1年で3回しか見れない聖ニコラス教会の主祭壇をまさか拝めるとは-バルト三国旅行記-36

バルト三国旅行記:6日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

滅多に見えないハズが御開帳・・

エストニアの首都タリン旧市街地にある、聖ニコラス教会にて約500年前に描かれた「死のダンス」の現存している部分が展示されている部屋に来ています。描かれた当時は約30m位の長編絵画でしたが、今では約7.5mの部分しか残っていない。

 

 

タリンの聖ニコラス教会にて

元々は13世紀に建設された聖ニコラス教会であるが、第二次世界大戦時にソ連軍の爆撃によって損傷を受けてしまう。16世紀に起こった宗教革命により、旧市街の下町にあった教会はその殆どが暴徒と化した住民達によって破壊された。しかしこの聖ニコラス教会は教会の扉を固く閉め、その扉を塞ぐ錠前の鍵穴に溶かした鉛を注ぎこんで暴徒から教会を守ったという。

 

現存する「死のダンス」で2枚の絵が繋がれている部分が、こちらの真ん中部分。よ~~く見ると縦線の左と右で背景が違っているのが分かる。

 

下部には「どんな身分の者でも死は平等に訪れる。だから難しく考えずに踊ろう!」的な内容の文章になっているとか。

 

こちらの絵は15世紀にドイツのリューベック出身の画家「ベルナン・ノトケ(Bernt Notke)」が描いたもの。当時ハンザ同盟の一都市であったタリンには、ハンザ同盟の首都であった現ドイツのリューベックの芸術家が多くの作品を残していた。

 

「死のダンス」をじっくりと眺める 動画

 

角材を片手で軽々と担ぐ死神。これだけ細い足で重たい角材を担げるとは、思わないけどね・・・。

 

「法王クンも王様クンも、残念ながら必ず死にますから! だからあまり先の事は気にせず踊ろうよ!」といった感じにも見える死神クン。

 

「とりあえずみんな必ず死ぬから心配すんな!だから踊ろうよ!」という顔に見える、こちらの死神クン。

 

こちらが現存している「死のダンス」の全景で、横幅は7.5mで2面継ぎされている。

 

カトリックの教会であった聖ニコラス教会は第二次世界大戦時にソ連軍の爆撃によって、大幅な損傷を受けてしまう。重要な「死のダンス」や主祭壇の彫刻などは避難させていたが、それ以外の芸術品などは被害を受けたものも多い。

 

教会の奥側に、金色の主祭壇のような物が見える。

 

こちらは反対側に見える、燭台。ただ光は灯っていなかったけども。

 

天井から吊るされているシャンデリアのような照明も金キラ金に光り輝いている。そしてそんな奥にはツアー参加者さん達が群がっている祭壇のような物がある。

 

 

滅多に開かない主祭壇を望む

この聖ニコラス教会の主祭壇には、こちらの内側に金色で装飾された40体の聖人が彫られた作品が開かれていた。

 

この教会にある作品はハンザ同盟の首都リューベック出身の芸術家によって、残された作品が多く所蔵されている。

 

こちらの主祭壇、普段は表側に描かれている「聖ニコラスと聖ヴィクトルの一生」しか見れない。

 

しかしこの日12月22日の日曜日にここを訪れると、年に3回しかこの祭壇が開かれない特別な日に訪れる事が出来たのである。この主祭壇もリューベック出身の芸術家であるヘルメン・ローデが1481年に製作したものである。

 

木製の彫刻も金色などで光り輝くように塗装されているが、40体の彫刻のハズがよ~~く見ると5体程欠損しているのが見て取れる。この作品が出来てから約500年が経過した途中に、色々とあったのだろう。

 

普段は横に開いている、こちらのパネルの面が正面に来ていて、こちらの絵しか見れないのである。

 

奇跡の開いた主祭壇をじっくり眺める 動画

 

そんな主祭壇を後ろから見た状態の写真。この祭壇は2重観音開きになっている。

 

黄金の主祭壇が開いた聖ニコラス教会 動画

 

それ以外にも普通の教会には見られないような彫刻作品などが見られる。この聖ニコラス教会周辺にはハンザ同盟の都市間の取引で裕福だったドイツ商人の礼拝堂にもなっていたので、多くの芸術作品が集められていたようだ。

 

その他にも16世紀初頭に造られた、別名「キリスト受難の祭壇」とも呼ばれる聖アントニウス祭壇なども置かれている。

 

こちらも先程見た主祭壇のように、木造彫刻作品に色付けがなされている。

 

ここまで綺麗に木造彫刻に色付けされている作品も珍しい。特に金満なイメージの色が塗られているのは、その当時に繁栄を誇ったハンザ同盟の勢力の象徴なのかもしれない。

 

こちらは両腕の先が無くなってしまっている像。手は着脱式になっていたのかな?!

 

この黄金の主祭壇は、このように内側が開いている状態は滅多に見れないという。この日の現地ガイドさんもこの2019年にこの主祭壇が開かれている状態は初めて見たという。だから我々はとても幸運であった事になる。

なので悪天候ばかりだったけど許します!

 

こちらの観音開きの絵には、キリスト受難の様子が描かれている。キリストの受難って言いつつも、結局三日後に復活してその後1ヶ月間は無敵状態で生き返ったキリストさん。スーパーマリオならぬ”スーパーキリスト状態”であったのだろう。

 

本当に滅多に見れない主祭壇の内側。しかし購入したガイドブックに載っていた写真には、この内側の彫刻の聖人が全部写っていたけど、今は5体が欠損していた・・・。数年後にはもしかしたら、もっと多くの彫刻が剥がれ落ちているのかもしれない。。

 

こちらのモニターにはそんな普段は見れない主祭壇の内側を、写真で見れるようになっている。そんなモニターの動画か、もしくは写真を撮る奥様達。ちなみにモニター下部には観音開きに開くようになるボタンがあり、そのボタンを押す毎に主祭壇が開いていく様子を見る事が出来るのだ。

 

主祭壇が開く様子を見れるモニター画面 動画

 

リューベック出身の芸術家ヘルメン・ローデが1478~1481年に渡って仕上げた作品と、説明がされている。

 

約500年も前の重要な作品であるが、これまでの長期間での保存状態が物を言う。もしこれ以上この木造の彫刻が剥がれてくるのであれば、このような一般公開は禁止されて徹底した保存状態が為された場所に保管されて見れなくなるかもしれない。。

 

脇腹にはロンギヌスの槍で突かれたとされる傷跡が付いているのが見える。死後に復活する位なら、死ぬ前にそのパワーを振り絞り、ローマ兵や謀略を練ったユダヤ人などに立ち向かえば良かったのではとも思うけども。。けども争いを好まないキリストは彼らの行いを受け入れ、それを許したのだろう。

 

 

こちらの彫刻は首を傾げる人の割合がかなり高い・・・。肩が凝っている人が昔は多かったのかもしれない。。

 

こちらは懺悔室のような部屋にも見える。罪も話せば神の許しが得られるとは、安易な考えにしか思えないけど・・。

 

こちらの壁には色んな紋章が飾られている。13世紀に建てられた、この聖ニコラス教会も色んな変動の時代を生き抜いてきて、色んな支配者が移り変わっていったのを経験してきたのである。

 

こちらのクリスマスツリーには、よく見ると沢山の鳥が木に止まっているように見える。

 

金ぴか色したオウムのような鳥が、クリスマスツリーに絡まっているようにも見えるが・・・。

 

こちらの聖ニコラス教会では土日の夕方にパイプオルガンのコンサートが開かれるそうだ。ここを訪れたのは日曜日だったので、この夕方にもパイプオルガン・コンサートがあり、それを聴きに行ったツアー参加者さんもいた。なお入場してから教会を出た後に、貰った再入場のシールを貼って入れば再入場の料金は不要との事。

 

床には昔の教会の鐘のようなものが無造作に置かれている。

 

第二次世界大戦時にソ連軍の爆撃によって、大破した聖ニコラス教会。その後再建する際には、昔の写真や絵などを参考に戦争前の姿になるように再現したという。

 

帰りはクロークで預けた上着やカバンなどを受け取り、その横にある売店に少し寄って品定めする。

 

お土産屋には必ず置いてあるポストカード。写真の撮れない美術館などは、それがポストカードなどを売る為の戦略にしか思えないのだけど・・・。

 

こちらには死のダンスをイメージしたイラストが描かれているパンフレットもある。

 

そしてボクの目に留まったのは、こちらのタリン旧市街地をデッサンした画集。写真のようにキレイに風景が正確に描写されていた。

 

それがこちらのハードカバーの本で、12ユーロしたけど「迷うなら買っちゃえ!」という精神で購入する。

 

しかし今日はホテルから歩いて街歩きだったので、手荷物をバスなどに置く事が出来ないので、さっき購入した本が手荷物になり邪魔になる・・・。手荷物があるとバンバン写真を撮る事の障害になるので、一計を案じてズボンの背中部分に本を差し込む作戦を決行する。すると見事ズボンと腰の隙間に本が入り、ハンドフリーになったので気兼ねなく写真撮影が再開できる事に。

こんな旅はまた次回に続きます!

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