ガウヤ川沿いで繁栄したリーヴ人の歴史が残るトゥライダ-バルト三国旅行記-24

バルト三国旅行記:5日目

阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日

リーヴ人の遺した物

ここはラトビアのスィグルダ地方にあるトゥライダ城跡地。ガウヤ川沿いに繁栄していたリーヴ人の歴史や遺産を保護・研究する「トゥライダ城博物館保護区」として、今では観光地となり敷地は綺麗に整備されています。

 

トゥライダ城の見学

奥に見えているのがトゥライダ城跡で、13世紀頃に建てられたのが起源。その後の増改築で大きくなったものの、争いの減ったと思われる18世紀になると城は放棄されてしまうのであるが。。

 

城には付き物の見張り塔はこの敷地の中でも、特別高い場所に設置されていたようだ。その方が周囲の景色をより把握できる為である。

 

しかしそんな城に向かう前に、また別の建物に入って行きます。この辺りの建物は博物館にもなっているので、中で色んな資料や出土品などを見て、この地方に暮らしていたリーヴ人の歴史を勉強できるのである。

 

敷地内の博物館にて

こちらの博物館に入ると、この地方の民族衣装と思われるものを身に付けたオバサンが満遍な笑顔で出迎えてくれた。

ただこんな観光客が少ないシーズンだったら、ここでじ~~っと待機しているのも暇だと思うけども・・

 

博物館内には至る所にリーヴ人の生活様式を再現した物などが、置かれている。

 

基本的に狩猟民族であったと思われるヨーロッパ人。その為に狩りは重要であった。

 

こちらにも先程の礼拝堂にもあった、サンドアートが流れるモニターが設置されていた。

 

博物館内の表示は残念ながらラトビア語ばかりなので、何が説明されているかが全然読めない・・・。

 

こちらは11~13世紀にこの辺りに住んでいたリーヴ人が使っていた斧などの品々。木の部分は腐ってしまったのだろうが、斧の金属部分は今でも残っているようだ。

 

このリーヴ人とは、元々は今のロシアにあるサンクトペテルブルク地方から移り住んできたとされている種族。中世の時代にドイツ騎士団の武力行使による改宗の為に、リーヴ人は大幅に減少したという。

 

先程の博物館入口で出迎えてくれたオバサンが付けていた装飾品なども展示されている。

 

そんなリーヴ人達の歴史を学べる場所だけど、英語の案内表示すら無いので、展示品を見て自分の想像力を高めて眺めるしかないのだが。。

 

21世紀の現代みたいにデジタル化された機械だらけでは無かったので、このように薪を熾して火を付けて鍋に熱を与えていたのである。といっても日本もちょっと昔まではこうしていたのだけどね・・。

 

こちらのアクリルケースの中には、当時のリーヴ人達が暮らしていたとされる集落の建物を再現したミニチュアが置かれていた。

 

全て木組みで建てられていたような建物。でも釜戸などの火が壁とかに誤って移ったら、あっという間に燃えてしまっていたのだろう。

 

盾なんて使った事が無いけど、当時は木の板を組み合わせて盾にしていたみたい。

 

こちらは当時の人達が編んでいた帯。

 

歴史的な物が展示されているけど、あまりそこまで興味を惹かれる物は無くて、足早に通り過ぎていく・・・。

 

今では簡単に物が造れて、それがネットでワンクリックするだけでとても楽に入手できる時代だけど、当時の人達が今の現代を見ると凄く驚くだろうな。

 

当時のリーヴ人達は独自の宗教などを信じていたのだろうけど、ドイツ騎士団に攻め込まれて支配されると彼らの宗教であったキリスト教に改宗される事になる。

 

こちらは1203年頃のこの地方の勢力図。勢力の移り変わりの激しかったヨーロッパは絶え間なく、勢力図が塗り替えられていく。だからこのヨーロッパの中世の歴史は、色んなカタカナばかりの名前が出てきては消えて行くので個人的にはなかなか頭に入っていかない感じがする。

 

そして博物館を出ると、こちらの案内石の前で我々を待ってくれていた”トゥラニャン”。こちらのオジサンもナデナデしていて、嬉しそうな”トゥラニャン”。

 

さてこれからトゥライダ城跡地に進んで行きます。

 

ただ現存しているものは当時のトゥライダ城の一部のみ。当時は繁栄していたスィグルダ地方の象徴的な建物だったけど、その衰退と共にこのような形になってしまったトゥライダ城。

 

トゥライダ城の現地ガイドでありアイドルでもある”トゥラニャン”は大人気。こちらのお姉さんの写真撮影に応じて、ポージングしている。

 

トゥライダ城周辺の景色 動画

 

トゥライダ城跡地にて

そんな城跡があったと思わせる見張り塔などの建物。

 

当時最盛期はこの辺りには城壁が張り巡らされていたのかもしれない。ただ今の時代には無用の長物になってしまった城壁。

 

こちらは見張り塔の入口、後で希望者のみ上がっていいとの事だが約400段の階段を登る必要があるという。

 

この辺りの建物は中が博物館になっているので、追加入場料は不要で中を見学できる。こちらがこれから中を見学する建物。城壁の上にも登れるみたい。

 

まずはこの建物の地下に降りて行く階段を降りて、中に入ります。

 

中にはこの地方を説明する展示などが沢山用意されています。それを全部解説すると大変なので、かいつまんで説明してくれる添乗員さん。彼女は何回かバルト三国を案内しているので、そこそこ歴史なども頭に入っているようです。今回の添乗員さんは阪急交通社の中でもデラックスツアーのクリスタルハートのパンフレットでも名を連ねる人なので、優秀な添乗員さんでツアー参加者さん達からの評判もとても好評でした。

 

この地方は「リヴォニア (Livonia)」と呼ばれていて、リーヴ人達の支配地域であった。今のラトビア北東部からエストニア南部にかけての地域であったようだ。

 

このトゥライダ城が大規模であった17世紀前後を再現した絵なども表示されていた。ただあくまでも想像の絵みたいだが。

 

最初に鉄を加工した民族はヒッタイト人と言われている。それ以降、鉄器を加工し生活様式を大幅に向上してきた人類。

 

こちらの残骸は何だろうか?? 靴底のようにも見えるけど。。

 

鉄器は農耕や狩猟といった人類の食糧獲得の為に大いに役立った。勿論それだけではなく、人類の争いの為にも大いに活用されたのであるが。

 

どの時代の人達も同じような生活を送っていたようだ。

 

この時代周辺でのリヴォニア地域の勢力図の移り変わり図などもあったりと、壁中に見所があってなかなか忙しい・・。

 

ドイツ騎士団によって、この地域にもたらされたキリスト教。キリスト教の大幅なヨーロッパでの普及により、独自性文化が少なくなってしまったヨーロッパ。だからどこの国に行っても似たような街並みをしている光景がよく見られるのである。

 

この周辺にはトゥライダ城以外にも、スィグルダ城とか他にもお城があるようだが今日見学するのはここだけ。

 

こちらは13~16世紀のリヴォニアの勢力図。今回の添乗員さんは添乗員としてはまだ若い(39歳との事)けど、そこそこな知識量で資料などには目を通さずに、脳内メモリーに蓄積されていると思われる情報を常に発信していた。ただ途中日露戦争の話をした時に「日本軍は運だけで勝てた!」と発言していたが、ツアー参加者に居た元社会科教師の”自称エロ坊主オジサン”から「あれは運では無くて、日本海軍の綿密な作戦の元で勝利したんだよ!」と言われて恐縮していた。

多分添乗員さんは当時の事を詳細に記した資料などに目を通した訳ではなく、ネットで出回っているマトメ情報などでの知識だったようだ。しっかりと歴史を学んだ”自称エロ坊主オジサン”の存在を知った為に「元教師の方がいらっしゃるので軽率な歴史の話は出来ませんね・・・」と縮こまっていたようにも思う。

 

今のラトビアからエストニアにかかる範囲を支配していたリヴォニア。

 

当時の司教はこのような黄金の杖を持っていたのだろうか。

 

それぞれの文化では色んな違いがあったんだろうけど、それが武力で制圧されて支配した国の文化などを押し付けていった為に多くの消えていった文化があったハズ。ただ力の無いものは淘汰されていくのは、この世に生を受けたものの定めでもある。

 

中世の鎧だけど、こんだけフル装備だと重くて仕方なかっただろう。今みたいに温暖化になってきたら、夏場とかには暑すぎて、とてもじゃないけど鎧は着れなかったかもしれない。

 

そして2階に登って行くと、この階にも色々と置かれています。

 

まあ独自な文化というよりかは、ヨーロッパ地方に見られる文化が育んでいったラトビア。

 

これだけ見ていると、そろそろ飽きが来てしまいます・・・。「そろそろ塔に登りたいな・・・」と思いつつ、見学に付いて行くボクでした。。

こんな旅はまた次回に続きます!

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