ポルトガル旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
アルファマ地区の路地を歩く
ここはポルトガルの首都であるリスボン。今日はナザレ・オビドス・シントラ・ロカ岬と足早に移動し観光してきたので、ツアー参加者さん達はお疲れでホテルで早く寝たい所だけど、今回のツアーで最年少のボクはまだまだ1人で夜の街を楽しむつもりです。
夜のリスボン市内にて
そんなリスボン市内の街歩きは、まず地下鉄でロシオ駅に到着し、そこから丘の上にあるサン・ジョルジェ城へ向かって坂を登って行きます。
サン・ジョルジェ城付近にて
坂を登って行くと城壁が見えてきました。サン・ジョルジェ城の起源は結構古く、ローマ時代には既に何らかの要塞がここに建てられていたという。その後イスラム教徒が住み着いた街を”レコンキスタ(国土回復運動)”でキリスト教徒が奪還した後はポルトガル王国の領地になる。
そして14世紀頃に大規模な増改築が行われて、このように城をグルッと囲む城壁を完成した。それとこちらのお城の玄関でもある門は19世紀に造られたものみたい。
この門の中に入れたので「ひょっとしたら城の中も入れるかな?」と一瞬期待してしまう。
しかし既に21時40分になっていたので、当然の如くチケット売り場は固く扉が閉められている。
ここがサン・ジョルジェ城の入口、こちらも当然の如く扉は閉められている。まあ今日はあくまで城までの道順を下見に来ただけ。
こちらは城の見取り図、一応見ておきますか。。
このサン・ジョルジェ城という名前、キリスト教の聖人の名前が付けられているのである。キリスト教徒が大多数を占めるヨーロッパの国ではサン〇〇〇とかいう名前は全部聖人の名前。だから今まで全然気にしていなかったけど、アメリカの西海岸にあるサンフランシスコという都市は、これも聖人フランシスコの名前が付けられているのである。
お城の中には入れなかったけど、こちらには城壁の上に続く階段が見える。ひょっとしたらちょっとだけ城壁の上に登れるのかな?!
そんな城壁もどきの上に登ってみた所から写真を撮ってみたけど、プチ城壁という感じでしたね。。
とりあえずサン・ジョルジェ城の下見という目的は達成したので、別の目的地に向かう。途中こんな落書きを発見したけど、こういった実用的な落書きはアリだと思う。
アルファマ地区に向かう
今夜のもう1つの目的であるファドの鑑賞。このリスボン市内でも古い街並みが残るアルファマ地区という場所は、ポルトガルのファド発祥の地とされている。そんな場所に向けて歩きだす。
サン・ジョルジェ城からアルファマ地区へ向かう道はそんなに暗くは無いけど、ここも全然人通りがない。だけど不良が集まっていたりとか、怖そうなオジサンとかの姿は全然見えなく、治安もそこそこ良さそうな感じに見える。
サンタ・ルジア展望台にて
そんな小道を降りて行くと、このように開けた場所に辿り着く。ここはサンタ・ルジア展望台という、アルファマ地区でも周囲を見渡せる展望台になっていて、昼間は眺めがいいのでこの辺りのオープンカフェでのんびりする人達を多く見かける場所。
ただしこんな時間だとそんな景色を眺める人達も全然居ないし、カフェとかも閉まっているし・・・。
こちらの銅像は「サラゴサの聖ヴィセンテ(Vicente de Saragoça)」で、3世紀に生きたとされる人物。当時のローマ帝国によるキリスト教徒迫害により殉教し聖人化された人物で、リスボンの守護聖人になっているという。
それにしても全然人が居ない・・・・翌日午後にこの周辺を歩いたけど、その時は流石に大勢の人で賑わっていた。
黄色い街灯で照らされたアルファマ地区の街並みの中に、白くライトアップされた教会や大聖堂も見える。某ガイドブックにはアルファマ地区は「治安があまりよくない」と書かれていたので、警戒していたけど想像以上に明るい街並み。
この辺りで「アル」と付くのは、昔レコンキスタ前に住んでいたイスラム教徒の名残。このアルファマ地区はリスボン市内でも下町にあたる場所であり、また1755年に起きたリスボン大震災ではあまり大きな被害が無くて、それなりに昔の街並みが残っているそうだ。
ただこの展望台辺りでは期待していたファドの歌声が全然聞こえて来なかった。アルファマ地区といっても歩きで回るにはそこそこ広いので、とりあえず路面電車のレール沿いに歩いてみる事にする。
黄色い街灯に照らされる街並みの中に、白く浮かび上がる教会が見える。
この辺りから道が細くなってきて、車が1台通れる幅しか無くなってきた。だけど、路面電車のレールはあるので本当にこんな細い道を通るのだろうかと疑問に思ってしまう。
この辺りなんて路面電車がもし通るとなると、近くにいる歩行者は建物の壁に体をくっ付けて電車を交わさないといけないような場所に見える・・・。
この辺りからは道の両サイドに歩行者が歩けるスペースが出てきた。ちょうどこの辺りを走る路面電車の写真を撮りたかったけど、時間も遅いからか、全然電車はやって来ない・・。
こういう建物の壁の装飾を見ると、イスラム教の文化が何かしらリスボンに残っているという事を表しているように思う。
そしてさっき見えていた、白くライトアップされていた教会前に到着。こちらは「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会(Igreja de São Vicente de Fora)」で元々12世紀にここに教会が建てられた事から始まる。そしてその後17世紀前半に再建されて、ポルトガル王国最後の王朝であるブラガンサ家の歴代国王がここに埋葬されているという。
ただ相変わらず路面電車は走って来ない・・・・なので、下の方がファドのお店がありそうな雰囲気なので降りていく事にする。
この居住区といった雰囲気が出ているのが、何ともいい。観光客にとっては観光地であるけど、住んでいる人達からするとここは居住区なのである。
アルファマ地区の路地を下に降りて行っていると、遂に路面電車が狭い路地を走ってきた。
しかし電車が来るとは思っていなかったので、不意を突かれて遠くからの写真しか撮れなかった・・・orz
細い路地を降りて行くと、だんだんと暗い場所も出てきたりで、下町って感じの雰囲気が出てきた。少しづつ心が高ぶっていく。
だけど路地を進んでも普通のレストランのようなお店しかなく、肝心のファドは全然聞こえない。ここに来る前のイメージでは、もっと街中にファドが響き渡っているもんだと思っていたけど、そういう訳ではなかった。。
まあここを訪れたのは1月と観光客が少ないシーズンだったので、それに比例してファドを演奏しているお店が少なかったのかもしれない。
古そうな建物がどんどん見えてくる。リスボン市内の建物は1755年の大地震によって、倒壊したものが多かったけど、このアルファマ地区は建物の倒壊が比較的少なかったらしいので、古い建物を改装して今でもそこに住んでいるようだ。
途中、こういった階段など色んな分岐点が目の前にやって来る。どの選択肢を選ぼうと、どれにもメリット&デメリットが存在する。人生もそうで色んな選択肢が前にある。
そういった場面で大事なのは迷わない事ではなく、迷ってもいいから前に進む事だと思う。前に進まないとその選択肢のメリット&デメリットが分からないから。前に進みさえすれば、後は自分がどうその結果と向き合うかだけ。
という事でドンドンと進んで行く。仮にファドの演奏しているお店が見つからなくても、たっぷりと歩いて街の散策を楽しめただけで充分に満足である。
う~~ん、やっぱりファドを歌う声はまだ聞こえてこない・・・。
とりあえず進もう!
そんな細い路地を歩いていると、日本製のバイクを発見する。海外旅行で心細い時に、日本企業の製品を見るとちょっと勇気が貰える感じがする。
この階段を下に降りるのか、降りないのかで人生は変わる。とりあえず下には降りずに先に進むという人生を選んでみる。
さすがファドの発祥地とされているアルファマ地区だけあって、街角にはファドを演奏する女性の絵が描かれていたりして、とても雰囲気があるけどまだファドの声は聞こえて来ない・・・。
こちらのお店も店の前にファドで使うギターを手に持った女性のイラストが描かれているけど、こちらのお店はファドを演奏するような雰囲気は全然無いし、お客さんもゼロで店員のお姉さんが入口で突っ立っていた・・。
そこそこにまだこんな22時過ぎでも開いているレストランは多いけど、肝心のファドを演奏しているお店はそこまで多くないみたい。
人によっては近くにいる人に「ファドはどこで聞ける??」って片言でも聞いてみたら良いだろうと思うかもしれないけど、ボクは日本にいる時から迷っても基本的には人に道を聞きたくはなく、自分で探しだすタイプ。
統計的に男性はこういう際に人に道順をあまり聞かないらしく、逆に女性はこういった際に人に道を聞きやすいというデータがあるそうだ。
段々と下に降りて行くと、遂にアルファマ地区で一番低い場所まで降りてきた。すると目の前に見えてきたこちらの建物は「サンタ・アポローニア駅(Santa Apolónia)」という、スペインやポルトやコインブラ地方と繋がっている列車の駅。
そんなサンタ・アポローニア駅の反対には、軍事博物館(Museu Militar de Lisboa)が見える。大航海時代からの大砲や鉄砲、そして交易のあった日本の鎧とかも置かれているそうだ。
軍事博物館だけに、ファザードの上には勇ましい姿を描いた彫刻が見える。
そんな軍事博物館の近くには、また別の銅像が置かれていた。こちらは歴代ポルトガル国王の中でも、大航海時代に最盛期を迎えた時代の国王マヌエル1世で”マヌエル様式”の建築様式で名前が色んな所で聞ける偉人である。
インドやアジア地方との貿易で莫大な富を得ていたマヌエル1世は、そのお金を惜しみなく芸術などの分野にも投資した。当時の人達からしたら”単なる金持ちの贅沢”にしか思えなかっただろうけど、そんな支援された芸術家が生み出した作品で人々の文化は豊かな表現や教養を身に付けていき、進化していくのである。
これ以上遠くに向かうと帰るのが大変なので、中心部の方に向けて歩くとする。
こちらの階段は先程下に続く階段があった分岐点を、下に降りてきた所。あそこでどちらの選択肢を選んでいても、ここを通る運命だったようだ。
するとやっとファドのような演奏が聞こえてきた。しかもイメージ通りに、こういったテラス席でギターを弾いて歌っているのが見える。
そんな場所はアルファマ地区にある、ファド博物館があるシャファリス・デ・デントロ広場。
いよいよ本場ポルトガルのファドが楽しめる場所に辿り着いたので、ワクワクしてきました!
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