ポルトガル旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
聖地でキリストを想う
ここはポルトガル中部にあるファティマという街。ただ街としての歴史は全然なく、ここが今のようになってきたのも世界が第一次世界大戦で激動していた1917年に、この地方に住んでいた子供3人の前に聖母マリアが出現したという奇跡が起こった為に一挙に信者が住み着いたという街。
住所:住所:2495-401 Fátima,
聖地ファティマ:大聖堂にて
ここがその1917年に少年少女3人の前に表れた聖母マリアが7回目に出現した時に、彼らに向かって「聖堂をこの場所に建てて欲しい!」と依頼した場所。1928年から建設を開始し、最終的には1954年に完成した大聖堂。
少年少女3人が聖母マリアが出現するという、毎月13日にその奇跡を見に多くの村人が集まる事になる。最初は半信半疑の数人だけであったが、その7回目には5万人前後の大観衆がここに集まったという。
ちなみにその時に”ファティマ:太陽の奇跡(milagre do sol)”と呼ばれる、太陽がダンスしたり激しく動いたりする奇跡が起こり、その数万人の人々がそれを目撃したという。
こちらがその時に聖母マリアが出現した奇跡を体感した、少年少女である。この内、フランシスコ&ジャシンタ・マルト兄妹は直ぐに聖母マリアの預言通り死亡する(享年10歳と9歳、流行り病が原因)。もう1人のルシア・ドス・サントス(Lúcia de Jesus dos Santos)はカトリックの修道女となり、97歳まで生きたとされる。
しかしルシアは1950年代に面会が出来なくなり、カトリック信者に絶大な影響力を持つ彼女を恐れたローマ教皇が彼女を監禁し、替え玉を世間に見せていたという噂も出回っているという。
そんな少年少女3人が聖母マリア様を見た事が起点となって、このポルトガルではすっかりキリスト教の聖地となったファティマの街。多い日にはここに10万人もの信者が集まってくるという。
聖地ファティマの景色 動画
広場を挟む反対側には、最近造られた近代的な聖三位一体教会と呼ばれる建物もある。
ここはキリスト教徒にとっては聖地であり巡礼地でもあるので、観光客の団体が来て、騒いで記念写真を撮る場所ではないようだ。
個人的にはキリスト教に対しての信仰は全くないけど、そういった過去の歴史や逸話などには興味がある。まあでも神を信じない人間からすると、そんな話の大半がカトリックの権力者による作り話にしか思えないのであるが・・・。
ここに辿り着いた頃には、すっかり雨が上がっていた。これも信者からしたら、奇跡になるのかもしれないな。。
そんな少年少女の前に表れたという聖母マリアは、3つの預言を彼らに伝えたという。それは当時戦争中だった第一次世界大戦の終結と、ソ連体制の崩壊、そして残り1つは1960年以降に公開せよとの言い伝えでその内容が隠されてきた。3つ目の内容は歴代教皇が検閲した時にとても公表できないという内容だったので、公表が先延ばしになり、実際に内容が公開されたのは2000年だったという。
その3つ目の預言の内容は、ローマ教皇が兵士達に銃や弓矢で打たれるという内容だったらしく、それは1981年に”空飛ぶ教皇”と呼ばれたヨハネ・パウロ2世が暗殺未遂に終わった事件を暗示していたとも言われている。
ただこの3つの預言もノストラダムスの大予言と同じように、後世の人達が後から振り返ってみて何かにこじつけて誇大解釈した物だと思う。抽象的な内容を預言と思い込んでしまったら、それは預言にしか思えなくなるのだろう。
個人的には救世主であるキリストが目の前に表れるならまだ分かるけど、確か聖母マリアは神の子を産まされただけだったと思うんだけども。そんなマリアが神の使いとして現れて、奇跡を起こしたって言う話はちょっとナンセンスなようにも思っちゃうけど・・・。
そんな奇跡の是非に付いて今となっては真偽の程は分からないけど、それだけ多くの人々が動いたという事は事実である。その結果として今ではここに大きな大聖堂もある。
”信じる者は救われる”はまさに宗教の名言。しかし科学の進んだ現代では、かつて宗教を利用して私腹を肥やしていた権力者もそういった奇跡に頼る事が出来なくなりつつある。そういう意味ではこの21世紀は宗教が生き残れる時代になるかが注目であると思う。
ファティマの大聖堂の回廊には、キリストの最後の苦難の道が描かれているように見える。世界中の色んな教会で見る事の出来る絵である。
雨が上がった天気は、まさに奇跡が起こったような雲が割れた天気にも見えるような・・?!
キリスト教の聖地だけあって、わざわざここに巡礼する為にポルトガルに来たようなアジア人団体も見られた。
大聖堂から眺めた景色 動画
他人の言う事を鵜呑みに出来ない性格の人間には、このような宗教に近づく事すらない。もし世の中に神様が存在したとしても「何で神様の言う通りにしないといけないの?! 自分のやりたいようにやるだけ!」って言ってしまいそうだ。。
そういう意味ではボクに宗教の勧誘をしてくる人がたまに寄ってくるけど、全員諦めてどこかに去っていくのである。。
キリスト”苦難の道”を眺める
さてここでこの大聖堂の回廊にあった、キリストがゴルゴタの丘の処刑場まで十字架を担いでいった時の”苦難の道(ヴィア・ドロローサ)”の絵について見学してみる。
まず1つ目は当時のローマ提督ピラトに裁かれ、有罪になってしまったキリスト。ユダヤ教が全盛の時代に、それに異を唱えて自らの自流の教えを説いていたキリスト。そんな彼に対して次第に信者が増えていく。そんな動きがユダヤ教を侮辱していると思ったユダヤ人達が、ピラトに圧力をかけるのである。
そしてキリストが裁判に掛けられたが、ピラトはキリストの行いを無罪と思ったが、ユダヤ教徒のプレッシャーによりキリストを有罪と判決を下したのである。
その有罪判決の後に罰として当時主に行われていた鞭打ちの刑に処されたキリスト。その後自分の磔とされる十字架を担ぎ、頭にはトゲトゲの茨の冠を付けられるのである。
3番目は鞭打ちで体力を消耗した後に重量が50~60キロもあったとされる十字架を担いでいたら、その重さに耐えきれずに倒れてしまった様子。ただこのシーンは聖書(福音書)には描写されていなくて、後年の創作だという。このヴィア・ドロローサ(苦難の道)は実際に歩いたとされるエルサレムの街にあるけど、その道も実際にキリストが歩いた後にエルサレムはローマ軍に倒壊されてしまったので、その場所は不明となっている。でも巡礼者がエルサレムに来るので、今では想像で13ステーションを造り、それぞれのストーリーが造られたという。
4番目は自分の息子が処刑所へ連行される姿を、実母マリアが街角から眺めていたという内容。聖母マリアもキリストが40歳の時に処刑されたので、この時にはおばあちゃんになっていただろう。。
次いで5番目は十字架の重みに耐えきれずに、苦しむキリスト。そして近くにいた人が代わりに彼の十字架を担いで歩くという内容。当時は見せしめとして自分の処刑場まで死刑囚が自分で十字架を担いでいったらしいが、近くにいる人達はそれを手伝っても良かったらしい。
6番目はそんなお疲れの様子を見せるキリストに、手拭いを差し出す女性の場面。神の子も汗を垂らし、差し出された布でそんな汗を拭いたのだろうか? ちなみにこの時の布にはキリストの顔が浮かびあがり、その後は聖遺物として教会で大事に保存されるのである。
7番目は十字架の重みに再び倒れてしまうキリストである。疲れ果てた体に50~60キロもあったと思われる十字架は重た過ぎたのであろう。ちなみにこの処刑には他にも2人、死刑囚がいたがそんな2人はちゃんと十字架を担いでいたかは不明。そんな他人の様子は全然描かれていない。
8番目にはそんな救世主だったキリストの信者が、彼の元に来て悲しんでいる様子。中世の画家はキリストの苦難や奇跡などを描く作品が主であった。そしてその画家たちもそんな場面を自分の目で実際に見た訳では無いので、聖書の内容を基に想像で描いていたのである。
だからレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な”最後の晩餐”も、実際に食べたとされる部屋を見て絵を描いた訳ではなく、彼の想像で描いている。なので実際に”最後の晩餐”を食べたとされる部屋の内装とは違っていて当然なのである。
9番目は十字架の重みに再び倒れるといった内容。十字架と紐で括られているように見えるけど、キリストも「ちょっとぐらい昼寝でもさせてよ~~! ムニャムニャ・・・」といった感じの顔にも見えるような?!
10番目は辱めのポーズ・・・・ではなく、磔される場所に辿り着いたキリストの衣服が剥がされる場面。
この絵では腹筋がバリバリに割れている、いいカラダをしているキリストが描かれている!
11番目は十字架に磔にされるキリスト。確か聖遺物とされる、聖アンナが発見したという十字架と釘。その釘は3本だったと思うけど、この絵では足に2本打ち込んでいる姿が見える。まあ正解がないので、釘4本バージョンなんだろうね。
12番目は十字架で磔の刑により、絶命してしまうキリスト。この時代に実際に行われていた十字架の磔。ただ十字架にこのように釘を打っただけでは絶命はせずに、体重を支える足場もなかったようだ。だから釘が打たれた両手に全体重が掛かって、肩が脱臼しその負担が横隔膜に及び、その内呼吸困難になり死に至るという。
それでも死に至るまでは長時間かかり、それをず~~っと見てる訳にはいかないので槍で脇腹を差したりして、早く死ぬようにしていたという。ちなみにキリストに槍を差したローマ兵士はロンギヌスという名前で、そんな槍も聖遺物となり”ロンギヌスの槍”としてすっかり有名になっている。
13番目は死に至ったキリストを十字架から降ろして、悲しむ聖母マリアの様子。親にとって一番の不幸は子供が自分より早く̪逝ってしまう事だという。なのでそういう意味では親不孝だったキリストである。。
14番目はキリストを墓に葬っている場面。ちなみにキリストは3日後に復活し、約1ヵ月に渡って色んな奇跡を起こしたのちに昇天する事になる。そんな記念日は”復活祭”として現在のキリスト教徒にとっては年間で一番大事な日である。
その復活祭は”春分の日の後の最初の満月の次の日曜日”とされていて、キリスト教でも西方教会と東方教会では認識がちょっと違い、その復活祭の日付は異なるそうだ。ちなみに2020年の復活祭は西方教会で4月12日、東方教会では4月19日となっているようだ。
そんなキリストの苦難の道をここ聖地ファティマで改めて眺めた後は、大聖堂の中の見学をしてきます。
こんな旅はまた次回に続きます!
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