ポルトガル旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
中世ポルトガルの歴史が残る場所
ここはポルトガル中部辺りにある、トマールという小さな街。そんな街にあるキリスト騎士団(その前身はテンプル騎士団)の居城であった修道院跡を訪れています。
トマールのキリスト修道院にて
こちらはそんなキリスト騎士団が戦いに出掛ける前とかに祈りを捧げていたという聖堂跡。16角形の円堂になっていて壁にはキリストの奇跡の場面が描かれた絵が飾られていますが、所々の壁はこのように一部の絵が欠損しています。
こちらのパネルにはこの聖堂の中央部分に飾られている、聖人像の案内が書かれています。
ただボクも像を見れば、どの聖人かが分かる程のレベルではないのでこれを見てお勉強。。
キリスト教の聖人って長い歴史の間に沢山の人がいるので、全然覚えきれない。
というか最初の12使徒と呼ばれる、キリストの弟子だった12人全員の名前も覚えていないし。。
壁や柱もこのような装飾が見えるけど、風化されていなかった当時はもっと綺麗だったんだろう。
こちらの壁に飾られていた絵は、全部剥がれ落ちていて修復すらされていない。修復しようにも元々飾られていた絵の内容が分からないから、再現しようにないのかもしれない。
こちらの台では大司教が騎士団に説教をしていたと思われる壇。
聖堂入口の反対側には空間がある。聖堂に入り切れなかった人達がここで祈っていたのかもしれないと、勝手に妄想。。
このキリスト修道院の中でも、とても神聖で大事な場所だった聖堂。このように背が高い造りは他の場所では見る事が出来ません。というのも騎士団だけに馬に乗ったまま礼拝していたようで、それに合わせて馬が乗ったまま通れるようにと高く造られているのです。
そして珍しい造りなのがこちらの柱にもあるようにネジネジとした形の装飾。大航海時代の綱を連想させる形となっているようです。
この日はボクらを含む日本人の観光客団体3組以外には、他に観光客の姿はありませんでした。
この時もボクらの団体が一番乗りに見学していたので、これらの施設を独占出来ました!
主回廊(ジョアン3世の回廊)にて
イタリアで全盛だったルネッサンス様式を取り入れた、16世紀に造られた主回廊と呼ばれる場所。
この建物も1160年に建てられたものだが、その後の時代によって増改築されていき、それぞれの時代によって建物の造りが大きく異なっているのが見て分かる。
1500年代前半のポルトガル王国の国王だったジョアン3世時代に、この回廊が建設された。このジョアン3世はリスボンにあったコインブラ大学をコインブラの地に戻した国王。そしてイエズス会に属していたフランシスコ・ザビエルをアジアへ派遣するように依頼したのも、このジョアン3世。
こうやって歴史を調べてみると、今何気にある歴史もこのように色んな人が関与して今に至るという事を思い知るのである。
こちらもネジネジとした感じの螺旋階段、ただし残念ながら上に登る事は出来ず・・・。
サンタ・バルバラの回廊にて
こちらの回廊は聖バルバラに捧げたもの。当時ポルトガルは大航海時代に突入しており、海が相手だったので多くの海難事故も経験したハズ。聖バルバラは”十四救難聖人”の1人とされていて特に海難事故などを避ける為に、聖バルバラの像などが使われた。しかし今となってはローマカトリック本部では聖バルバラが実際に存在したという証拠が見つからないという事で、聖人から外されているのである。。
こちらはポルトガル王マヌエル1世という、16世紀初頭のポルトガル国王が大航海時代に繁栄していた国力を注ぎこんだ”マヌエル様式”の建物。ヨーロッパに行くと昔の建築様式をあれこれと聞く機会が多いけど、このマヌエル様式ってあまり聞いた事がない・・・というか初めて聞く名前である。
このマヌエル様式ってのが、その当時の国王マヌエル1世時代に多かった建築様式で、大航海時代らしく船や鎖などの形を取り入れたものが多いのである。
聖バルバラ回廊の景色 動画
そんなマヌエル様式の建物、下の方にはこのように柵で覆われた場所にポルトガルの大航海時代を代表する人物の彫刻もあるという。ただしこの場所からだと全然それが分からないのであるが。。
こちらが”マヌエル様式の窓”と呼ばれる、そのマヌエル時代でも最高傑作の1つとして数えられる建築物である。他のマヌエル様式の最高傑作として数えられる建物はというと、リスボンにある世界遺産にも登録されているジェロニモス修道院などがあるという。
全盛だった大航海時代、それらによって莫大な富をもたらしてくれた船関係の装飾が入っているのが特徴的なのである。だから船のロープなどのように見える彫刻も多く見られる。
こちらは龍の口からネジネジしたロープが出ているのが分かる。当時のヨーロッパだけではなく、交易先のインドやアジアなどの文化も調和していて、ここもアジアの文化でもある龍が組み込まれているのが分かる。
このようなマヌエル様式は中世のポルトガルならではの雰囲気が出ているので、ポルトガルに来ないとなかなかお目に掛かれないものである。
今までは全然気にして来なかった建築様式だけど、こうやって勉強してみるとそれぞれの時代の背景が建物に見られるのでとても勉強になった。
修道士の寝室跡
次は多くの修道士達が暮らしていたという、部屋の跡を見学します。
こちらが当時の修道士達が暮らしたとされている部屋。どうも2人部屋だったという。
今の時代みたいに、あれこれとある部屋ではなく、ただ単に窓が一個だけある質素な部屋だったみたい。
修道士も入会する時に寄付を進呈するみたいだけど、その時の金額によって部屋の大きさが変わったとか。既にそんな時代になると高貴な騎士団もお金が最優先の団体に変わり果てていたのかもしれないな。。
神の子であるイエス・キリストに祈りを捧げるハズのキリスト教も、所詮人間にかかれば庶民を操る為の道具代わりともなっていたのかも。
そんな修道士達が暮らした場所に置かれているキリスト像は、ちょっと痛々しく見えるけども。
当時はあまり光も入らずに、薄っすらとした空間だったようだ。
誇り高いキリスト教徒の修道士というイメージがあるかもしれないけど、封建的だった当時の社会では閉ざされた組織であった修道院内というのはドロドロとした、人間のあまり良くない部分も出ていた場所なんだろう。
こちらの部屋はこの修道士達の部屋の中でも、眺めが一番いい特等席である。
そんな窓からは16世紀に最盛期を迎えたマヌエル様式の最高傑作とも言われる、聖堂の窓が正面に見える。入会した時に多額の寄付をした者だけが住める場所だったのかもしれない。
ポルトガル王国の繁栄した時代も落ち目になった時代も、立ち続けてきたトマールのキリスト修道院である。
こちらの間の壁には17世紀に装飾されたというアズレージョが張られている。
アズレージョが左右に張り巡らされた階段を、1階に降りていきます。
修道院の食堂にて
こちらの長いテーブルと長椅子が設置されている広い場所は、当時修道士達が食事をしていた食堂跡。
その当時、ここで使用されていた食器などが展示されている。
天井には今ではライトが仕込まれた照明となっているが、当時は全てここにロウソクを1本ずつ差して、それぞれのロウソクに火を灯していたのだろう。
こちらの食器にはキリスト騎士団のロゴマークが入れられている。
単なる十字ではなく、誇り高いキリスト騎士団らしくデザインされた十字架。テンプル騎士団を引き継ぐキリスト騎士団だけに、そんなマークも大事であったのだろう。
今の時代では考えられない位に質素だったと思われる、当時の食事。今の時代に生きる人々にとっては絶好のダイエット食かもしれない。
こんな食事処でも聖堂に入り切れなかった修道士達の為に、ここから大司教がキリストの教えを伝えていたような跡も見える。
敵の侵入を防ぐ為の窓の格子か、それとも脱走を防ぐ為のものか???
それにしても長~~~~いテーブル。多くの修道士達がここで和気合い合いと食事をしてきたのだろう。
ポルトガルっていえばやっぱり頭の思い浮かぶのは、大航海時代。そんなポルトガル全盛の大航海時代の影響を垣間見れる修道院。
こちらはそんな食堂で食事を食べる修道士達に提供する食事を、造っていたとされる調理場。昔の遺跡などに見られるようなパンを焼いていた場所かな?!
内部の雰囲気がエルサレムにある、キリストが最後の晩餐を食べたとされる部屋に思えたのは気のせいかな?!
こんな旅はまた次回に続きます!
↓↓↓↓ポルトガル旅行記:初回↓↓
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