【鹿児島周遊旅行記】4日目
【個人旅行】2019年10月13日~16日
最後の最後まで西郷どん?!
鹿児島旅行4日間の最終日、ここは薩摩藩島津家の別邸として造られ、その後は本邸として使われる事になる名勝「仙巌園」の庭園。世界各国からの要人を迎えた場所だけあって、庭も広々と造られている。緑が多く水の流れもあり、そんなリラクゼーション効果もあってか、心が洗われるように感じれる。
仙巌園の庭園にて
1658年に造られたこの仙巌園。人類が造った建造物を見るのもいいけど、こういった庭園も時間が経てば経つ程に味わいが出てくる。しかし今でもこの庭園が素晴らしいのは、この庭園を長い間手入れしてきた人達の努力のおかげでもある。そういった見えない人々の努力にも感謝しなければならないと感じる。
そしてゆっくりと桜島を眺めるのもこれで終わり。今思うと、もっとゆっくりと桜島だけを眺めながら時間を過ごすという事をしても良かったかもしれない。ただ殆ど目で見る限りは動いていない桜島だけど、鹿児島の代名詞にもなっているので。
右側にある灯篭は「鶴灯篭」と呼ばれるもので、1857年に島津斉彬がこれを使ってガス灯(ガス燃料の燃焼による照明)の実験を試みた。その後城下町でそのガス灯を普及させる計画を立てたものの、それを見る前に彼は亡くなってしまった。
島津家第28代当主であり薩摩藩第11代藩主であった島津斉彬が鎖国状態の日本を近代化したといっても過言ではない。彼は下級武士出身であった西郷隆盛や大久保利通を登用し、政府の要職につけた。またペリーで有名な「黒船来航(1853年)」以前から西洋文明を積極的に取り入れ、蒸気機関やガラス、ガスや溶接炉の国産化を推し進めた。
「天下の政治を一変しなければ外国との交渉もできない」
by 島津斉彬
曽祖父の影響で西洋文明に興味を持ち、積極的に西洋の先進技術を取り入れていった島津斉彬。鹿児島に来るまでは鎖国が終了したのはペリーが横須賀で日本に向かって大砲を打ち込んで開国を迫ったようなイメージだけを持っていたが、実際には日本国内でもそれまでに「今の日本のままではダメだ!政府を変えなければならない!」と考えていた人達が存在していた事を知る。
漁師で漂流しアメリカで約10年程過ごした後に帰国したジョン万次郎。薩摩藩に捕らえられるが西洋文明にとても興味のあった島津斉彬は彼と面談し、西洋の様子を色々と聞きだす。そして西洋式の造船術や航海術を教授してもらい、薩摩藩での造船技術に取り入れたのである。
「十人が十人とも好む人材は非常事態に対応できないので登用しない」
「君主は愛憎で人を判断してはならない」
by 島津斉彬
島津斉彬の残した言葉は現代での会社経営や組織運用にも通じるものがある。会社経営で2代目・3代目で会社が傾くのは「君主は愛憎で人を判断してはならない」のに、経営者が自分にとってだけ都合のいい人間を重用するのが多いのかと思う。実際にボクの在籍していた会社も経営者が部下を仕事の能力で判断せずに、自分に対して優しくしてくれたり歯向かわない人間を重用していたので組織がガタガタになって会社が潰れかける事になったっけ。。
今まで全然知識の無かった薩摩藩、だけどこうやって鹿児島を訪れてみるとその影響力がとても大きかった事に気付く。ただ単に鹿児島だけでなく、今の日本を造った一端を担っていたのである。そういう意味では今回鹿児島に来れて、とても勉強になって良かったと思う。
鹿児島の英雄は西郷隆盛だけど、ボクはすっかり島津斉彬に惹かれてしまったな。影響力のある人は生きている時だけではなく、亡くなった後も関わり合った人達の生き様にそれが引き継がれていくのである。
ちなみに仙巌園の駐車場は料金が発生する、300円なり。
あちらの建物「尚古集成館」は日本で最古の石造洋式機械工場の跡地である。これを建設した島津斉彬も富国強兵論を主張していたが、父である第10代薩摩藩主:島津斉興から薩摩藩の資金を製鉄・造船・紡績など莫大な費用が掛かるものに浪費しようとしていると思われ、家督が引き継がれるのが遅れたという。というのも父:島津斉興はそれまで財政で苦しんでいた薩摩藩を一気に回復した立役者でもあったので、そんなやっと回復した資金を浪費されたくなかったのかもしれない。
仙巌園を後にして鹿児島空港へ向かう車内で、最後まで桜島を眺める。ちなみに帰りの車内のドライブソングはQueenのアルバムを流す。最後までノリノリ気分で過ごす鹿児島旅行である。
鹿児島空港へ到着!
3日ぶりに鹿児島空港へ到着する。関西国際空港も海外のハブ空港に比べると”大きくない”と思うけど、そんな関空に比べると明らかに小さい鹿児島空港である。
鹿児島市内から車で結構時間が掛かった鹿児島空港。西郷どんも「小さいッショ!鹿児島空港は!」と言っていたな。。
空港の外側にはこんな足湯が無料で体験できるコーナーがあった。こんなサービスは関西国際空港には無いし、海外のハブ空港にもない。ここ鹿児島ならではの物である。
ヌルッとした温度だった外から、屋内に入ると空調が効いていて気持ちいい。
こちらは本社の横を通った薩摩酒造の看板商品「さつま白波」の広告看板。
JALで機械にて簡単にチェックイン終了。そういえば初日は台風の影響で「もしかしたら鹿児島に行けないかも・・・?!」と考えていた事を思い出す。
この鹿児島旅行期間4日間で、付きっきりでアテンドしてくれた”西郷どん”とガッチリ握手する。
こうやって写真を見返すと、あまりボクと身長は変わらなかったようだ。
まだ時間があるので保安検査場に入る前にお土産屋さんを見て回る事に。
荷物になるのでここまでは全然お土産を買っていなかった。買ったお土産と言えば、知覧で購入した”知覧茶の飴ちゃん”(1袋130円)を2袋のみ。これが結構美味しくて、もっと買っておけばよかった。。
それにしても薩摩で食べたさつま揚げは、思った以上に美味しかった。ちなみにこの後”西郷どん”がさつま揚げを1袋プレゼントしてくれた!
そういえば”西郷どん”は目元が西郷隆盛に似てたね!・・・な~~んてね(笑)
こうやってお土産物屋さんで色々見て回ると、やっぱり西郷隆盛が愛されている事がよくわかる。地元出身で明治維新の立役者の一人である大久保利通のお土産なんて、全然見なかったのに。
お土産に買おうと思っていたボンタンアメも購入。そして食べれなかった白熊のチョコレートも購入。
そして空港に来たら、やっぱり展望台には行っておかないといけない。
甥っ子ちゃんが来たら、飛行機を生で見れて興奮するんだけどハッキリ言ってボクは飛行機には全然興味が無い。ただ単に移動手段の物としか思っていないから。。
そういえば今回は霧島には行けなかった。昔相撲力士で大関まで上がった”霧島”が大好きで、今回も鹿児島で知っているものと言えば「霧島」と真っ先に出る位だったのに。まあ霧島は次の楽しみとしておこう!
”西郷どん”もあまり飛行機には興味がなさそうだ。彼はトルコに旅行後はまだ次の海外旅行を計画していなかった。彼もボクと同じように仕事を辞めた後はすぐに次の仕事に就く気が無いようだ。この時点で次に行きたい所はまだ決めてないとの事だったので、それならとエジプトを強く勧めておいた。
ボクが仕事を辞めて無職になって感じた、その一番の恩恵は”誰にも拘束されずに好きに自分の時間を使える事”だと思う。特に好きなタイミングで海外旅行に行ける今を大事にして欲しいと思う。
JAL便で鹿児島を出発し帰阪する
こちらはさっきまで訪れていた仙巌園で、その一部が世界遺産に複合登録されている「明治日本の産業革命遺産」の案内看板。長崎訪問時にそれに含まれているものを見た時、てっきり長崎だけのものと思っていたけど実際には最北は岩手県も含まれており合計23点の跡地である。ただこの世界遺産も元々は”九州・山口の近代化産業遺産群”として進められていたのが、「明治日本の・・・」というように日本全国規模になった為に岩手まで含まれたようだ。
保安検査場で”西郷どん”とお別れする。そしてお世話してくれた”西郷どん”を見えなくなるまで見送るも、意外とフラフラ~~と歩いて帰っていった。もっと西郷隆盛のようにドシドシ歩いて帰るかと思って見ていたけど、そうではなかった。。
そして「やっぱり空港に入るとお酒を飲まないと!」という感じで、こちらを購入。みかん味に惹かれて購入したけど、”クラフトチューハイ”というのは初めて目にしたかもしれない。
2本目はこちらのチューハイ。サワーとチューハイの呼称の違いって、厳密には一応あるみたいだけど一般の居酒屋ではほぼ同義語となっている。
JALマークがついている業務車両も綺麗に整列されて、駐車されている。こういうのも日本ならではの光景かな。
こちらの飛行機がこの帰りにお世話になる。今回JALを選んだのはJAL公式サイトから選んでも意外と安かったから。先割もあったと思うけど、航空券手配サイト経由だとキャンセルが効かなかったりするけどJALだとキャンセルもいけるから。
という事でちょっと頑張り気味にチューハイ2本を飲み干して機内に向かいます。
それにしてもJAL国内線のCAさんはとても優しくて親切で気が利くと思う。前に函館に行った時にお菓子を上げたらその時のCAさんがとても喜んでくれたので、今回もポケットに忍ばせておいた「知覧茶の飴ちゃん」を1袋プレゼントする。
すると今回もこんなお菓子にもとても喜んでくれたが、「知覧茶の飴ちゃん」と言っても中々伝わらなかった。というのも知覧という地名を知っていなかったようだ。CAさんも飛行機に乗ってアッチやコッチやに行くのが仕事であるが、そんな場所場所で色々と観光に行く訳ではないからそこまで色んな場所の地名までは知らなかったみたい。
ちなみに飛行機に乗って離陸後はすぐに寝てしまったので、途中ドリンクを配布しに来てくれた時に寝ていて貰えなかった。しかし着陸態勢に入る前にボクが起きたのをさっき知覧茶の飴ちゃんをプレゼントしたCAさんが見つけて、わざわざ「さっき配ってた時に寝ていらっしゃたので、コレどちらかどうぞ!」と言ってりんごジュースと麦茶を差し出してくれた。(ちなみに焼酎白波は西郷どんからのプレゼント)
せっかくなので「両方とも貰っておきます!」と返すと、「どうぞ!」と笑顔でニッコリと返事してくれた。
これもお菓子をあげた効果かな?!
そうしている内にあっという間に大阪国際空港(伊丹空港)に到着。ちょっと大阪はヒンヤリしていた。。
やっぱり大阪はいいね。毎回大阪の空港に到着すると「帰ってきた~~~!」と思う。
伊丹空港からはモノレールに乗って移動し、帰路に着くのであった。。
<まとめ>
思い起こすと今回の鹿児島旅行、きっかけはトルコ旅行で行ったパムッカレであった。
ボクは東京から出発の1人参加限定旅のトルコツアーで、西郷どんは大阪から出発の普通のツアーで現地を訪れていた。似ている旅行日程だったのでそれまでにも何回か交錯していたけど、彼との接触は一切なかった。そしてここパムッカレでもほぼ同時に足湯体験も兼ねての自由に歩き回る時間になった。
そこで1人歩いているお兄ちゃんを発見。その前日の夜、ホテルでベリーダンスが開催されていてダンスが終わった後にさりげなくチップを渡していた日本人と思われる青年を見かけた。それがてっきり”西郷どん”だと思って喋りかけたのであった。(実はチップを渡していた人は西郷どんのツアーの添乗員さんでした。ちなみに西郷どんは部屋で爆睡していたそうです・・)
それをきっかけにボクの周りにいた同じツアーの人達も”ツアーに参加すると若手になる西郷どん”と色々喋り出した。そしてパムッカレの観光が終わる頃にはすっかりボクらのツアー参加者の中で人気者となった西郷どん。
そして今回の鹿児島旅行、元々の動機は彼を気に入った”LOVE×4姉さん”が「また西郷どんに会いたい!」と言ったので「西郷どんと再会ツアー!」を企画したのであった。ただ残念ながら姉さんは千葉を襲った超大型台風の影響で飛行機が欠航して来れなかったのである。
トルコ旅行が終わって日本に帰国した日、彼は鹿児島に帰らずに大阪に一泊したので夜中に再会し3時間も一緒に飲んでそれぞれの境遇について話をした。
歳が2つしか離れていなくて、それぞれに野球が好きだったりで意外と馬が合った。そして見た目以上に中身が可愛らしいというか、鹿児島でず~~っと住んでいるだけにスレていない西郷どん。
トルコ旅行以来3ヵ月ぶりに再会した”西郷どん”。彼は鹿児島の素晴らしさを客人に味わってもらいたいと思って、心から精一杯鹿児島を案内してくれた。
今回の旅、鹿児島の最南端にも行ったりとドライブする時間が長かったけど一切文句も言わなかった”西郷どん”。この辺は鹿児島男子っぽい感じのように思えた。
ただ一緒に回ると鹿児島人である”西郷どん”も知らない場所もあったりで、彼自身も再発見が色々とあった旅だったようだ。
黙っていると意外とコワモテの”西郷どん”。ただ中身は意外とお茶目。
ただあまり”西郷どん”は自分から”はちゃける”タイプではないので、そこはボクが強引に色んなポーズを強要しました(笑)!
しかし色んなボクの要求にも愛想良く相手をしてくれた”西郷どん”。後半は意外とこんな写真とかで分かるようにノリノリだったのかもしれない。
そして鹿児島の食事についても色々と美味しい料理で持て成しでくれた”西郷どん”。
この旅で最初の写真撮影の頃はちょっとギコちなかった”西郷どん”も、最後の頃には様になってきていた。
そんな”西郷どん”とは何か絆を感じるような気がする。2人共37歳の5~6月頃に働いていた会社を辞めた。その理由は腐っている会社の中で自分を腐らせたくないという想い、これはボクも一緒で彼も同じだった。お互いに仕事を辞めていたから、あのタイミングでトルコで出会えた。あのトルコで出会えていなかったらここまで仲良くはなれていなかっただろう。
ただその出会いを”単なる偶然”と考えるのでなく、必然と思う事で彼との出会いの意義を探してみる。すると彼と出会った事により、来る事ができた鹿児島で近代化する日本に尽力した薩摩っ子達の歴史に出会えた。
西郷隆盛は超有名なので割愛するが、その親友であり、明治維新の立役者ともなり日本の事実上の最高権力者ともなっていたという大久保利通。実は鹿児島に来るまで彼が何者なのか全然知識が無かったボク。。
自分の理想を貫く為に親友を敵に回しても信念を曲げなかった男。ちなみに彼は江戸ではなく、大阪を首都にしようと画策していたようだ。ただ残念ながらその夢は叶わなかったけど。
そして西郷隆盛や大久保利通の才能を見抜いた島津斉彬。彼の事もここに来るまで全く知識が無かったけど、鎖国されていた日本で「このままでは日本も植民地にされる!」と危機感を強く感じて周りの反対を押し切り西洋の先端技術を取り入れ富国強兵に努めた。
今ここでこうやって桜島をゆったりと眺める事が出来るのも、彼らが”自分の理想を命よりも大事にして貫いた”為に今があるのだ。そういった原点回帰を勉強出来た、素晴らしい鹿児島旅となった。
「勇断なき人は事を為すこと能はず」
by 島津斉彬
(勇気を持って決断できない人は、事を成し遂げることはできないという意味)
彼ら薩摩に生まれた勇者達の血と汗の結晶が、今日の日本を築いたといっても過言ではないかもしれない。そしてそんな日本に生まれて生きるボク達は、そういった先人の志を引き継いで大事に生きないといけないのである。
そんな”西郷どん”との偶然でもあり、必然でもあったこの出会いを大事にしたい。
そして今回の旅で彼との間で築かれた友情と共に。
<完>
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