ペトラ遺跡で歴代ナバタイ王の足跡が見える「王家の墓」-イスラエル&ヨルダン旅行記14

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】3日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 王族は高い場所がお好き?!

ここはヨルダンのペトラ遺跡。シーク、エル・ハズネ、ローマ風円形劇場と歩いて来て、お次はこの岩山に掘られている「王家の墓」(The Royal Tombs)と呼ばれる、お墓でもあったし、王族が住んでいたとも、神殿として使われていた可能性があるとも、それぞれに確証はないけど色んな諸説がある場所である。

 

 「王家の墓」(The Royal Tombs)に登る

この看板がある所から「王家の墓」がある場所に行ける階段があります。

 

ここからはひたすら歩きで階段を登ります。これぐらいでシンドイと言っているようでは、先が思いやられます。海外旅行に行く楽しみの一つに現地でのウォーキングがあります。実際にその地を自分の足で歩き、その時の風景や匂いや音などを自分の五感でしっかりと感じ取って歩くのはとても大事な事だと思います。その為、こういった場所に来てもちゃんと歩けるように普段からしっかり歩くトレーニングはしておきましょう!

 

まずは階段を登る前に、王家の墓をバックに記念写真。ちなみにこのように真っ黄色のTシャツはとても目立つので、写真映えがよくなるような感じがします。是非、皆さんの周りの目を気にせずに、派手な服装で写真映えしていきましょう!

 

ご覧のように厳しい太陽光が照りつけるペトラ遺跡。しかし「暑い、暑い・・・」と言うだけでは能がないので「この太陽光のおかげで生物は生きれている。だからこれだけ太陽光を浴びれるという事はとても幸せな事で、より大きく成長できるハズ!」と考えた方が楽しく観光できますね!

 

ツアー参加者の中でも後ろで記念撮影とかしていたので、先頭集団は早くも向こう側に行っちゃってます。海外旅行に行くと、結構その国の国旗の写真を撮ります。その国旗を見れば見る程に”その国に来ているのだ”という実感が増します。

 

という訳で、集団でも遅れてはいるものの、その国旗のある場所まで辿り着いた所で絆創膏をくれた子を椅子に座らせて国旗とペトラの広大な土地と空を入れて写真を撮ります。あまり自分ばかりの写真を撮りたいナルシストではないので、こうやって他人が景色と馴染んでいる写真を撮る方が好きなのです。

 

ペトラで吹く風にはためくヨルダンの国旗。そういえば1839年にdavid rovertsがこの地を訪れた時には、このヨルダンという国も無かったし、イスラエルという国も無かったのである。今回この地方に来てみて分かった事は、日本では領土問題などはそこまで大きな問題ではない(竹島や北方領土などでは血を流してまで戦おうとしない意味で)が、この中東の国ではこの領土争いは自国の行く末を決める為に命がけで戦っているという事だ。今回訪問するヨルダンとイスラエル、この両国はその領土を掛けて中東戦争(1948~1973年)で4回も戦ったのである。

 

そんな風に過去に戦争をしたヨルダンとイスラエル間では和平に合意し、国交を回復したがイスラエルは周辺のアラブ諸国とはまだ犬猿の仲でイスラエル人の入国を拒否する国もある。またイスラエルに入国した事のある人までも入国拒否するまでになり、現在ではイスラエルに入国してもパスポートには入国の判子は押されないのである。その代わりに入国カードというものを渡される。その時はあまりその意味を深読みしていなかったけど、イスラエル側のそういう配慮だったのだ。

 

 「壺の墓」(Urn Tomb)に登る

またこの手前でも記念写真を撮っていたので、またまた集団から遅れている・・・。「皆はどこに行ったかな??」と思って探していると、正面の遺跡の階段を登っているようだ。この正面中央の遺跡は「壺の墓」と呼ばれていて、実際に王の家族の墓でもあり、王が住んでいた場所でもあったらしい。ちなみに現地で付けられていた名前では「裁判所」となっているが、その法律に関する物などの物的な証拠などは見つかっていないという。


by-David-Roberts in1839

今から180年前にはこの周辺には何も無かったみたい。今でこそ露店などが並ぶけど、当時はまだ観光という文化があまりなかったようだ。絵を見ると、所々で土砂に遺跡が埋もれているのが見える。


 

この遺跡が「壺の墓」と呼ばれるのは、遺跡上部に壺の形をした彫刻があった為だそうだ。エル・ハズネも上部に壺の装飾があったけど、あちらは宝物がそこに入っていると思われたので「宝物殿」と呼ばれている。こういう遺跡のネーミングって、観光地を訪れるともう付いてしまっているのであまり深く考えないけど、ネーミングする立場からすると結構悩むもんなんだろうな。

 

ツアー集団から遅れ気味なので、少し足早に階段を登ります。まあそんなに遅れている訳でもなく、ちゃんと集団の位置もある程度把握しているので焦る必要はありません。

ちなみにツアー集団から離れて迷子になってしまった場合は、そのハグれた場所に留まって添乗員さんなりが探しに来るのを待っていた方がいいそうです。添乗員さんや現地ガイドさんも所々で人数確認をしていて人数が少なかったら、そこから探しに戻ります。その為に迷子になったからといって下手に歩き回られると、探しにくいので最初に迷った時点に居てくれた方が探しやすいそうです。

 

上の方まで登って行くと、周囲の景色が見渡せます。といっても広大な土地だけしか見えませんけどね。。

 

四季のある日本に住んでいると、こんなに乾燥していて雨が全然降らない場所でもちゃんと住んでいる人がいる事に驚いてしまう。。でも実際にこんな場所で住むのも大変なんだろうけども。

 

王家の墓があるポイントまで階段を上がって行く途中には、階段も商品展示スペースに使っている露店があります。

 

こういう場所に置かれていると、嫌でも目に入ってしまいます。ただこんな広い遺跡内で手荷物を増やしたくないのか??それとも全く興味が無いだけか?全然売れている様子はなかったけどね。。

 

 「壺の墓」にやっと到着!

やっとこさ「壺の墓」の前に到着すると、ツアー参加者さん達が記念写真を撮ったり、日陰のベンチに座ったりしていて休憩していた。こちらはその正面なんだけど、壺の装飾ってどれなんだろう??雨風の浸食によって消えちゃったのかも??

 

高い所に登ってきただけあって、眺めはとてもいいですね!

 

そして、いつ見ても暑そうにしか見えない添乗員さんの恰好。ずっと手にはファイルを持っていて、その観光地や国や宗教などのマメ知識が詰まっているそうだ。添乗員さんはこういった情報は自分で調べて勉強するそうで、人によっては手帳に手書きでビッシリ書いてあったりするけど、今回の添乗員さんはパソコンで文字を打ってキレイにまとめていた。その理由を聞いてみると「ワードとかだと上書きが出来るので、ハイっ!」との事。確かにアナログだと、後から行を追加とかはできない。

 

ここでも近くにいたツアー参加者さんを呼び寄せて記念写真を撮る。こちらのお父さんは大分から来られていて、この8日間の旅は毎日同じ恰好で過ごしていた。毎日同じTシャツを着ていたのでてっきり何枚か同じデザインのを持って来ているのかと思って聞いてみたら「Tシャツとかは毎日洗っているよ!ズボンは毎日は洗わないけど。どこに行ってもちゃんと洗濯している。行く場所によって乾きにくい時は冷房を止めて暖房に切り替えたりもする」との事。ホテルに帰って部屋に入ってからは、自分の快適さよりも洗濯物が最適に乾く事を最優先にしているそうだ。

この世には色んな人がいるので、そういった話を聞けるだけで楽しい!

今時の若い女の子達は”インスタ映え”を狙った写真を撮りたがる傾向にあるようだ。なので自分にもし余裕があるなら、ドンドンその写真撮影に協力してみるのもアリだ。ただあまり上手く写真を撮れる技術というか、力量が無ければ相手に迷惑をかけるだけになるかもしれないけどね・・・。

シャッターは指じゃなくて、心で押すといい写真が撮れますよ~!

この壺の墓は内部も入れます。なのでどういう感じなのかを見に入ってみます。

 

室内は至ってシンプル。四角い空間の奥に王様が座っていた場所なのか、ドーム状にくり抜かれた壁があります。

 

左右のくり抜かれた穴にでも亡骸を安置していたのでしょうか?ちなみにこの建物は446年にキリスト教の教会に変えられてしまったそうですが、そういった装飾かとは見られませんでした。

 

こちらはこの空間の天井、岩の年輪のような模様が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。

 

 壺の墓:内部の景色 動画

 

壺の墓から出てみると、近くにいた警備員か兵隊さんのような人と記念写真を撮る奥様が見えます。

 

こちらの兵隊さんもどきは一緒に写真を撮っても別にチップは要求してきませんでした。その代わりに写真写りをとても気にしているようで「自分の写った写真を見せてくれ!」とだけ要求してきます。ただ写真を見せると別に何のリアクションもありませんでしたが。

ちなみにボクもある方に写真を撮ってもらいましたが、スマホで写真を撮るのが慣れていない方だったのか、何も写っていませんでした・・・orz。


by-David-Roberts in1839

こちらは180年前にこの地方の住民を描いた絵。ちょっと先程の兵隊さんもどきは雰囲気が違いましたね。


 

別にチップを要求されないとあって、人気者になっていた兵隊さんもどきのお兄さん。ずっと真面目な顔をし続けていたのですが、もうちょっとフレンドリーだったらもっと人気が出たのに。。


by-David-Roberts in1839

こちらは王家の墓の反対側の山の上から描かれている画。こういう当時の衣装を着たパフォーマーが居た方が面白かったハズ・・・。


 

こちらのお墓も上部には階段が掘られていた。まさしくお墓であったのだろう。実はこの左側に写真には写っていないけど「シルクの墓」と呼ばれて別名”虹の墓”とも言われた砂岩の模様が綺麗なお墓もある。でもこのお墓も下側は年輪のようなものの模様が何とも言えない感じにキレイである。

 

そしてその左側を進むと、今度は「コリント式の墓」と呼ばれるエル・ハズネにとても良く似た形状をしている。造られたのはエル・ハズネと同時期以前と考えられていて、この墓を見本にエル・ハズネが造られたのかもしれない。ただ残念ながらこのお墓はだいぶ風化していて、エル・ハズネに比べると荘厳な雰囲気は崩れ去ってしまっていた。。

 

こちらでもコリント式の柱の装飾があった為に「コリント式の墓」と名付けられた。上部はギリシャ様式で下部はナバタイ様式で装飾されている。なんの根拠もないけど、この建物を造って見本として改良しエル・ハズネを造ったような感じがある。こちらの柱は壁を削った装飾の一部だけど、エル・ハズネの柱は別パーツになっていたので。

 

この辺りのお墓跡と考えられる建物を、まとめて「王家の墓」と呼んでいる。その理由はちょうど向かい側に見える山の頂上に「犠牲祭壇」というものがあって、そこで行う儀式が見える場所であったから王がこの場所を好んでいたと考えられている。

 

 王家の墓付近の眺め 動画

 

こんな8月の一番暑いシーズンなどでは、直射日光が強く紫外線も思った以上にキツイので、日焼け止めクリームは何回も塗り直さないと効果がすぐに消えてしまいます。なのでこまめに塗り直しましょう。

 

これから良く目にするロバちゃん。見ていると本当に大人しくて、のんびりした性格で人間を怖がりもしないし、重い物を持たされても嫌がらずに歩き続けるとし、ちょっとロバを尊敬してしまった。。

 

 「宮殿の墓」に到着!

この建物は他に比べると、ちょっと装飾が手の込んだような感じ。2世紀前後に造られたものと推定されていて、ナバタイ王国の王様が住んでいた宮殿だったという。左上部などの一部は違う岩を切り出してきたもので補われているそうだ。


by-David-Roberts in1839

こうやってDavid-Robertsの画を見ていくと、その精度に驚く。実際にその当時も画家として人気が出て、彼の描いた画は世界中の美術館で保管されているのである。


実際にそのDavid-Robertsが180年も前にこの場所とかを歩いていたと思うと、ちょっと感動してしまう。そんな感激が薄れない内に日本に帰ってから彼の作品集を購入するのであるが。

 

そのDavid-Robertsの画集も日本円で5000~6000円でamazonで中古で購入した。人によっては「そんな高いの買ったの??」と思う人もいるかもしれないけど、本の価値は買った時の値段よりも自分にどれだけの知識を与えてくれるかだと思う。なので前の自分だったら多分買ってなかったけど、今の自分だったらその本の価値に見合うと思ったので購入してみた。

 

 王家の墓周辺の景色 動画

 

王家の墓を後にして、次のポイントへ進みます。その道が大きなS字のようになっていたので途中で再び王家の墓の全体を見回しながら進んで行きます。

 

日本ではあまりこのように岩山を削って装飾した物はあまり見かけないけど、土地が変わって文化なども変わると、逆にこちらではこれが当然なものなのである。そういう意味では色んな世界の国を周る事程、色んな勉強をさせてもらえているのである。

 

紀元前2世紀頃に最盛期が来たこのペトラの都市もその後衰退してしまったけども、そのまま存続していたらもっと沢山のこういった装飾した建物が出来ていたのかも。

 

ここで記念写真を撮ってもらうが「ハイ!、ハイ!、ハイ!、ハイ!・・」と次々とポーズを要求されて、いつもながら傾くポーズに差し掛かった瞬間に落っこちそうになってしまった。そんなボクに動じずに写真を撮り続けてくれた方に感謝です!

 

持参していた水はケチって飲もうと思っていましたが、気が付けばペットボトルは空になってました・・・どっかで買う必要がありそうですね。。

 

こちらの三脚を使って写真を撮っているお兄さんは沖縄から来られていた方で旅行だけが趣味という、とても親切&気遣い&優しいという天使みたいな人でした。わざわざ三脚を持って歩いており、写真スポットでは必ず三脚で写真を撮っていたのでその理由と聞いてみると「いつもは普通のツアーに参加していて、周りの人に気を使わすのが嫌なんで自分の写真は自分で撮ろうと決めているので」との事。

またこの答えにもこの方の優しさがたっぷりと詰まっていましたね!

 

 ニンファエウム(水の妖精の泉)にて休憩


先程の王家の墓からずっと歩きっぱなしだったので、この木の下でちょっと休憩。ペトラ遺跡ではあまり無い日陰ですね。ちなみにこの木はピスタチオの木で何と樹齢は400年を超えているそうだ・・・・。何気なく歴史的な木にお世話になっていたのであります。。

 

この横には用水路があり、かつてペトラ遺跡内を流れていた水がここを流れていたようだ。この辺りにはかつて立派な噴水設備があったようで、市民の心まで潤していたようだ。ローマ支配下の2世紀頃に造られたそうだが、今ではそれも見る影はなく、このピスタチオの木が目印となって残るだけである。。

この様子はまた次回に続きます!

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