夜のリスボン市内をひたすら散策し、街中に描かれる落書きアートを眺める-ポルトガル旅行記63

ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

夜のリスボンで落書きアート探し

さてリスボンの街もだんだんと暗くなってきました。満員だった市電28番の路面電車を強引に降りると、他の人達も沢山降りる姿が見えます。ここはカモンイス広場横の停車場でした。

 

 

リスボンの市内を散策

すっかり日は落ちて暗くなってきたリスボン市内。時間は17時50分頃で、ボクの後ろを付いてきた2人もそろそろお腹がだいぶ減ってきたようで、美味しそうなポルトガル料理屋さんを求めてリスボンの路地をウロつく事にします。

 

レストランを探すのも別にガイドブックやネットなどで評判がいい店をチョイスする訳ではなく、街を散策して自分の第一印象だけで決める訳ですが、これがいつもながら中々決まりません。。

 

そんなリスボン市内中心部の路地には、こちらの昔プロレスラーで一世風靡したデストロイヤーさんに似た”落書きアート”が描かれています。

というか落書きアートを越えたレベルにまで行っているような。。

 

 

この辺りの路地は薄暗いけど、経済状況があまり良くないポルトガルの闇の雰囲気が出ていそうに感じる。意外とこういう場所にレストランの名店があったりするんだけどね。。

 

ただ店の準備をしているレストランは多いけど、ガラス越しに店内を見てみると全然お客さんが入っていない。ポルトガルで夕食を食べるには、まだこの時間は早過ぎるみたい。

 

この路地は昼間サン・ロケ教会いに向かって歩いている時にも通りかかった場所。何か見覚えがあると思っていたら、やっぱり通った事のある通りだった。

 

そんな昼間は地面に設置されていた車止めが上がっていなかったけど、今の時刻ではそんな車止めが上がっていて車は通行できないようになっていた。そんな車止めに片足を載せて、ポーズをする”メルハバおっちゃん”。

 

「おっちゃんには負けてられない!じゃあボクは車止めの上に立つぞ~!」といった感じの男。。

 

 

まだ夕食には早かったからか、それとも怪しい日本人だったからか、レストランの前で客引きをしている現地のお兄さん達はボクらに全然声を掛けて来なかった。

 

それとボクが夜に居酒屋とかを探す時に、”駅や街中心部から反対方向へ進め”というポリシーを大事にしている。というのも日本では駅付近や街中心部にあるお店は家賃などが高くて、全国チェーン店のお店しかその辺りに店舗を構えれない。

 

でもボクはそんなマニュアル対応で数字しか見ない味気のないチェーン店よりも、個人が自分の雰囲気を出して営業しているお店の方が好きなのである。そういった店は家賃があまり高くない街外れなどに店を構える事が多いのである。

だからそんないい店を発見しようと思えば、街の中心部から離れた方向に歩くのがベストだと思っている!

 

ただしそんな風に居酒屋とかを探す時でも平気で1時間位街をウロウロしたりするので、気が長い友人とかとしてそんな事はできないのである。この時は後ろを付いて来ていた”我慢強い奥様”も流石に空腹だけには我慢できないみたいで、10分毎に「そろそろレストランに入りましょう!」と声を掛けてきた。

 

流石に普段あまり歩かない人が見知らぬ外国の街で約20,000歩歩いていると、空腹よりもお疲れが出ているのだろう。そんな声に「ハイハイっ!」って言いながら付近のレストランを探すけど、決め手が無くて店を決め切れずにドンドンと我々は進んで行く事になる・・・。

 

この時は特に何も思っていなかったけど、その付いてきていた”我慢強い奥様”の心境は、こんな落書きアートの感じだったのかもしれない。

 

こちらは”落書きアート”を通り越して、写真を貼った”貼り絵・落書きアート”として進化したものかもしれない。

 

”落書きアート”を眺めるのは楽しんだけども、このように意味不明な乱雑に描かれた落書きを見るのはあまり面白くない。せっかく自分達が住む街なんだから、街の雰囲気がもっと良くなるような落書きをすればいいのに。

 

通りを歩いているとファドのレストランを見かけるも、まだファドの演奏が始まるには早すぎる時間だったのでパス。。

 

バーみたいなお店は早くから開いていたけど、本格的なレストラン的なお店は全然やっていない。

 

そんな風にブラブラと街歩きして街中心部から反対方向に歩いて行っていると、段々とレストラン自体も少なくなってきた。

流石に”辛抱強い奥様”も「そろそろ何か食べたい!」という声が、一段と大きくなってきたような気がする。。

 

旧共産圏で昔の時代に造られたような雰囲気のある車が見える。ナンバープレートの「OH」という文字を見ると、日本野球界で最多ホームラン記録を持っている王貞治氏のユニフォームの名前を連想させる。

 

 

黄色く小さくコンパクトな車体は、ボクの好きなルパン三世が乗っていた車を連想させるけど、名作『カリオストロの城』でルパンが乗っていた車はこれじゃなくフィアットである。

 

 

だいたいどんな場所でも多少歩けばレストランがあるだろうと思って進んでいたけど、この辺りはアパートや住宅だらけで全然レストランが見当たらなくなってきた。

 

この辺りは静まり返っていたけど、実際にリスボンに住む人達が生活している場所である。

一般のパックツアーではこういった何も無い場所は訪れないけど、ボクの”ひたすら歩きのリスボン街歩きツアー”では逆にこんな何も無いような場所も通るのである!

 

ただ全然人通りは無く、こんな女子大学生と見られる3人組とすれ違う位。でもその分静かな街を散策出来ている。

 

このようにリスボンは”7つの丘がある街”とも呼ばれる所以が、こういった坂だらけの光景で理解できる。

 

こうやって歩いていたら、さすがに堪忍袋の緒が切れかけてきた”辛抱強い奥様”は空腹とお疲れで限界が近づいてきたみたい。早くレストランに入って休みたいという気持ちをこちらにぶつけてくるかのようだった。

 

そして裏道を歩いていたら、1軒の雰囲気の良さそうなポルトガル料理屋さんが見えてきた。店前の黒板にも「TRADITIONAL PORTUGUESE FOOD」と伝統的なポルトガル料理を出してくれそうな雰囲気だったので、相談しこの店に決める。

そして店に入ってみたら「まだレストランは準備中、開店するのは19時30分だよ!」と言われた。まだ開店まで1時間もあるので、さすがにここで待つわけにいかない。。

 

という事で再び歩きだす一行だが、”辛抱強い奥様”だけではなく寡黙だった”メルハバおっちゃん”からも「さすがに腹も減って疲れてきた!」との声が出てくる。

 

そんなお二人を「もう少しでレストラン、見つけたら入りますから!」となだめて再び歩くものの、意外とこの通りにレストランが見つからない。

 

下手な壁に落書きするよりかは、このような絵を壁に描いてある方が街の治安に対する印象も良くなるので、こういった絵を増やせばいいと思う。

 

すると甘そうなタルトのケーキなどがショーケースに入っているお店に反応する、空腹とお疲れが最高潮になってきた”辛抱強い奥様”。

甘い物を見て触覚がピクピクっと激しく動いているようだった。。

 

ただ夕食でこんな甘いお菓子だけを食べる訳にはいかないので、勿論このお店はパス。

 

するとここで我慢が限界に達した”辛抱強い奥様”はボクに愛想尽かしたのか、「もうイイです、タクシーでホテルに帰ります!」と申し出た。

 

そして同じくお疲れが出ていた”メルハバおっちゃん”と共にタクシーに乗り込み、目の前から消えていった。

この時間18時46分でボクの個人的な”ひたすら歩きのリスボン街歩きツアー”は、開始6時間をもって参加者不在により終了となった。。

 

「ちょっと彼らに悪い事したかな?!」と反省心を持って今日の行動を振り返ってみたけど、次の日に話を聞いてみたら「昨日はありがとう!楽しかったよ!」との返事があった。本心からの声かは分からないけど、楽しく歩ける時間は少なからず提供できたとは思う。

 

さて重荷が消えたような感じがして、ここからの街歩きがとても足が軽くなる感じを受けた。それだけ他人と一緒に行動するという事に、自分が囚われていたような感じだったのかもしれない。

という事で1人での街歩きを再開して薄暗い路地を歩いていると、カタカナが看板に入ったラーメン屋さんを発見する。

 

お店の窓には日本食の雰囲気を醸し出す為か、わざとらしく日本酒の一升瓶がこれ見よがしに置かれていた。あまり海外の街でラーメンを食べる事が無いのでここでラーメンを食べてみようかとも思ったけど、店員さんに日本人は居なくて現地人と見られる店員さんが怖い顔をしていたのでパス。。

 

とりあえずリスボン市内中心部に向かって歩くとする。ちなみにボク1人だと別に晩御飯はそこまで食べる必要がないけど、良さげな雰囲気の店があれば入ってみようと思い進む。そして昨日の夕食を食べた店がこのエリアだったような感じだったけど、残念ながら見つからなかった。。

 

 

リベルダーデ通りにて

ここでリベルダーデ通り(Avenida da Liberdade)に出てきた。この通りは19世紀にパリの大通りをイメージして造られた幅が広い道路である。さっきまでの細く暗い路地とは違って、リスボンの華やかさを感じる大通りである。

 

この通り沿いには高級ブティックなどのお店が並んでいて、リスボンの銀座通りのような感じでもある。それとここは幅が広い通りであるが、歩道の幅もとても広かった。

 

こちらの像は第一次世界大戦で戦った勇敢な兵士達に捧げられた像「Monument Heros of Great War
(Monumento aos Heróis da Grande Guerra)」である。

第一次世界大戦前のポルトガルは産業が全然成長せずに、農業中心の国でその輸出先のイギリスに頼りっきりだった。そして第一次世界大戦が勃発しイギリスとドイツが宣戦布告すると、ポルトガルは友好国であるイギリス側に立ち、兵士を派遣するもドイツの前に完敗したのである。

そして戦争に費やした莫大な費用の負担と頼みの綱であった農業が凶作となり、その後ポルトガルは更に低迷する事になる。

 

リベルダーデ通りの景色 動画

 

 

そんなリベルダーデ通りには、ちょっと大きいワンちゃんが結構な勢いで吠えていた・・・しかもリードが外れていたので、噛みつかれないように存在感を消してその場を立ち去る。。

 

エジプトを訪れた人にはこのオベリスクに目が行ってしまうレウタウラドーレス広場(Praça dos Restauradores)。このオベリスクは高さが30mあるそうだけど、エジプト製かどうかは不明。。

 

 

グロリア線ケーブルカーにて

そして右側を見ると、昼間に写真だけ撮ったグロリア線ケーブルカー(Elevador da Glória)が見えた。折角なので乗ってみる事に。

 

昔のグロリア線ケーブルカー駅の写真

ちなみにこちらは昔のケーブルカー乗り場の写真だそうな。

 

途中から急に台湾系観光客団体が電車内に乗り込んできたおかげで、ガヤガヤとうるさくなった車内。まあ別に上に行くだけなので、彼らも楽しそうにしているだけなので特に問題はないけど。。

 

リスボン市内のケーブルカーは直ぐには発車しないので、実際には線路横を登っていった方が早い場合が多い。でもこのケーブルカーに乗るという醍醐味を味わいたい人が乗るものみたい。

 

グロリア線が登って行く 動画

 

ケーブルカーに乗る事、約3分で上に到着。ですがまだまだリスボン散策は終わりません。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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