【神話の国ギリシャとエーゲ海クルーズツアー】3日
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】
アテネへ移動
トリカラの街を出て、本日宿泊するアテネまで約4時間という長時間をかけてバスで移動します。
その途中に映画「300(スリーハンドレット)」の題材となったペルシャ戦争で”レオニダス王”率いるスパルタ軍が散った「テルモピュライの戦い」跡に寄り道します。
その前にサービスエリアでトイレ休憩です。
サービスエリアでトイレ休憩!
昨日も途中来た事のあるサービスエリアに到着。
昨日来たばかりなので、まだ記憶のある店内。こちらの店員のオバサンの微妙な”やる気”も覚えていた。
誰もアルコール類は購入していなかった。。そこまでのアル中はツアー参加者にはいなかった。
女性の皆さまはどうもジュースが飲みたいご様子。
添乗員さんが曰く「ザクロジュースは生搾りで濃厚なお味で美味しい!」との事。
こちらにはザクロが籠の中に山盛りに置かれている。
1杯3€程のザクロジュースは女性陣に大人気でした!
「美味しい!」 と皆さま嬉しそうな顔をされていましたね。
移動中のバスからの景色 動画
テルモピュライの戦い跡地
アテネに向かう途中にまたも寄り道。ここにはペルシャ戦争で約20万人と言われるペルシャ軍を相手に獅子奮迅の闘いをたった300人で挑み、全員が討ち死にした彼らスパルタ軍のお墓が飾られている。
その中でもスパルタ軍を率いた「レオニダス王」の銅像が中央に飾られている。
ジャック・ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)作
『テルモピュライの戦いでのレオニダス』
今でも「スパルタ教育」などの語源となっているスパルタ軍の王様「レオニダス」。映画を見ると、その迫力に感動する。
当時のスパルタ軍は体には防具は付けていなかったそうです。「鋼と同じくらいまで鍛え上げれば、防具など不要」という考えだったとか。。
当時のスパルタは子供が生まれた時点で選別されます。虚弱体質や奇形の子供が生まれたら「予後不良」として崖から落として抹殺していたそうです。
彼らから今の日本社会を見ると最近よく問題になっている「イジメ」などは「それに負ける位なら死んで当然」という感じなのでしょうか。まだいじめられるだけマシとでも言うのでしょうか?
そんなスパルタに生まれた男子は7歳で親から引き離されて、30歳になるまで格闘施設に入れられひたすら訓練・鍛錬を積みます。結婚も30歳を過ぎて、そこから出れた後にしかできなかったそうです。
ちなみに13歳で「成人の儀」という儀式があり、短剣1本だけ渡されて外の世界に追放されます。そして1年間を生き抜くという過酷な”しきたり”があったようです。
今の日本の現代人には想像もつかない世界だったようです。。
その脇には仲間たちも像もある、しかし下半身は剥きだし・・・。
今のスパルタの地にもレオニダス王の銅像があるみたい。
長い槍と大きな盾を持ち「ファランクス(密集歩兵部隊)」と言われた当時の戦法。盾は弓矢を防ぐ為に必要な防具であったみたい。
この鍛え上げられた肉体こそ、武器であり防具でもあったのか。。
像の向かいには高い山がある。この山を迂回するのにこの狭い平坦な道を通らざるを得なく、昔からここでは幾度もの闘いの場になってきたようだ。
そんなレオニダス王の銅像と記念写真を撮る面々。ただ後ろに電線の柱が並んでいて、あんまり景観は良くなかったが・・・。
紀元前480年頃に壮絶な最後を遂げたレオニダス王。ペルシャ戦争の前にデルフィに行き「アポロン神託」を受けると「王が死ぬか、国が滅びるか」という神託が下ったとされる。
そこまで言われると覚悟を決めるしか、無いですよね・・・。
そんな英雄の前で記念撮影する男。
その時代に生まれていたら”確実に”抹殺されていただろうな・・・。
レオニダス王がこれを見たら、何て言うだろうか??
こんな感じでしょうかね?!
約2500年前の闘いが未だに語り継がれている。それだけ過酷な闘いであったという事の裏返しか。
再びバスでアテネに向かう
スパルタの王、レオニダスに敬意を払って銅像を拝んだ後は再びバスに乗り込みアテネの街に向かう事に。
移動中のバスからの景色 動画2
バスは高速道路をかっ飛ばして行きます。。それでもだいぶ時間が掛かるので道中は眠りの世界に寄り道します・・・。
この続きはまた次回!
↓↓ギリシャ旅行記:初回↓↓
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