シンドラーの工場でユダヤ人のホロコーストを勉強編-ポーランド旅行記-51

ポーランド旅行記:6日目

阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–

映画の舞台にもなった場所

シンドラーの工場を目指して

ポーランド南部のクラクフの街、ここで約2時間のフリータイムが与えられたので聖マリア教会を簡単に見学した後は歩いて30分程の距離にあるシンドラーの工場跡に向かいます。1994年にアカデミー作品賞を受賞した映画『シンドラーのリスト』で有名になった実話に基づくストーリーで、ユダヤ人達を大勢雇っていた琺瑯(ほうろう)鍋の工場の工場があった場所です。

ちなみにこちら側の広場には人が多く集まっていた。「なんだろうかな??」と思っていたけど、この奥にはユダヤ人が閉じ込められた”ゲットー”があった場所だった。

 

ボクの頭の中の地図ではこの左斜めに進む道を少し進むと、シンドラーの工場跡があるものと思っていた。でも結果的には違っていて、この周辺で迷うのであった・・・

 

昼飯時にビールを飲んでいたので、そろそろトイレに行きたくなっていたのでこの地下道にあるトイレにまずは向かう。ここは係員のオバチャンがトイレの前に立っていて、3ズローチを渡して入れてもらった。

 

自分の頭の中にある地図と、コンパクトな実際の地図を見ながら歩いて、途中で思いっ切り迷ってしまった。多分そんなには遠くないハズだけど、近くにそれらしき大きな建物も見えないし、観光客の姿もあまり見えないし・・。

いつもならこうやって迷いながら探すのも楽しいのだが、迷える時間も限られているという事で珍しく人に道を聞いてみる事にする。すると近くに歩いてこっち側に来るオジサンが見えたので、試しに声を掛けてみると同じ地図を手に持って「シンドラーファクトリー、ミートゥー!」との事でこのオジサンも同じ所に行こうとしていたようだった。

太ったこのオジサン、汗だくだったので「どれ位迷ったの?」と聞いてみたら「ワン、アワー・・・」との事。ノルウェーから観光で来ていたようだが、思わぬ所で同じ目的を持つ仲間が出来たのである。

 

という事で思わぬ仲間が出来て心強くなった所で、自転車で走ってくるお兄ちゃんにも声を掛けてみた。するとこのお兄ちゃんは親切に対応してくれて「アッチだよ!」と教えてくれた。そして太ったノルウェー人オジサンと一緒に歩きだしたものの、そのオジサンはお疲れの様子で歩きが遅かった・・・。

なので急ぐボクはそんなオジサンを置いて先に進む。一応曲がり角では後ろを振り返り「コッチに曲がるんですよ!」という合図を出すと、遠くでオジサンは反応していたな。

 

 

シンドラーの工場跡にて

そして前の道が工事中だったけど、ここがシンドラーの工場跡のようだ。このポーランド旅行後に久々に映画「シンドラーのリスト」を見るまでは数年間はこの映画を見ていなかった為に、これがそのシンドラーの工場とは全然思えなかった。

だからここを訪れる場合は必ず事前に映画を見てから行くべきだと思う!

 

というのもとても質素な感じの外壁だったから。というか、勝手にボクの頭の中で「シンドラーの工場」というイメージが増幅されてもっと広大な工場のイメージが出来ていただけだった。。

 

後で映画を見てみると、働かされていたユダヤ人達が出入りしていた扉というのも分かったけど、この時には特段感動もなかったのであった・・・。

 

建物の入口付近には、シンドラーによって命を救われてその後生存したユダヤ人達の顔写真が並んでいる。1,000人以上のユダヤ人を救い、その命は新しく生まれる子供にも引き継がれていき、今では総勢数万人にもなっているという。

 

少し迷いながらやっと辿り着いた工場跡。ネットには事前予約してから行った方がいいと書かれていたけど、予約も無しに簡単に入れるのかな?!

 

1939~1944年までここで営業していたシンドラーの工場。「1人を救える人間は世界を救える」とユダヤ人達から送られた言葉も捧げられている。ナチスドイツが敗戦した後、シンドラーはアルゼンチンに渡ったりするものの、事業は失敗続きで戦時中のような活況に沸く状態にはならなかった。

 

ここはチケット売り場。チケットは普通に買えた。ちなみにチケットは24ズローチで約700円。

 

 

シンドラー工場博物館の見学

チケットを購入して、まずトイレに向かって出た後にやっとこの工場に辿り着いたノルウェー人のオジサンと再会。

オジサンは上着を脱いでて、ここでも汗だくの状態でしたね・・・

 

ユダヤ人はその宗教のルールにより、独特な外見をしている。上下黒づくめの恰好に長帽子、こめかみ部分から伸びた髪の毛が束になって垂れ下がっているとか。

 

ユダヤ人は代々ヨーロッパでは嫌われてきた民族である。それはキリスト教が布教し、一大勢力となった為にその救世主を殺すよう仕向けたとされてユダヤ人は敵対視されていったのである。

さらにキリスト教が汚れているとしてしたがらない金貸し業などを行い、沢山お金を儲けたとして逆恨みされるのである。またヨーロッパ本土ではスラブ系民族も下に見られており、東の民族は蔑まれていた。

 

だからユダヤ人もエルサレムから追い出された後は、全世界に移住していったけど同じヨーロッパでも西に住んでいるユダヤ人と東に住んでいるユダヤ人とでは扱いが異なり、東に住んでいるユダヤ人は身分が下に見られる事が多かったという。

 

そういった気質が当時のヨーロッパには根強く残っており、そこに自国民族が最も優れているという考えを持った政党が力を伸ばし、反対思考をしている人間を次々と捕まえて弾圧していった。そしてその内歯止めが効かなくなり、その矛先が”汚い民族”として考えられていたユダヤ人達に向けられるのであった。

 

ここは博物館となっていて、色んな資料や写真などが所狭しと展示されている。

 

当時のクラクフの街を飛行機場から捉えた写真のようだ。

 

ただあまり館内は説明がないので、入ったらいきなり色んな写真が張られているばかりで、次々とそんな写真だけを見ていくだけだった。。

 

しかもその大半はナチスドイツ軍に関連するものばかりで、こういった垂れ幕なども設置されていた。

 

映画の中でもあったように、ユダヤ人のこめかみ部分の毛を見て喜んでいるドイツ兵の写真などがある。ユダヤ人以外でこんな風にこめかみ部分の毛を伸ばす人種はいないから、初見の時はどうしても興味津々になってしまうのは不思議ではないとは思う。

 

ナチスドイツ軍の資料が多く、勿論このようにヒトラー関連の物も多く展示されている。

 

こちらは後程クラクフ旧市街から列車の駅に向かう途中に見る事の出来る「グルンヴァルト記念碑」。1910年に1410年ポーランドとリトアニア連合軍がグルンヴァルトという場所でドイツ騎士団と戦い、勝利した500周年記念に造られた像だが、このようにナチスドイツ軍によって破壊されたのである。

 

こちらはその時破壊された像の一部のような感じに見える。。

 

1939年ナチスドイツ軍によってポーランド侵攻が始まり、11月7日にヴァヴェル城を占領されたという記事。

 

このオスカー・シンドラーはドイツ人で、ナチス派の人間。といってもユダヤ人を虐殺する事については賛同しておらず、あくまでも戦争好景気の波に乗って一旗揚げようと企んでいた実業家の1人。

 

ナチスドイツ軍高官にワイロなどを送って、自分に有利な条件になるよう口利きなどをさせていた。映画の中では偉いさんの娘の誕生日にまで送り物を贈ったりする内容も描かれていた。そういった徹底的なナチスドイツ軍への忠誠心と気遣いにより、特別待遇を受けるのである。

 

しかしユダヤ人を多く雇い、彼らに対して厚い待遇をしていた為に当時ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に何度も拘留された事があったという。しかし彼はナチスドイツの高官と交流が深かったので、裏から手を回してもらい毎回釈放されていた。

当時のドイツではユダヤ人を匿うと、同じドイツ民族であっても収容所送りとなっていたのだ。だからユダヤ人を助けるという行為は、まさに自分の命を懸けて行った勇気ある行動なのだ。

 

当時の首輪や鞭などもある。この鞭打ち刑はとても厳しい罰で、皮が裂けるまで鞭で叩かれて、絶命する人間もいたという。。

 

普段ツアーに参加していると、だいたいこういった所でもガイドさんの案内や説明を聞いて回る事が多いので、何も説明なしだと意外と何も頭に入らないという事に気付く。

 

 

こちらはシンドラーに助けられたホロコーストの生き残りのユダヤ人の証言がVTRで流されている。

 

ここを訪れた時は映画「シンドラーのリスト」の内容を殆ど忘れていた為に、あまり思い入れが無かったので足早に回っていた。それにこれから中心広場まで戻らないといけないので、結構急ぎ気味に見学しないといけない。

 

乗馬が趣味であったというオスカー・シンドラー。映画の中ではクラクフのビスワ川南岸に造られたプワシュフ強制収容所の責任者アーモン・ゲートにも、劇中馬の鞍を贈るシーンがあった。

 

この辺りでちょっと道に迷う。多分一方通行だと思っていたけど、下に行ける道とかあったりで気分的に焦るとロクな事がないのである。

 

上の看板には矢印が付いていたので、多分右に進めばいいハズ。

 

ナチスドイツ軍の圧倒的な戦力の前に、あっという間に侵攻されてしまったポーランド。

 

こちらには当時のユダヤ人達の所有物であったような物が置かれている。7つの枝が付いている銀色の燭台が見えていて、これはユダヤ人の家には必ずと言っていい程、置かれている物である。

 

シンドラーのリストの映画の中では、オスカー・シンドラーが急に心変わりしてユダヤ人を助けているように描かれているが、彼の別れた奥さんは「私が彼にユダヤ人を救うようにさせた」と語っていたという。

 

ユダヤ人といっても皆右側のパネルのオジサンのような恰好を全員がしている訳ではない。これは”宗教家”と言って、働く事はせず日々ひたすら一日中祈って暮らす人だけがこのような恰好をしているのである。だから収入が無い為に奥さんなどに養ってもらっているそうだ。

 

そろそろ集合時間まで残り45分を切った。なのでちょっと焦り出して、駆け足でこの博物館内を出口に向かって進む。

 

こちらには”シンドラーのリスト”に記載された人達の名前が並べられている。このシンドラーのリストの原本はどこにあるか所在は分かっていないが、このリストのコピーは約10年前にオーストラリアの図書館でたまたま発見されたという。

この作品の原作者はオーストラリア人で彼が亡くなった後に資料が古本業者に渡り、そこからある図書館にそのまま転売される。その段ボール箱を開けた図書館職員がたまたま発見したという事らしい。

 

 

こちらは若き日のヨハネ・パウロ2世の写真。彼の本名は「カロル・ユゼフ・ヴォイティワ」(Karol Józef Wojtyła)。彼は第二次世界大戦中である1943年に聖職者として生きることを決意したとされている。

 

こちらはカジミェシュ地区からビスワ川を隔てた南側に造られた「クラクフ・プワシュフ強制収容所」を再現したコーナー。1940年頃に開設され、1942年頃からゲットー内にいたユダヤ人が強制的に収容所内へ連れて来られる事になる。

 

この砂利はその当時、プワシュフ強制収容所にあった砂利だろうか?!

 

ここの所長であったアーモン・ゲートは、残酷な収容所の中でも非道な人間であったという。その様子は映画シンドラーのリストの中でも描かれている。機嫌が悪い時は何の理由もなく囚人を射殺し、機嫌のいい時はニコニコ笑顔で敷地内を歩き回っていたという。ちなみに彼の最後は終戦後、逮捕され絞首刑で死亡している。

 

 

ナチスドイツ軍の軍服があったりと、意外とユダヤ人関係の物ばかりが所蔵されてそうなイメージがあったけど、その多くはナチスドイツ関係の物ばかりであった。

 

今となってはそんな時代の面影が全然残っていない、周辺の建物群の景色。

 

実際にこのオスカー・シンドラーがどういった性格で、どれぐらいユダヤ人について考えていたのかは分からないが彼のエルサレムにあるお墓を訪れた大勢の助けられた人々を見れば、その姿が全てを物語っている。

 

ユダヤ人というだけで、虐待された暗黒の時代。差別というのは人類からは無くせないものだけど、減らすのは人類の頑張りで出来ると思う。

 

という事で目標だったシンドラーの工場跡の見学は終了。こちらはここの入場チケット。

 

この工場はクラクフでも人気の観光地だけあって、ゴルフカートのようなタクシーが停まっていてお金を払えば中心部まで連れていってくれるけど、また歩いて戻る事にします!

こんな旅はまた次回に続きます。

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