聖ニコラス教会でタリンの中世芸術作品である「死のダンス」を眺める-バルト三国旅行記-35

バルト三国旅行記:6日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

タリンで一番の芸術作品

ここはエストニアの首都タリンの街。そんなタリンで歴史のある旧市街地の中でも、高台である”トーンペアの丘”と呼ばれる場所で2箇所の展望台からの景色を眺めました。

 

タリン旧市街地にて

天気があまり良くないので、微妙な景色を展望台から眺めた後はまた来た道を戻って行きます。

 

この地域にはカトリックの教会とロシア正教の教会が、共存する場所。ただしエストニア人からするとロシアに支配されていた時代があるので、ロシア正教を毛嫌いする人もいるそうだ。

 

そして玉ねぎ型をした教会も見えてきました。こちらはロシア正教ならではの形です。

 

ロシアではよく雪が降るので、教会の屋根に雪が積もらないようにこのような丸い尖がった形になっているという。それとロウソクを灯した時の火の形にもなっているという。

 

こちらの城壁は旧市街地を外部から隔てるものではなく、この高台のトーンペアの丘を下街に住んでいる人達とを隔てる為の城壁である。

 

こんな城壁の一部化している塔にもそれぞれ全部に名前が付けられているのである。

 

 

キングス・ガーデンにて

こちらは「デンマーク王の庭」と呼ばれる場所。1219年にここタリンでの戦いで地元エストニア勢に追い詰められたスウェーデン兵は、天から舞い降りてきたという”赤地に白い十字の旗”を見て奮起し、戦いに勝利したという。その出来事により、その後スウェーデン国旗はそのデザインになったという。

 

この近くにある”乙女の塔”では幽霊が出るという話がある。こちらの顔がローブで隠れた銅像は、そんな幽霊をモチーフにしているのだろうか?!

 

こちらの銅像は手を合わせている。幽霊ではなく、恥ずかしがり屋さんだったのかもしれないな。。

 

この高台からは近くにある聖ニコラス教会がよく見える。教会があるこちら側には建物が密集しているが、反対側にはちょっと道が広がっている。これは第二次世界大戦時の爆撃によって、奥側に並んでいた建物も合わせて崩壊した為に道幅が広くなったそうだ。

 

そしてそんな建物や景色よりも、女性陣が群がるのは屋台である。

 

そんな屋台ではオバチャンが味の付いたナッツを試食させてくれていた。「食べるだけならタダ!」という事で、女性陣は蟻のように群がっていた・・・。

 

こんな城壁を見るとてっきり都市の防御の為に造られたと思いきや、街を分断する為に造られたものだ。イスラエルの分離壁やベルリンの壁じゃないけど、人類のする事はいつの時代も同じかもしれない・・。

 

スウェーデン王の庭からの景色 動画

 

そんな屋台でボクも釣られてパクパクとガーリック風味の美味しいナッツを試食していたら、先に進んでいくツアー一同。モグモグしながらそれを追いかけていく・・・。

 

 

リュヒケ・ヤルク通りを降りる

こちらの門の先に、ツアー参加者さん達が降りて行っているみたい。ちなみにこの道は「リュヒケ・ヤルク通り」という名前が付いていて、「短い足」という意味。昨晩にトーンペアの丘に上がる際に登った長い道は「ピック・ヤルク通り」でこちらは長い足という意味。この門は上界と下界を繋ぐもので、昔は夜になると人の往来を防ぐ為に閉められていたという。

 

この急な下り坂の「リュヒケ・ヤルク通り」は通称”庶民の道”で、長い足の「ピック・ヤルク通り」は丘の上に住む上級職の人々が使う道だったそうだ。

 

この通りは1230年代にドイツ商人が”最短距離で丘の上に登れるように”という事で造ったもの。右側は石畳になっていて雨の日は滑り易いので注意が必要です。

 

後ろに見える塔が1455年頃に建てられた為に、この”長い足”と”短い足”は一つに繋がるのであった。

 

中世の頃から発展してきた街には、このように色んな歴史があるのである。

 

次の目的地はこちらの聖ニコラス教会。1230年にドイツ商人の集落の中心部に造られた教会であり、要塞としての役割も当時はあったという。この時代の教会はこのように単なる祈る場所ではなく、防御要塞として壁が厚く、窓が小さく造られている教会もそこそこあったのである。

 

かつてこの聖ニコラス教会は周辺の裕福なドイツ商人の礼拝堂として人気があったので、教会内には数多くの芸術作品が飾られていた。

 

そんな聖ニコラス教会前には中世の人の恰好をした現地ガイドさんのような人と、その団体が楽しそうに観光中であった。

 

遭遇した日本人団体に写真を撮られたりして、「オレ達は日本で大人気になるぞ!!」と嬉しそうな顔をしていた。

 

聖ニコラス教会の見学

そんな聖ニコラス教会の内部に入って行きます。この歴史ある教会ですが、残念ながら第二次世界大戦時にソ連軍の爆撃によって損壊し、原形に近い形を再現して造られたもの。

 

この教会にはタリンの中世芸術作品で最も優れた作品が置かれているという。

 

ある意味、美術館のような教会でもあるので上着と手荷物はクロークに預ける必要があります。

 

このクロークはセルフサービスです。自分でハンガーに上着を引っ掛けて預けます。

 

手荷物はこちらのロッカーに入れます。それぞれ無料で使えます。

 

まずは聖ニコラス教会が第二次世界大戦時にソ連軍の爆撃によって、破壊されてしまった時の写真を見ます。尖塔は無残に折れているし、屋根は跡形もなく潰されて空洞が空いてしまっている・・・。

 

教会内には小さいカバンは持ち込み可能、貴重品は肌身離さずに管理しておきましょう。

どこにスリが居るか、分かりませんからね!

 

教会の建物自体は第二次世界大戦時に壊滅的ダメージを負ってしまったが、所蔵していた美術品の数々は戦乱の足跡が聞こえそうな頃には前もって別の場所に移送されていて、被害には遭わずに保管されていた。だから今でもこうやって昔の芸術品が見られるのである。

 

まずは大きな光輝くクリスマスツリーが我々を出迎えてくれる。

 

外観から見ても分かる通り、天井がとても高い教会です。

 

こちらの格子の先に、タリンの中世芸術作品の傑作とも言われる作品が展示されています。

シーズンオフの時期なので、他の観光客が少ないようでじっくりと見物する事が出来そうです!

 

教会の中心部にはこのような大きな燭台が置かれています。ロウソクなどで灯される光は「わたしは世の光である」と言ったイエス・キリストの象徴でもある。14世紀頃のミサから祭壇の上にこのような燭台で7つのロウソクに火を灯すようになったという話もある。

 

そんな燭台をよ~~く見てみると、真ん中には小さなキリスト像が置かれている。そして他のロウソクは今では火災防止の意味合いもあるのか、ライトに付け替えられている。この燭台の形はユダヤ教から来ている物で、ユダヤ教ではヘブライ語で「メノラー」と呼ばれている。キリスト教はユダヤ教から派生したものなので、所々ユダヤ教に関連する事柄も見られる。

 

キリスト教の教会には付き物の、磔されたイエス像。右側の像は縦に真っ二つにされたような跡が見える。

 

こちらはそんな磔されて絶命したキリストを十字架から降ろした後に、変わり果てた姿の我息子を抱える聖母マリアを描いた彫刻作品の「ピエタ(Pietà)」。そんなピエタの彫刻作品で有名なのは、ルネッサンス時代に活躍した芸術家ミケランジェロの遺した4作品のピエタ像。その中でも一番有名なのがサン・ピエトロ大聖堂の中に展示されている『サン・ピエトロのピエタ』である。

 

そしてこちらの大きな絵画のような物が展示されている部屋に進んで行く。

 

 

「死のダンス」を鑑賞

「DANCE OF DEATH」と呼ばれる、15世紀に油性でキャンバスに描かれた作品で、エストニアで最も有名であり最も価値のある中世作品である。ベルント・ノトュケ(Bernt Notke)というリューベック出身の彫刻家であり、画家でもあった人物が描いたもの。彼はユーベックにあった聖マリア教会にも同じ「死のダンス」を描いていたが、ここの絵とは微妙に描かれる人達の様子が違っていたという。そしてその聖マリア教会の死のダンスの絵は、残念ながら第二次世界大戦時に教会もろとも破壊されてしまい、今日では拝むことが出来なくなっている。

 

本来の「死のダンス」の絵は、横幅30mに渡る大作で50人近い人物を描いていたという。この作品は湿気の多い空間に長い間展示されていたので、大半の部分が損傷してしまった。今こうやって鑑賞できるのは縦157cm×横7.5mの部分のみ。この横幅だが、実は2つの部分が結合されているのである。

 

この絵には人物と交互に骸骨の顔をした死神が描かれている。そして高貴な人々である、法王・皇帝・皇后・枢機卿と位の高い人物から順に死神が向かって行くように描かれている。

 

「オレ、こう見えても元社会科の教師なんすよ!」と言う”自称エロ坊主オジサン”は、さすがに熱心に死のダンスを眺めている。自称エロを自負していたけど、中学校で生徒の女子にムラムラ来なかったのかと聞いてみると「『商品には手を出すな!』が大原則なんで!」とサラリと言いのけていた。

そんなカッコイイ(??)オジサンだが、前に空き巣に入られた時に家に現場検証をしに来た警察官に部屋の中に無造作に置かれていたエロDVDを見られてしまう。「○○さん、確か中学生教師でしたよね?!」と言われた時がとても恥ずかしかったとか。。

 

そんな話はさて置き、真ん中には剣を持った王様も描かれている。”いくら位が高い人間でも平等に死はやって来る”という意味合いで描かれた作品である。法王になろうが、皇帝になろうが死からは逆らえないのである。だからこそ人間は死後の世界でも幸せに生きれるようにと、ひたすら生前神に祈るのである。

 

この作品を鑑賞中は全然気付かなかったけど、よ~~く見ると右から2人目の人とその左の死神の間がどうも繋ぎ目みたいな線が入っていた。約500年も前の作品がこれだけ残っているだけでも、凄いのだろうけど。

 

こちらの大きなツリーはクリスマス期間だけだろう。昔のタリンではクリスマス時期が終わると、ツリーを燃やしてその火を見ながら祝っていたという。

 

なかなかこれだけ”京都銀行のCMバリ”に長~~~~い作品も珍しい。しばし絵に見惚れる・・・。

 

当初この絵を保管していた人達もその後数百年に渡って、絵を完全な状態で保存しなければならないとは露にも思っていなかったかもしれない。この絵にもあるように「絵にも命があり、いつかは絵も死んでしまう!」と考えていたのかもしれないな・・・・。

こんな旅はまた次回に続きます!

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