ポルトガル旅行記:1~2日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
巡礼者たちの目指したものとは?!
ここはまだ乗継地のスペインの首都であるマドリード。成田空港からイベリア航空で約14時間のフライトでマドリードまで辿り着き、ここから国内線に乗り北スペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラまで移動します。
マドリード発の飛行機は22時30分発とそこそこ遅い便。22時前に搭乗開始となります。
冬のスペインだけど、先月訪れたバルト三国に比べるとだいぶ暖かい。ジャンパーは不要な気候。
再びイベリア航空に乗り込みます。ここマドリードからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは、約1時間10分のフライト。国内線なんで乗っていると、あっという間に到着するようです。
こちらの飛行機は左右各3席ずつと、こじんまりとした飛行機。遅い時間のフライトにも関わらず、そこそこの乗客が乗っていましたね。
サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着
そして現地時間の23時30分過ぎにサンティアゴ・デ・コンポステーラの空港に到着しました。日本を出発して約19時間で辿り着いたので、既にお疲れ気分が漂っています。
遅い時間なので、空港内のお店は殆ど閉まっていた。世界的に大きいハブ空港は24時間営業しているけど、地方の空港はこんなもんである。
従業員達も今頃はドコかでお酒を楽しんで飲んでいるのだろうか?!
スーツケースも思った以上に早く出てきた。自分のスーツケースが見えた瞬間ってのは、いつもながら何だかホッとする。
24時前なので殆ど人が居ない空港内。ただ逆に前のベンチに1人だけ座っている人は、何でアソコに座っているのだろうか?!
こちらには怪しげな像が置かれている。日中で行き交う人の多い時間帯であればあまり存在が気にならないだろうが、これだけ周りに人が居ないと像の存在が怖く思えてしまう。。
今回のこのお1人参加限定旅は、合計23人の参加。男はボク含めて7人で女性は16人で添乗員さんも女性。通常のパックツアーでは一般的な男女割合である。
今回の現地手配会社はミキトラベルさん。ヨーロッパ地方に行くと、よくお世話になる現地手配会社であります。
バスは勿論1人2席の使用、ホテルまでは20~30分なので好きな席に座る。
サンティアゴ・デ・コンポステーラのホテルに到着
小雨が降る天気の中、24時過ぎに宿泊するホテルに到着する。
住所:C/ San Lorenzo, 2, 15705 Santiago de Compostela
ここまで19時間かけて移動してきた飛行機内とかで中途半端に寝たけど、気持ち的な面でも疲れているように感じる。なので「観光がある明日に備える為に、早く今晩は就寝して下さい!」と添乗員さんから言われる。
ホテルの部屋は?!
こちらのホテルはカードキーではなく、昔風の鍵を回すタイプのドア。そしてこれがヨーロッパ地方でたまにある、二重ロックのような鍵なので旅慣れていない人からすると中々開けれないドア。
ボクの場合は何回も右一杯や左一杯に鍵を回して何とか開けようと思って、試行錯誤したらドアが開いた。すると近くの部屋の人達がみんなこちらに助けを求めてきた。ドアを開けるコツは右か左どちらかは忘れたけれど、最後まで回した状態にするとパカッとドアが開いたと思う。そしてあまりにもツアー参加者さん達のドアが自力で開けれなかったので、しばらくしてフロントのお兄ちゃんがやって来た。「最初から開けにきとけよ!」という声も聞こえたけど、こういう事も経験しておけばドコかで役立つかもしれないので”いい機会だ”と思うべきだと思う。
部屋は特には広くなく、ベッドを2つくっ付けたのが中央に置かれている。勿論1人で寝るので、これだけあれば何の問題もないのであるが。
ただあまり部屋にコンセントの差込口が無いので、ベッドに寝た状態でスマホを充電するには不便であった。まあ今晩は早く寝るし、それはどうにでもなる事だけどね。
こちらは一応バスタブは付いているけど、シャワーから出る水を受ける為に取り付けられている雰囲気がする。
ホテルの部屋に着いたら、一応お湯が出るかをチェックする必要があるけど、最近は海外であまり緊張感を無くしてしまったのか、お湯のチェックをせずに忘れてしまう事が多いボク。。
こちらはこのホテルのWi-Fiパスワードが書かれた紙。フロア毎に異なるWi-Fiが設置されているようだけど、あまり電波は強くなかったね。。
迎えた2日目
翌日は朝7時に朝食会場がオープンし、ホテルの出発は午前9時とゆったり目。前日のホテル入りが遅いので、それに合わせてホテル出発をゆったりにしているのかもしれない。
こちらはホテルの正面入口。なおホテル内では喫煙は禁止されているので、入口横で喫煙中の奥様の姿が見える。今回男性陣には喫煙者が居なかったけど、女性の方が喫煙割合が高かったりする。だけど今回もこの奥様以外に殆ど喫煙者の人は居なかったが。。
ホテルの前はあまり広くない道なので、バスが横付けしてスーツケースを積み下ろしするのも邪魔になるので素早く行う必要がある。今回男性陣最年長のパパさんに、ホテル前で記念写真を撮ってもらう。
喫煙奥様も一緒に写ろうとお願いしたが「ワタシはいいよ~~!」と避けられちゃいましたね・・・
ホテルの向かいは学校のようで、続々と登校する学生たちがやって来ていた。だけどアジアからの観光客団体を見ても、学生たちはあまり騒がなかった。意外と真面目なサンティアゴ・デ・コンポステーラの学生達であった。
ここのホテルは入口を入ってまず下るので、荷物を上げ下げする専用の業務用エレベーターが設置されていた。ただこういうのを使う方が邪魔くさいようなエレベーターではあったけど・・・。
今朝も雨模様のサンティアゴ・デ・コンポステーラの天気。基本雨具は使わないボクとしては、あまり雨は降らないでほしいけど、土砂降りでなければ傘などは使わない。一応折り畳み傘は持って来てはいるけど、普段使わないのでスーツケースに入れたまま・・・。
勿論今日も折り畳み傘は「イン・ザ・スーツケース」である。。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの街並み 動画
歓喜の丘に到着!
ホテルから約30分バスで移動した所で、今回の旅行で最初のフォトストップである。ここは”歓喜の丘(Monte do Gozo)”と呼ばれている場所のようで、中央の高台には何やら銅像の姿が見える。
ホテルからここに来る途中は雨が結構降っている場所もあったけど、ここでは雨はあまり降っていない。ここでの滞在も写真ストップ位なので、大半の人は傘を持たずに進んで行く。
9世紀にキリストの弟子の1人である”聖ヤコブ”(スペイン名はサンティアゴ)のお墓が、サンティアゴ・デ・コンポステーラ付近で見つかり、その後1075年に聖ヤコブを祀る大聖堂の建設が始まった。
その後1122年に当時のローマ法王がその年を”サンティアゴ大聖堂の大祭年”とし、そこで「大赦の特権を得られる」と決めた為にヨーロッパ中から多くの巡礼者がこのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して旅に出たという。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼ブームだけど、巡礼者達は神を讃える訳ではなく、「自分の罪を許してもらう為」という利己的な考えでの巡礼者も多かったみたい。
そして当時は今みたいに勿論飛行機や車などはなく、巡礼者達は主に徒歩で長い距離を何日にも渡ってひたすら歩き続けた。そしてこの丘からはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の塔が見えるので、この巡礼の為に何日も歩き続けてきた人達は自分達が求めている建物をここで目に出来たので、思わず歓喜を上げた場所とされている。ちなみにこの日はあまり天気が良くなかったので、サンティアゴ大聖堂は何となく見えるって程度でしたが。。
当時の巡礼者達は苦労の末に見えた光景だけど、ボクらは飛行機とバスで楽してこの場所に辿り着いたので、何の有難味もなく、何故ここで歓喜を上げたのかも理解できない。阪急交通社のツアーでも『聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して巡礼路を歩く10日間~~憧れの巡礼地を歩く~~』という、約100kmに渡って数日掛けて歩く旅もあるので、そういった行軍をすると少しはここでの歓喜に共感できるかもしれない。
そんな昔の巡礼者にとっては、命を懸けてやって来た目的の物が見えたという場所だったけど、ボクらにとっては単なる記念写真を撮る場所でしかないのである。。
この日は天気が悪かったけど、一応写真ん中に塔が3本立っている大聖堂が遠くに見る事が出来た。当時のキリスト教徒の巡礼旅は今の時代とは違って、危険が伴い、命懸けの巡礼でもあった。だから余計に歓喜したのだろう。
この歓喜の丘からは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂までは歩いて約1時間の距離。
歓喜の丘からの景色とは?! 動画
すっかりお気に入りとなった真っ黄色のパーカーを着た男が北スペインに見参?!
今思うとこの杖が折れなくよかった・・・
こちらの銅像、体の割に足の先がとても大きい。昔の人達はよく歩いていたので、ひょっとしたらこのように現代人に比べて足が大きかったのかもしれないな。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂へ移動
さて歓喜の丘を見学した後は、そんな巡礼者達が目指した大聖堂へ向かいます。
個人的にはすっかりポルトガルに来ている気分満開だったのですが、まだスペイン国内ですので。。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ街中の大きな駐車場に到着すると、現地ガイドさんと合流します。しかし残念ながら日本語は話せずに、英語のみのガイド。なので添乗員さんが英語を訳して説明をしてくれます。
これからサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂とその周辺を見学していきます。中世の頃から大勢の巡礼者達が訪れてきた場所だけに、凄い場所なんだろうと妄想を膨らますのであった。
正面に見えるのはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂ではなく、フランシスコ派の教会である。
先月12月に行ったバルト三国に比べると暖かいけど、まだ冬のイタリア。風が吹くと結構寒く感じる、体感温度である。
このサンティアゴ・デ・コンポステーラではお土産屋とかに、この帆立貝の物が多く見られる。それと中世からの巡礼者達は帆立の貝殻を身に付けていた。その理由はというと、この帆立の貝殻が聖ヨハネの象徴となっているからだという。ヘロデ王によって斬首されたヨハネの遺体は船でこの地へと運ばれてきた。その時の船に帆立貝が多く張り付いていたから、それを見た人達からそういう言い伝えが生まれたという。
ちなみに先程訪れた歓喜の丘の銅像も、よ~~く見たら帆立貝の貝殻を身に付けていたのが分かりますよ!
という事でこれからサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂へと歩みを進めていくのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
↓↓↓↓ポルトガル旅行記:初回↓↓
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