1.2kmも続く岩山が裂けたようなペトラ遺跡の渓谷「シーク」を歩く-イスラエル&ヨルダン旅行記9

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】3日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 渓谷に見惚れ続ける?!

 1.2km続くシークに潜入!

ヨルダンのペトラ遺跡内で、断崖絶壁の渓谷が1.2kmも続く”シーク”と呼ばれる場所にやって来ました。シークという言葉の意味は、このような渓谷の裂け目を表すようです。

 

 シークに入って見た景色 動画

 

ついついこんな断崖絶壁を見て上を歩いて歩いちゃうが、この道はこのように馬車も通るので周りには気を付けないといけない。馬車も人がいても、スピードを落として停まるというよりかは「そこ通るから、どけよ!」という感じ。車優先の国みたいで、ボケ~~と歩いていると轢かれてしまうかもしれません。

 

そんな風に周りの写真を撮りつつ、馬車にも気を付けつつ、辺りの景色を頭に焼き付けつつ・・・といった感じでそこそこ忙しい・・・。

 

勿論、渓谷の上までは全然手が届きませんね・・・。

 

このような断崖絶壁の渓谷に来ると、自分の小ささがよく分かります。こんな自然に創られたものは何千年もかかって出来たものなので、人生たかだか40年程しか生きていない自分がそんなものと比べようも無いですね・・・。

 

という事で気を取り直して、シークを進んで行きます。

 

こちらもこのシークに流れ込む水を防ぐ為の水門のようだ。自分の暮らす日本は日常的に雨が降るけど、雨期や乾期があってあまり普段は雨が降らない地域では、逆にちょっと雨が降るだけでエライ事になるようだ。特に最近ではゲリラ豪雨が多くなっているので、排水設備のないこの辺りでは大変なことになるだろうな。

 

そんなシークを歩く、すると現地の物売りの少年が現地ガイドさんに寄ってきたけど、現地ガイドさんは全くの無視だった。今回ヨルダン滞在中はこの現地ガイドさんが対応してくれたけど、あまり積極的に関わってこようというタイプではなかったので、全然コミュニケーションを取れなかった。

 

こんな断崖絶壁を登ろうとする男。そろそろ社交ダンスも飽きてきたので、次はロッククライミングにチャレンジしてみようかな?!

 

目の前に広がるというか、続くこんな渓谷に囲まれた景色は、実際目の当たりにするとその偉大さにあまり言葉が出なくなる・・・。

 

渓谷に見惚れていると、馬車が走ってくるので注意!

 

走り抜けていく馬車。ただ個人的には馬車に乗るよりも自分の足で歩いた方が、景色もじっくり見れて記憶にも刻めて楽しめると思うのだけども・・。

 

しかし大自然が創り出した渓谷と人間を比べると、人間がとても小さく感じる・・・。まあでもこんな人間が今の地球の支配者なんだけどね。。

 

「は~~い!、皆さんこちらに進みますよ~~!」という目印にもなる、真っ黄色のTシャツ男。歩く道標とも陰で言われているかも!?

 

こんなシークの中でも撮影に熱が入る”ローマ法王”と後々あだ名が付くオジサン。後で撮った写真を見てみると、一番写真にカットインしている割合が高かった。常に観光地ではカメラとビデオを”二刀流”で使っていて、しかも自撮りメインでバンバン撮りまくっていた。。

 

シークに入った最初の頃は皆その光景に感動し、写真を撮りまくります。

 

ロック・クライマーからすると、こんな断崖絶壁の壁を登るのが興奮するんだろうな。

 

シークの地面はこのように固められていて歩きやすい、この道の舗装は近年ヨルダン政府が行ったもの。だけど水を吸収しない感じなので、大雨が降るとこの辺りでは鉄砲水のようになるんだろう。

 

しかし、しみじみとそのシークの絶壁を見ると感慨深い。何千年という期間に雨が流れた跡が、年輪のように太古からの時間を刻んでいるのである。

 

こんな岩肌のデコボコ、1つずつにも色んな歴史が詰まっているのだろう。「あの時代は全然雨が降らなかったけど、あの時代はめちゃくちゃゲリラ豪雨が降ってさ~大変だったんだよ!だからそこだけ急激に削られているんだよ~~!」とか、岩肌が喋れたらそんなのを教えてくれそうな。。

 

こちらでは欧米系の奥さんたちが楽しそうに写真を撮っていた。

 

早速そんなポーズをパクって・・・・ではなく、頂いて写真を撮ろう!・・・・という事でまずは頭でシークを支える男。

 

1人でシークを支えていますポーズの男。

 

昔は交易の経由地として栄えたこのペトラの地であるが、その後アラビア半島を通る交易ルートが紅海を通過する海上ルートに移行していった。それに加えて度重なる地震などによって建物等は壊れていき、ペトラの都市は段々と衰退していった。そして”忘れ去られた都”となってしまったのである。

 

 シーク内から見える景色 動画

 

こんなぶつかりそうな断崖が、とてもいい雰囲気を出している。

 

そんな素晴らしいシークの景色を、体じゅうを使って喜びを表現する男。

 

そして驚く事に、こんなシークの断崖絶壁の中間あたりになんと木が生えているのである。雑草ならまだしもこんな木が生えているなんて、どうやったら生えるのか?!

 

 シーク内のその景色 動画

 

そんなシークの景色に見惚れつつ、今回ツアー参加者さんの女性メンバー6名と一緒に記念撮影。今回は男12人と女6人の合計18人の旅です。暑い時期なのか、体力が要りそうに思ったのか男性が多めでしたね。

 

旅行に来ると、自分だけの記念写真が多くなりガチだけど、こうやってツアーで知り合えた人達とその喜びを感じながら一緒に記念写真を撮った方が楽しいですよね!

 

1.2kmもあるシークなので、そう簡単には終わりません。歩いても歩いても延々とこの景色が続きそうな雰囲気のあるシーク。

 

ただ見ているだけでも興奮して見飽きないのシーク。

 

ここでちょっとイスラム教についてのお勉強を。ここヨルダンはイスラム教徒が多い国であるが、そのイスラム教の神は「アラー」である。西暦610年にイスラム教の創始者で預言者である「ムハンマド」(40歳の時)に対して、神は洞窟の中で大天使ガブリエル経由で”神のお告げ(啓示)”を授けた。ちなみにこの時、神の言葉を大天使ガブリエルはアラビア語に翻訳してムハンマドに伝えたという。そしてイスラム教の聖書”コーラン”はそんな訳されたアラビア語を記録していった書物なので、コーランというのはアラビア語が書かれているものが絶対で、コーランの日本語版というものはコーランではないという。

 

イスラム教の基本思想としては「全てを神に委ねれば幸せになる」という事。人生を全うした最後に”最後の審判”が行われて、神様の言う通り人生を送っていたものはやがて復活し天国に行く事が出来て、その天国で幸せに囲まれて永遠に生き続けるという。

ただしイスラム教もその神の啓示の”解釈の違い”によって、イスラム教と一口に言っても地方毎や宗派毎に考え方は千差万別。武力抗争で問題になったイスラム原理主義「タリバン」はその強硬派で、お酒は観光客でも飲んだらダメ、映画やテレビは一切禁止、楽しい遊びは一切禁止、あごひげが伸びていないとダメで髭が伸びるまで留置所に勾留。女性は一切働く事が禁止となり、肌は一切外では見せてはいけない、さらに女性の教育も禁止されて1人での外出も禁止されて「女性は男性に守られるべきで、外に出る必要はなく家にずっといてればいいのだ!」という考えだったそうだ。

 

 シーク内のその景色 動画2

 

「コーラン」には”イスラム教徒同士が殺し合う事を禁止している”のであるが、それもイスラム教徒によっては「解釈の違い」を理由に内戦を起こしたりしている。この前にトルコに行った時の現地ガイドさんは「お祈りする人は神の為に祈るのではありません、自分の為に祈るのです!」と言っていた事を思い出す。

その言葉を思い出すと「なるほど!」と思ってしまう。神に祈る行為はその人間が神様の為にしている事ではなく、自分が死んだ後に天国に行って永遠に幸せになる為にする行為と捉える事ができるから。

 

所詮人間は自分本位であり、自分があって周りがあると思いがち。イスラム教では「喜捨(バクシーシ)」というのがあり、身の回りで困っている貧者や団体などに寄付をしてお金を援助する考えがあります。その喜捨をした人は、この世で善い行いをした事になり、その分死後は天国に近づく事ができる。反対にその喜捨を貰った側は、自分にお金をくれた人に対して「自分がその人に 喜捨をさせてあげたという考えになるそうだ。その為に、お金を寄付してもペコリともお辞儀もしないし、喜ぶこともなく”貰って当然”という考えになるようだ。そういう意味ではチップとも異なる。

 

今年はモロッコ、チュニジア、バルカン半島の諸国、トルコとイスラム教徒が国の割合を占める国に訪れたがその生活ぶりは多様多彩である。チュニジアではイスラム教の戒律が緩く、色んな場所で出会った女の子達はとてもフレンドリーで、そんな”イスラム感”を全然感じなかったし。

 

古代から神様を信仰して、神様を祈る事で自分の気持ちの逃げ場にされてきた面が大きい宗教。経済学者のカール・マルクスは「宗教は民衆のアヘンだ」という主張を持っていた。アヘンという麻薬を吸う事により、その人間は気持ちよくなって他の事を考えなくて済むようになれる。同様に宗教も虐げられてきた人々がある宗教を信じる事によって、自分に降りかかる問題点を解決せずに放って置き、神に祈っていさえすれば”あの世”に行った時に幸せになれると信じれる。

そしてそういう考えの宗教は”この世”の支配者達には好都合なのである。信者たちには「ひたすら神様に祈れ!辛い労働も神様の為にこなせば、死後は天国で幸せになれる」といった根拠のない信仰を教える事によって”この世”はこの世の支配者が支配できるのである。

 

壁には神を祀った神殿の形が掘られていて、色んな場所で神様に祈る事ができたようだ。

 

古代ナバタイ人も、雨乞いなど自分達の力でどうしようもない自然現象を引き起こすには”神頼み”しか無かったのであろう。その為に、祭壇に生贄をお供えして神に祈ったのである。

古代アステカ帝国では、数百人~数千人の頭蓋骨で出来たタワーがあり、その多くは20~30代の健康な成人男子であったという。そしてそんな生贄になるのも古代アステカ帝国では”名誉”になる行動で、死後天国に行けるものとされていたそうだ。

 

シーク内部の道は、元々はここを支配した古代ローマ帝国がお得意の石畳を作っていたが、度重なる洪水などにより、それらが押し流されて一部分しか石畳は残っていなかった。

 

シークの断崖絶壁には何本かの木が生えているのが見られて、その植物の生命力の凄さに改めて驚く。殆ど水分が無い中でどうやって枝を伸ばして、葉を付けているのだろう?!

 

このシークは1.2kmに渡ってあるので、この往路は普通にゆっくり歩いて約40分程掛かった。実際に歩いてみると、意外と長いこのシークを体感できる。

ちなみに帰りは”とある事情”により、このシークを15分で駆け抜けたのであるが、その内容はまた後程のお楽しみという事で!

 シーク内のその景色 動画3

 

こちらの岩も「ステラ」と呼ばれる、当時ナバタイ人が崇拝していた神を掘り込んだ石板がある。ただしこの反対側だけどね。。

 

こちらはそのステラの正面で、主神ドゥシャラーや女神ウッザーを刻んでいた。

今回の添乗員さんは、見た目にも暑そうなニット帽を被っていた。みんなから「暑くないの??」と聞かれていたけど、本人曰くは意外と暑くなく「通気性があるから、全然暑くないです、ハイッ!」と応えてましたね。

 

古代ナバタイ人は文字を持っていなかったので、こういった神を祀る岩には文字らしきものは全然掘られていない。

 

ちなみにペトラ遺跡には断崖絶壁の両脇の下には、灌漑用水路と飲料用水路が作られていた。こちらはシークからエル・ハズネに向かって左側にある灌漑用水路。古代ナバタイ人はこういった治水設備に対して長けていたのである。それが逆に雨が少ない地域で生き残る民族の知恵でもあったのだろう。

 

そんなペトラ遺跡内で、まだシークまでしか来ていないが十二分にペトラ遺跡を満喫する男。「もっとペトラ遺跡の空気を吸っておこう!」という感じかな?!

 

こうやって見ると、改めて自分の小ささを実感する。でも自分ではまだまだ今が成長期だと思っているので、物質的にはこれ以上は大きくなれそうにはないけど「人間的な中身でこれからもっと大きくなりたい」と考える日々であった。。

この続きはまた次回に続きます!

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