【チュニジア世界遺産紀行8日間】5日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】
タニト神と・・・?!
タニトの家を見学
こちらは「タニトの家」の前にある説明板。タニト神の模様が載っている。
こちらは添乗員さん。現地ガイドさんが日本語を喋れるかで業務量が変わってくる。今回の現地ガイドさんは日本語を喋れるので通訳する必要がなく、我々の最後尾でツアー参加者の動向を見守る。
この辺りもフェニキア人時代の土台跡が見える。掘ればどんどん遺構が出てくるのだろう。
こちらの説明板にはアラビア語&フランス語と共に英語も書かれています。全部の説明板もこういう風に英語表記も入れればいいのにと思う。。
ここから海の方までは住宅街が広がっている。
こちらが「タニトの家」。写真の中央部分の床に白く人のようなものが描かれていて、これが「タニト神」を描いたものである。
ちなみにこちらの床はモザイクになっていて、細かい破片が散りばめられている。
この遺跡も大事な場所にはこのように床がモザイクになっているのである。
タニト神は当時、軍神であり地母神や豊穣神としても拝められていた。またタニトとはエジプト語で「Nit (ネイト)の土地」を意味していた。この「ネイト」とはエジプト神話の戦いの女神だそうだ。
タニトの家の様子 動画
こちらは先程見た横の家の排水溝。ちゃんと石を削って水の流れる道を造っていたのですね。
タニトの家の横には住居跡が並んでいる。この狭い部屋の中で雨露をしのんでいたのだろう。
こんな感じの住居だったら横の家の騒音とかモロに聞こえてきたのだろう。
ボクらのようにすっかり現在の生活に慣れた人間はこんな2000年前の生活に順応できるのだろうか?! 現代人は家にコンセントが無いと発狂してしまうのではないだろうか?!
縦長の住居。奥で寝ていたのだろうか。
各家庭にお風呂があるという訳でもなさそう。家にお風呂があるのはお金持ちだったのだろう。
チュニジアの現地ガイドさんで日本語を喋れる人は4人だけだそうだ。やっぱり現地ガイドさんは日本語を喋れる人の方が有難い。
家の外の足場は石が積み重ねられているだけ。石が粘土等で固められている住居内とは扱いが違う。
こうやって住居跡などを見ると個人個人が勝手に建てていった訳ではなく、ある程度都市計画を考えて造っていったものと推測されている。
でもこんな海沿いにあると、嵐などで高波が来たら一瞬で飲み込まれて街が崩壊しそうな感じ・・・。
建物によっては何個かの部屋に分かれているのもある。大人数が住んでいた家庭なのか?!
ただ当時はやっぱり異臭がきつかったのかなと思う。排便等はここは海に近いのでそこで済ませればいいが、そうでない場所ではそれの匂いに当時も悩まされていたハズ。。
タニトの家の様子 動画2
この写真中央の場所は半身浴のお風呂跡。大衆浴場ではなく個人宅の1人用の半身浴をするお風呂だったようです。
こちらもお風呂跡。その右にかまどがあり火を焚いて水を温めていたようだ。そしてその手前には排水路がちゃんと作られている。当時のフェニキア人には自分の裸を他人には極力見せたくなかったのだろうか?!ローマのように共同風呂の方が効率がよさそうなのだが。
中央に中庭を構えた大きな家の説明。何世帯かが同居していたのかな。
今では雑草が生い茂っている家の中。
こちらのオジサンは遺跡の前で記念撮影をしている。高松からお越しで、エミレーツ航空の出発が遅い時間なので高速バスに乗ってきたそうだ。このエミレーツ航空で出発するツアーは名古屋や中国・四国地方の人もそこそこ参加している。
ここには残念ながら空のペットボトルが投げ入れられている・・・。せっかくの世界遺産にこんな自然分解されないものを捨てるとは「残念」という言葉しか出てこない。。
各家庭ともに家にお風呂を設置して、入口付近まで排水溝を備えている。
こういった土台ばかりが続くケルクアン遺跡。
そろそろどれも似たような造りで、見た目に違いがなくだんだんと慣れてきて興味が無くなってくる時間。。
建物の玄関には上がり框(あがりかまち)じゃないけど、ちょっと段差があったのだろうか。
土台だけではなく、1軒ぐらい当時の建物を再現してどういう生活をしていたかを目で見て分かるようにしてくれていたら良かったのにとも思う。
相変わらず地中海は荒れている。。
こちらのオジサンは東北地方から来られた関東組。このチュニジアが海外旅行3ヶ国目という事で、それでチュニジアを選択するという事はなかなかの強者と考えられる。
ケルクアン遺跡の様子 動画
ツアーに参加している人達に「なぜチュニジアを選んだのですか?」と聞くのも面白い。答えも人それぞれで色んな考えや人生があるんだなと感じる。ちなみにボクはこの時期(4月下旬)に阪急交通社・トラピックスでの”1人参加限定旅”かつ日程が長いツアーがこれだけだったので選んだのである。
昔の人は色んな陶器を作っていた。そんな陶器の欠片はいくらでも足元にはあるが、完全体のは全て博物館に収められている。
このケルクアン遺跡には、手前にあるようなお風呂を各家庭に備えていた。風呂好きな街だったのか、それとも風呂が必要な街だったのか。
夏場だと日差しを遮るものがないので、多分この辺りはとても暑くなりそう。そういう意味ではチュニジアを訪れるのは夏を避けて春か秋頃がイイのかもしれない。
ガラス職人や陶器職人の家もあったようだ。
いい感じに枝が延びている木が見える。
ケルクアン遺跡の真ん中に生えていて”ケルクアン遺跡の主”のようにも見える。。
その木の下はパワースポット?!
そんな木の下でチュニジアン・パワーを噛みしめる男。
ケルクアン遺跡の見学に疲れた場合は是非こちらのベンチをお使いください!
こちらの通りには職人の家が沢山あったようです。
ここから見ているだけでは殆ど普通の民家と見分けは付かないが。。
こちらのお父さんは一眼レフカメラを持って来て、熱心に撮影していました。普通のカメラと比べると一眼レフカメラの写真は全然違い、とても綺麗です。ボクもそういったカメラを持ちたいのですが、面倒くさがりの性格なので便利なスマホに依存してしまっています。。
奥にも足場があり、その辺も見所のようだ。
こちらの家の床にもモザイクがあり、そこそこの権力者が住んでいたのだろう。
右手は神殿の跡のようだ。特に何も残っていないが。。
その奥にはその神殿に仕えていた神官が住む家があったそうな。
この続きは次回に続きます!
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