【バルカン半島周遊6ヶ国】6日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年5~6月
銃弾が飛んでくる・・?!
首都サラエボにて
このバルカン半島周遊ツアー、早くも5カ国目のボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボにやってきました。
そのサラエボの街でもメイン通りである、このスナイパー通り。
サラエボの街の様子 動画
道の真ん中にある線路では路面電車がちゃんと走っています。
列車には全面広告が描かれています。窓からの景色もあったものではないようですね。
旧共産主義時代の建物が未だに残るサラエボの街。
街中にはモスクも至る場所に見えます。このボスニア・ヘルツェゴヴィナもオスマン帝国の支配下にあったので、その時のイスラム教が色濃く残る場所。
首都だけあって、大きな建物がそこら中に見えます。
高層アパート群が見えます。
サラエボの街の様子 動画2
そんなイスラム教が多い国でも、ちゃんとこのように教会もあります。
多くの人が行き交っている。路面電車が多くの市民の足になっているようだ。
サラエボの街の様子 動画3
「ホリデーイン」のホテルが見えてきた、前方の黄色い建物です。こちらはサラエボ紛争時に世界中のジャーナリストが宿泊していたホテルで、ここから先の通りでスナイパーが建物に配置されていて、通る人達を銃撃していった。
サラエボの街の様子 動画4
セルビア人、クロアチア人、ムスリム(イスラム教徒)の大きく分けて3民族が住んでいたボスニア・ヘルツェゴヴィナで、セルビア人を除いた住民投票で独立が選択された。それを不服としたセルビア人がサラエボを取り囲んだ(サラエボ包囲)。
そんなサラエボ側が配置したスナイパーによって大勢の一般市民が犠牲となった。戦争とはいえ、サラエボ側のスナイパー達も一般市民を銃撃するのは心痛かっただろう。
サラエボの街の様子 動画5
バスはサラエボを走り続け、旧市街地のある場所にやってきました。この辺りはヨーロッパのハプスブルク家の街並みやオスマン帝国の街並みが混在した建物が見られます。
これぞヨーロッパという街並が見えてきます。
こちらの角の建物の前では、1914年にオーストリアの皇太子夫妻が暗殺されて第一次世界大戦勃発の原因となったとされている。
その向かいにあるラテン橋。
この辺りにはオーストリアのハプスブルク家の影響を色濃く受けた建物が沢山見られる。
サラエボの街の様子 動画6
バスを降りて、観光スタート!
この辺りの旧市街地ではなかなかバスを停めれない。こちらでバスを降りる。
5ヶ国目のボスニア・ヘルツェゴヴィナ。どんな感じの街だろうか? 楽しみが広がる瞬間。
中華料理のお店の看板が目立つ。どこの国のどこの街にも中華料理があるイメージ。
あまり綺麗では車体の路面電車が走っている。
丘の上に向かって、建物が延びている。モスクのミナレットも見える。
サラエボの街の様子 動画7
このサラエボの旧市街地は色んな国の建物が混ざっていて、添乗員さん曰く「今回のバルカン半島周遊ツアーの巡る街の中で、個人的に一番好きな街です!」との事。
すっかり見慣れたモスクとミナレット。ヨーロッパでモスクっていうイメージが無かったけど、バルカン半島はオスマン帝国の支配下にあったので沢山のモスクが点在している。
川を挟んで落ち着いた街並みが広がっている。ここだけ見ていると紛争のあった国という感じが全然しない。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナといえば、まず有名なのが第一次世界大戦勃発の原因となったオーストリア皇太子の暗殺された場所である。それがこの近くにある。
そのオーストリア皇太子が暗殺された場所には、その時代の写真が飾られている。
1914年のオーストリア皇太子の暗殺された日、サラエボ市庁舎に向かう車列に爆弾が投げ込まれ皇太子の乗っていた車の幌に当たって跳ね返り、後続の車の下で爆弾が爆発し数人が負傷した。
無事サラエボの市庁舎に着いたオーストリア皇太子夫婦は、その後「市庁舎にとどまるべき」という声を遮り、爆弾で負傷した兵士達を見舞う為に病院へ向かうのであった。
上はその時サラエボを走る皇太子夫婦を乗せた車。下は皇太子夫婦が暗殺されたデリカテッセンがあった場所。
ここは先程バスから見えたラテン橋。この道を左側から右側へ真っ直ぐ走るルートのはずだったが運転手が間違えてこのラテン橋のある角を右に曲がってしまう。その時に同乗していた総督が「道を間違っている」と車を止めさせた時に、運悪く目の前には暗殺犯が居合わせたのだ。
今思えば、何ともお粗末な事件にも感じる。皇太子が襲われた道を、その後再び通らせるとは・・・。案の定、再び暗殺の機会を狙っていた実行犯にオーストリア皇太子夫婦は射殺されるのである。
なお、暗殺実行犯はその場で取り押さえられた。
暗殺実行犯であるガヴリロ・プリンツィプは未成年の為に、死刑にはならずに懲役20年の刑となる。
そんな街をぞろぞろと昼食会場を求めて、歩くツアー参加者さん達。
サラエボの街の様子 動画8
この辺りからオスマン帝国時代のトルコ風建築が広がってきた。
左の建物は昔のハマム(大衆浴場)跡を改装して、ショッピング街になっている。
レストランもたくさんあるようで、テラス席が広がっている。
そんな道を歩いていると、足元に黒猫ちゃんを発見する。
「にゃんだ、お前たちは~~!」
「この辺りはトルコ風建物が多いので、迷子にニャラないようにニャ~~!」と言いながら、走り去っていく猫ちゃん。。
トルコ風の街なので、貴金属店がそこら中にある。
国の金融が不安定なので、お金を貴金属製品に変えて体に身に付ける人が多い風習を物語る貴金属店。
本当に「そんなに貴金属店が必要?!」と思わせる位に、貴金属店が多い。。
トルコ風のモスクが多く、それなりに大きい。
この旧市街地は観光地でもあるので、人が沢山歩いている。
ちょうど昼時になって、人も増えてくる時間帯。迷子にならないように注意しましょう。
そうしてやっと昼食会場に到着。入口横に座っていたオバサンが「あんたの団体はここへ入っていったよ!」というような顔をして、導いてくれましたね。
この続きはまた次回に続きます!
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