サン・ジョルジェ城からリスボン市内を見下ろす景色もこれまた最高!-ポルトガル旅行記59

ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

サン・ジョルジェ城からの眺め

さて皆さん「ボア・タルデ!(Boa Tarde)」・・・・ポルトガル語で「こんにちわ」という挨拶の言葉です。主に日中に使われる挨拶で、朝の「おはよう」や夜の「こんばんわ」はまた別になります。

それと気軽な挨拶は「オラ!(Olá)」で日本語にすると「やあ!」的な感じで、お店とかに入った時に店員さんに挨拶するのに向いている言葉です。ちなみにオラはスペイン語圏でも同じ意味で通用するので、イベリア半島では便利な挨拶なので覚えといた方がいいし覚えやすい言葉でもある。

 

リスボン市内にて

さて今日は午前中にリスボン市内の世界遺産を見学した後は、午後からフリータイム。という事で高い所好きのボクはサン・ジョルジェ城(Castelo de São Jorge)にやって来ました。大人は10ユーロと昔に比べればだいぶ値上がりしているそうです。

 

入城チケット販売所はちょっと列が出来ていたが、すんなりと列は進んで行ったので特に長蛇の列って訳でもなかった。

 

 

サン・ジョルジェ城の見学

こちらがサン・ジョルジェ城のチケット、ご覧の通り10€と表示が入っている。

 

 

【サン・ジョルジェ城(Castelo de S. Jorge)】

住所:R. de Santa Cruz do Castelo, 1100-129 Lisboa, ポルトガル
【サン・ジョルジェ城の営業時間】※2020年1月時点
夏場:3月~10月    9時00分~21時00分
冬場:11月~2月    9時00分~18時00分

 

サン・ジョルジェ城内の敷地に入ると、まず目に入ってくるのはリスボンの街などの景色。この場所は一応城を見に来る場所だと思うけど、実際にはリスボンの街などを眺めている時間の方が長いのかもしれない。

 

たぶんこのサン・ジョルジェ城に入ると、まず先に直進しこの崖からリスボンの街並みを眺めると思う。やっぱり海や川があるだけで、その街の景色の素晴らしさは最低1.5倍増しになると思う。

 

今回はリスボンの街からテージョ川の対岸に渡る時間が無かったので、向こう側に行けなかったけどリオ・デ・ジャネイロにある大きなキリスト像を真似て造ったキリスト像があるようなので、もし次回リスボンに行ける機会があれば行ってみたい。ちなみにその大きなキリスト像は写真右上辺りに、塔のように小さく見えている。

 

一応昔のお城を見に来た訳だけど、もうここからの景色を眺めただけで充分に満足したような気分になる場所。

 

サン・ジョルジェ城からリスボンの街を眺める 動画

 

この城の歴史は古代ローマ帝国時代に遡る。川沿いの高台にあり、テージョ川を見下ろせる要所だったのでそのローマ帝国時代よりもっと前のカルタゴ人やフェニキア人の時代から何かしらの要塞が造られていたと考えられている。

 

この城の名前は14世紀に当時ポルトガル国王のジョアン1世が、フィリパ王妃の出身地であるイングランドの守護聖人であった“聖ゲオルギオス(Georgios)”に捧げた名前を付けた。聖ゲオルギオスは英語読みだと”聖ジョージ(George)”と呼ばれていて、イングランドやモスクワの守護聖人となっている。また国以外でも兵士や農民や旅行者の守護聖人ともなっている。

 

 

このブログをお読みいただいている読者にはすっかり覚えてしまったかもしれないけど、このジョアン1世とフィリパ王妃と言えば、シントラ王宮の”カササギの間”事件が有名な夫妻である。

 

 

さっきまではサン・ジュスタのエレベーターの展望台からこのお城を眺めていたが、今は逆にサン・ジュスタのエレベーター方面を眺める。

 

今日の朝は雨降りだったけど、途中から快晴になってきて暑くなってきた。というのも冷えるかなと思って1枚余計に着てしまっていたので、それが誤算だった。「脱ぐと邪魔になるし、脱がないと暑いし・・・」といった感じで。。

 

 

このサン・ジョルジェ城でちょっと変わっていたのが、お城の中なのに普通に露店でワインを販売していた。というのもこのサン・ジョルジェ城は中世以前のお城で、近年は廃城されていたので、そこまでお城自体見る物が無いのだ。

だからそれよりもリスボンの街並みを眺める時間の方が多いので、それをリラックスして過ごせるようにワインを販売していたのかもしれない。

 

城内の敷地には一応大砲が置かれているけど、ポルトガルは第二次世界大戦では中立の立場を取っていたので、戦火に巻き込まれる事は無く街が破壊されるという惨劇は切り抜けたのである。

 

サン・ジョルジェ城からの眺め 動画

 

お城で再び合流した”自称後期高齢者オジサン”軍団に参加していた、こちらの奥様は一時海外で暮らしていたそうなので、結構ハッキリとした物言いが面白かった。

けど日本人という人種はあまりそういうタイプの人は受け入れ難いらしく、昔の人になればなる程に拒絶反応が出る傾向にあるようだ。でもボクは自分もハッキリと物を言う(ハッキリというより正直に言う)タイプなので、こちらの奥様とは喋っていてもとても楽しかったが。

 

流石にサン・ジョルジェ城の壁には登れなかったけど、ちょっと寄りかかって記念写真を撮ると、知らぬ間に”メルハバおっちゃん”がカットインしていた。チョコチョコお茶目な面が出てくるオジサンである。

 

何回かこういったパックツアーを利用すると、そのツアー内で出会った人と仲良くなって一緒に旅行に行ったりするみたい。ボクはあまり旅後に再会するケースは少ないけど、やっぱりツアー参加回数が増えるに従ってそういう再会する機会は増えてきた。

 


今年再会した旅行仲間のオジサン

こちらはこのポルトガル旅行後に”バリ島オジサン”とタイに行った時の写真。

という事でポルトガル旅行記が終われば、次回はタイ旅行記となります!

 

今年再会した旅行仲間の若手コンビ

こちらは2月にヨルダン&イスラエル旅行で出会った若手コンビと、自分達で焼くタコ焼きを食べに行った時の写真である。

 

今年再会した旅行仲間の吞兵衛コンビ

こちらは去年11月に再会した、吞んべえ衛2人組 であるモロッコ旅で出会った”や~だ~♡姫”&”メグちゃん”コンビ。2人共のベロベロに酔っ払ってしまい、大変な事になった思い出が・・・。

ツアーで知り合った人達とは大半がその旅行の時だけで終わってしまうけど、こうやって再会するとまた違った面とかを知る事が出来たりととても楽しい!


 

こちらの城壁の窪みはベンチのようになっていて、そこで腰掛けてワインを飲む人の姿も見える。あまりこういった遺跡とかでワインのボトルごと飲んでいる姿を見かけないけど、これがポルトガルのいい所なのかもしれない。

 

こちらの置かれていた大砲の上に乗って記念撮影する奥様。ただこちらの大砲はあくまでも飾りとして置かれているような感じに受ける。

 

大砲の真ん前に座って、素晴らしい景色よりもスマホを眺める女のコ。

もしこの大砲が発射されたら死ぬ程驚くだろうな・・・と妄想。。

 

このサン・ジョルジェ城の城壁の向こうは崖になっているので、調子乗って城壁に登っていると落ちる可能性がある。

落ちると最低は大怪我をする可能性が大なので、どうしても登って写真を撮りたい方は自己責任という事でお願いできればと思いますorz。

 

ローマ帝国時代に要塞が建てられたサン・ジョルジェ城は、その後イベリア半島を支配したイスラム系ベルベル人やレコンキスタでイスラム勢を追い出したポルトガル王国などと支配者を変えていく。

ジョアン1世が今の名前を付ける前はアルカソヴァ城(Alcáçova)と呼ばれていて、その時代は王宮として使われていたという。

 

しかしマヌエル1世の時代にテージョ川付近に新しい宮殿を造る計画が出てきて、元々王宮として使われていたサン・ジョルジェ城の存在意義は少なくなっていき、度重なる地震の影響で建物が破損していき、仕舞には廃城される事になる。

 

そんなサン・ジョルジェ城で、今日は何回も写真を撮って頂いた”自称後期高齢者オジサン”と記念写真。ただダイソーで購入した三脚は足が短いので、全然リスボンの街並みは背景に入っておらず、リスボンの青空だけ入っていたが。。

 

ポルトガルに旅行に行った人の話を聞くと、結構な確率で「とても良かったよ!また行きたい!」って声を聞く。確かに今回来てみると気候は温暖だし、レトロだけど古さよりもお洒落で可愛らしい街並みが多く、雑貨品とかも可愛いし、人々も陽気なのでまた再訪したいという想いを抱いた国だった。

 

さてここからの景色を見ているだけで充分満足したけど、奥には城があるとの事でそちらに向かう事にする。

 

こちらには裸体を晒す女性の像が置かれていた。この時は素晴らしい景色に夢中になってすっかり忘れていたけど、ボクの個人的な”ひたすら歩きのリスボン街歩きツアー”の参加者4人をほったらかしてしまっていた・・・。

 

まあ個人的なツアーというよりかは、ボクが行きたい所に付いてくる人達という感じだったし。だからボクも興味があればジ~~っと見るし、興味が無くなれば次に行くしと、後は他の人達がそれに付いて来れるかだけなので。

 

 

お城跡に入城し見学

そしてこちらが昔中世の頃に王宮として使われていたお城跡。争いが多かった中世の時代は、このような高台にお城や要塞を構えている事は防衛面でとても重要だったが、争いの少ない時代には”住みにくい場所”となってしまったので、お城と言えども廃墟と化す場合が多い。

 

こちらのお城も利用価値が下がって行き、一時は王様の住む王宮であったにも関わらず、後世の時代には囚人が入れられた牢屋として使われる時代もあったそうだ。強固な要塞は強固な刑務所に変化し易いようだ。。

 

さてお城跡には何かあるのかと楽しみな気持ちを持って、こちらの入口から入って行きます。

 

城壁に囲まれたお城の中に進んできたものの、特に木以外は建物などは見当たらない・・。後世の時代には廃城されただけあって、何にも無いみたい。。

 

ただ城壁の上に登れそうなので、一応上がってみる。それにしても結構高い城壁である。

 

この階段は観光客が多いだけあって、ちゃんと手すりが設置されています。手すりというよりかは落下防止の柵的な感じでしょうか?!

 

ここからもリスボン市内の街並みが見下ろせます。リスボンの街は平らな街ではなく、中央が凹んでいるようにも感じる土地なので、その凸凹感が何ともいい雰囲気を出しているように感じる。

 

外側の城壁にはこのような通路が付いている。右側は外なので簡単には落ちないけど、左側の内側にはバランスを崩すと落ちる可能性がある。先程も見えたようにこの内側でも落ちると、下まで7~8m程は落下するので注意が必要である。

 

リスボンの地震というと”1755年のリスボン大震災”が有名だけど、その前後にも多くの地震に見舞われているリスボン。テージョ川に沿って活断層が伸びているらしいけど、そんなに多く地震が発生する街だけどこれだけの人達が住みたい街でもあるのだ。

 

ポルトガル首都のリスボンはヨーロッパ最大の規模である港がある影響もあり、国内GDPの約45%程を占めている名実ともに国内トップの街である。

 

こちらは避雷針である。昔人々は天に憧れて、空高く伸びる高い建物を造ってきたけど、ことごとく落雷による火災で焼失してきた。

 

”1755年のリスボン大震災”で多くの人々が亡くなった時にカトリックの教会は「それは神が与えた、人間への罰である」と考えたが、「リスボン市民にはそんな殺される罪は無い」と考えた当時の宰相ポンバル侯爵はその後起こった王族暗殺未遂事件に関係のあった貴族を一掃する際に、彼らに関与したとしてイエズス会もリスボンから追放するのである。

 

 

多くの人命が奪われる悲劇は、人類の転換期である。中世のヨーロッパというとキリスト教全盛期で、何でもかんでも「神さまの思し召し」で解釈してきたけど、それはただ単に目の前の事態から目を反らして来ただけなのかもしれない。

有能だった宰相ポンバル侯爵はそんなキリスト教の考えでは納得せずに、理論的に悲劇を繰り返さないようにと奮闘したのである。そしてその後名立たる貴族も排除して独裁政権を築いたポンバル侯爵であるが、その後の政策は空回りし彼を気に入っていた国王ジョゼ1世が亡くなった年に次期国王に解任されるのである。

 

城から眺める景色 動画

 

政治もそうやって見ると難しいもので、一時期は良くても長年権力者の椅子に座っていると、段々と考え方が偏って行くのだろう。そういう意味ではアメリカ合衆国の大統領みたいに、最長でも8年任期とかの縛りを付けといた方がいいのかもしれない。

 

アジア人のカップルはそうでもないけど、ヨーロッパ系カップルはこういった大勢の人が訪れる場所でも平気でチュッチュしたりするのである。でもそれがヨーロッパ人らしさなのかもしれないが。。

 

ロマネスク様式のシンプルな構造の要塞って言った方が似合いそうなサン・ジョルジェ城跡。

それにしても銃眼が細すぎるような気がするけど・・・

 

ここを観光していると、所々に水溜りが出来ていた。今日の朝まで雨が降っていたけど、この頃にはすっかり青空となって気にしていなかったけど、日陰の部分はさすがにまだ雨が蒸発していなかった。

 

なので景色に見惚れながら歩いていたら、思いっ切り水溜りに足を突っ込んでしまい、靴がビシャビシャになってしまった・・・。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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