ペトラ遺跡のローマ円形劇場で、出会った美女とのツーショット写真?!-イスラエル&ヨルダン旅行記13

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】3日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 出会いは大切に!

ここはヨルダンのペトラ遺跡内。1.2km続くシークを歩いて抜けて、あの有名なエル・ハズネを見てとりあえず興奮はひと段落。途中にあったトイレに立ち寄り一休憩。

 

 再びペトラ遺跡内を散策!

先程のサンドボトル屋さんを過ぎた右側にも「ファサード通り」のようなお墓跡が沢山並んでいるのが見えます。この四角く掘られた穴が空いているのがお墓跡です。

 

ここのお墓が掘られる位の人は、それなりの高い地位にあった人ばかりなんだろうか?そうじゃなかったら全員分のお墓を作っていたら、もっと数え切れない位のお墓があったハズ。このペトラがあったナバタイ王国は紀元前2世紀頃の最盛期には約20万人の人口であったと推定されている。

 

いつも観光の時は基本手ぶらなので、今回ミネラルウォーターを持って行くかを迷っていましたが、さすがにこの暑く日陰が少なく滞在が長いペトラ遺跡だけにミネラルウォーターは500mlと300mlを一本ずつ持っていく事にしました。結果としては水を持って行ってなければ、脱水症状になりに行くようなものでしたね・・。なのでこれを見た皆さまも、もし8月などの暑い時期には必ず重たくなってもミネラルウォーターは持って行きましょう!まあ持って行かなくてもペトラ遺跡内では所々にミネラルウォーターを売っているのでそこまでの心配は要りませんけどね。。

 

 ファサード通りの景色 動画

 

このペトラ遺跡はとても敷地が広く、全てをゆっくり見て回るには2~3日は必要なようです。ですがヨルダン&イスラエル周遊ツアーの我々はここで与えられた時間は8時間のみ、でも8時間でも結構長く感じましたね。

ちなみに「犠牲祭壇」(High Place of Sacrifice)と呼ばれる場所が、この中央にある階段をず~~っと上まで登っていった場所にあるそうです。ここから右側の山の上を見たら小さく人影が見えます。添乗員さんにあそこまで登るのにどれ位時間が掛かるか聞いてみると「往復で約2時間位は必要かと・・」との事。まあ多少含みを入れて言ってると思ったので「じゃあ帰りにあの山の上まで登る!」と宣言します。たけどこの時の宣言が後でとんでもない事態を招くとは思いもよらなかったボクなのであります・・・。

 

さっきシークとかで見た岩肌で人工的な切目だけがあった部分は、これからこういったようなものを造ろうとしていた跡だったのかもしれないな。ここでも右上側の岩はそれぞれにお墓を造りそうな感じのようにも見える。それともただの気のせいかもしれないけどね。。

 

これから行く先にはローマ劇場が正面に見えます。このペトラもローマの支配下になりますがそれは西暦106年の事で、このローマ劇場はそれより前に造られたものらしい。

 

我々の歩く道には至る所にこのようにロバの糞と思われる物体が転がっているので、話しながら歩くのもいいけど、足元にも注意が必要だ。ある奥様曰く「糞を踏んだら、運が付く!」と言っていたけど、自分では踏みたくないみたいだった。。

 

という事で正面を見ながら、左も見て右も見て写真を撮りながら、足元にも注意しないといけないというハードな観光である。しかも8月というめちゃくちゃに暑いシーズン。何故8月の暑い時期を選んだのかというと、この時期の日程しかツアーの空きが無かったのだ。。

 

こちらの岩山では墓跡が何段かになって造られたようだ。下のお墓は大きいけど、上にいく程に小さくなっている。恐らく下にあるお墓の方が先に造られたハズなので、下の方が身分が高かった人で上に行くにつれて身分が小さい人なのか、それとも最初は大きいお墓を盛大に造っていたけど段々人は死んでいくのでそのペースで同じような規模の墓を造っていくと手間もかかるし有限なスペースも減っていくので合理的に考えてお墓が小さくなっていったのかと勝手に推測してみた。

 

 ローマ風円形劇場にて

これからローマ風の円形劇場は演劇などを行うような通常ローマ帝国で使われていた用途で造られたものではないという説がある。

 

というのもこの円形劇場の奥の壁には穴が数か所空いていて、そこに遺体を安置して死者への儀式を行うものだったという。ローマ帝国に支配されてから造った劇場ではなく、あくまでもローマ風の建物を真似て造った斎場といった所。

 

ペトラ遺跡内は基本的にはあまり木などの植物は生えていません。やっぱり降雨量が少ない地域だけにこの辺りで植物を育てるのは難しいようです。

 

この劇場は元々は紀元前1世紀頃に斎場として造られたものを、その後2回の改築を経て約45段もあるこのような形になったという。なので元々斎場として建てられた時にはもっと質素な感じの造りだったのかもしれない。

 

大きな岩が固められていた。

 

こちらの中に通じる入口は立ち入り禁止。中東やアフリカなどの世界遺産とかでは、結構建物内の立ち入り制限とかが緩かったりするイメージがあるけど、ここは入れなかった。

 

右側に見える柱のあった場所には、大理石の円柱で支えられた建物があったそうだ。今では普通の石柱だけど。

 

劇場の後ろの壁に開けられているのが、死者を祀る為に安置していた穴。今では単なるよくあるローマの劇場跡にしか見えないけど、色んな歴史があるんだなと感心する。

 

ここの劇場は奥の壁があるので音が跳ね返って、音響効果としてはとてもいい環境にあるようだ。近年になってからは実際にここでも音楽コンサートが行われたそうだ。

 

 ローマ風円形劇場の景色 動画

 

そんな劇場をバックに写真撮影する美女を発見。となるといつものパターンで・・・・

 

何故か彼女の旦那さんもいるのに、この美女とツーショット写真!

この距離感で触れ合えるとは、とてもフレンドリーな方でしたね!

別の角度から、もう一枚。

いや~~とても黄色が映えています、ローマ風劇場と美女にも負けるとも劣らない存在感ですね~ハイっ!

ちなみにこちらの美女は左足のくるぶし付近に漢字のタトゥーが入っていました。「真ノ愛」と入っていて、多分「トゥルーラブ」の意味の日本語を入れてくれと頼んだのでしょう。恐らく外人の彫士が入れたものかな?と推測、日本人なら「純愛」とかになるんだけど、「真の愛」や「真実の愛」が直訳した漢字になるんでしょうか。

 

大理石の円柱があったとあるが、目の前にあるのはどう見ても大理石には見えない。。大理石というものは高価なもので、よく栄えた都市などの円形劇場の外壁などに使われていたけど、その都市が廃れてしまうと必ずと言っていい程、その大理石は持ち去られてしまう運命にある。イタリアにあるコロッセオでも同じように外壁には大理石をふんだんに使っていたけど、ローマが衰退した後は無残にも大理石は見る影もなく持ち去られて、今ではそれがあったハズの穴が空いた外壁のみが残っているだけ。。

 

こうやって見ると上段の観客席はあまり綺麗には造られていなかったようだ。それとも地震で崩れてしまった跡なのかな?!

 

その時代時代によって、使われ方が違っていたローマ風円形劇場。

 

そんなローマ円形劇場にて「長崎の猫雑貨」で購入した、真っ黄色のTシャツを着て、自称胸を張って生きる男。周りからは色んな事を言われるけど、そんな声はあまり気にせずに自分のポリシーを貫く事が大事である。最初の頃はそうする事が難しかったけど、何でもやり続けていれば慣れてくる。こんな遺跡のように2000年も生きれる訳はなく、たかだか数十年しか生きれないのである。そんな限られた時間しかないのに、周りからの目ばかりを気にして自分のしたい事をしない人生なんて、面白くとも何ともない!

 

黄色いシャツと、このマッスル・ポーズ。ボクの中では懐かしのハルク・ホーガンをちょっと思い出している。子供の頃に大好きだったアメリカ人のプロレスラーである。

 

1960年代にこの地で発掘が行われて、頭部のないヘラクレスの像が見つかったという。そんなヘラクレス像もこの辺りに鎮座していたのかもしれない。という事で今は無きヘラクレス像に代わってマッスル・ポーズをする男。。


by-David-Roberts in1839

こちらは1839年に描かれた絵であるが、このローマ風劇場の舞台が土砂に埋もれているのが分かる。そしてその前にはエル・ハズネから流れている小川がここまでも来ていたのが見てとれる。


 

こんな風に遊んでいると、ツアー参加者さんから「どうやってあの女性と一緒に写真撮ったの?彼女、旦那さんがいたんじゃないの??」と聞かれた。それに対してボクの答えは「彼女と心が通じ合ったからさ!」とだけ言っておきます。常に心は自由にして開いているつもりなので、ああやって人と楽しく壁無く接する事が出来ていると自分では思う。「できる、できない」じゃなくて、「やって楽しくなるか?楽しくないか?」という選択肢なのである。

 

 

ただ写真を撮って、景色を見て、説明を聞いて観光地を周るより、そこで出会った人達と短い時間だけど心からの交流をした方がもっと楽しめるハズ。ただそれしか頭で考えてない、単純な男なのです。。

 

その先に岩にも沢山の穴が見える。

 

このような穴も沢山あるけど、全部が全部お墓というような感じにも見えない。ペトラの都市が衰退してからはあまり人は住まなくなったけど、まったく誰も住んでいなかった訳ではなく、その後もこの場所に住民は居たのである。

 

そんなここに住む住民は先程のような岩山に穴を空けた大きな空間を家にして、住んでいたのである。

 

だからこちら側の岩山のように、その口が大きく空いている空間はひょっとしたらその住民たちが暮らしていた跡かもしれない。1985年に世界遺産に登録されてからは”遺跡の保護”を名目にしてヨルダン政府とユネスコがここに住んでいた住民達を近くに村を造って、そこに移住させたのである。

 

ここで何か右手親指がチクチクするな・・と思っていたら、何と右手親指の先から何故か出血が・・・・。別に何かでぶつけた訳でもなく、思い当たる要因はないけど、さっきのローマ劇場跡で遊び過ぎたのが原因なのかも?!

 

でカバンから絆創膏を探してみたけど、そんな事を想定しての絆創膏など入っていないのであった。。なのでボクの様子を見た、ツアー参加者で最年少の女の子から絆創膏を頂きました。

とてもシュクランです!

 

 デビット・ロバーツのリトグリフ販売所にて

ここでもちょっとこの露店で休憩します。先程の店といい、現地ガイドさんが通るお店コースも決まっているようですね。現地ガイドさんから「David Roberts・・・」と聞こえたのと同時位に絵を見たのですが、ボクが欲しかった画家の絵が売られていてちょっと興奮!

 

そんなデビット・ロバーツが1839年に中東を旅して、その道中に描いた絵のコピーを販売している。ボクはエジプトで彼が描いた絵を知って、それから彼のファンになった。ただファンになっただけで、別にコレクターとかになった訳ではないのだけど。だからそんな彼の描いた絵がこんな所で売られていたので1人だけ興奮するのであった。


ちなみにこちらはそのDavid Robertsが2年間にエジプト、ヨルダン、イスラエルの地を渡って描いた作品集である。早速この旅行から帰って、amazonでカナダより取り寄せて購入したもの、実に6000円程した。

 

しかし開くとB3サイズの大きな分厚い本で、各ページ毎に彼が描いた絵と説明が英文で書かれていて、とても内容が満載の本である。ただ残念ながら翻訳して読む時間が無いのであるが・・。


ここではこの画が14枚入って5ドルで販売していたけど、ボク以外の人は全然興味を持っていなかった。というかDavid Robertsという画家の名前さえも知らない様子だった。誰も買ってくれないので寂しい目をしていた、売店のオジサンでした・・・。

 

ボクはというと、ここで今買うと手荷物になるので「後で買いに来るから、置いといて!」と店員のオジサンにゼスチャーで伝えると「待ってるよ!」と言わんばかりの顔をしていたね。

 

この辺りの洞窟も民家にされていた所なのか、今は改装されてトイレになっている場所もあった。こんな場所でも水洗なんだろうか?!

 

こちらの岩山は上は昔の遺跡というか、お墓のように見えるけど、手前には沢山の露店がある。ただ夏場のこの暑い時期にペトラ遺跡を訪れる者にとってはこういった露店で手軽に売っているミネラルウォーター程、価値のある物はない!

 

こちらではラクダちゃんが暇そうにしていた。

 

日本の空港にこういう張り紙がしてある。毎回空港を利用する度に目にしていて知っていたので、中東地方のラクダには触れないようにしている。

皆さんも中東地方に行った時は、いくらラクダが可愛らしく見えても触れないようにしましょう!

一応ラクダに近づいて写真を撮るものの、接触はしません!前に聞いた話ではあるツアーでドバイに行った時に1人がラクダに触れただけで、帰国してからそのツアー参加者全員が検疫所に行かないといけなくなったとか。こういった知識を得たのも海外旅行を重ねた結果ですね!

 

という事でラクダ遊びもほどほどにしておきましょうね!

この続きはまた次回に!

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