【チュニジア世界遺産紀行8日間】5日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】
ポニエ時代の・・・?!
ボン岬で昼食を食べて、バスに乗り込み近くにあるケルクアン遺跡に移動します。
ケルクアン遺跡に到着
10分程バスに揺られて、目的地に到着します。
ケルクアン遺跡横にある看板。上から見た全体像と一部の遺構が写真で載っています。
横はすぐ海があります。この遠く向こうにはイタリアのシチリア島があるはず。
こちらが入場チケット売り場。現地ガイドさんがまとめて購入してくれます。
ケルクアン遺跡に入場
ケルクアン遺跡の北側にある入口から入っていきます。入口からは通路が真っ直ぐ進んでいます。
入ってすぐの右手には、遺跡の説明ブースがあります。
こちらはケルクアン遺跡のマップ。1952年にこの近くでたまたま釣りをしていた考古学者がこの遺跡を偶然発見し、現在も発掘が続く。
「イマ、コノヘンデ~~ス!!」と言っているような現地ガイドさん。
この地方の説明。フェニキア人時代の遺構が残っている珍しいケルクアン遺跡は、1985年に世界遺産として登録された。ローマ帝国に支配されると大体は元々あった建物が潰されて、その上にローマの建物が造られるものだが、この辺りはそのまま放棄されたようだ。
こうやって改めてみると、帽子や日除けなどを着用している人が多いですね。日本から比べるとこの地中海沿岸は紫外線が強いので、知らず知らずのうちに日焼けしてしまいますね。
チュニジアの現地ガイドさんは日本語を話せるので、とても助かります。英語しか話せないガイドだと、添乗員さんがわざわざ通訳し直さないといけないので。
この遺跡からはこのような土器なども発掘されています。現物は近くの博物館に収められていますが、今回は残念ながら立ち寄りませんでした。。
この場所からは遺跡はあまり見えず、手前の植物達が見えるのみ。
ケルクアン遺跡の番猫ちゃん?!「フェア~~ユ~~フロ~~ム??」と言っているような。。
「まずはこっちの方から進みなさい!」という感じ?!
遺跡内の芝生や植物はきれいに手入れされている。さすが世界遺産だけあって、ちゃんと管理されているようだ。
皆さんも写真を撮りつつ、進んで行きます。
「この~木なんの木、気になる木~~」のミニチュア版の木かな?!
この入口側の通路の左右には色んな植物が植えられています。
この木の曲がりくねった感じは何とも言えない感じ。
ケルクアン遺跡の様子 動画
海は相変わらず荒れている。この波からの浸食を防ぐ為に護岸工事されている。
この辺りは海風もモロに当たり、世界遺産を保存する環境としてはあまりよくなさそう。。だけど古代の人はあえてこの辺りに住んでいたのだろう。
現地民か観光客かは分からないが、子供2人が座っていたので軽く挨拶を試みる。
「子供のクセに生意気な髪形をしていると、ロクな男にならないぞ!」という目線を飛ばすも、軽く無視される・・・。
そろそろ遺跡が見えてきました。遺跡と言っても残っているのはほぼ”残骸”というか土台だけです。
これらは約2000年前以上に造られたもの。普通の人が見ても「単なる石を積み上げた土台」だけしかにしか見えないが、考古学者からすれば「これはアレコレで・・・あれはアレで・・・」と色んなものが見えるみたいだ。
単に石を積み重ねただけではなく、それらを粘土のようなもので固めていて強度を上げていたとみられる。
円形にくり抜かれている場所。お風呂?!
こういった遺構が一面にある。この時代のケルクアンには約2000人前後が住んでいたと推測されている。
こういう遺跡を見る時は想像力がとても大事。土台だけを見て、当時の建物のイメージを思い起こしながら眺めれると楽しく見れる。
このケルクアン遺跡の特徴としては、海が近いにも関わらず風呂が大体の建物に備えられていたという事。
ケルクアン遺跡の様子 動画2
風呂が多いという理由に対してだが、当時の染料で身分の高い人を表す紫をだすのに大量の貝殻を使用していた。その貝をわざと腐食させるのだが、大量にその貝を使用しそれを海水で洗う時に海が汚れたと推測されている。その為に海ではなく各家庭に風呂を設置して、入浴していたのではと考えられているそうだ。
この遺跡内でも重要な場所などは、ご覧のように屋根や手前に台などが造られている。
この辺りは住居が並ぶエリア。当時の人達はどんな生活を送っていたのだろうか。
遺跡内の表示はアラビア語とフランス語で書かれているので、何が書かれているか全然分からない・・。多分こちらは陶芸用のかまど跡。陶器は昔から現在まで作り方は変わらないようだ。
こちらの土台は平べったい石を並べてくっつけているようだ。
遺跡には触れられないように下にロープが張られている。別に遺跡内に監視員が居てる訳でもなかった。
奥に屋根のある場所がこの遺跡でも有名な「タニトの家」と呼ばれる場所である。
古代のフェニキア人が信仰していたカルタゴの守護神「タニト神」を祀っていた場所のようです。
その手前にこちらの丘辺りで現地ガイドさんから説明が。この辺りも遺跡が埋まっているらしいのですが、予算の都合でそのままになっているようです。
このタニトの家がある反対側の足場もフェニキア人時代のものだそうです。
そして足場にはその時代の陶器のかけらが落ちているとの事。それを嬉しそうに見せてくれる現地ガイドさん。「これ、欲しい人10TNDでお譲りシマ~~ス!」と言っていたような。。
こちらがその2000年前以上にフェニキア人が作っていた陶器の欠片と思われる物体。
現地ガイドさんはその後、その欠片を何気なく地面に放り投げました。この辺りにはいくらでも埋もれているようで・・・。管理する側もキレイな状態で完全体になっている陶器であれば博物館で展示するのでしょうが、こんないくらでもある欠片を全部収集しているととんでもない手間しか掛からないので放置しているようです。。
この辺では掘ればいくらでもこういった遺構が出てくる可能性がありますが、それを発掘するのにも管理するのにも多額の費用が掛かるのでこれ以上は発掘を控えているようです。
それぞれの建物にも入口には門構えがあったようです。立派な家構えは当時のお金持ちのハズ。
前にいる団体はヨーロッパ系の感じ。色んな国が集まるチュニジア。あまりアジア人は見かけなかったけども。
こちらには表札のようなプレートが嵌め込まれている。当時のものなのかな?!
現地ガイドさんの話をちゃんと聞く人、自分のペースで遺跡を写真に撮りたい人とタイプが分かれます。ちゃんと話を聞く人は意外とその話を覚えていたりするので、いつも感心してしまいます。。
ボクは勿論”自分のペースで遺跡を写真に撮りたい人”なので、現地ガイドさんの話はそこそこレベルで聞いています。そして帰ってから「もっと真面目に現地ガイドさんの話を聞いていたらよかったな~~」と思うタイプでもあります。
そして足元には家庭から伸びて出てきている排水溝のようなものがあります。
こちらの岩はなんだろうか?腰掛ける為のものかな?!
本当に想像力を掻き立てられる遺跡。なんせ土台だけしか残っていないのだから。。
排水溝も家の奥から伸びている。入口の近くにお風呂を設置すればこんな長い排水溝を造らなくてもよかったのにと、面倒くさがりのボクは思ってしまう・・。
入口の近くだと外から覗かれるのを恐れて、家の内側に造ったのかなと1人で想像してみたりする。
こんな感じでケルクアン遺跡の見学は次回にも続きます!
↓↓↓↓チュニジア旅行記:初回↓↓
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