薩摩藩:出水麓武家屋敷群跡で日置流弓を勉強する編-西郷どんと鹿児島周遊旅行記-4

【鹿児島周遊旅行記】2日目

【個人旅行】2019年10月13日~16日

 強者の集まる場所!

”西郷どん”と巡る鹿児島周遊ツアーは2日目を迎えました。本日は朝に集合した後、西郷どんがツタヤへ寄ってくれて「是非車でのドライブ中に何か音楽聞きましょう!」と言ってくれたのでCD2枚をレンタルし、それを聞きながら鹿児島県の北西に位置する出水市(イズミ)に移動。

 

 

 出水麓武家屋敷群に到着!

とりあえず駐車場に車を停める。ここで鹿児島の飛び出し坊やに挨拶し、西郷どんも飛び出し坊やの真似をする。

 

この武家屋敷とは江戸時代以降にこの出水市に追いやられた武士たちの生活拠点が密集した場所である。今となっては現存する武家屋敷群の中では日本最大級の規模だそうだ。

 

西郷どんのオススメはここで牛車体験との事。ただしそれがやっている時とやっていない時があるようだ。運航は土・日・祝日と観光客が増える週末のみとなっていて、平日は行っていない。

 

その武家屋敷群の入口付近には神社もある。鳥居の上には何故か石ころが乗っかっていた。

 

こちらは上の写真と全く同じ場所から撮った写真だけど、ギャラクシーS10の超広角カメラで撮影したもの。超広角カメラで撮影すると、かなり広い範囲の場所を捉えることができるので狭い場所などでの撮影時には重宝できる機能である。

 

こちらは牛車が展示されている。どうも牛車に乗るにはそれなりの費用が掛かるみたい。

 

まあ正直武家屋敷群ってものには全く興味が無かったけど、西郷どんのオススメという事で来てみた。まあ昔からの日本的な家が多く密集して存在する場所のように思っていたが。。

 

 出水麓歴史館を訪れる

まあやみくもに歩くよりもとりあえずトイレ利用も兼ねて、こちらの出水麓歴史館を訪れてみる事にする。入場料金は大人510円でこの歴史館と公開している武家屋敷2軒に入れる共通券を兼ねている。

 

出水麓歴史館に入るとまずは”日本遺産”の賞状が入った額が飾られている。このあまり見慣れない”日本遺産”とは日本の文化庁が選任した文化遺産保護制度である。

このロビーまでは無料で入れるが、資料の飾られている部屋には入場料を払って入る必要があります。

なお、こちらで受付をしていたお姉さんがとても素晴らしい感じを受ける方で優しく対応していただけました!

 

 武家屋敷群資料館へ

まずはこの武家屋敷群のミニチュアが置かれている。立地的に周りを川で囲まれていて、後ろには小高い山もあり簡単には攻め落とせない場所に築かれているのである。当時の肥後国(現在の熊本県にあたる)との境に近く、防衛上の拠点になっていた。この武家屋敷群は約30年かけて造られたそうだ。

 

この時、この歴史館にやって来た観光客はボクら2人だけだったけどわざわざこちらのガイドさんが付きっきりで説明してくれた。やっぱりただ資料を見るだけではなく、こうやってその内容を説明してくれるガイドさんがいるだけで理解度は雲泥の差が出る。

 

関ヶ原の戦いで活躍した島津家の存在に脅威の可能性を感じた徳川幕府は彼らを薩摩の地域に押し込める。その後薩摩藩となり”外城制”と呼ばれる、武士を城下町に住ませずに地方地方の拠点に配置させる方針を取った。ただし武士の多かった薩摩藩では住民の約4割程が何らかの階級の武士だったらしく、そんな武士らは懐に刀を差して田植えを行ったりしていたようだ。

 

こちらのガラスの中に展示されている人形は”日置流(へきりゅう)”と言われる、独自の射法の弓道である。弓を撃つ時は従来の弓道のように立って行うのではなく、このように匍匐前進スタイルで近づき膝を立てて弓を放つのである。

 

従来の弓道のように立って放つと目立つからか、このように屈むスタイル。確かに敵からすると的が小さいので弓を当てにくいのだろう。

 

こちらは”なんこ遊び”というお遊びを紹介している。こちらの棒を1人3本握り込み、2人でそれぞれに合計本数を予想しそれを言って出し合い、最終的な合計の棒数を当てるゲームのようだ。

 

この出水市にいた武士たちは出水兵児(いずみへこ)と呼ばれていて、薩摩藩の中でも粘り強く実直な性格で高く評価されていた。この辺の性格は今の鹿児島っ子にも引き継がれているようだ。

 

この展示ルームには昔の鎧も飾られていた。こちらは兜に鹿の角が付けられていて相手を威嚇するようになっていたのだろう。そしてちゃんと口髭部分に白い毛が付けられている。

 

こちらの鎧もだいぶ古そうだけど、部分的には補修されているので全部がそのまま昔からの物でもないようだ。それでも刀を防ぐ鎖帷子はとても年季が入っていて、着たらとても重たそうに見える。

 

なお、こちらの鎧は実際に触っても問題がない。ただし無茶に扱ってはダメですが。。

 

兜の仮面部分も精巧に出来ていて、近くで見るととても手の込んでいるのが分かる。ちゃんと鼻筋もガードする鉄板が付けられている。

 

我々がこの歴史館を見学し終わった頃に外人の年配さん4~5人のグループがやってきた。するとさっき説明してくれたガイドさんが彼らに合わせて片言の英語でガイドし出した。他で聞く話によると、このオジサンガイドさんは何と東大の出身なんだとか。ただし片言の英語で説明しながら、時折「これ!」「これは!」とそこだけ日本語で喋っていた・・・。

 

戦国時代以降の勢力の規模を示す指標に使われた「石」の説明が書かれている。薩摩藩は77万石の大きな藩になっていた。

 

山田昌厳は島津家の武将で関ヶ原の戦いで、負傷した大将の島津義弘を戦線離脱させる時に傷1つ負わせずに逃げさせたという。そして関ヶ原の戦いでの武勲により島津義弘より「軍功並ぶもの無し」と言われたそうな。

その後はこの出水市の責任者として赴任し、更に島津家の家老にまでなり今の薩摩の礎を作った1人と言っても過言ではないようだ。そんな山田昌厳の気質がこの出水の武士達に引き継がれていき、現代に至る。

 

薩摩は水はけがよく、シラス台地は稲作に適していなかったので米があまり採れなかった。それに加え他の藩に比べると人口密度が高いので、少ない物資で貧窮した生活を送らざるを得なかった。しかしその後琉球国で栽培されていた芋をある人物が持ち帰り栽培を始めた。すると痩せた土地でも育つ芋は薩摩藩でとても重宝されるようになったのである。

 

そして今日でいう「サツマイモ」とは”薩摩の芋”の事なのである。鹿児島県ではサツマイモの生産量は国内イチで国内約4割の生産量を誇る。鹿児島では芋焼酎というイメージが真っ先に出てくるが、それは芋焼酎が多いからではなく芋が沢山採れたからなのである。

 

こちらはこの出水市の礎を作ったとされる山田昌厳の没後250年を記念した1917年に行われた祭の際の貴重な写真である。そんな近代的な時代になっても出水麓の人々はいつでも戦える訓練を欠かしていなかったようだ。

 

ひとえに県民性って言われるけど、過去にその土地に寄与してきた偉人達の気質が何百年と積み重なって培われたもので、たまたま偶然に出来上がってきたものではないようだ。

 

というような出水麓の歴史を勉強するには、とても良かった歴史館でした。

 

その後は出水兵児と呼ばれていた時代の服装を着て、記念写真タイムです。

 

あまり他の観光客がいなかったので、館内で好きに撮り放題です。普段はイカつい顔をしている”西郷どん”もこういう衣装がなかなか似合います。この鹿児島旅行後、彼はジムでのトレーニングにハマっているそうで、体はムキムキになっているとか・・・。

 

ここで2人揃って、昔大好きだった近鉄バファローズに在籍していた当時のスター選手:中村紀洋のバッティング・フォームを真似して記念写真。全然出水市とは関係ないけどね・・・。

 

そしてお次は日置流の弓の看板がある。顔部分がくり抜かれているという事は・・・

 

ここでも西郷どんと2人仲良く記念写真を撮って貰う。館内ガイドのオジサンに写真を撮ってもらったが、そのガイドさんもボクらを見て楽しそうに笑っていて何枚も写真を撮ってくれた!

 

そして建物の横には火山灰が積もって出来たシラスから作られた、鹿児島県を代表する2人組の像が置かれている。

 

”永遠の友情”とプレートがあったけど、2人共とてもいい顔をしていた。何とも目が2人共純粋な感じに見えた。

 

こちらはこの地にやって来るツルの羽数を当てるクイズの設置箱。とりあえず12789羽と書いて入れといたけど、もし当たったら3月に行われる贈呈式でここまで取りに来ないといけないようだ・・・。

 

 公開武家屋敷「竹添邸」を見学

こちらはNHK大河ドラマ「篤姫」でロケ地として使われた”竹添邸”である。こちらを見学するのは有料だが歴史館との共通券を購入していれば、それを見せれば入れるのである。

 

大河ドラマ「篤姫」|NHKドラマ
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武家屋敷群の景色 動画

 

門をくぐると昔の日本家屋のようなというか、日本家屋になっている。

 

ここはこの出水麓武家屋敷の中でも上級郷士を代々勤めていた家系。

 

面積の大きかった武家屋敷群の模型。武士の家が密集していたのが見て取れる。

 

ただし住民の割合では武士が多く、そんな武士のプライドを捨てても農作業をして自給自足の生活を送らざるを得なかった事情があったみたい。

 

畳に襖に障子、そして庭と昔は普通だった景色も今では貴重な日本家屋となっている。小さい頃は障子に穴を空ける度に怒られていた事を何気なく思い出す・・・。

 

さっき歴史館で見かけた外人グループもここに来ていたが、ここのガイドのオジサンは全く英語が喋れずに困っていた・・・。

 

左奥に見える扉は偉いさんが入ってくる時用の物で、特別な時しか開かれない出入口のようだ。

 

上にはレプリカの槍が置かれている、いつ敵が襲って来ても対応できるようにと。当時はいつ何時、敵が襲ってくるか分からない時代だったのだろう。

 

日本家屋な内部には刀剣も置かれていたりと、当時の雰囲気が出ている。

 

こちらは機織り機、夜な夜なお母さんが織っていたのか?! 鶴の恩返しなどで出てきそうな光景っぽい。

 

日本家屋らしく、油断していると頭を打つかもしれないので男性の方は頭上に注意!

 

こういう日本家屋は都会では全く見る事が出来ないけど、日本人からしたらそこまでも珍しくない景色。でも外人さんにとっては目新しくて、色々説明してあげた方がいいのだろうけどガイドさんは普通のオジサンで英語が出来ずに何も伝える事が出来ていなかった・・・。

こんな様子はまた次回に続きます!

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