「白貂を抱く貴婦人」をクラクフ美術館で鑑賞編-ポーランド旅行記-46

ポーランド旅行記:6日目

阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–

戦争を生き残った絵画

ポーランド南部の17世紀まではポーランド王国の首都であったクラクフの街。首都がワルシャワに遷都されて以降は低迷を続けます。第二次世界大戦ではナチスドイツ軍に占領されますが他のポーランドの都市が壊滅的に破壊されている中にあってほぼ無傷に残ったクラクフの旧市街地。

そんな昔からの歴史を残したクラクフ旧市街地の街並みは1978年に世界遺産に登録されるのである。

 

朝ご飯はしっかり食べましょう!

さて本日も朝ご飯のお時間が来ました。

朝ご飯は体力の元にもなるので、ちゃんと食べておきましょうね!

 

肉系はやっぱり必要。パワーの源になるのでね。

 

ついつい食べ過ぎてしまいそうな、ポテトのフライ。取り過ぎには注意しましょう。

 

偉そうに言っておきながら、朝からあまりしっかりと食べれないタイプのボク。これ位の量がちょうどいいのです。

 

朝は1人で食べるよりもツアー参加者さん達と食べながら、色んなお喋りやお話を聞いて時間を過ごす方が圧倒的に楽しいのである。

 

向かいに座ったのは今回の最年長参加者79歳のお父さん。元気な証拠に朝からこれだけのお皿を平らげるようだ。お歳を召されても元気な理由はしっかりと食事を取るからなのか? それともしっかり食事を取るから元気になるのだろうか?

ちなみに本人曰くは「山登りが趣味で若い頃からしているので、その貯金があるだけ!」と謙遜していましたが。それと「今回で海外旅行は引退しようかとも思っている」と仰っていましたが、まだまだ充分に海外旅行に行ける様子でしたね。

 

やっとクラクフ観光の一日

という事で今日はやっとクラクフの観光が出来ます。個人的には2日連続でクラクフ旧市街地を夜歩きしたので、ある程度土地勘が出来てきた頃合いなのですが。。

 

このノボテル・ホテルがある周辺は大学が多いクラクフの街でも、学生寮などが多い場所みたい。その為、朝バスに乗って移動している時にも大学生と思われるような若者達がチラホラと見られる。これからポーランドを背負う事になる若者達の将来に期待したいと思う。

 

バスで中心地に向かう車窓から 動画

 

夜歩きでは全て歩きのみで移動したので、こうやってバスで移動すると圧倒的に早く目的地に到着した。当たり前か・・・。

 

さて今日も2日連続で日本人の現地ガイドさん、弓子さんがクラクフの街を案内してくれます。ガイド歴も長いみたいで、ず~~っと喋り続けるタイプで深いポーランドの知識を織り交ぜながらお話してくれるので、色んな話やエピソードなどを聞いているだけで勉強になります。

 

クラクフの街だけでも10を超える数の大学があるという。そこには日本語学科を持つ大学もあるが、日本語を専攻する若者は鬱になる可能性が高いらしい。というのも”漢字”という日本人にとっては当たり前の物が、外国人にとっては大きな壁となって立ちはだかるから。外国人からすると、平仮名と片仮名だけあれば充分と思うのだろう。

 

これから向かうクラクフ国立美術館の手前には、このような大きな古そうなビルがあったけど、ガイドさん曰く「ここはもう使われていなくて、取り壊せばいいのにまだ取り壊す計画もないようです」との事。そういう明らかにおかしいと思われる建物の裏には政府の都合が見え隠れしている事がポーランドでは多いんだとか。

この建物は取り壊しをしようとしたら、大量のアスベストを使った昔の建物で取り壊し費用が当初の予算以上に掛かる事が判明したので放置となっているようだ。

 

クラクフ国立美術館の見学

こちらは1879年に造られたクラクフ国立美術館。だけど今回の美術館見学といっても僅か1枚の絵画を観るだけなのだが。まあそれだけ世界的にも超有名な画家の絵が収められている訳で。

 

 

しかしガイドさんなどの説明や日本語ガイドブックを見たりしなくて、個人自分ひとりで行動したら結構色んな情報を見逃す事が多い。昨日の昨晩もこの交差点を通り、美術館の横を歩いたハズだけどこれが今日訪れる美術館とは全然知らずに通り過ぎて行っていたっけ。。

 

ここに展示されている”超有名画家”の絵画については、美術館正面の壁に大きく広告が張られているので、世界の絵画に詳しい人はこれを見れば一目で理解できると思う。

 

そんな美術館正面にあるエレベーターの壁には、落書きではないけど付いた埃に指で書いた落書きもどきが書かれていた。ハートマークや自分達の名前だろうか、若者が書いたようなものと予測される内容ばかり。。

 

こちらはクラクフの大学の1つ。クラクフは大学の街としてもポーランド国内では有名。その為、周辺には沢山の学生寮があるんだとか。

 

こんなそこそこ場所のいい立地にあるのに、全然活用されない共産主義時代の負の遺産。クラクフの街の為には費用は掛かるものの、活用される場所に生まれ変わさせる必要があるのだけど、そう簡単に税金を投入できないというジレンマが発生しているのである。理想と現実には色んなギャップがあるんだなと実感する瞬間でもある。

 

 

美術館に入る

そんな景色やクラクフの街の実情などを小耳にしながら、美術館内へと進みます。

 

ここの美術館ではカバンなどの荷物と共に、なぜか上着までも預けないといけないルールがあるそうだ。という事で超有名な絵画を観る前に上着を預けに行きます。

 

その預ける場所はトイレもある、美術館の地下1階。階段を降りて向かいます。

 

そして地下1階の金網の檻が沢山ある、部屋に到着。

 

我々は団体用にと、こちらの丸々1個の檻の中に入れてくださいとの事。

 

上には上着を引っ掛ける杭が付いているので、みんな上着を脱いで順番に引っ掛けていきます。

 

上着と共にカバンもこのように引っ掛けて預けます。

 

美術館の入口に置かれている、こちらのボードがここにある超有名な画家の描いた絵画を代表する登場人物なのである。

 

入口で子供達とすれ違う。このような年頃に絵画を観ても、あまり理解できないとは思うけど・・・。それと子供達が全員茶色というか、金髪っぽい髪の毛をしているのを見て「あっ、ヨーロッパ人の子供達だ!」と思ってしまう。彼らは日本人とは違って、染めなくても小さい頃からこんな髪色をしているんだ。

 

こちらがこの美術館の入場チケット。ただここの入場は厳しくなくて、このチケットも入場時に係員に見せる必要がなかった。。

 

ここではこの有名な絵画以外にも沢山の絵画などを展示しているが、我々がここで観るのはただ1点のみであった。

 

階段を登ると「Leonardo IS HERE」と壁に文字がある。

そう、誰でも知っているアノ有名なイタリア人画家さんの絵ですね!

 

ルネッサンス期を代表するダヴィンチですが、その作品はイタリア国内に残る物より、海外に渡っている物の方が多いそうだ。”昨日の昼食時にロールキャベツをちょっとだけ残してほぼ完食したオジサン”は、以前イタリアで絵画をメインで見学するツアーに申し込んだ時に関連書籍を10冊以上目を通したという勉強家のようだ。

だから今回は観れないと思っていたダヴィンチの絵を観れる事になって、喜んでいましたね。

 

このダヴィンチの作品が置かれている部屋は残念ながら写真撮影は禁止されています。その他リュックサックなどの大きめのカバンも持ち込めません。ただしこのオジサン達のように、小さめのショルダーバッグなどは辛うじて持ち込みは可能です。

 

 

鑑賞終了後の写真撮影

部屋の中で実物の絵画「白貂を抱く貴婦人」をじっくりと間近で10分程、鑑賞。実物と1m程の距離でじっくりと見る事が出来て、とても満足。そして写真を撮りたい人用にはこちらのレプリカが置いてあるコーナーでじっくりと撮影できるようになっています。

 

絵画の現物の写真を撮れなくて、こういったレプリカの絵であれば写真に撮るだけだと違いも分からない。レプリカも無しで写真が撮れない所に比べると、こうやってレプリカの写真を撮影用に置いてくれているのは親切である。

 

こちらの「白貂を抱く貴婦人」は1490年頃にイタリアで描かれたもの。当時ミラノ貴族の愛人だったというチェチーリア・ガッレラーニをモデルにしたと伝えられている。その貴族も愛人の絵に自分を一緒に入れると、夫人に見つかった時に困るので彼女が抱える動物に姿を変えてツーショットで絵画に収まる事に。

それと共に彼女のお腹には貴族の子供を宿していたのではないか?という憶測もある。これらの質疑の沙汰は分からないが、ダヴィンチが描いた絵であるからには、それぞれに意味があり、それらの謎を観る者に与えてくれている。そういった意味では現在でも謎を問いかける”生きた絵画”であるとも言えるのではなかろうか。

それと共にこの絵画はバックの黒塗りやこの愛人の髪型などが、最初の絵の上に大幅に塗り替えられているのが判明している。なので登場人物に対して不自然な位にバックが黒々としているのである。なおその背景に合わせて人物の色目も濃くなるように上書きされているという。

最初に描かれた当時の内容は残念ながら消えてしまっているので、全ては想像の中にしかないのである。

 

こちらの絵画は1800年頃にポーランドの貴族であったチャルトリスキ家の手に渡った。しかし争いの多かったヨーロッパ、特に侵略される事が続いた時代のポーランドでは、争いにより美術品の破壊や奪取などを恐れて別荘があるパリに非難させた。その後クラクフに戻すも第二次世界大戦時にはナチスドイツ軍に取り上げられて、当時ポーランド総督であったハンス・フランクが当時の居城であったヴァヴェル城に飾っていたそうだ。

その後戦争が終結した後に、そのフランク提督の家から奇跡的に絵が見つかり、元の所有者であるチャルトリスキ家に返還された。近年この歴史的な絵は国の宝であるとして、クラクフ美術館へ僅かな金額で譲られる事になったのである。

 

こちらはこの絵画に出てくるフェレット(イタチ科の動物)である。ネズミのような感じで、当時このフェレットの白い毛並みは毛皮として権力者に気に入られていたという。高貴な人間の象徴とも捉えられている動物なのであった。

 

そんなフェレットの模型の視線の先には「白貂を抱く貴婦人」の絵が見えている。この動物からはどういった目線で、この絵画を観ているのだろうか?

 

正直言ってあまり絵画とかには関心は出ないけど、絵の解説を聞いてその単なる見える画だけを見るのではなく、その絵に秘められたものまでを観ようとする眼力が必要な事を痛感した。また逆にそれが絵画を楽しむポイントの一つなのかもしれない。

 

そんな貴婦人の後ろに隠れる、「じっくり観察してますよ~~!」という感じの怪しい男。。

 

他の皆さんもダヴィンチの絵画を観れて、満足したお顔で記念写真を撮っています。

 

そんな貴婦人をじっくりと独り占めする男・・・・。

 

寒い時期だったので、さり気なくジャンパーを着せてあげる、優しい一面を持ったボストン・レッドソックスのジャンパーを着た男でした。。

 

美術館を出る時には、気持ちいい位の日差しが我々を出迎えてくれていた。

 

まだまだ成長の余地を残しているように感じるポーランド。長年戦争に苦しんだ国は、平和な時代を迎えてどう発展していくのであろうか。

 

ポーランドは第一次世界大戦後に独立して、約100年を迎える。ポーランドはあまり世界的には知名度が無いけど、実際に訪れてみると色んな素晴らしいものがある国。今回は本当にポーランドに来て、良かったと思っている。これだけ色んな発見を出来るとは全然想像をしていなかったので。

 

そしてまさかレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画にも出会えるとは思っていなかったし!

 

美術館を出て、バスを待っている所の近くに海外の道端でよく見かけるパンが売っていた。ちなみにこのようなベーグルっぽいパンはこのクラクフが発祥という説もあるという。

 

試しにパンを買った人から「食べ切れないのであげる!」という事で貰ったパン。

そこそこに美味しかった!

こんな感じで旅は続きます!

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