バルト三国旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日
静かな旧市街地の夜
バルト三国旅行で最初に辿り着いた国だけど、そのまま観光する事なくラトビアに移動したのでエストニアに帰って来た本日の夜がタリンの実質的な観光初日。
と言っても自分で勝手にホテルを出てきて、夜の街を徘徊しているだけなんだけどね。
タリン旧市街地にて
こちらは15世紀に建てられた歴史的な建物を改装して、今は五つ星のホテルになっている「スリーシスターズ(三姉妹)・ホテル」の入口。前の天皇陛下がエストニアに来た時に泊まったホテルとしても有名である。部屋は全室で23部屋しかなく、大きな建造物では無いので部屋は全般的に狭目だという。
明日の昼はこのホテルのレストランに食事しに来る予定。さてどんな内装なのか楽しみである。
ちょっと待ち切れずに正面にある窓から、建物の中を覗き見る。ひと気は無かったね。
そしてそのスリーシスターズの先に進むと、また門が見えてくる。こちらは「スール・ランナ門」という。
タリン旧市街地で北口を守る塔がこの門の裏にある。こんな門もよく見るとイエス・キリストが磔された彫刻が彫られているのが見える。右側の建物はこれから見る、とある建造物の付属刑務所として追加で建設されたもの。
門の外は市街地になっていて、直ぐに幹線道路が走っているのが見える。
ふとっちょマルガリータの塔
こちらの大きな塔と建物が合体したものは「ふとっちょマルガリータ」と面白い名前が付けられている、元々は防御用に造られた塔である。1530年頃に海上からの攻撃も想定して、船でタリンを訪れた人達に強固な印象を与える為にもこのような大きくどっしりとした形の塔が造られたのである。その後は用途が変わったりして1917年のロシア革命の際に一部火災の被害を受けて、その後再建されて今では海洋博物館になっている。
ふとっちょマルガリータの直径は25mで壁の厚みは約4~6mもあるという、かなり強固な造りの塔である。しかし塔と言っても丸くなっているのは建物の3/4で残り1/4はエグられたケーキのような形になっている。建造後はその屈強な造りを活かして刑務所としても使われる時代があった。
さすがにタリン旧市街地で一番高いオラフ教会だけに、どこからでも見る事ができる。まさにタリン旧市街地のランドマークである。
城壁外側の芝生にはこんな十字架一本だけが植えられていた。特に意味があるのかは不明・・・。
外の木には電飾が付けられていて、ピカピカと光っていた。
ふとっちょマルガリータ越しに見るオラフ教会。そろそろタリン旧市街地で見ようと思って調べていた箇所は、大体訪れたのでそろそろ帰路に着くとする。
実はホテルに戻るには城壁の中の旧市街地を通ると、城壁の外を歩いて帰るより遠回りになるのだが、雰囲気のある旧市街地をあえて通って帰る事にする。
この時は22時40分頃、そんなには遅くない時間だけど、周辺にはあまり地元住民達の姿は確認できない。
再びスリーシスターズの前を通る。とても五つ星に見えないホテル・・・ただ他の五つ星ホテルに比べると、建物の歴史があって個性があるので試しで泊まるにはいいかもしれない。
今ではユーロ圏の一員となっているバルト三国も、最初に共通通貨ユーロを導入したのはこのエストニアで2011年1月1日である。EU連盟に加盟したのはその2004年。加盟前はクローンという自国通貨が流通していたエストニアも今ではすっかり何の違和感もなく、ユーロが共通通貨として流通している。
夜のタリン旧市街地はご覧のように夜でもそこそこ明るい。でも全然人が居ない・・・。
敬虔なクリスチャンが多い東ヨーロッパの国なので、みんな夜遅くなると真面目に家に帰るのだろうか?!
レストランなどを見ると楽しそうに食事している人達を見かける。寒いからあまり外には出ずに、屋内で楽しんでいるのかも。
こちらの立派な建物の中央部分には、ライトに照らされたスウェーデン国旗がなびいている。多分スウェーデン領事館だと思う。このタリンは一時スウェーデンの領土になっている時期もあった。
実はこのタリンという名前でこの街が呼ばれるのは、ここ100年位の歴史しかない。それまでは13世紀後半にデンマークに支配された時から「レヴァル(Reval)」と呼ばれていた。その後ロシアの支配下になり、1918年にエストニアがやっと独立を果たした。その時にこの街を首都として、新しく「デンマーク人の城」という意味のタリンと命名されたのである。
数百年に渡って他国に支配されてきて、やっと独立したかと思えばその後ドイツやソ連にまた長い間支配される事になるエストニア。ソ連の崩壊を機に1991年に再び念願の独立を果たし、今日に至るのである。
実際にここを訪れる前のエストニアについての予備知識なんて、元々はロシア領土だった場所位しかなかった。けどロシアの支配前から他国に長い間占領されてきたという、暗黒時代が長かったエストニア。それもあってエストニア国旗には黒色が含まれているのかもしれない。
そんなロシア領土時代の影響か、ある商店のガラスの中にはズラリとマトリョーシカが並べられている。
こちらにはちょっと怪しい顔をしたサンタクロースのマトリョーシカも紛れ込んでいた。
「お姉さん、今晩ヒマ?? オジサンと今晩、とても楽しい事しない?? ウンって言ってくれたら山ほどプレゼントをあげるよ♡」って言いそうな感じの顔つきのサンタクロース・・・。
昔は黄色いキャラクターと言えばプーさんの独り勝ちだったけど、今ではミニオンズが破竹の勢いで市場を席巻している。アニメの設定と一緒で、世界中で彼らは増殖し続けているようだ・・・。
再び旧庁舎のある広場にやって来たけど、時間が遅かったので殆どの出店は閉店していた。
最後にもう一杯だけホットワインを飲もうとしていただけに残念・・・
しかしホットワインは飲めないものの、クリスマスムードを味わおうとする人達がまだツリー付近で楽しんでいる様子も見える。
この広場には「まだまだ夜はこれから!」という人達で少しは賑わっていた。ただアルコールが無ければ、あまりテンションが上がらないみたい。ヨーロッパの国では外でアルコールを飲むのが禁止な国が多いので、日本みたいにコンビニで買ってきたお酒を自由に飲んだりという光景はあまり見かけない。
歩行者天国だと思っていた、旧市街地の入口であるヴィル門から続く道にも夜間は車がゆっくりと走っていた。旧市街地と言えども物資を運ぶには車が必要である。
レストランを案内する看板の像。ただしヨーロッパでは道化師が銅像に扮している時もあるので、こういった像には気を付けないとビックリしてしまう事があるので注意である。
そしてやっと2時間ぶりに戻ってきた旧市街地の入口として象徴になっているヴィル門。その門の間には今晩宿泊するホテルが見える。
ヴィル門の外側には花屋さんがズラリと並んでいる。こんな23時位の時間なのに、まだ開店していた。こんな遅くまでお客さんは来るんだろうか?!
どの店も同じような花屋さんが並んでいるが、なんとこの花屋さんは24時間営業らしい・・・。
深夜まで花を買いに来る、よほど花好きな人がいるんだろうな。。
ヴィル門から歩いて徒歩5分程の距離にあり、立地としては最高の場所にあるホテル。
さすがに23時になると道を走る車も少ない。この辺りの道には路面電車も走っている。
明日はタリンの旧市街地の観光が午前中で、午後から夕食までの時間はフリータイム。
ただ旧市街地は殆ど今日見てしまったけどね。。
ここからでもちゃんと見える聖オラフ教会の塔。城壁の外を通って帰って来たら、もう少し早く着いただろうけどブラりと街散策をするのが楽しいのである。
やっとホテルに帰還する
約2時間歩きっぱなしだったけど、全然疲れは感じない。海外で街歩きして平均2~3時間平気で歩いたりする事が多いけど、緊張感があるからかあまり疲れを感じる事は無い。
23時頃と遅い時間だけどホテルの前には沢山のタクシーが停まっている。これからの時間にそれ程の需要があるのか? それとも全然需要な無くて、ここでず~~っと待機しているだけなのか?
タリンの街もただツアーで行って、添乗員さんの後を付いていくだけだと、その街の事があまり頭に入らないように思う。今晩のように自分で前調べして、実際に自分の足で歩いて自分の目で見て、その街の匂いなど五感で感じると体で街を覚えやすいと思う。ちなみにこの壁紙の真ん中の塔は聖オラフ教会である。
さて部屋に戻り、風呂に入って一杯ゆっくりと飲む。ツアー日程表をあまり見ていなかったので、明日の午後はフリータイムが約5時間あるとは知らなかった。行くアテのない人は添乗員さんがカドリオルク宮殿などに連れて行ってくれるらしいが、タリンの街のフリーマップを見て自分の行きたい所を調べる。せっかくなら自分の行きたい所を自分で選んで行ってみたい。そう思いつつ時間が更けていくのであった・・・。
こんな旅はまた次回に続きます!
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