タリン旧市街地のカレフ(Kalev)本店にマジパンを見に寄り道-バルト三国旅行記-37

バルト三国旅行記:6日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

エストニアで最も人気なチョコレート屋

ここは東ヨーロッパのバルト三国とも呼ばれる国のエストニアの首都タリン、そこで世界遺産にも認定されている旧市街地の観光中です。先程まではこの聖ニコラス教会の内部に入り、ハンザ同盟で繁栄した中世芸術作品をこの目で鑑賞してお腹いっぱいです。

 

タリン旧市街地にて

その後は再び旧市庁舎があるラエコヤ広場まで戻ってきました。ここでは珍しくマシンガンを携帯して脇に抱える、警察の特殊部隊みたいな人達も見かけます。海外旅行に行くと普段日本では見れない銃器が目の前に見れる機会が多いので、思わず緊張感が走る瞬間でもあります。

 

日中のラエコヤ広場の様子 動画

 

相変わらず日中からホットワイン屋さんは大人気。こちらのご家族は子供もちょっと味見させてもらえるのか、楽しみな顔をしていましたね。

 

お店一杯に山ほどサラミが陳列されている。色んな部位の何十種類もありそうな雰囲気。

 

 

旧市庁舎の建物にて

こちらは現在は博物館として利用されている旧市庁舎。13世紀に建てられたゴシック様式としては珍しい市庁舎で、今見られる形は14世紀に改築されたもの。建物中央上部に見える、ドラゴンの首部分は雨どいになっていて雨時は口から水を吐く姿が見られるようだ。

 

高さ65mの1627年頃に造られたバロック様式の尖塔の上には、周囲を監視する「トーマスおじさん」の風見鶏彫刻が飾られている。ちなみに今飾られているトーマスおじさんは3代目。

 

そんな市庁舎の尖塔も第二次世界大戦時に、ソ連軍の爆撃によって損壊したのである。ヨーロッパの街では第二次世界大戦の影響により、昔からの建築物が多く被害を被ったが住民達の努力の甲斐もあって、戦争前の姿に寸分狂わずに再建されたものが沢山ある。

 

ある話ではタリンの街の広場でクリスマスツリーを飾りだしたのが初めてだそうだ。それまでのヨーロッパ文化では、クリスマスにツリーを飾るという伝統は無かったという。そしてクリスマス時期が終わると、そのツリーは燃やされて周囲で人々はそれを見物しながらお酒を飲んで大騒ぎしていたそうな。。

 

寒い東ヨーロッパ地方ではニット帽やマフラーなどが必需品。寒い地域では帽子を被って頭を保護しないと、脳が冷えてバカになると思われるようだ。

 

ごちゃごちゃしたクリスマスマーケットだけど、足元には全然ゴミが落ちていない。人々が浮かれる時期に地面を見ながら、真面目に清掃する清掃員さんのおかげである。

 

ハンザ同盟で現ドイツの都市と貿易して、繁栄したタリンの街。そしてロシアのサンクトペテルブルグとも近かった為に、ロシアとの貿易で重要な中継地となり、栄えるのである。

 

しかし地理的にも商業的にも重要な場所ほど、他国から狙われる確率が高くなる。エストニアは1991年に独立したばかりなので、歴史的には現在のエストニアとしてはまだあまり時間が経ってないのである。

 

こちらはヨーロッパの中でも現存する薬局としてはかなり歴史が古く、記録的には1422年には営業していて、少なくともそれ以前から営業していたと考えられている。またその時代より今まで休みなく営業しているという、世界的に最も古い薬局である。16世紀末からブルハルト家によって10代約300年の経営が続いた。当時は薬だけではなくワインや火薬・銃や宝石までも取引していたという。

 

中世の頃は「焼いた蜂」や「ユニコーンの角の粉末」なども置かれていたという。またアルコール依存症患者にはアメジストが処方されていたりしたとか。。

 

そんな世界的に古い薬局の説明を受けるツアー参加者さん達。ちなみに昼食を食べた後は各自フリータイムで晩御飯前に集合する場所は、ホテルかこの薬局前になるそうだ。だからちゃんと場所を覚える必要がある。もし覚えられないなら、この薬局の写真を撮っておいて通行人に見せれば教えてくれるハズ。だからそんな意味も込めて薬局の写真を撮るのである。

 

そこまで広くないラエコヤ広場なので、置かれているメリーゴーランドも小さめだった。

 

旧市庁舎のクリスマスマーケット 動画

 

こちらではボールを投げて、的の風船を割るゲームの屋台もある。

 

的当てに興じる子供の姿 動画

 

その世界的にも古い薬局脇の通路を抜けて進む。この通りはサイアカング通りというらしい。

 

ここからまた近くに大きな教会が見える。こちらの聖霊教会は13世紀には建てられていたようで、現在の姿になったのは17世紀頃とされている。この教会内には聖ニコラス教会のように、リューベック出身の芸術家ベルント・ノトゥケの主祭壇などが飾られている。しかし聖ニコラス教会との違いは裕福なドイツ商人などが礼拝する場所ではなく、下層の裕福ではないエストニア人達が礼拝する場所であったそうだ。

 

俗に言う”下町”のこの付近には、丘の上とは違いお洒落な感じのするお店が多いように見える。

 

こちらのお皿やマグカップには猫ちゃんのデザインが見える。

ただ寒い時期には猫ちゃんが殆ど外を出歩いている姿を見れないので、猫ちゃん好きは暖かい時期にこの地方を訪れる事をお勧めする。

 

お店の店頭で必死に登るサンタ人形 動画

 

 

日本では殆ど見かけないけど、ヨーロッパに行くとこういった石畳の道は普通にあるので慣れてくる。

 

 

カレフ(Kalev)本店に入る

こちらはそんな旧市街地のいい場所にある、「Kalev」という1806年に創業されたお菓子メーカーの本店である。

 

タリンにやって来た初日の夜に、早速スーパーで購入したチョコレートがこのカレフ製のものだった。ちなみにこのカレフという名前は、エストニアの伝説で出てくる王様の名前である。

 

スーパーマーケットでも売っているチョコレートもあるけど、ここでしか買えないお菓子もある。

 

なお、奥にはカフェもあり、コーヒーなどを飲んでゆったりくつろげるお店でもある。「マイアスモック・カフェ(Maiasmokk Café)」というカフェ(創業1864年)で、エストニアでは最も古いカフェだという。ちなみに内装はここ100年程、全く同じなんだとか。

 

沢山のチョコレートがショーケースにぎっしりと詰まっている。ただここまででもう充分な位にチョコレートを買っているので、今更欲しくはならなかったが。。

 

こちらがこのお店で人気のマジパンというお菓子。マジパンとは砂糖とアーモンドの粉末を挽いて練りあげたもので餡のような食感と独特の風味があるという。ドイツなどでは名物なお菓子である。ハンザ同盟でリューベックなどと主に取引をしていたタリンの街ならではのもの。

 

ここのマジパンの人気の秘訣は、このショーケースから見れるように何とも可愛らしい形のマジパンに、更に可愛く見えるペイントをしている点である。この建物を買い取った実業家がカフェも展開し、そこでこのマジパンも販売するようになると一気に人気が爆発したようだ。当時のロシア皇帝もこのマジパンのファンだったようで、わざわざここのマジパンを取り寄せるほどだったという。

 

窓辺にはマジパンの人気のデザインの人形も置かれている。

 

1864年にこの建物を買い取ったゲオルク・ヨハン・シュテュード。しかし厳密には1864年に買い取ったのはこの建物の横にあるカフェの建物。そしてそこが繁盛するとこちらの今カレフが入っている建物を1876年に買取り、2つの建物を繋げたのである。建物の上には彼の名前が入っている看板が見える。

 

1806年に創業したカレフは1864年にゲオルク・シュテュードの手に渡るのである。多分そういう内容で書かれていると思う、エストニア語のポスター。

 

そんなシュテュード氏の写真がある。

 

こんな可愛らしいマジパンなのでお土産にはとてもいいと思うけど、実際に食べた事のある人にマジパンの味を聞いてみると「好みがあるので一概には言えないけど、私には向いていない味だった・・・」とか。

 

ここではマジパンの博物館もあり、マジパン製作体験もできるとか。ちなみにここではマジパンは手作りで作られている。

 

カレフはお菓子事業で成功をおさめ、ソ連支配時代には国営企業にもなり売り上げを増大させた。それにしてもサービスエリアとかに売られていたカレフ製のチョコレートはとても多くの種類があった。。

 

この棚にも沢山の種類が置かれているけど、全部の種類を置こうとしたら全然置き場所が足らないだろうな。。

 

「Vana Tallinn(ヴァナ・タリン)」というエストニアで人気のリキュールが中に入った、ヴァナ・タリン・ボンボンチョコレートも人気の一品だとか。

 

雰囲気を味わう為にカフェの方を通り抜けして行きます。このカフェは2階もありますが、ご覧のように沢山の人で賑わっていますね。

 

こちらの窓にはコーヒーカップが回転する観覧車が置かれていた。

 

そんなエストニアで最古のカフェ&人気チョコレート屋さんの雰囲気を楽しんだ後は、再び旧市街地の散策に戻ります。

 

 

するとさっきドコかで見たような衣装を着たお兄さんがいます。聖ニコラス教会の前でも遭遇した団体ですね。

そしてこちらの扉が立派な建物は「ブラックヘッド会館」で、タリンの街の目抜き通りであるこのピック通りに面する、またタリンで現存する唯一のルネサンス様式の建物。ブラックヘッドという団体は1399年に組織された社交団体で、組合員は未婚の商人で構成されていた。ラトビアのリガ中心部にあったブラックヘッド会館も同じ組織の建物である。

 

ちなみにブラックヘッドとはブラックヘッドギルドの守護聖人である、黒人エジプト人の聖人マウリティウス(Mauritius)に由来しているという。

 

こちらの建物はアメリカとキューバの国旗が掲げられていたけど、それぞれの大使館では勿論ない。

 

そしてこのビーフのロゴがあるレストランの建物は、今晩の夕食会場。後程の自由時間後にレストランの前で待ち合わせも可との事。

 

「今晩は美味しいステーキでも食べれるかな?!」と思ったけど、ツアー参加者さんから「ツアーの食事ではそんなに美味しいのは出ないわよ!」と言われてしまった。。

 

面白いデザインや派手な帽子があれば欲しかったけど、ちょっと子供っぽいデザインの帽子しか置いていなかった。。

こんな旅はまた次回に続きます!

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