バルト三国旅行記:3日目
阪急交通社ツアー「バルト3国周遊 8日間」-2019年12月17~24日
夕陽と共に眺める3つの十字架
ここはリトアニアの首都ヴィリニュスの街。杉原千畝の記念碑が設置されている桜公園での見学を終えて再びバスに乗り込み、次の目的地に移動します。
聖ペテロ・パウロ教会の見学
こちらはヴィリニュス郊外にある「聖ペテロ・パウロ教会」という、17世紀に造られた教会でその内部にある実に2,000個を超えるという彫刻の素晴らしさが特徴的な教会だという。
これらの看板は1993年にこの地を訪問した当時の教皇ヨハネ・パウロ2世の、その時の写真である。彼は先月旅行したポーランドで、ポーランド人初のローマ教皇でしたね。
約300年以上の歴史を持つ、ローマカトリックの教会である。
ここの教会は入場料は無料との事。
ただし写真撮影をする人はここで1ユーロの寄付が必要との事。寄付ボックスに1ユーロを入れるとこちらの女性がパンフレットをくれますが、寄付しない人で写真撮影をしている人などは気にする仕草はありませんでした。あくまで心付けって感じでした。
聖ペテロ・パウロ教会の内部見学へ
教会内は高い天井になっており、内部は白い漆喰で覆われている。天井のドームは第二次世界大戦時に損傷を受けたが、その後修復されて現状に至る。
ご覧のように壁には細かい彫刻作品が数多く造られており、内装は約30年も掛けて仕上げられたそうだ。
アーチの左側には災害の神である「聖バルバラ」。ヨーロッパに行き出すと、少しずつキリスト教の聖人を覚えてくる。前回のポーランド旅行時に世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑の地下に、この聖バルバラの像が置かれていたので、その時の印象が強く残っていて覚えていた。右側は「聖カタリナ」で、エカテリナとも呼ばれて多くの分野での守護聖人とされている。
こちらの聖母マリアのような像は、色付けがされている。
教会内は説明にあったように、細かい多数の彫刻が至る所にあり、すべて顔が違ったりしていてとても芸が細かい。
こういった細かく時間の掛かったハズの作業だっただろうと想像していると、それだけ時間を捧げた人達の宗教への信仰心が表れているように見える。
天井からは怪しげな船のようなものが吊り下げられている。先端には釣り針のようなものも付いている。。
こちらの間には旧約聖書に出てくる4人の預言者(ダニエル・エレミヤ・イザヤ・エリヤ)の像が置かれてあり、その中央には聖ペテロと聖パウロが引き離される絵が飾られている。
こちらのライトアップされている天井にも沢山の彫刻がなされている。しかし間直に見ないと、どういったものかは分かりにくいけど・・・。劇場などで使うオペラグラスのような双眼鏡が必要かもしれない。。
こちらはそれぞれ自由に飛び交う天使の彫刻などが、盛り沢山にある。
こちらの教会にも重厚な感じで白く塗られたパイプオルガンが置かれていた。
しかし中世のヨーロッパ人達にとって、全てのお金はキリスト教の為に捧げるような感じだったようにも受けるし、それだけ当時の人達にはかけがえのない存在だったキリスト教。
こちらには大きな鎌を持った骸骨の王様の像。こちらは権力者であっても平等に死は訪れるという意味合いで造られたもののようだ。後で行くエストニアのタリンで見られた「死のダンス」の絵も同じ意味合いで作られたもの。
こちらの子供を抱えている像の頭頂部を見ると、サビエルにしか見えないような・・・。
こちらの顔はリガの街でよく見かけたユーゲントシュティール様式の建物にあったような顔?!
ドームの内側にもビッシリと彫刻が刻まれていて、何とも感嘆しか出ない・・。
ただし数が多過ぎて、全部の説明や覚えきれない位の彫刻。
こちらは木の杖を突いたオジサンが赤ちゃんを抱えている。生まれたキリストを抱えて、逃亡するヨゼフなのかな?!
そんな聖ペテロ・パウロ教会前で記念撮影する、レッドソックス・赤ジャンパーを着る男。。
教会の見学を終えた後は再びバスに乗り込みます。
3つの十字架の丘にて
バスが到着したのは、ちょっと小高い丘のような山の上。
こんな先に何があるのだろうか??
その先には何かの観客席のような物が見えてくるが、これは目的の物ではないようでその目前を右に折れて曲がって進む。
後ろを振り返ると、ヴィリニュスの街が下に見える。という事はこの先を上に進めば、街を見下ろす景色が見えそうな予感が。
明らかに観客席があったけど、日常的に使われるものでも無さそうだ。
丸いグラウンドというか、何だろう?! 丸いグランドを使うスポーツって言われても、何も頭には思い浮かばない・・。
ここの先を上に登った場所に「3つの十字架の丘」と呼ばれる、十字架が飾られている場所があるみたい。
ここで少々階段を登ります。ただしそんなに段数は無いので、足腰が弱い方もあまり警戒しなくても登れるレベルだと思いますが。
そしてその山を登ると、まずは夕陽が目に入ってきた。
この時は15時45分だったけど、そろそろ太陽さんがお疲れで沈んで行く間際。夕陽と共に世界遺産のヴィリニュスの街を見下ろせる絶景スポットでもある。
ここに3本の十字架が設置されるようになったきっかけはというと、16世紀頃にこの地方に教会を建てたフランシスコ派修道士達が自分達の宗教を広める為に、元々地元民が崇拝していた異教徒の神々を侮辱したという。するとそれに激怒した住民たちが近くで起こった戦争の動乱の時に合わせて、14人のフランシスコ派の修道士達を7人は斬首にして、残り7人は十字架に貼り付けにしてから近くのネリス川に投げ込んで殺した。
その時に7人が斬首されたというこの丘に、その記念碑的な3つの十字架が設置されたという。そんな十字架は元々木で設置されていたが、木製で度々腐る度に十字架を取り換えていたそうだが、1869年に倒壊した後は当局が再建を認めなかった。その後1916年にコンクリート製の十字架が造られた。
ここからはゲディミナス城も見下ろせる場所。ただ荘厳なお城というよりかは、小高い丘の上に造られた砦みたいな感じにしか見えないけど・・・。
元々はキリスト教ではなく、昔からの多神教を信仰してきた地元民だが、リトアニア公国が出来た頃からキリスト教が普及し始める。
十字架のある丘から見下ろすヴィリニュスの街 動画
高い建物があまりないヴィリニュスの街では、唯一と言っていい位に街を見下ろせるスポット。
夕陽が沈むヴィリニュスの街へ向けて、何度もシャッターを切るツアー参加者さん達。でも今は殆どの人がスマホで撮影しているので”シャッターを切る”という表現は死語になっているが。。
20世紀に入りコンクリート製になった3つの十字架も、第二次世界大戦中に占領されたソ連によって1950年にこの十字架は破壊されてしまうのである。そしてその後1989年に再度再建されたもので、1916年に建てられたものよりも約1.8メートル程高い位置に造られたという。
十字架のある丘から見下ろすヴィリニュスの街 動画2
こういった殺された修道士の為に建てられた十字架だけど、キリスト教徒も自分達のエゴの宗教を異教徒に普及する際には、自分達の教えに従わない人達を殺したりする事も度々あった。なのでこれらの記念碑はあくまでキリスト教側から見た立場で造られたものである。もしナチスドイツが全世界を制覇して統一していたら、彼らの行った残虐な行為も正当化されていたかもしれない。
まあモニュメントというよりかは、ヴィリニュスの街を見下ろせる絶景スポットというイメージの方が強かった場所にも思うけど。。
バスに乗り、そんなフランシスコ派修道士達が流されたネリス川を横目に見ながら、再びヴィリニュス市街地を目指します。
まだ16時過ぎなのに、すっかり暗くなってきたヴィリニュスの街。ただし暗くなってきた方がヨーロッパの街並みは綺麗にライトアップされるので、それはそれで楽しみであるが。
こんな旅はまた次回に続きます!
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