トマールのキリスト修道院、16角形の円堂になっている大聖堂を見上げる-ポルトガル旅行記27

ポルトガル旅行記:4日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

キリスト騎士団の居城跡

ツアー4日の午後はトマールの街にある、こちらのキリスト騎士団の修道院跡の見学を行います。中世の頃にポルトガル王国の支援を受けたキリスト騎士団の本拠地であった場所です。

 

 

 

 

 

 

キリスト騎士団修道院跡にて

元々は1160年にムーア人(イスラム勢力のベルベル人)との戦いの為に、要塞として造られたこの砦。

 

元々は十字軍が聖地エルサレムを奪還した後に、エルサレムを護る為に組織されたテンプル騎士団。イスラム教徒からキリスト教の聖地を奪還に成功した十字軍であるが、彼らは聖地を奪還しエルサレム内に住んでいたイスラム教徒やユダヤ教徒を虐殺し、それに満足して大半の騎士は国へ帰っていったという。

 

その為にせっかく奪還した聖地の土地を何とか死守する為にフランス人の貴族の元に、尊い9人の騎士が集いテンプル騎士団に誓いを立てた。彼らテンプル騎士団は敵の手に堕ちたとしても、絶対に降伏しないという誓いも立てたのである。

 

日本人の観光客団体3グループもこの場所で鉢合わせした為に、約70人程の日本人だけが密集する場所と化してしまった・・・。

 

修道院内の景色 動画

 

こちらの建物は12世紀にロマネスク様式で造られたが、その後の度重なる改築によりゴシック様式やマヌエル様式、ルネッサンス様式など色んな建築様式が混ざった建物へと変貌していくのである。

 

ポルトガルのトマール地区にある「トマールのキリスト修道院」の壁に掘られていた、男性の頭部の像

このように建物の壁には、誰かの顔も入れられている。

 

ここを訪れた時は他に日本人団体観光客2グループだけで、他の国から来ていると思われる一般の観光客の姿は全然見られなかった。

 

こういった歴史的な建物もそれが造られた年代により、建物の造りや装飾内容に違いがハッキリ出ている。だから建築様式に興味がある人からすると、これらの建物を見るだけでそれがいつの時代に造られたものかというのを把握できるのである。

 

この砦が造られた時代からすると、主にロマネスク様式で造られた修道院跡。

 

 

修道院跡内部の見学

そんな修道院跡に進んで行きます。入口はこちらの狭い場所から入って行きます。

 

ポルトガルのトマール地区にある「トマールのキリスト修道院」の入口の上にあった、テンプル騎士団のマーク

そんな入口にはキリスト騎士団のマークが見えます。

 

修道院内に入って行きますが、さっきまで沢山見えていた他の日本人団体の姿が見えません。後で聞いたらそれぞれ日本人団体グループの現地ガイドさん達が事前に打ち合わせしていて、混雑しないようにと見学する場所をズラしてくれていたようです。我々含むグループが全て同じ現地手配会社ならではの配慮でした。

 

まず建物に入って見えたのはこちらの”墓の回廊”と呼ばれる間。

 

テンプル騎士団の後を受けたキリスト騎士団の騎士や修道士のお墓があった所だという。それとあの大航海時代の英雄であるヴァスコ・ダ・ガマの兄弟のお墓もあるという。

 

そんな回廊の壁には勿論アズレージョが張られている。16世紀頃に増築して造られたようだ。

 

キリスト騎士団の前身であったテンプル騎士団は所有していた莫大な資産を狙われて最終的には廃止されてしまったけど、ポルトガルのレコンキスタに尽力したテンプル騎士団はポルトガル王国の後押しを受けてキリスト騎士団へと生まれ変わるのである。

 

キリスト教の聖地を護る為に結成されたテンプル騎士団だったけど、参加した中には修道士も居て、彼らは戦闘には積極的に参加せずその代わりに資産運用を任される。

 

そんなテンプル騎士団の武勲に対してヨーロッパ各地で入会者や土地を寄付するものが増えて、テンプル騎士団の資産も徐々に増えていく。元々は武力集団であったが途中からは寄付された土地に葡萄を栽培し、それからワインを造ったりしてそれを販売し富を築いていく。

 

そして入会時に騎士団の高潔な誓いを立てる儀式があるが、それが一般には秘密にされていた。これがテンプル騎士団が今の時代でも神秘的であり、かつ多くの謎を持つ集団として捉えられている所以でもあるという。

 

墓の回廊から眺める景色 動画

 

隣にあった「沐浴の回廊」を眺めた後は再び墓の回廊に戻ってきます。

 

ここではオレンジのような木が植えられていました。その木には大きな実が実っていましたね。

 

こちらから見える建物がこの修道院内でも一番の名所でもある、16角形の円堂である。一説にはエルサレムにある聖墳墓教会をモデルにして建てられたという。

 

 

そんな回廊の真ん中には、添乗員さん曰く「何かの植物が植えられています!」とだけ説明がある・・・。

 

こちらの鉄格子が見える部屋の手前にはラテン語が彫られたお墓がある。これがあのヴァスコ・ダ・ガマの実の兄弟が入れられたお墓だという。

 

さっきまで大勢いた日本人団体が見えなくなり、ボクらの団体だけしか居なかったのでちょっと奇妙な感じにも思えた瞬間。でもこれは現地ガイドさん達の気遣いだったのですが。。

 

アズレージョが綺麗な建物を進んで行きます。

 

騎士団って言うと、もっと甲冑を着て剣を持ったイメージがあるけど、ここではそんな闘いに明け暮れた騎士団の雰囲気は全然無かった。

 

ここでチケットを現地ガイドさんから手渡されます。これから先に入るにはチケットが各自必要との事で、1人ずつチケットを貰い先に進みます。

 

こちらがチケット、現地会社であるミキトラベル社の名前が入っています。JTBで行こうが阪急交通社で行こうが結局は両方とも同じ現地会社である、このミキトラベル社に委託しているのであるが。。

 

こちらの扉の先に係員が居るので、その人にチケットを提示します。

 

 

テンプル騎士団の聖堂にて

こちらがテンプル騎士団がいつも戦いに行く前に祈りを捧げていた聖堂である。

 

現地ガイドさんの配慮もあって、一番乗りで来た為に我々以外の観光客の姿は一切見えなくて独占出来た!

 

ご覧のように普通の大聖堂には見られない、円形の建物になっている。

 

聖堂内の景色 動画

 

16角形の円堂の中に、更に円堂がある。その内側にも色んな使徒の像が設置されている。

 

そして特徴的なのが、これらの出入り口の天井が高い所である。それは馬に乗った騎士が祈りを捧げた後に、直ぐに出陣できるように馬に乗ったままここで祈りを捧げる事ができるように造られたのである。

 

それ以外は普通の聖堂や教会にもあるように、壁にはキリストの逸話や聖人の彫刻が飾られている。

 

確かキリストの教えでは「隣人を愛しなさい!」とか「汝、殺すなかれ」というのがあったと思うけど、聖地エルサレムを奪還するのに組織された十字軍は多くのイスラム教徒を惨殺したという。尊い思想を唱えたキリストの想いは、残念ながら後世の人々には伝わらなかったようだ。。

 

ご覧のように馬に乗っても全然頭を打ちそうにないような位に高く造られている。

 

中世の頃もエゴと金まみれの欲望に溢れていたと思われる。そしてローマカトリックもキリストの教えには関係なく、自分達の都合で好きに世界を変えてきたのである。

 

ご覧のように、背が高い回廊だったので馬に乗りながら馬と一緒にお祈りしていたのだろう。個人的には馬に乗る前に祈った方が良かったのではと思っちゃうけども。。

 

テンプル騎士団は14世紀初頭にフランス王のフィリップ4世に財産を没収される事になるが、その前にもう1つの当時を代表する聖ヨハネ騎士団にその資産の大半を移していた。なのでフィリップ4世は思った程の資産を手に入れる事が出来なかったという。

 

かたや聖ヨハネ騎士団はその後ロドス島に拠点を置いた為に「ロドス騎士団」と呼ばれる事になる。そして16世紀初めにオスマン帝国のスレイマン1世の大軍による攻撃で、ロドス島を撤退しシチリア島に逃げていくのである。

 

本拠地を失ったロドス騎士団はその後ローマ教皇や神聖ローマ帝国の後ろ盾もあって、マルタ島をほぼ無償で借りる事となり本拠地を構える事になる。そして「マルタ騎士団」となり、オスマン帝国の攻勢を何とか防いだ。ちなみにこの時活躍した騎士団総長ジャン・ド・ラ・ヴァレット(Jean Parisot de Valette)の名前から、マルタの首都バレッタの名前が付けられたという。

 

ちなみにそんなマルタ騎士団は今でも存在してはいるけども、マルタ島を訪れたはそんな騎士団の姿はお土産屋さん以外で見かける事はなかった・・・。そんなマルタ騎士団だけど、実は今の時代としては考えられない事であるがマルタ島周辺で海賊行為を行っていて、捕らえたイスラム教徒やユダヤ人などを人身売買していたという。。

 

聖堂内の円堂の景色 動画

 

西ヨーロッパの国々から多くの支援を受けていたテンプル騎士団は、ヨーロッパ全土に拠点を造っていた。ローマ教皇により一切の税金を控除され、自分達で資産運用を行い、自前の戦艦を所有するまでになった裕福な騎士団。ただそんな商業活動を妬む他の修道士や商人たちの反感を買うようになるのである。

 

そんな当時の社会情勢もあって、キリストの教えを破ったとしてフランス王フィリップ4世に訴えられた後もテンプル騎士団の主張が認められずに18世紀になるまで人々はそんな有罪判決を信じ込んでいたという。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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