【バルカン半島周遊6ヶ国】2日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年5~6月
慈悲のある・・?!
北マケドニアの首都スコピエ市内にあるマザーテレサ記念館に向かいます。その建物の前には目印のようにマザーテレサが拝んでいる形の銅像が置いてあります。
こうやって見るとこの奥の上が煌びやかな建物がそのマザーテレサ記念館と思いきや、左手前の外観が普通の建物がマザーテレサ記念館です。
その手前にはオブジェのように石を積み上げたものが見られる。
(Memorial House Mother Teresa)
マザーテレサ記念館にて
こちらのマザーテレサ記念館は、彼女の思想かのように入場料は無料。
2階に上がるとそこにはマザーテレサに関する写真や書類や身の回りの物などが、所狭しと置かれている。
マザーテレサって言われても、実は具体的に何をした人かはよく分からない・・・。貧しい人に優しくしたという事位しか知らない。。
このマザーテレサって名前は愛称であって本名とは違う。「アグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ(Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)」という名前みたい。
このスコピエで生まれたので彼女の出生証明書も展示されているという。
こちらはリアルに作った蝋人形。どうせなら若い頃のマザーテレサを再現してくれたらよかったのだが、知名度の高い晩年のマザーテレサがモデル。ちょっと残念・・・。
こちらの眉毛が横に長い女性が、こちらの記念館を説明してくれます。勿論英語でですが。
マザーテレサ記念館の様子 動画
彼女の経歴が壁に展示されている。1910年にこのスコピエで生まれ、18歳の時にアイルランドに渡ってロレト修道女会に入り修業を積む。そして1931年にインドに渡り、1946年に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という神の啓示を受けたという。
その2年後に修道院を離れる許可を貰い、カルカッタのスラム街に自ら入っていき貧しい人達の為に奉仕した。その献身的な活動に多くの人が感動し1979年にはノーベル平和賞を受賞。最後は1997年に87歳で没したのである。
こちらがマザーテレサの出生証明書のようだ。こういうのもちゃんと残されているんだな。
これは彼女が若い時の写真。「マザーテレサ」というのは愛称で、「マザー」とは尊敬する修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の修道女名。
生前、彼女が身に付けていたスカーフと十字架のペンダント。
『所有すればするほど、とらわれてしまうのです。
より少なく所有すれば、より自由でいられます』
by マザーテレサ
1979年のノーベル平和賞受賞式に普段と同じ格好で現れ、その賞金19万2千ドルを「貧しい人達の為に使って下さい」と要望し、その後の晩餐はせずにそれに掛かる費用も貧しい人達の為に使ってくれるように懇願したという。
『いかにいい仕事をしたかよりも、
どれだけ心を込めたかです』
by マザーテレサ
仕事に心を込めれば、込める程にいい物が生まれます。例え周りにそれを評価できる人が居なくても、いつかはそれを理解してくれる人と出会えます。なので周りに自分を合わせて腐らせるより、自分らしさを貫くべきかと考える。
『導いてくれる人を待っていてはいけません。
あなたが人々を導いていくのです』
by マザーテレサ
これらの言葉は現代社会にとっても通用する名言です。特にサラリーマンをしていると、どうしても周りに頼りがちになる。でも自分を導いてくれる人をただ待っていても成長はしない。そしてそんな理想的な人も現れない。ならば勇気を持って自分の足で踏みだして、進むしかない。一度歩み出せば、自然と足取りは軽くなっていく。
『あなたに出会った人がみな、
最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
あなたの愛が
表情や眼差し、微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです』
by マザーテレサ
「愛」について説かれてもそう簡単には理解できない。そして彼女の言うような対応も簡単ではない。しかしその気になれば出来ない事はない。ただその境地に至るまでは余程の出来事や決断を要する。
でもそれを乗り越えて「愛」に気付けた瞬間、とてつもない幸せと出会える。
『今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。その瞬間、瞬間が、
私たちの求めているものすべてであって、
他には何もいらないのです』
by マザーテレサ
人って「自分だけは特別だ!」と思いがちで”自分は簡単には死なない”と思っている。でもいつかは死ぬ時が来るし、ボクは今39歳だが同年代や年下の人も死んでいっている人はいる。
そう思うと”今、生きれている事自体が幸せ”なのだ。その境地に辿り着くと今まではイラついていた事も許せるようになってくる。そうなって許せる事が増えてくるとそれが「愛」に繋がって行くのだと思う。
『昨日は去りました。
明日はまだ来ていません。
わたしたちにはただ、今日があるのみ。
さあ、始めましょう』
by マザーテレサ
マザーテレサの偉大さを垣間見れた記念館の見学であった。
ここに来れて、本当に幸せです!
マザーテレサ記念館の3階に登ります。そこの壁に飾ってた写真の中には安倍首相の奥さん:安倍 昭恵さんがマザーテレサと会っている写真があった。
記念館内の礼拝堂
こちらが記念館内にある礼拝堂で、マザーテレサの写真などが置かれている。
最後に地下にある無料のトイレを済ませて、1階にある売店を見てみる。
特にそこまで目を引く商品は置いていなかったが。
これにてマザーテレサ記念館の見学は終了です。
こちらは横にある教会。モスクっぽいような丸い屋根が特徴的。
横の塔も目下建設中。鐘楼が上に見えますね。
ここでちょっと時間がありフラついていると、ツアー参加者のオジサンが「向こうで無料でドリンクを貰えるよ!」と言ってきたので、行ってみる事に。
すると同じ服装をした女のコ達が見えてきます。何かを配っているみたい。
コンパニオン・ガールかな??
正面に回ると、いい笑顔で迎えてくれるマケドニア・ガール!!
手を伸ばすと「ドウゾ!!」って感じでドリンクを手渡してくれます。販売促進PR用に配っているようで、勿論冷えていました。
ほんのり甘味のあるレモンティーで、喉も乾いていた影響で一気に飲み干してしまいます。
なので「もう一本頂戴!!」とばかりに、もう一度行ってみます。
それよりもこの女のコの写真の方が撮りたかったという動機が強かったのだが。。
こんな可愛い子達を見ていると、これからこのバルカン半島の旅が楽しくて仕方なくなってくる!!
別のオジサンはもう一本を断られていましたが、ボクはゲットに成功。
「マケドニアっていい国だな~~!」と感じた瞬間でした。
こちらが”マケドニア美女”から頂いた「Fuze Tea」です。コカ・コーラグループのブランドらしく世界40ヶ国で商品展開されているようです。
これにてマケドニアの本日の観光は終了です。
バスが待っている場所まで、街を歩いていきます。
首都だけあって車の通行量が多い。ただあまり交通事情もヨロシクないので、渋滞が多くそれも経済発展に繋がらないのだろう。
こちらは「マケドニア門(Gate Macedonia)」。この門をくぐって進むと、先程通ったマケドニア広場に辿り着く。
このマケドニアはモニュメントや銅像が多過ぎる。。
こちらの銅像も・・・・ではなく、何かちょっとしんどい電話をしている様子の子。
左手には大きなショッピングモールが見える。
そこに置いてあったバイクたち。
公園を横目に見ながら進んで行きます。
この先にある「ホリデーイン:スコピエ」の前でバスが待っています。
バスでオフリドへ移動
やっとバスに乗り込み、首都スコピエを後にします。ただご覧のように市内の道路は渋滞が激しい。。
でも終わってみると「これが首都?!」と思う位、あまり活気を感じなかったようなスコピエの街。
マケドニアの国旗が風になびいている。
こちらの通りは先程歩いた場所。
ここは先程、美女コンパニオン・ガールが無料ドリンクを配っていた所。まだ彼女たちが居ましたね。
ヨーロッパと一口に言っても、このように端の国は貧しく、ここマケドニア辺りの国の平均月収は日本円にすると約3万円だそうだ。
バスに乗ってて辺りを見回しても、モニュメントだらけ。それがこの街のウリなんだろうけども。。
無かったら無いで寂しいけど、あり過ぎるとその価値が落ちるような感じのするモニュメント。
こういった馬に乗ったモニュメントとかも、ただ単にイメージを形にするだけなら簡単に作れるがバランスの問題とかを考えないと設置したはいいものの、倒れてしまったりするのでそういったように”ちゃんと設置後も倒れない”設計が求められる。
右のポールに付けられているのがマケドニア国旗。赤字に8本の光が放射線状に差す模様となっていて、赤と黄色はマケドニアの象徴でもあるという。
それにしても分厚い雲がスコピエの街を覆っている。
スコピエ郊外を走ると、モスクが見える。ヨーロッパの国にイスラム教ってイメージが無かったけど、オスマン帝国に支配されていた時代があるのでバルカン半島にはイスラム教が根付いている。
バスからの景色 動画
スコピエ市内から本日宿泊するオフリドのホテルまでは約200kmで2時間半程かかります。その間、ゆっくりバスの車窓からの景色を楽しんで過ごします。
この続きはまた次回に!
↓↓↓↓バルカン半島周遊旅行記:初回↓↓
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