サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂周辺の広場を歩いてみる-ポルトガル旅行記-3

ポルトガル旅行記:2日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

多くの人々を惹きつける場所

ここはまだポルトガルではなく、北スペインでキリスト教徒の巡礼地として昔から人気のあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。この街の中心部にキリストの弟子であり、12使徒の1人である聖ヤコブのお墓があるというサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂があります。12世紀から多くの巡礼者を惹きつけて止まない場所となっているようです。

 

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラにて

さて近くの駐車場でバスを降りて、ここからは徒歩で大聖堂へ向かいます。ポルトガルはヨーロッパの中でも第一次&二次世界大戦で街を破壊される事が殆どなかったので、昔ながらの街並みを残しています。

 

第一次世界大戦では連合国側に付き、第二次世界大戦では中立の立場を取ったポルトガル。しかし外敵からの攻撃よりも、自国内での混乱やインフレと強権政治の影響で自滅し、その後はヨーロッパ内で「最貧の国」とも呼ばれる位に落ちぶれてしまったのである。その為にポルトガル人はヨーロッパ内でも下に見られる傾向がまだ続いているという。

 

フランシスコ派教会にて

こちらは17~18世紀頃に建てられたとされている、フランシスコ派の教会。フランシスコ派というと、”アッシジの聖フランシスコ”として12~13世紀に生きた聖人が創設したキリスト教の一派である。教会ファザードの正面にある像は、勿論聖フランシスコである。

 

日本人は「聖フランシスコ」と聞くと、真っ先に「フランシコス・ザビエル」を思い浮かべると思う。サビエルも列聖されていて、今では「聖フランシコス・ザビエル」と呼ばれるが、そのザビエルではなくその前のフランシスコである。

 

”アッシジの聖フランシスコ”が創立したフランシスコ派の考えとしては、貧しい暮らしと禁欲を貫き、住居や食料は基本的に持たずに全て喜捨で賄ったとされている。ちなみにこれは同時期に創立されたドミニコ会も同じだそうだ。

 

聖フランシスコ派教会の眺め 動画

 

ただそんな教会には全然触れずに、先を進むツアー参加者さん達。これから向かう大聖堂だけが、観光客にとって見る価値があるかの如く。。

 

大聖堂に向かって歩いている道の右手にあった、大きな建物はサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の医学部。

全然大学の医学部っぽくは見えないね・・・

 

大聖堂に向かって歩いている 動画

 

遠くから見たら分からなかったけど、店の前を通るとお土産屋さんと分かるお店が多かった。ただ売られていたTシャツは生地が薄かったりと、品質はあまり良くなかった。

 

古くからヨーロッパでは、”キリスト教の三大聖地”の1つであったサンティアゴ・デ・コンポステーラの街。ちなみに残る2つはエルサレムとローマである。

 

オブラドイロ広場の景色 動画

 

そして歩いている先に広場が急に広がった。こちらはオブラドイロ広場と呼ばれる場所で、サンティアゴ大聖堂の石切りの作業場があった所。ちなみにオブラドイロとは、古ポルトガル語でもあるガリシア語で「石切の作業場」の意味だという。

 

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂にて

そのオブラドイロ広場に辿り着いて、左側を見ると大きく沢山の彫刻が飾られたファザードが見えた。この神々しさで荘厳な雰囲気のある建物が、1075~1211年に渡って造られた「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂」(Catedral de Santiago de Compostela)である。

 

この大聖堂は、キリストの弟子である”聖ヤコブ”(St. Jacob)の遺骨とされる物が祀られている建物。9世紀頃にこの付近で聖ヤコブの遺骨が偶然(天からの導き?)発見されたという。元々あった教会にその知らせを聞いた巡礼者があまりにも多く訪れてきた為に、手狭になった教会の代わりにロマネスク様式の大聖堂の建設を始めた。そして今現在正面に見えるこちらの面は「オブラドイロのファザート」と呼ばれ、”栄光の門”という正面扉のそれ以上の劣化を防ぐ為に1738年にバロック様式のファザードがそれまでの建物に被せられるように造られた。

 

正面真ん中の塔の上には、巡礼服を着た聖ヤコブの像が飾られている。この聖ヤコブは西暦44年にエルサレムでヘロデ王の指示で斬首の刑に処されて亡くなった。そんなヤコブの遺体はその後弟子の2人の手によって、エルサレムから遥か遠いこの北スペインの地に運ばれたという。そんなヤコブの遺骨が約800年後、ちょうどイスラム教徒をイベリア半島から追い出す為のキリスト教徒による”レコンキスタ(国土回復運動)”の真っ最中に発見された。

イスラム教徒と激戦を繰り広げていたキリスト教徒達はそんな聖ヤコブの遺骨発見を勇気に変え、見事イベリア半島からイスラム教徒を追放する事に成功する。それもあってスペインでは聖ヤコブは守護聖人となっている。

 

ただキリスト教徒以外からすると、約800年前の遺体がたまたま見つかるなんて、なんて都合のいい話なんだろうと思ってしまう。そしてそんな聖ヤコブの遺骨は16世紀にイギリスの海賊ドレイクによる略奪を恐れて、遺骨を隠す事にした。しかしその後、聖ヤコブの遺骨が発見されたのは遺骨を隠してから約300年後の1879年頃だったという。

800年の空白を経て発見されたものが、また後世の時代に300年の空白を経て発見された。しかもそんな骨を聖ヤコブのものと断定したバチカンは、勿論その当時DNA鑑定などという技術も持っていないので、何をもって認定したのだろう。元々金さえ払えば免罪符を与えて、人々の罪を許していたカトリック。その信憑性には疑問符しか沸いてこないのであるが。。

 

 

オブラドイロ広場のファザートから 動画

 

こちらはそんな大聖堂の反対側にある、18世紀に造られたラジョイ宮殿。元々は神学校として造られたもの。

 

新古典主義のスタイルで建てられた建物で、市庁舎として使われたり、その時一部は刑務所としても使われたり、このガリシア地区の大統領の官邸でもあったという場所。

 

広場の北側には「パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という、15世紀に建てられた建物を改装した五つ星ホテルと今はなっています。建てられた当時から、遠くから長い時間を掛けてやって来た巡礼者を宿泊させるホステル的な所として利用されていて、そんな人達の病院的役割もあった。このパラドールと呼ばれるホテルチェーンはスペイン圏で、古い歴史のある宮殿などの建物を改装して高級ホテルを経営している。

 

 

そして再び大聖堂を望む。実際にここに安置されているのが聖ヤコブかどうかは別にして、この立派な造りのファザードが聖ヤコブがここにあるという雰囲気を醸し出している。

 

この正面ファザードの内側には「栄光の門」と呼ばれる、聖人などが沢山彫られた彫刻などが飾られた場所があるけど、現在では改装によってこの外壁がある為に残念ながら見る事が出来ない。。

 

大聖堂は西側に正面ファザードが造られているが、これは神を象徴する”光”が主に当たる場所だからである。

 

さて大聖堂には後程内部見学をしますが、正面からは入れないので別の道を歩きます。

 

こちらの建物は16世紀に造られた修道院を改装して、今ではホテルとなっている建物。

 

 

美術館や市庁舎のような外観のホテル。ただ見た目だけでは絶対ホテルとは分からない外観・・・。

 

こちらは大聖堂の横に建てられている、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大司教区。補修工事中のようで、足場が組まれていた。

 

ここでこの旅初めてのワンちゃんを発見。

 

その先には宝石店がある。ちょっとショーウインドウを覗いてみる。

 

女性陣は見惚れる宝石店のショーウインドウ。

 

だけど男性陣はあまり興味を見せない宝石店のショーウインドウ。。

 

そんな宝石などを横目にしながら進んで行きます。

 

こちらの大きな建物は、サン・パイオ・デ・アンテアルターレス修道院(Convento de San Paio de Antealtares)の背面部分。とても大きな修道院である。

 

 

キンタナ広場にて

この広場は「キンタナ広場(Praza da Quintana)」と呼ばれる場所で、サンティアゴ・デ・コンポステーラの裏側に位置する。

 

そして奥にある、こちらの建物もホテル。この大聖堂の周辺は修道士と巡礼者の為の建物が多いようだ。

 

修道院の裏側に当たる、こちら側の壁には十字架が飾られていた。

 

このキンタナ広場側にもファザードがあり、反対側の正面ファザードとは違う雰囲気を持っている。

 

このキンタナ広場は墓地として使われていたが、1611年に整備されてこのような場所に生まれ変わった。こちらに見える「大時計の塔」は72メートルの高さで、15世紀に造られた。その後17世紀に改築されて今の形に至る。なおこの塔の中にある鐘はルイ11世から贈られたものであるが、現在は大聖堂内に保管されている。

 

キンタナ広場の景色 動画

 

こちら側の入口は「聖なる門」と呼ばれていて、カトリックで聖ヤコブの記念日とされている7月25日が日曜日に当たる”聖ヤコブ大祭年”の期間中にだけ開けられるという。

 

そんな聖なる門の横には使徒や預言者、または旧約聖書の登場人物などの彫刻などが飾られている。ただし素人にとってはどれが誰かを見分ける事は困難だけど・・・。

 

そんな聖なる門の上に陣取る彫刻の真ん中は、皆さんご存知の聖ヤコブ。その両脇を固めるのは彼の弟子の2人で、左側はアタナシウスで右はテオドロで彼らがヤコブの遺骨をこの地方へ運んできたとされている。なお、こちらの彫刻は1694年に造られた物だそうだ。

 

後程大聖堂内を見学するけど、今はまだその時間ではないようで広場の下に降りて進む。

 

この辺りは昔、銀細工職人が集まっていた場所で手前の馬の形をした噴水は1825年に造られたもの。

 

馬の噴水と共に見る景色 動画

 

そしてその先へ伸びている、この中世の雰囲気を残した道を歩いて行きます。こんなあまり広くない道だが向かいからは車が走ってくる。

 

多くの巡礼者を受け入れてきた街並み。その巡礼者達を宿泊させてあげていた建物には、帆立の貝柱マークが入口に彫られているという。

 

約2000年前に死んだ、1人の聖人の影響で北スペインで1大都市となったサンティアゴ・デ・コンポステーラの街。

こんな旅はまた次回に続きます!

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