シントラ王宮で”カササギの間”や”船の間”などでも、天井を見上げながらの見学-ポルトガル旅行記41

ポルトガル旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

王宮内の天井画に隠されたもの

ここは15~19世紀までポルトガル王国時代の歴代国王達が王宮として住んでいた、シントラ王宮跡。歴代の国王達が自分達の好みに改造した、王宮内の部屋を見学中です。

 

シントラ王宮の見学

バルコニーに出てみると、その壁には幾何学模様のタイルが貼られている。こういうのを見ると、元々イスラム教徒たちが使っていた場所という感じを受ける。

 

このイベリア半島にはイスラム教徒が大勢暮らしていた時期があったけど、キリスト教徒による”レコンキスタ(国土回復運動)”によってヨーロッパ大陸から追い出されてしまった。イスラム教徒は居なくなったが、彼らの遺した文化は継承されていくのであった。

 

このレコンキスタで活躍したフランスの貴族が、今のポルトの街周辺の土地を与えられ、その貴族の子供が初代ポルトガル王になっていったのである。

 

 

”白鳥の間”にて

こちらは天井に27羽もの、それぞれに異なるポーズをした白鳥の天井画が描かれている部屋。ジョアン4世がイギリスに嫁ぐ娘に対して贈った部屋である。

 

”白鳥の間”の景色 動画

 

このベランダからは近くの山の上に建っているムーア人の要塞跡が見える。アソコから眺めるシントラの街の景色は素晴らしいみたいだけど、今日は午前中にナザレ・オビドスと観光し、これからまだロカ岬も行くのでシントラの街で観光できるのはこの王宮だけ・・・。

 

今のポルトガルを代表するアズレージョも、元々はイスラム教徒の文化から派生したもの。イスラム教の国で見かけるタイルの柄の多くは幾何学模様。だけど色使いは華やかであるが。

 

”カササギの間(The Magpie Room)”にて

そして次の間に入る。こちらの壁もアズレージョのタイルが生まれてくる前に、イスラム教徒が残していったタイル文化で飾られた部屋。

 

そしてこちらも先程の部屋と同じように、このような沢山の鳥が描かれている。

 

この部屋はジョアン1世の息子でポルトガル国王でもあったドゥアルテ1世が気に入って、ここで長い時間を過ごしていたという。

 

「The Magpie Room」という名前の部屋。このmagpie(マグパイ)とは、日本でいうカササギなどの”スズメ目カラス科”の鳥類をヨーロッパで表す言葉である。この部屋の名前は15世紀から残っているそうだ。

 

ではなんでマギパイ(日本でいうカササギ)の絵がこれだけ天井に描かれているのか?

それにはこんな話があるそうです!

ポルトガル国王がアヴィス家に変わった1385年から1433年に掛けて王位に座っていたジョアン1世(João Ⅰ)が、ある美しい今で言うメイドである女官の1人にキスをしてしまったという。その瞬間を王妃に見られてしまい、焦ったジョアン1世は「か、勘違いするな~~!あ、あれは善意(POR BEM)の心でキスしただけで、やましい気持ちなど全然ないんじゃ!」と弁解したそうな。。

 

ジョアン1世の王妃であったフィリパ・デ・レンカストレは、イングランド王子の娘として政略結婚させられたが、彼女は教養が深く、かつイングランド伝統の騎士道精神も備えていたのでそんな夫の過ちを許してあげる事が出来る寛大な王妃であった。

ちなみにジョアン1世の子供には、ドゥアルテ1世以外にもエンリケ航海王子など他にも活躍した人物がいる。それだけ子供が優秀だったのは、このフィリパ王妃の存在があったからだという。

 

マギパイ カササギ シントラ王宮

話は戻るが、ジョアン1世の過ちを許したフィリパ王妃だったが、ドアの傍で聞いていた女官達がその話を噂話として王宮中の女官達に広げてしまった。そこで自分の立場を公に弁解する為に、ヨーロッパでは”おしゃべりの象徴”ともされているカササギをこの王宮内にいる女官の人数分、描かせたという。その数は136羽とも言われている。

そんなカササギの口には「POR BEM(善意)」という文字が咥えられている。自分の弁解目的で天井画にまでして王妃にアピールしたが、逆にこれを作らせた事によって約500年以上に渡って”ジョアン1世のキス問題”が歴史に残る事になるのである。。

 

こういう話を聞くと旦那が他の女性と2人で居ただけで浮気だと思い嫉妬する妻ではダメで、このような寛容な妻の方が総合的な面で素晴らしい人生を築けるのかもしれない。

今後の参考にさせて頂きます!

 

こちらの大きな絨毯は、ボロボロになるまで使い込まれたというような感じに見える。絨毯は使えば使う程に味が出てきて、絨毯として良くなっていくと聞いていたけど、ここまで使われていれば相当である。

 

 

セバスチャン王の寝室にて

昔の王様の寝室だった、こちらの部屋には天蓋付きのベッドが置かれている。

 

それぞれの部屋にこのような説明パネルが置かれていたので、親切なシントラ王宮。後で見ると絶対忘れてしまうので、こういったパネルもちゃんと写真に撮っておく必要がある。

 

こちらの部屋のタイルはまたちょっと違った感じで、葉っぱになっている。

 

歴代のポルトガル国王もジョアン〇世だの、アフォンソ〇世だの、ペドロ〇世だのと同じような名前が多いので誰が誰だか全然覚えられない・・・。ちなみにこちらの部屋はセバスティアン1世(Sebastião Ⅰ)が住んでいたそうだ。

 

こちらにもボロボロに使いこまれた椅子が置かれている。それと共に地球儀のようにも見える、黄金ボールも飾られていた。昔は黄金の装飾が沢山あったらしく、別名”黄金の間”とも呼ばれていたそうな。

 

こうやって王宮を見学すると、当時の庶民には立ち入りさえ出来なかった場所に入れている訳で、そんな場所で王様も人の子だったというエピソードなどを知れる良い機会である。

 

”人魚の間(mermaid room)”にて

こちらは中に入る事が出来ない部屋で、その名は”人魚の間(mermaid room)”

 

この部屋にはジョアン1世の衣服や宝石や私物などが保管されていた、コレクション・ルーム。

 

だからあまり広い部屋ではないようだ。そして何故ここが”人魚の間”と呼ばれているかと言えば、ここの天井にも人魚の絵が描かれていたから。ちなみにその人魚の天井画には全然気が付かなくて写真を撮れず・・・orz

 

王様の私物となると豪華な物が沢山あったのだろう。そんな私物が入れられていたと思われる、レトロな棚である。

 

 

”カエサルの間”にて

こちらの部屋は”カエサルの間(Julius Caesar Room)”と呼ばれている。ローマ時代の政治家であり軍人でもあったガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)が描かれた、大きなタペストリー(絨毯)が展示されている。

ジュリアス・シーザー(英語読み)とも呼ばれるカエサルは、「ブルータス、お前もか ?」(et tu, Brute)や「賽は投げられた」(alea iacta est)という名文句でも有名な人物でもある。

 

16世紀以降、この部屋に付けられた名前だそうだ。ポルトガル国王の誰かがシーザーを好きだったのか、それとも贈り物でこのシーザーのタペストリーを貰って飾っているだけなのか?!

 

部屋と部屋との間の通路がこのような形になっていると、イスラムの影響を受けている建物である事が分かる。

 

そんな通路の先で、どこから見た事のある”子供入りのリックサック”だと思っていたら、さっきシントラの街を散策している時に見かけたパパさんの姿であった。

 

ここでちょっと屋外の通路に進む。雨が降っていたら、通りにくい通路である。

 

古代ギリシャのアルカイック・スマイルを彷彿とさせるような顔をしていた、こちらの噴水像。

 

”ガレー船の間”にて

続いてやって来たのは”ガレー船の間”とも呼ばれる部屋。お察しの通り、こちらも天井に描かれている絵の名前が部屋に付けられているのである。

 

こちらの部屋には王宮のコレクションが並べられている。こちらはクネクネしたロープをイメージしたものが入れられているので、マヌエル様式の壺かも。

 

大航海の時代には船上で飲み水代わりに、腐敗しないワインを積み込んでいた。しかし当時の航海では壊血病に罹る者が多く、その病気の原因も判明していなかったので、多くの航海士の命が壊血病によって奪われていったのである。

 

壁には歴代ポルトガル国王や王妃様の肖像画が飾られている。

 

こちらのお皿はきめ細かい装飾が施されているのが分かる。

 

こちらの通路の隅っこに置かれている、木製の物は嫁入り道具が入れられていた箱。普通にその辺に置かれていたら、絶対みんなベンチだと思ってこの箱の上に座るだろう。。

 

今の時代では殆ど聞かなくなったけど、昔は嫁入り道具というものがあって、嫁ぐ際はそれをわざわざこのような箱に詰めて持って行っていたのである。

 

そろそろ王宮内の見学に飽きてきたのか、ベランダから外の街の景色を眺める”メルハバおっちゃん”。あまりこういった歴史的な物に対して、興味がないような印象に見えたけど・・・。

 

でも確かに天気のいい日は薄っすらとした陰気な室内にいるよりも、ベランダに出て太陽の光と心地よい風を浴びている方がよっぽど気分いいのである。

 

王宮のベランダから見る景色 動画

 

そして部屋の名前にもなっている天井画を眺める。確かにここの部屋の名前にもなっているように、船が海に浮かんでいる様子が描かれている。

 

先程までの部屋と違って、ここの天井は湾曲していて平面ではない。

 

天井を見上げると、水族館で水の下から見上げているような景色にも見えなくはないような感じ。もしかしたらこのような絵を描く為に、平面ではなく湾曲した船底のような天井にしたのかもしれない。

 

それとここで描かれている船には、それぞれに海外の国旗が付いている。

 

こちらの旗はトルコっぽい。ただイスラム圏の国で、チュニジアなど似たような国旗があるので間違わないように。。

 

そろそろ天井を見上げ過ぎて、首が痛くなる頃合い。。

 

こちらの肖像画の人物はセバスティアン1世かな? 先代国王が費用が掛かり過ぎるからとモロッコの領土を手放したのを取り戻そうとし、歳入の半分ほどの莫大な費用を掛けて再びモロッコに侵略し、1578年に”アルカセル・キビールの戦い”(Batalha de Alcácer-Quibir)でイスラム軍勢と闘ったポルトガル軍は大敗を喫してセバスティアン1世は戦死したという。

彼は独身だったので跡取りが居らず、その後を継いだ摂政だったエンリケ1世も枢機卿になっていて跡継ぎを作る事が出来ずに死去する。モロッコでの大敗時に戦争に出向いていたポルトガル貴族達が捕虜となり、貴族解放に莫大な釈放金などを払って財政的にも弱っていたポルトガル王国は、スペインのハプスブルク家に支配される事になるのである。

 

そう思うと国を繋げていく為には、子供を作るという事がとても重要であると実感するのである。。

こんな旅はまた次回に続きます!

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