ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
ポルトガル最高傑作のお菓子
ここはポルトガルのリスボン市内で、近くに世界遺産に登録されているジェロニモス修道院がある通りです。そしてそんなジェロニモス修道院の外観だけを見学した後は、近くにあるポルトガルのお菓子で最も人気がある”パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)”というポルトガル版エッグタルトの名店にやって来ました。
リスボン市内にて
こちらがそんな”パステル・デ・ナタ(エッグタルト)”の名店である、1837年創業の「パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)」。聞く所によると元々この”パステル・デ・ナタ”は代々ジェロニモス修道院で伝えられてきたお菓子だそうだ。
1820年頃に実質イギリスの統治下にあったポルトガルで、周辺国のフランスなどでの革命などに即発されて、市民達が”自由主義革命”を起こした。この影響で当時亡命政権としてブラジルの王宮に移っていたジョアン6世が、ポルトガル本土に帰る事になる。そしてその後、ブラジルに留まったジョアン6世の息子ペドロ4世が独立したブラジルの初代皇帝「ペドロ1世」として即位する。
”自由主義革命”が起こったリスボンでは、神に祈ってもフランスやイギリスからの統治から自由になれなかったので市民達は修道院などを閉鎖したのである。そして今では世界遺産に登録されているジェロニモス修道院もその影響を受けて、1834年に修道院を追い出された修道士たちは生活する為にお金を稼ぐ必要があった。
そしてジェロニモス修道院からの”秘密のレシピ”で”パステル・デ・ナタ(エッグタルト)”を、この場所で販売した所あっという間に大人気になったという。
「パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)」にて
こちらが代々ジェロニモス修道院からの伝統”パステル・デ・ナタ(エッグタルト)”のレシピを、門外不出で守り続けて営業している人気のお店「パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)」。
住所:R. de Belém 84 92, 1300-085 Lisboa
営業時間: 8時~23時(夏場は24時まで)
このお店を訪れたのは1月中旬の午前9時40分頃と、人々があまり活動しない頃合いだったのでお客さんは少なくて列があまり出来ていなかった。しかし夏場の観光客が多くポルトガルにやって来るシーズンだと、行列はお店の外にまで伸びて長蛇の列になるという、恐ろしい人気店である。
ジェロニモス修道院よりも、ここのエッグタルト目当ての人の方が多そう!
人気店内の様子 動画
いつもはもっと混み合うらしいけど、さっきまで雨が降っていた影響で客足はこれからの様子。ここでそんなポルトガル伝統のお菓子で最も美味しい一品を、ツアー参加者全員に1個だけだが阪急交通社さんからプレゼントしてくれるそうです。
通常なら買うのも混雑するらしいので、現地ガイドさんがジェロニモス修道院の案内途中に抜け出して、ツアー参加者の人数分を先に注文してくれていたので比較的スムーズに購入できた。そういった配慮がされている点は、さすが手慣れたツアー会社だと思った。
エッグタルトの専門店かと思ったけど、ショーケースには色んな甘そうなパンやケーキなども見える。。
昔は貴重品だった砂糖も現代では簡単に手に入るので、体が欲するままに大量の砂糖を受け入れてしまうと、あっという間に脂肪の塊となってしまうのでこういう”砂糖の誘惑”が多いお店には要注意である。。
ポルトガルで最も美味しいという事は世界中で最も美味しい”パステル・デ・ナタ(エッグタルト)”が食べれるお店と言っても過言ではないだろう。そんな店内にはイートインスペースもあり、とても賑わう人気店でした。
最も美味しい”パステル・デ・ナタ(エッグタルト)”を味わう
さてここで楽しみにしていた、最も美味しい”パステル・デ・ナタ(エッグタルト)”と言われるお菓子の試食タイムが始まります。すると早速”甘い誘惑”に導かれたような奥様方が群を成して、現地ガイドさんの方に群がって行きます。
「ハイハイ、皆さん落ち着いてください!全員分ちゃんとありますから、安心してください~!」という感じの添乗員さんが配って行きます。その背後で”常に元気な奥様”は冷静にその様子を写真に収めています。
”常に元気な奥様”はスリムな体型をされていたので、こういった”甘い誘惑”にも自制できる心があるのかもしれませんね。
出来立ての”パステル・デ・ナタ”は、テイクアウトの場合はこのような箱に入れてくれます。添乗員さんも用意がいいようで、ちゃんとビニールの手袋をしています。
こちらの奥様はこの旅行中で一番の笑顔を見せてくれました!
こんな素晴らしい笑顔の写真にボカシを入れないといけないのは心苦しいけど、この奥様の嬉しい気持ちが伝わってくる写真だと思います!
こちらがジェロニモス修道院で伝統的に伝えられてきた”秘密のレシピ”で作ったという”パステル・デ・ナタ”。なんでもパイ生地を渦巻きのような器にして、そこに特製カスタードクリームを入れて約400度の窯で一気に焼き上げるという。
高温で一気に焼き上げるので、外側はパリパリで触感も楽しめます。お店も沢山の人が訪れる為、いつも出来立ての状態で提供してくれるので、それが冷えない内に直ぐに食べるのが一番美味しい食べ方です。
今まで色んな美味しい物を食べてきたと思われる”自称後期高齢者オジサン”も、「うん、これっ美味しいな~!」と声を上げます。
”メルハバおっちゃん”は朝の様子を見て、ちょっと寒く雨が降っていたので着込んで来たら、太陽が出てきて快晴になって暑くなったので、早速上着を抜いだようです。
そんな”メルハバおっちゃん”も「旨い、ウマイ!」と連呼していました。
一気に食べるのは勿体無いので、「これから世界一美味しい”パステル・デ・ナタ”を食べま~す!」という記念写真を撮る男。
周りでも皆さん、記念写真タイムでしたね!
このカスタードクリームで覆われている表面がカリっとしている。ちょっと焦げている部分もあるけど、全然気になりません。
この写真でその美味しさが伝わるかな?!
さてここでやっと”パステル・デ・ナタ”を食べます。いつもはこれ位の大きさだと一口で食べる事が多いのですが、写真を撮る為にもそんな気持ちを堪えて小さい口にして食べてみます。
こちらは”パステル・デ・ナタ”の断面で、パリッと焼かれた為に外側のカスタードクリームは固くなっていますが内側のクリームは柔らかいまま。
ここ数年内に食べたお菓子の中で、一番美味しかったです!
ただこの”パステル・デ・ナタ”も年々値段が上がっているという。前までは1個1€もしなかったらしいが、今では1個1.30€位になっているという。それでも大勢のお客さんがこのお菓子目当てに買いに来るし、ここ以外の観光地の入場料もどんどん値上がりしているしで、昔ポルトガルを訪れた人はその値上がりにビックリするそうな。。
この店の間で興味深かったのが、店の前の歩道にこのように店名が入れられていた事。古代ローマ時代によく見られた当時の芸術であったモザイク画のような歩道は、”ポルトガル式歩道(Calçada Portuguesa)”と呼ばれていてポルトガル独特の芸術だという。
モザイク画の大きいタイルVerという感じかな?!
さてツアー参加者の奥様方はすっかりジェロニモス修道院の事など頭から消え去って、先程食べた”パステル・デ・ナタ”が美味しかった記憶しか残っていなかったのではなかろうか・・・?!
ベレンの塔へ向かう
さて再びバスに乗り込みます。朝バスに乗った時は少し雨が降っていたけど、このようにすっかり太陽様がお顔を出しています。朝の冷えた気候に合わせて服装を調整していたツアー参加者さん達は、皆さん暑くなってきていたので上着を脱ぎだします。
ただし脱いだ上着等は午後のフリータイムの時間にはこのバスが居なくなってしまうので、残念ながらその上着を持ち歩かないといけません。。
今思い返すとジェロニモス修道院からベレンの塔までは、徒歩でも10分位の距離にあると思ったけどわざわざバスに乗って移動した。
それもチャッと移動した訳ではなく、下手にグル~~っと大きな回り道をしていったのである。何でそんなに回り道をしたのかは分からなかったけども、現地ガイドさんがリスボン市内の街の景色を我々に見せたかったのかもしれない。
リスボン市内郊外の住宅街の景色 動画
温暖な気候のポルトガルやスペインは、ヨーロッパ大陸の民族の中でもひょうきんで明るいイメージがある。でもその代わりに普段はあまり仕事をしないようなマイナスのイメージまで持たれているようにも思う・・・。
ベレンの塔付近に到着
徒歩で10分くらいの場所をバスで何故か20分程乗ってやっと辿り着いた、マヌエル様式を代表する建築物であるベレンの塔付近に到着する。
そんなベレンの塔の周辺にある公園には、こちらの飛空艇が展示されている。こちらの飛行機は”最初に大西洋をアメリカからポルトガルまで横断飛行に成功した”「NC-4」という、海軍向けに造られたカーチス社製の飛空艇だと思っていた。だけど帰ってからよ~~く調べてみたらそうではなく、”世界初の南大西洋横断に成功した”飛空艇だった。。
テージョ川の対岸に見える写真中央の塔のような建物は、かつてポルトガルの植民地であったブラジルのリオ・デ・ジャネイロのコルコバードという丘の上にある大きなキリスト像を真似て造ったキリスト像である。こちらも旧サラザール橋のたもとにあるという事で、サラザール政権下に造られた像である。
さて正面にはベレンの塔が見える。塔と言う割にはあまり高くないように見える。こちらはヴァスコ・ダ・ガマの歴史的な航海を記念して造られた、これまたマヌエル様式の要塞である。
ベレンの塔周辺の景色 動画
ちなみに”最初に大西洋をアメリカからポルトガルまで横断飛行に成功した”飛空艇は1919年5月8日にニューヨークのロングアイランドを出発し、飛空艇の特性を生かし途中で何度か着水し補給などを繰り返し19日間掛けて5月27日にリスボンの地に辿り着いた。
そしてそれを超える飛行を計画し3年後の1922年3月30日にポルトガル空軍に所属するガーゴ・コーチニョ( Gago Coutinho)とサカドゥラ・カブラル(Sacadura Cabral)の2人が、リスボンを出発し途中カナリア諸島を経由しブラジル本土まで飛行し”世界初の南大西洋横断”を達成し、6月17日に目的地であるリオ・デ・ジャネイロに80日を掛けて辿り着いたという。
またちなみ話であるが”最初に大西洋をアメリカからポルトガルまで横断飛行”に成功したNC-4飛空艇は6人乗りで、この最初の大西洋横断飛行には6人が乗務していた。そしてかの有名なリンドバーグが初の”大西洋単独無着陸飛行”を行ったのは、それから8年が経った1927年である。
しかし”初の大西洋無着陸横断飛行”自体は最初の大西洋横断飛行が成功した翌月の1919年6月14日に、カナダのニューファンドランド島から出発しアイルランドまで16時間12分で到達したのが初めてである。
こちらの記念碑にはその1922年に”世界初の南大西洋横断に成功した”時のルートが示されている。
この太西洋や南太平洋を横断する飛行機の開発については、第一次世界大戦中に連合軍船舶艦隊がドイツ軍の開発した潜水艦によって沈められる危機感を持っていた為に計画されたのである。だから今ある現代のテクノロジーはその殆どが人類の戦争が起こした副産物でもあるのだ。
ベレンの塔にて
こちらは1520年頃に造られたベレンの塔。塔というよりかは要塞って言葉の方が似合いそうな外観である。
こちらも先程のジェロニモス修道院と同じようにマヌエル1世が造らせたもので、16世紀に全盛を誇ったマヌエル様式で造られた建物。
灯台というよりかは、テージョ川を侵入して来ようとする船舶を見張る為の役割があった建物。
ベレンの塔を眺める 動画
ベレンの塔はテージョ川沿いに造られていて、合計6階建てのような構造になっている。
さてここでちょっとした写真撮影時間を含めた少しのフリータイムがあり、この塔の中にも入っていいとの事。という事で早速ベレンの塔内部へ進む事に。
こんな旅はまた次回に続きます!
↓↓↓↓ポルトガル旅行記:初回↓↓
【コメント欄】