仙巌園で島津家が造った御殿から桜島を眺める編-西郷どんと鹿児島周遊旅行記-17

【鹿児島周遊旅行記】4日目

【個人旅行】2019年10月13日~16日

 島津家の系譜

 仙巌園の御殿内にて

ここは鹿児島市にある世界遺産にも登録されている「仙巌園」で、代々島津家の御殿として使われた建物の中を見学中です。ただ世界遺産と言ってもこの建物は関係なく、世界遺産に登録されているのは「明治日本の産業革命遺産」としての複合遺産で8県にまたがって数々の建物で一緒に登録されている。

 

こちらは島津家の迎賓館としても使われていて、訪れた要人を持て成した場所でもある。ロシア最後の皇帝ニコライ2世や平民アメリカ人女性と結婚する為に王位を降りたイギリスのエドワード8世などが訪れた事がある。

 

今では観光用に開放されている施設で、前までは鹿児島市が所有していたが元々の所有者である島津家(島津興業)に返還されたという。

 

昔の御殿の規模は今の3倍程もあったそうだ。しかも藩主が住んでおり、各国からの要人が訪れる場所だったので働く人は沢山いて裏では忙しかった光景が目に浮かぶ。

 

今では誰も居ない床の間。昔はここに何かしら待機している人がいたようだ。

 

そんな昔の光景を思い浮かべながら、床の間に伏せて当時を偲ぶ男。もし当時ここでこうしていたら、行き交う人達に踏まれまくっていただろうな。。

 

この御殿の中には池がある中庭があり、砂場も綺麗に手入れされている。

 

御殿の中庭の眺め 動画

 

こちらは白黒写真だけど、明治時代の仙巌園の景色。まさにここから桜島を眺めた景色である。

 

通路を進むと馬が見えてきた・・?!

 

でも実際の馬ではなく、造り物の馬のようだ。

 

なになに・・・先祖代々を祈る場所だったようで、この馬は近くの神社に奉納されていた神馬らしい。

 

奈良時代から馬を祈願の為に奉納していたという。しかし馬を送られてもその世話が大変だし、高価なのでそれが像になり、庶民レベルになれば馬の絵を奉納するようになった。そんな馬の絵が絵馬なのである。

 

そして御殿内から庭園を眺める。島津家当主が長年見てきた絶景である。

 

御殿からの眺め 動画

 

こちらは趣のある廊下、障子戸が開いていて光が差し込み、風も心地よく流れている。時間さえあればここの長椅子に座ってじっくりと過ごしてみたい。

 

中庭も綺麗に管理されている。ちなみに右側に立っているのは仲居さんのように見えるが、ここのスタッフさん。ただ喋りかけてくる訳でもなく、空気のように存在感を消している感じであった。。

 

500円追加してこの御殿に入っている、まあ追加料金が必要という事はそれだけの価値があるからその料金を設定している訳で。。

 

そして次の間は畳なのに西洋の椅子やテーブルが置かれてあって、何か違和感を感じてしまう場所だ。

 

テーブルの上に置かれた食器やフォーク・ナイフ、グラスなどは、いかにも西洋人を楽しませる為の物のように見えてしまう。。

 

さらには日本的な建物の中の頭上にはシャンデリアのような照明まで・・・。

 

こんな違和感のする場所だけど、それだけ西洋の要人がここに来ていた事を表しているのだろう。

 

薩英戦争の時に破壊された仙巌園は第12代薩摩藩主:島津忠義によって修復・改修されて、その後は島津家当主の住まいとなるのである。

 

そして島津忠義は一日の大半をこの眺めが素晴らしい部屋で過ごしていたそうだ。

 

この部屋から障子を開ければ桜島も見えるし、素晴らしい場所なのでわざわざ移動するのも面倒くさかったのだろう。

 

こんな景色がいい所で召使いというか、ここで働く人が100人位も要ればわざわざ外に出る必要もなかったのか? それ程に居心地が良かったのか?

 

御殿からの眺め 動画2

 

こちらは化粧の間とされていて、当主が身だしなみを綺麗にしていた所である。

 

島津忠義は終生ちょんまげを残してと息子の書記に残されているという。服は洋服を着ても、頭は武士の意地でかは分からないけどちょんまげをしていたらしい。

 

そんな殿様が素晴らしい景色を眺めていた場所で、贅沢にもスマホと睨みっこする”西郷どん”

 

これだけ見ていると島津忠義はとても真面目な人だったようだ。ちなみに島津忠義は現在126代天皇になった徳仁天皇の曾々おじいさんでもある。島津忠義の側妾から生まれた娘が生んだ子が昭和天皇の皇后になったのである。

 

やっぱりこうやって見ると、畳に布団が似合う。

 

昔は普通に当たり前だった畳みに襖の光景。新しくて便利なものがドンドンと増えていくけど、それと共に何かを失っている事は実感しておく必要があると思う。

 

こちらの間には立派な絨毯が敷かれていて、ソファー椅子もあって豪華な感じである。

 

今の部屋は島津家への贈り物が届くと、その品物が披露されていた場所のようだ。

 

そしてお次はお風呂。ただしこの建物内でお湯は沸かしておらず、違う場所で沸かしたお湯を持って来ていたようだ。

 

右奥の扉から、お湯の係が沸かしたお湯を持って来ていたようだ。でも殿様が入るお風呂にしてはちょっと湯船が狭い感じがするけど。。

 

そしてお次は殿様専用のトイレです。どんなトイレだったのでしょうか?!

 

右側の手前が小用のトイレ、右奥が大用のトイレ。大用のトイレには下が引き出しになっていて、殿様が便をした後にそれを医師が検査していたという。ただ一言で検査といっても、匂いを嗅いだり目で内容物をチェックしていたりしたのだろうが。。あまり想像はしたくない話だけど。

 

こちらが小用のトイレで、松の葉を匂い消しとして束ねて入れられていたようだ。

 

島津忠義は風水を気にしていて、その完璧な配置を気に入ってこの場所に長い事滞在していたようだ。

 

中庭には設置されている水受けに水が溢れていて、とても気持ちよく過ごせる場所である。

 

御殿からの眺め 動画3

 

そして御殿を一周して玄関の間に戻ってきたようだ。ただここも昔は島津忠義の息子である忠重が12年間も住んでいた部屋だったみたい。でも大正時代に改装されて玄関の間に変えられてしまったとの事。

 

そんな島津家後期の歴史が凝縮された場所である仙巌園であった。

 

 仙巌園の庭園に出る

御殿内を見学し終わって、庭園側に出てくる。さっきは建物内から見ていた御殿を改めて外側から眺める。

 

そんな庭先から桜島はとてもよく見える。桜島は2009年以降は火山活動が活発になり、噴火が年間1000回を超える事もザラみたい。毎日ほぼ噴火する活火山の近くでこれだけの多くの人口が暮らしているという地域は世界的にも稀なそうだ。

 

もうすでにちょっとした噴火では全然驚かない鹿児島県民。そんな様子がどっしりと構えている鹿児島県民として、捉えられているのかもしれない。

 

そんな桜島を見つめる男。なんとも雄大な存在である桜島、出来ればもうちょっと近寄りたかった。鹿児島旅行初日に桜島フェリーに乗る際に近くを通ったんだけど、夜だったので全然桜島を見れなかった。。

こんな旅行はもう少し続きます。また次回に!

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