ポーランド旅行記:7日目
阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–
ワルシャワはショパンの街
ポーランドの首都ワルシャワ。そのワルシャワにあるショパンの心臓が安置されている聖十字架教会の近くに、ショパンの曲が流れるベンチがある。そこにツアー参加者さん達が集まっていたけど、ボクは昨日の晩に既に見てその流れる音楽を聴いていたのでちょっと遠くからそんな様子を眺めてみる。
ワルシャワの観光
ワルシャワの通りも綺麗なように見えるけど、この辺りはほぼ全て第二次世界大戦中に破壊された。そしてその後に再建して造られた建物が殆どなのである。
聖十字架教会の斜め前にあった、ショパンの曲が流れるベンチ。ワルシャワ内でも何個か設置されている。
ポーランドは歴史的に苦渋を舐めた時代が多いので、ショパンの曲のように心に情熱を持っていた彼らはそんな曲調のショパンの曲に惚れるのであろう。
ショパンの住んでいた家
この建物にショパン一家が1827年に越してくるのである。それまではこの向かいにあるワルシャワ大学構内にある家に住んでいた。
ここでショパンは1827~1830年までを過ごして、その後20歳でポーランドを旅立つのである。
そんなショパンの曲が流れるベンチと、彼の住んでいた家の向かいにはワルシャワ大学の門がある。
ワルシャワ大学にて
一見大学の門とは、言われないと分からないような門。ここでショパンの先生を務めたユゼフ・エルスネルは、既に他に見れない類の才能を持つショパンに対して、従来の音楽を押し付けるやり方ではなく彼の独自性を尊重し自主的に能力を伸ばさせる方針にしたという。
ショパンは音楽家の中でも、稀な位の才能を持っていたのだろうが、それと共に色んな人との出会いもその後の彼を創っていったのであろう。
ワルシャワ大学の門にもこのようにショパンにまつわるプレートが嵌め込まれている。こちらの構内で1817~1827年までを過ごしたショパン。
約200年前に活躍したショパンだけど、こんな現代までそんな曲が愛されているというのはとても凄い事である。音楽なんて長くても数十年語り継がれていくけど、彼の音楽は約200年も人々を魅了させているのである。
そのままワルシャワ大学の構内に進んで行く。別に入口にセキュリティが立っていたりする訳でもなく、普通に入れる名門ワルシャワ大学の構内。
そして大学構内にあったショパンが住んでいた建物のプレート。
地面にはわざわざ「ここで自撮り写真を撮ってください」とのプレートまである。
ショパンの父親は元々家庭教師をしており、教師的な仕事をしていた。そしてワルシャワからの依頼で、ここで教鞭に立つ事になりワルシャワに移り住んだのである。
このワルシャワ大学も第二次世界大戦で約60%の建物が破壊されたので、この建物も戦後に再建されたものかもしれない。
それでもここにあのショパンが10年間住んでいたという事実は消えない。
7歳の時に初めて作曲し、それを披露したショパン。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンと比べると”早咲きの天才”だったという。
ここにもショパンの曲が流れるベンチがあった。でも先程のベンチとは違う曲が流れた。ちなみにベンチにはボタンが1つしかなくて、1曲しか流れない。
こちらの建物ではショパンのお父さんが教鞭をとっていた建物である。
このワルシャワ大学には日本語学科もあって、その交流も兼ねて日本の前天皇である昭仁天皇と美智子様も訪れた事があるという。
ただ大学なのでもっと若い大学生が沢山いて、こうやって日本人が歩いていたらキャーキャー騒がれたりというのをイメージしていたけど、全然そんな事なく閑散としていたな・・・。
大学構内を歩いていると、ツアー参加者さん達が立ち止まっていてベンチに座っている銅像を皆見つめていた。
妙に手だけゴールドっぽい色をしている銅像。という事は皆手を触るから、その部分が錆びずにこんな色になっているんだろう。現地ガイドさんから「ここで是非、好きなように写真を撮ってください!」と言われて、早速立候補するけど簡単なポーズで写真を撮るつもりはボクにはない。
この歳で独身だと言うと「もしかしてホ〇??」とたまに言われる事があるボク。
勿論そんな事はないけど、この写真を見ると上手い具合に銅像の手の隙間に入り込んでいたね!
ワルシャワ大学で日本人の笑い声が響く瞬間でしたね。やっぱり記念撮影は面白いポーズでしないとね!
一般の人達はこういう定番のポーズで写真を撮るんだろうね。だから銅像の手の平だけ、色が変わっているんだ。
ワルシャワでもトップクラスの実力を持つ、ワルシャワ大学。
キャンパスも1個だけではなく、このワルシャワに3つもあるんだとか。
そんなワルシャワ大学の見学を終えて、さらに通りを進んで行きます。
すると「昨日から脇腹が何故か、痛いんだよね~~~!」とでも言ってそうな像が嵌め込まれた建物がある。
「いや~~これ位ムキムキになるまで体を鍛えたのに、肝心の横っ腹だけ筋肉が付かずにプヨプヨ状態だよ~~!」と言っていたのかもしれない。。
それとも”ポーランド式反省のポーズ”だったかもしれない。。
幼いショパンが演奏したヴィジトキ教会
右側の建物はショパンが7歳の時に初めてコンサートを行った「ヴィジトキ教会」である。
そんな教会の前には悩める男の像がある・・・・ではなくポーランド人で枢機卿まで上り詰めた「ステファン・ウィジスキ」の像である。ただし教皇に選ばれるには「コンクラーベ」と言われるバチカン市国での選挙があり、それで得票数2/3を獲得すれば教皇と認められる。
しかし逆にその得票数に達する人物がいないと、それが決められるまでは永遠とコンクラーベが続けられるのである。
ローマカトリックでは最高峰の存在である教皇という座。カトリックの世界では、それは神の子キリストに次ぐ高貴な存在なのである。
ヴィジトキ教会の中を見学
という事でツアーではあまり中に入らないという、こちらの教会に入っていきます。
こちらの教会も例に漏れず、第二次世界大戦中に破壊されてその後に再び同じように再建されたものである。
さすがにポーランドでも何回も教会内を見学したので、既にあまり興味が出ないタイミングでの見学。しかし単なる教会では見学しないけど、ここは別の目的で見学しているのである。
その目的とは・・・こちらのパイプオルガンです。こちらはショパンが7歳の時に初めて開いたコンサートを行った場所であり、その時に使ったパイプオルガン。
7歳の時にピアノコンサートを行うなんて、自分の7歳の時の頃を思うとそんな姿は全く想像も出来ない・・・。
皆さんは7歳の時に自分が何をしていたか、思い出せますか??
ここにショパン関係の事が刻まれているプレートがありますね。
ヴィジトキ教会中の景色 動画
ただし今は改修工事中との事で、祭壇やテーブルなどには幕が掛けられていましたね。
この反対側にあるのは「角のない建物」とも呼ばれる建築学校跡。こちらは奇跡的に第二次世界大戦中に破壊される事はなかったという。
そして正面に見えるのが「ホテル・ブリストル」でポーランドでも有数の高級ホテル。1階には有名なカフェもあり、世界中からの来賓が訪れるとここに宿泊するようだ。
そんなホテル・ブリストルの向かいにも高級ホテルがある。こちらは「Raffles Europejski ホテル」で勿論五つ星のホテルである。
ヨーロッパは12月に入るとクリスマスマーケットが始まって、夜は華やかになるんだけど11月中旬~下旬はその準備中で逆に機材などが街中に置かれているのでちょっと損した気分になってしまう。
こちらもクリスマスとかにはライトアップしているんだろうけども。。
こちらの先には無名戦士の墓と呼ばれる、戦争で亡くなった大勢の兵士を祀るモニュメントがある。ただしこちらは残念ながら目にする事が出来なかったけど。。
こんな旅はまた次回に続きます。
↓↓↓↓ポーランド旅行記:初回↓↓
【コメント欄】