOUNGE」で、まず最初に向かったのはロイヤル・ヨルダン航空のラウンジであるCROWN LOUNGE。
ラウンジの入口前に設置されている看板でプライオリティパスのタグを見つけ出せなかったので、ここをパスする事に。
後で撮った写真を見ると、一番下の欄にちゃんとプライオリティパスのタグがあったのですが。。
どこにでもあるスターバックス。店舗があり過ぎると、有難味が無くなってしまう?!
もう1つのラウンジに向かう。搭乗ゲートが226だったので、こっちのラウンジの方が近かったみたい。
「ペトラ・ラウンジ」に到着!
ここが2つ目のラウンジの入口です。
ヨルダン王国の国旗や国王の写真が飾られています。
受付カウンターにはプライオリティパスのプレートも置かれていて、2016年に賞を取った旨のプレートもあります。
ここのラウンジはエレベーターで下に降りると、縦長のラウンジになっていました。一番奥には軽食が置かれているスペースがあります。
野菜類やオリーブなども沢山置かれていて、それなりに充実しているスペース。
他にも調理されたものもありましたが、先程昼食を食べたばかりなので何も食べたいとは思わず。。
ライスも食べる事はなく、ただ単に写真を撮っただけ。
ボクの目的はというと・・・・アルコール!ジュースやミネラルウォーターは沢山冷蔵庫に置かれているも肝心のビールが見当たらない・・・。
白ワインならいいけど、赤ワインを飲んで万が一貧血が起きると困るのでワインはパス。
そこで近くにいたスタッフのお兄ちゃんにビールの在り処を聞いてみると「アイ キャンノット イングリッシュ!」と言われたが「アルコール?!」とドリンクを飲む仕草をしたら通じたみたい。
こちらの冷蔵庫に瓶ビールがちゃんと置かれていました。早速1本飲んでみましょう。
なかなかいい色をしているビールです。今回も楽しかった旅を思い出しながら1人でビールを飲んでいると、誰かから声を掛けられました。
誰かと思ったら同じツアー参加者のオジサンでした。こちらのオジサンとはこの旅であまりお話する機会は無かったのですが、ここで約1時間程色々と今までの旅について、思い出を聞かせてくれました。ツアーで参加すると、こういった様に他の参加者さん達の思い出旅話を聞くのも楽しみの一つです。写真や本で見たり調べたりするよりも、実際に現地を訪れた人の生の声は大事だと思う。
若手グループにプレゼント用に瓶ビールを2本拝借して、ラウンジを出る。いい感じにほろ酔い気分になってきた。
アンマンからドバイに向かう飛行機は2階建ての飛行機ではなく、B777だ。
この空港内には子供達の遊ぶスペースも充実していて、堅苦しさのないイメージの空港だった。
ドバイ空港へ向けて出発!
さてあっという間に搭乗の時間。重量のかさばる瓶ビールを若手グループは喜んで貰ってくれたので助かった。「イラナイ」って言われたら、強引に添乗員さんにあげようかと思っていた。
ボクの海外旅行も半分位はエミレーツ航空にお世話になっている。ただ流石に何回も利用していると、CAさんの衣装なども見慣れてきて、初めはいい部分しか見えないけど最近は粗が目についてくるようになっている。
正直、あまり飛行機内でのサービスには期待していないので、そんなに困る事はない。過去にエコノミー症候群に掛かった事があり、まだ左足に出来た血の塊が完全に消え去っていない(今後も消え去る事はない・・)のでいつでも歩きだせる通路側さえキープできれば満足である。
機内では映画を見る事が多いが、あんまり日本語吹替や日本語字幕の映画が少なかった。なので字幕なしでも何となく理解できそうなアクションメインのキアヌ・リーヴス主演の「ジョン・ウィック3」を選ぶ。殆ど字幕なんて必要ない位の映画だったね。。
ドバイ空港で乗継!
問題なくドバイ空港に到着する。アンマンからドバイまでの飛行時間は約3時間。あっという間に感じる。
久々のドバイだけど、今までで乗継含めて一番利用している空港がこのドバイ国際空港である。
ドバイに来るだけで「帰ってきた!」という感じになってしまっている。おかしいな?!、関西国際空港がホームのハズなんだけどね。
ターミナル間移動のバスに乗り込む。自分1人だけだったら、ターミナル間移動は”いい運動”になるので歩きたいが団体行動ではバス。たぶんツアー参加者さん達は「ターミナル間、歩きます?それともバス移動がいいですか?」と聞けば、恐らく殆どの人がバスを選ぶと思う。
これだけ利用が多いドバイ国際空港だが、意外と空港外の地面には一切触れた事がないのである。
この空港で置かれている車は、本当に宝くじで当たるのだろうか?
ボクは昔ロト6を買っている時期やパチンコにハマった時もあったけど、最近は全くギャンブルに興味が無くなり、一切賭け事はしていない。
現時刻は現地時間で23時頃。次の日本に帰る飛行機は午前3時出発で、あと約4時間程自由時間がある。
今回のツアー参加者は全員で18人。その内東京から参加している人は6人で、ここドバイ空港から直接成田空港に帰るので、東京メンバーとはここでお別れです。
ただ珍しく関空へ帰る飛行機のゲートと、成田へ帰る飛行機のゲートが隣だったので搭乗時間ギリギリまでは交流ができます。
そして関西組も関空に着いた後は流れ解散という、毎回の説明を聞き、ここでガイディング・レシーバーを返却します。紛失した際は5,000円+税がかかります。
幸い、今までで紛失した人はいませんが何回も旅をしていると、そんな人が出てくるかもしれないな。
ドバイ空港でもラウンジに突入!
さてアンマンの空港で飲んだアルコールも、すっかり冷めたような感じになってきたのでここでもビジネスクラス用ラウンジに入ります。
□POINTただしこのラウンジはプライオリティパスでは使用できません!ご注意ください。
ボクはエミレーツ航空のマイレージプログラムで”シルバー会員”になっているので、 無料でドバイ国際空港でビジネスクラス・ラウンジを無料で使用できるのです!
ここでも目的はアルコール!
すでにアル中みたいな感じになってますね・・・
ここでは久々にジンをチョイス。そしてトニックで割って、レモンを沿えて大好きなジントニックを頂きます。久々に飲むとトニック・ウォーターが甘すぎるように感じたけど。
ドバイ国際空港はターミナル毎にラウンジの大きさが違い、このターミナルのビジネスクラス・ラウンジは他に比べるとだいぶ狭かった。まあお酒を飲むだけなので、それで充分なんだけどね。
アルコールを飲むのもいいけど、そのまま寝てしまわないように注意して気を張る。たま~~に搭乗時間になっても来ずに、飛行機を乗り過ごした人がいる話を添乗員さんから耳にする。
そしてお次はビールに切り替える。久々に見かけるバドワイザー。日本ではあまり飲む機会がないのでね。
前にビジネスクラスに乗った時に食べた、温かいナッツが置かれているのを発見してすっかりいい気分になってしまったボク。ここでも缶ビールとミネラルウォーターを数本拝借する。
先に出発する成田空港行の関東組を見送る。ウッディ姉さんも後半はウッディ人形を使っている場面を見なかったな・・・と思いながらお見送りします。
成田空港行きを見送った後は、程なくして我々関西組も飛行機に乗り込みます。
関西空港へ向けてドバイから出発!
ドバイ空港から関西国際空港までは約9時間15分の飛行時間。帰りは気流に乗るので、いつもながら行きよりかは早く着くのである。一回目の機内食は離陸後1時間ほどで出てくるが、ビールを飲んだだけで眠りに着くのであった・・・・。
その後爆睡し2度目の機内食でCAさんに起こされる。起きていきなりの食事も、意外と食べれるもの。飛行機に乗ると、自分の都合で食事が出来ないのでリズムが狂いやすい。。
何度も食べた事のあるエミレーツ航空の機内食。あまり味のないうどんを黙々と食べる。
そんなこんなであっという間に関西国際空港に着く・・・と思いきや、ランディング態勢まで行ってあとは着地だけになったのが、急に寸前で再浮上し旋回していく。。
初めての体験で、少し興奮する!ただし周りの人達は意外と静かで、全然誰も騒がない。というか、騒いでも無駄なのを知っているのか?それとも騒ぐ必要すらないだけなのか。。
雨が土砂降りで、凄く視界が悪い滑走路が機体モニターでも見える。ただし”いい飛行機”であれば、レーダーなどで地面までの距離などを把握できるので多少悪天候でも問題なく着陸できる。この2階建ての飛行機は”いい飛行機”なので、2回目の着陸は思った以上にあっさりとできた。
無事関西空港に到着し、帰国!
日本の空港に到着すると、まず行う儀式。それは”大谷くんに挨拶する事”である。昨シーズンは期待された反面、ちょっと残念にも思える成績だったので今年は一段と成績を残す事を勝手に期待します!
これは今回のお土産一覧。ヨルダンではスーパーマーケットに寄らなかった為に、購入した物は殆どなし。大半がイスラエルで購入したもの。
ただし寄ったスーパーがあまり綺麗な所でなく、商品の箱とかも汚れたり、半開きになっていたりと品質には疑問を持ったけどチョコレートは普通に美味しかった!
こちらは帰国後、Amazonで古本を購入したらカナダから発送してきた本。あのデビッド・ロバーツが描いた絵が沢山載っていて、今回の旅行を更に楽しませてくれるものとなった。
<まとめ>
実は今回のヨルダン・イスラエル旅行はこの4月出発の日程に申し込んでいたのだが、その日程は催行確定になっていなかった分で結局催行中止となってしまった。その代わりに4月はチュニジアに行く事になったのだが。
ヨルダン・イスラエル旅行は意外と人気があって、その後5月・6月・7月と全てキャンセル待ち。。8月は他の月に比べても+2万円になっていたので、他よりも値段がちょっと高く、それと真夏の一番暑い時期という事もあってか?申し込み時点では「◎」状態で余裕で申し込めた。
「8月の暑い時期はさすがにシンドイかな?!」と思っていたけど、夏場に暑いのは日本も同じ。中東は確かに暑い地方だけど湿度が少ないのでカラッとしていて、日本ほどの暑さはあまり感じない。逆に同じ8月に訪れた長崎の方が体感では確実に暑かった。
そんな不安を持って挑んだ今回の旅行。映画「インディージョーンズ3/最後の聖戦」は何回も見たけど、実際にその映画のイメージしかなかった場所に足を踏み入れてみると、とても感激した。
そして長く続くシーク(渓谷)を抜けて、あのペトラ遺跡を代表する「エル・ハズネ(宝物庫)」を見た時は鳥肌が立つ瞬間であった。
日本に帰ってからインディージョーンズ3のこのシーンを見ると「おっ、このシーンはここから撮ってたのか!」や「これ、この神殿の中に入っている感じだけど、実際には中には入れなくてセットで撮影しただけなんだよね~!」とか自信満々に言えるようになった。
ヨルダンで一番の観光名所はペトラ遺跡である。この中東でも有数の人気がある場所だ。
そんなペトラ遺跡を過去に訪れて、絵を描いていたデビッド・ロバーツの絵にも出会えて、とても嬉しかった。これも以前にエジプトを訪れた時にピラミッドやスフィンクスなどを描いていた絵を見てなかったらここまで興味を持つ事は無かっただろう。
そういう意味では過去に行った海外旅行が自分の中でキチンと経験として蓄積している事を実感する。
ただペトラ遺跡は広く、奥の山を登った所にも「エド・ディル(修道院)」と呼ばれる建物もあるので体力がないと行けない場所もある。
なのでもし行きたいと思っている人がいれば、年齢が若く、体が充分に言う事を聞く頃に行っておく事をオススメする。
映画「トランスフォーマー2/リベンジ」にも登場するエド・ディル。これまた帰国してから映画を見てみると、今まで見ていたものとはまた違った角度で見れた。
そして今回どうしても記憶にこびり付いてしまった「犠牲祭壇への登り」だ。自由時間が少なくなってきた中、有言実行を貫く為に駆け足で登ると途中で死にかける位に疲れた・・。
こんなに足が痙攣したのは久々だったので、ちょっと懐かしくも感じたし、筋肉に大きな負荷が掛かったのも久々だったので満足感はあった。
諦め寸前で何とか辿り着いた頂上。肝心の祭壇を見る余裕が無かったが、現地民のテントに助けられた。
これほどに1本のミネラルウォーターの有難味を感じれる瞬間は今までになく、初めての体験だった。
そして彼らがもてなしで出してくれた甘いミントティーは「これほど美味しく感じるのか?!」という程の感激があった。
そして噂では「肌の弱い人は入ったら、肌が赤くなって腫れた」とも聞いていたので、ちょっと恐れていた死海。警戒していたものの、あっさりと塩分濃度がとても高い死海の水が目と口に入ってしまった。。
でもこれも体験した方が経験談として今後に活用できるので、今覚えば体験できてよかった。
だから今後死海にいく予定のある人には是非、目と口でも死海を味わってみて下さい!
そんな死海浮遊と共に、死海のすぐ近くに泊ったホテルのプールでも久々に思いっきり遊び暴れて喉が枯れる程楽しめた。
続く2カ国目のイスラエルもただ単に楽しかった国では済まされない歴史を持つ。イスラエルの近年活動した内容も、どの立場によって見るかによって大きく捉え方が変わる。それ程複雑なものがあるイスラエル。
ただ歴史的にとても古いエルサレムの街。特に現在地球の1/3を占める大宗教のキリストが派生した場所だけあってキリスト関連の建物が至る場所にあった。
そしてそんな歴史が凝縮された場所はエルサレムでも旧市街地にある。ユダヤに始まり、キリストが出て、イスラムに長い事支配されたエルサレム。約2000年の時を経て、旧市街地はユダヤの手に再度渡る事となった。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が共存するエルサレムの旧市街地。表向きは共存しているように見えるのだが、裏では邪魔者を排除しようという考えの人もいるようだが。
ボクとしては過去は過去であって、それに引きずられる必要はないと思っている。なので新しい21世紀のイスラエルを作っていって欲しいと思う。
何より今までキリスト教については全然興味が無かったので、エルサレムに来てヴィア・ドロローサを歩いてキリストについて興味が出て、とても勉強にもなった。単に十字架に磔られて死んだ位しか知識がなかっただけに。。
キリスト教に興味が出たからといって、ボクの宗教観や哲学観が変わる訳でもないんだけど、今まで見てきたヨーロッパの教会とかの役割や絵などの意味が少し理解できるようになった。
そんな事も含めて今まで行った海外旅行先はどこも素晴らしかったけど、このヨルダン・イスラエルはボクのイチオシお勧めの場所です。治安を怖がる人もいるようだけど、普通に行く分には全然問題なんてないし。
それとここでちょっと話が逸れるが、昨年2019年10月にボクの親父が急死した。今までの人生でほとんど病気などせずに、いつでもピンピンしていた人間だっただけにそれは急すぎた。。死因は急性心不全、普段から病院とは程遠い生活を送っていた為にそれが仇となって、胸が苦しくなっても病院に行かずに、呼吸ができなくなるまで我慢していたのだろう。
実はその4日後にクロアチア旅行に旅立つ予定だったのだが、さすがに父が死去したら旅行には行けずでクロアチア旅行はキャンセルした。
子供の頃から手先が器用で、工作などが得意だったのを活かしパッケージの構造デザインの仕事に就く。会社勤めを経て30代半ばで独立し、思う存分能力を活かして働き、そして思う存分遊んだハズの親父。
しかし晩年は不景気の波に飲み込まれ、デザイナー特有の個性が強すぎて営業活動が上手くできずに事務所を閉めて生まれ故郷に引っ越していった。しかし田舎に戻っても自由奔放な親父はエネルギッシュに活動し、持ち前の好奇心の塊は腐る事がなかった。
元々畑だった中庭はいつの間にか芝生が青々と茂る中庭に変身していた。毎日何回も水やりし、雑草が生えるとそれを一本一本ピンセットで取り除いたりと意外とマメに手入れをしていた親父。
そして単調だった家も自分で色を塗り替え、内装もお洒落に変えていった。
最近親父を知っている人から「親父さんにとても似てる!」とよく言われる事が多くなった。まして親父が亡くなった後に親父の知り合いに会うと、ほぼそう言われる。。
ボクはどちらかというと自分という個性を持たずに、他人に影響されやすい人間だと思っている。二十歳前から家庭の事情で親父と別居する事となったが、ボクの人生において最も影響された人間である。
ただボクは誰にでも影響される訳ではなく、自分の好きな人に影響される。
だからその一番であった親父がボクにとっては一番大好きだった存在であった。
単なる血の繋がりだけではなく、その仕草や笑い方まで似ているという事がそれを裏付けている。
だからと言って親父が死んだ事でそんなに落ち込んでいる訳でもない。
そりゃ寂しくないと言えば嘘になるけど、ボクの考え方としては”人はいつか死ぬもの。だから今会えている瞬間を一期一会に大事に思い残す事なく過ごす”と思っている。
だからここ数年はGWや盆などは必ず行くようにしていたし、年末年始やそれ以外の時でも会える機会があれば会うようにしていた。
そんなボクにとってはとても大事な人が死んでしまった訳だが、こうやってブログを作りながら旅を振り返ると新しい人達と出会い、その瞬間瞬間を楽しんで過ごせていた事を認識できる。
旅行で出会った人達と、いかにその時を全力で楽しむか? 頭で考えるのでなく、心が躍る方向に進むだけ!
こういった1つ1つの写真に残っている瞬間瞬間がボクにとってはとても大きな財産である。何気ない触れ合い、ちょっとした冗談で誰かを笑わせてみたりと。
この旅行の次の次の旅行先で来ていたオジサンは、今までの海外旅行は殆ど自分で手配した個人旅行ばかりしていた人で、散々「個人旅行を是非キミはしてみた方がいいよ!」と何回も言われた。
確かに個人旅行は得るものは多いだろうけど、ボクはツアーならではの楽しみを知ってしまったので、現状はほぼツアー参加人間となっている。。
ツアーで行ったからこんなにみんなで楽しめているけど、もし個人で行っていたらここまでのハシャギようはなかったと思う。
帰って写真を見直すと、大なり小なりはあるけど新しい人達との間に新しい絆が出来ていた事にも気付く。もし今後会う機会がないかもしれなくても、旅行先で出会った我々は友達であり仲間である。
こうやって年の差はあるけど、色んな人との出会いを心から楽しみ、そしてその人達と触れ合える瞬間を全力で楽しむ。目の前にあるのはひたすら”楽しみ”だけである。
だから親父の死もボクにとっては悲しいものではない。人の死は哀しみの視点から見ると直視できない辛さもある。もしボクが死んだ時は誰も悲しまずに、哀しく堅苦しい葬式などせずにお祝いパーティーのような陽気な会を開いて欲しいと思っている。
人が死んで悲しむのは「その人がもっと生きていれば、自分が得るものがあったハズだ」とか「あの時に会いに行けば良かった」いう気持ちが少なからず入っていると思う。だけどボクはその人が死んだ時に”その人のおかげでボクはこれだけ成長できたり楽しめた”という事を思い返し、感謝するようにしている。
そういう考えになるとその人と出会えて接しれた時点で、自分はもう既にとても幸せだった事に気付く。そう思えるようになるとその人が亡くなっても悲しくは思わない。出会えた事自体が幸せで、別れなど問題ではないからだ。
だから旅行から帰る時も全然寂しさを感じない。何故なら、もうその時点でとても大きな喜びや楽しさを既に得ているから。
あとはその喜びや楽しさをこれからの人生にどう活かしていくかだけ!
そして今回のヨルダン・イスラエル旅行も最高に楽しかったです!
追伸
ボクの人生で一番楽しませてくれた最愛の親父、
今まで本当に「ありがとう」
そして「さようなら」
<完>
↓↓↓↓ヨルダン&イスラエル旅行記:初回↓↓
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