ベレンの塔の頂上から大航海時代の風景を想像しながら、テージョ川を眺める-ポルトガル旅行記52

ポルトガル旅行記:6日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

ベレンの塔からテージョ川を眺める

ポルトガルの首都リスボンの市内で、中心部からやや西にあるベレンの塔に来ています。こちらは向かいに建っているジェロニモス修道院と共に1983年に世界遺産となった建物です。

 

リスボンにて

朝は雨が降っていたけど、すっかりこの時には快晴になっていました。そこで気分を良くした”メルハバおっちゃん”と共にベレンの塔前で記念撮影を。

 

ベレンの塔上部には、歴代ポルトガル国王が団長を務めたキリスト教騎士団のマークも入っているのが見えます。勿論ここを造らせたマヌエル1世もキリスト教騎士団の団長となっている時期がありました。

 

 

ベレン塔内の見学

さてここで写真撮影タイム+αという事で、ゆっくりとは見れないけどさっとならベレンの塔内部を見れる時間があったので早速塔の入口に向かいます。塔の入口では少々列が出来ていたけど、観光客の多いシーズンはもっと行列が出来ているらしいのでそこまで待たずに入る事が出来た。

 

こちらが入口のチケット販売所で、今はクレジットカードは使えないみたい。大人は6€で65歳以上は3€。

なお「リスボンカード(LISBOA CARD)」というリスボン市内の公共交通機関が乗り放題でメジャーな観光施設も入り放題で、24時間・48時間・72時間と三段階の値段設定がある便利なカードもあるようだ。ゆっくりとリスボン市内を観光するには、このようなカードを事前に購入しておいた方がメリットがありそう。

 

 

さてベレンの塔内に進みます。こちらは正面を進んで階段を登って、外に出た2階部分に相当するフロア。

 

マヌエル様式の建築物がすっかり好きになってしまった、この頃。

マヌエル様式ならではのネジネジとした装飾が、何ともたまりません!

 

そしてここからは目の前に広がるテージョ川を一望できる場所でもあります。そしてそんな景色の先に見える長~~い橋は「4月25日橋(Ponte 25 de Abril)」という名前の橋で全長は約2.3km。1963年に開通したこの橋、当時は「サラザール橋」と呼ばれており独裁政権を行っていた首相アントニオ・サラザール(António de Oliveira Salazar)の名前が付けられていた。

しかしその元大学教授であったサラザールが築いた独裁政権を打倒した、1974年4月25日に起こった”カーネーション革命”を記念して、その記念日のである「4月25日」の名前に付け替えられたのである。

 

”常に元気な奥様”にもボクと歳が近い息子がいるが、ボクと同じように独身でやっぱり母親としては誰かいい人を見つけて結婚して欲しいという願望があるという。”常に元気な奥様”曰くは「女性であれば誰でもいい、息子が選んだ人であれば!ただし男性を連れてきたら嫌だけど・・・」と言っていた。

そこで「さすがに男性を連れてくるって事は無いと思いますけどね・・」と返したけど、こちらの写真左側に写っていた男性2人組は手を握っていてカップルのようだったが。。

 

ベレンの塔から眺める景色 動画

 

元々はテージョ川から侵入してくるのを警戒する為に造られた要塞だったが、その後は牢屋になったり灯台として使われたりと時代に応じて役割が変わっていったベレンの塔。

 

塔の内部にある、あまり広くはない螺旋階段を登って行きます。このような古い塔の螺旋階段は、階段の石が多くの人達によって踏みしめられて摩耗している部分があります。そういった擦り減った階段の箇所を見ると、その建物がどれだけの歴史を刻んでいるのかが見えてくるような光景でもある。

 

塔には色んなフロアがあり、当時の国王の部屋もあったけど、観光している時間があまり無いのでそれらの部屋は見学せずに一番上まで上がる事にする。

 

ベレンの塔で階段を登り、頂上を目指す 動画

 

塔の窓からテージョ川が見える。1755年のリスボン大震災で、大きな津波がリスボンの街を襲ったらしいけど強固な石造りで出来ていた要塞のベレンの塔はあまり被害に遭わなかったのだろう。

 

 

ベレンの塔の頂上にて

高さ約30m程のベレンの塔の最上階にやって来ました。少し息が弾む位に階段を登った程度で辿り着きます。

 

すっかりマヌエル様式好きになったボクには、このネジネジに思わず目が行ってしまうのである。。

 

ここからはテージョ川だけではなく、このベレン地区が見渡す事が出来ます。

 

このベレンの塔周辺は綺麗な公園が整備されていて、目下に広がる芝生は青々としていてとても綺麗です。

 

ベレンの塔の頂上から、リスボン市内中心部を眺める。この塔が完成した16世紀当時とは、全然違う景色になってしまっているのだろう。

 

塔の頂上から先程居たバルコニー的な場所を見下ろすと、数人のツアー参加者さん達が見えた。あまり自由時間が無い割にはゆっくりと見学しているご様子。

 

奥に見える大きな橋の手前には、大航海時代を記念して造られた”発見のモニュメント(Padrão dos Descobrimentos)”が見える。

 

約500年程前の時代には、この地から大きな夢を抱いて、果てないように見える大海原に挑んで行った男達の夢の跡。

 

そんな男達が夢見て旅立って行った西側の景色。ちなみにアメリカ大陸を発見したコロンブスはイタリアのヴェニス商人で、一時ポルトガルに滞在していた。その時にポルトガル国王に大西洋横断のインド航路開拓の資金援助を求めたが、コロンブスの求めた見返りが大きく、結果的にポルトガル王国の資金援助は受けれなかった。

しかしその代わりに大航海時代に遅れを取っていたスペイン王国に資金援助を申し出たコロンブスは、見事資金援助を受ける事になり、アメリカ大陸の開拓に成功するのであった。

 

頂上から見える景色 動画

 

このテージョ川は上流に遡って行くと、スペイン領内にまで行ける。隣国スペインとは昔から何度か連合支配されたりと、ポルトガルには切っても切れない国なのである。

 

ツアー参加者さんの中で一番乗りして、ベレンの塔に乗り込んだ訳だが、やっとツアー参加者さん達がこの頂上まで登ってきました。

 

ベレンの塔付近から見られる景色と、ここ頂上から見える景色はそこまで大きな差はないものの、やっぱり頂上まで登ってくるとテンションが上がりますね。

 

こちらのオジサンも実は”チーム・ヒロ”に参加するメンバーの1人。しかしあんまりパワフルな感じではなく、大人しい感じのオジサンだったので、早々と脱落する事になるのであるが。。

 

ダイソーで購入した100円(+税)のミニ三脚は、意外と使える。ただし三脚の足が短いのが難点であるが、自己満足な自撮りには充分である。

 

頂上に登ってきた”常に元気な奥様”は元気満々で、楽しそうにポージングしていた。普段から山登りをよくするそうで、細い足ながら上手い事片足立ちを難なくこなして”命ポーズ”をしていた。

 

そんな”常に元気な奥様”とベレンの塔の頂上で記念撮影。

題して”ダブル命ポーズ”なり?!

 

こちらのオジサンはあまり話をする機会が無かったけど、今までに失業手当を10数回は貰った事があるという。ちなみにボクは会社を12年勤めて退職した際は、敢えて失業手当は貰わなかった。

というのも失業保険は次に仕事を探すまでの一時しのぎ的な給付金であり、ボクは次の仕事を直ぐに見つけるつもりがなかったので貰うべきだとは考えなかったからだ。

しかしこんな話を周囲の人達にすると「え~~勿体無い~~!」とか「お前、バカだな~~!」とか言われたっけ。。

 

こちらの奥様も”チーム・ヒロ”のメンバー。こちらの奥様は話を聞くと、ご主人が週に5回毎晩のように夜飲み屋とかで知り合った他人を家に連れて帰ってきて、夜中にその人達に振る舞う料理などを造ったり、宿泊させて翌朝の朝ご飯を提供したりという対応を長年してきたという。

初めは何の話なのか分からなかったけど、そんな旦那さんの無茶苦茶な振る舞いを6~7年程耐えてきたという。そんな我慢強い奥様もボクの”ひたすら歩きのリスボン街歩きツアー”では、途中まで踏ん張って耐えて付いてきたが、最後にはギブアップするのである。。

 

ベレンの塔の頂上の一番上には、このような珊瑚のような、貝殻にも見える突起物が乗っかっていました。こんな他の国では見れない装飾があるのが、マヌエル様式なのである。

 

さてトイレも行きたいので、そろそろベレンの塔を降りて近くのレストランにあるトイレに向かう事にする。

 

ここを訪れたのは1月中旬だったけど、暖かくなるシーズンになってくるともっと観光客の人数は増えるという。そんな時期はこのベレンの塔やジェロニモス修道院の入場を待つ長蛇の列が出来るそうだ。

 

そろそろ集合時間が迫ってきたので、芝生を突っ切ってレストランがある建物を目指す。

 

しかしそんな途中にも自分が見て「いい景色だな~!」と思うと、立ち止まり写真を撮ってしまう。

ちなみにこの世界初の南大西洋横断に成功した飛行艇:サンタ・クルス号の実物は、近くにある海洋博物館に保存されているという。

 

午前中のリスボン市内観光中はトイレに立ち寄る予定が無かったので「ここでトイレに行っておかないと・・・」と思いつつも、ダッシュ途中にもまたパシャリと写真を撮ります。

 

そしてレストランの中庭にあった、魚の像も写真に収める。ちなみにレストランのトイレは有料で0.50€を支払って使わせてもらいました。

 

 

発見のモニュメントにて

続いてベレンの塔から見えていた発見のモニュメント(Padrão dos Descobrimentos)までバスで移動します。こちらは1960年に大航海時代の偉功を讃えて造られたものです。

 

移動のバスの中では「ここはリスボンの中でもスリが多い所なので、気を付けてくださいね!」と添乗員さんがアナウンスしていたけど、バスを降りて早々に現地ガイドさんからの情報で「もう既にこの広場にスリが最低3人居るので、注意して下さい!」との連絡があった。

そして現地ガイドさんが教えてくれたスリの1人がこちらの女性。最初は全然分からなかったけど、現地ガイドさんに言われてからこの女性を観察してみた。すると観光客にしては不自然に何度もこの広場を行き来していたり、ジェロニモス修道院へ向かう地下通路に降りていったハズなのにまたこの広場に戻ってきたりと怪しげな動きをしていた。

 

現地ガイドさんは毎日のように観光名所に来て、ツアー参加者達がスリに遭わないように目を光らしていると、この辺を縄張りとするスリの顔を覚えてしまうようだ。ヨーロッパでは組織的なスリグループが多く、ここに居たのは3人のスリグループだった。

 

そんな発見のモニュメントの広場の中央には、床にこのようなタイル画が飾られている。こちらは1960年に発見のモニュメントを造った時に、南アフリカ共和国から寄贈されたものだそうだ。

 

こちらは世界地図になっていて、ポルトガル王国が大航海時代にドコの場所を何年に訪れたのかが表示されている。

 

この場所には大勢の観光客がやって来て、必ずここで立ち止まって地面の地図を眺め込むので、必然とスキが出来る場所。だからそれに乗じたスリがこの広場に駐在しているのである。そんなスリは残念ながら現行犯でしか逮捕出来ないらしく、スリと思われるからといっていきなり逮捕は出来ないようだ。

 

そういう意味ではこうやって真面目な現地ガイドさんと共にしていると、そういった情報も教えてくれるのでありがたい。

 

こちらには日本列島が見える。日本に最初にポルトガル人が辿り着いたのは1541年で、”鉄砲伝来”で種子島に辿り着いた出来事よりも、2年早く実はポルトガル人は日本に辿り着いていたのである。

 

我々のツアー参加者達を客観的に眺めてみると、確かに全員が同じ方向を向いて同じ地面を眺めていた。もし現地ガイドさんからのアナウンスがなかったら油断して荷物を気にしていなかっただろう。

ちなみにボクはちょっとみんなから離れて立って、スリが我々のグループを狙う瞬間を写真に収めようと思っていたが、現地ガイドさんが目を光らせていたので我々のグループには近寄って来なかった。スリ側からすると、度々同じ場所を訪れる現地ガイドには自分の事がバレているのが分かっていて、敢えてそのグループは狙わないようにしている暗黙の了解のような感じがしたような・・・。

 

足元には、こんな偏西風を噴き出す可愛らしい顔も描かれているので、どうしても地面に意識が行ってしまいます。なのでスリ予防策としては万が一取られてもいいように、お金を分散して保存するという方法もありますね。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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