【チュニジア世界遺産紀行8日間】7日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】
気持ちいい風呂!?
アントニヌスの共同浴場にて
チュニジア・ツアーの最終日、カルタゴ遺跡の見学は続きます。こちらは古代ローマ人が愛した共同浴場跡です。
こちらは子供の骨棺跡だそうだ。
ただチュニジアではこういった遺跡の管理が厳しくないので、そんな骨棺の中には吸い殻が捨てられていたようだ。
日本のような海に囲まれた国では水にはあまり不自由しないが、国によっては海に面していなかったりして水は貴重品なのだ。
だからヨーロッパやアフリカの国に行くとそこのホテルでは”バスタブに水を張る”という習慣がないのである。大体はシャワーメインで、バスタブがあってもそのシャワーの水を受ける為という感じ。そしてそんな貴重な水を使うトイレでは使用料が必要なのである。
そんな大事な水を上手く活用していたのが、古代ローマ。大規模な水道網を築き、至る場所でそんな贅沢な浴場を造っていたのである。
そんな共同浴場跡が早く見たくて、団体の先頭を歩く男。
たまにはガイドさんや添乗員さんよりも先に行ってしまったりしますね!
これから見る浴場跡は1980年代にユネスコにより復元・修復されている。2世紀頃にローマ帝国の55代皇帝アントニヌス・ピウスの時代に造られたもので、6世紀頃までは使われたそうだがその後この辺りを支配したアラブ人の時代になると使われずに崩壊していったとされている。
そんな浴場跡に向かって、石畳の道を進んで行きます。
アントニヌス浴場の景色 動画
アントニヌス浴場跡の見学!
そして左の丘の上にある白い壁に囲まれた建物は、昨日シディ・ブ・サイドへ向かう際に見えたチュニジアの首相官邸である。高級住宅街が並ぶカルタゴの街でも、見晴らしのいい一等地にあるのだ。
一番高い柱は15mくらいあるそうで、当時この浴場は2階建てになってサウナや更衣室などの色んな施設も揃っていたそうだ。
しかも温水の風呂や水風呂なども備えていたそうで、約2000年前からそれだけの施設があったなんてビックリ!!
ここに来るとヨーロッパ系の観光客で溢れています。
まずは現地ガイドさんが手前にある説明板で、色々と教えてくれます。ここが最後の観光なので、これが最後の説明です。とても流暢な日本語で丁寧に色々と教えて下さいましたね。
奥には地中海があり、とてもリラックスできて入浴する事が出来たハズ。
こちらはその当時のこの浴場の施設の見取り図。これだけ多くの部屋があり、左右対称に配置されていたようだ。ちなみに混浴ではなく、時間帯を変えて男女それぞれ入浴していたようだ。
そんな大浴場跡を見ながら、ちょっと憂鬱な?気分の男。「これでチュニジアも終わりか~~日本に帰ったらまず風呂に入りたい!!」と思っているのかも。
そして説明が終わった後は実際にこの浴場跡に入って、自由に見学となります。
思っていた以上に大きな施設。
こんなにデカいとは思っていなかった・・・ハッキリ言って油断していました。。
アントニヌス浴場跡を見学する前に、ボクと同じ年頃の”今でもお父さんの頭を悩ます?!”息子を持つお父さんと記念撮影。ツアーに来ると年配の人が多いが、77歳でも元気なのには驚かされる。何というか「自分に対して厳しく接する」ような気持ちを持っているのだろうか、同年代の人が「しんどいから辞めとくわ~~」と言いそうな事でも負けずに立ち向かうタイプのように感じた。
今回の添乗員さんも男性なので「写真の撮るセンスがどうなのかな?!」と思っていましたが、バッチリでしたね。ただ何枚も撮らずに1枚だけのタイプでしたが。。
浴場跡に入って見学を!
この浴場跡に足を踏み入れる事ができるとは思っていなかったので、ウキウキ気分で入っていきます。
こちらのお父さんも77歳にして、未だに色んな場所に行って感激しているようです。
修復されているといえども、これだけの規模を約2000年前の人達が築いていたという事実には驚く。
そして2階建てになっていたようだ。
アントニヌス浴場内の景色 動画
当時は床にモザイク画があったり、壁にはフレスコ画が描かれていたようだがもしそれも残っていたらもっと豪華な感じだったのだろう。
でもそんな大規模な施設でも、文化の違う人には受け入れられなかったというのは少々残念。お風呂に浸かるというもの程、気持ちいいものはないと思うのだが。
こんな大きな浴場もローマ帝国の中では3番目の規模らしい。
古代ローマではこのような浴場では貧富の差を問わず誰でも利用できて、飲食・運動・読書・商売・哲学的議論などができる大型施設のようなものであったようだ。
※参照「古代ローマの公衆浴場」ウィキペディアより
現在でいう大衆浴場のような施設で、1日数時間滞在していたようだ。
当時の浴場では石鹸が貴重品だったので、オイルで体を洗っていたそうだ。
そしてコロッセオのように、この公衆浴場も政治の人気取りに使われた。例えば議員とかは自分の誕生日に公衆浴場を無料開放し人気を稼いだらしい。
今では細かくその施設を見分ける事ができないが、この大きさには感心してしまう。
こちらの溝は排水溝の跡。
そのローマ時代は勿論奴隷がいたので、一緒に連れていき物を取ってこさせたり自分の体を洗わせたり荷物を見張らせたりさせていたそうだ。
「どうせならこの近くに新しく大衆浴場を造って、その素晴らしさをPRしたらいいのでは?!」と思いながらポージングする男。
この浴場跡もここにある部品の多くが、別の建築物に転用されたという。
お風呂に浸かるというのは文化だけの問題だとすると、浸からない人達って人生でとても勿体無い事をしているようにしか思えない。
卓越した水道技術を持っていた古代ローマ帝国。それがローマ帝国の繁栄に繋がり、それが壊される時に滅亡にも繋がった。
今では水すら流れていないので、やや残念。少しでいいのだが、水が流れている様を見れればよかったのに。
辺りを見回すと、結構皆自由に浴場跡の色んな場所に登っている。
写真を撮る時程、無防備になる瞬間はない。
写真を撮っている先より、撮っている人を面白く思えて見てしまう。。
一心不乱に嬉しそうに写真を撮り続けるお姉さん。
その先にいるのは、高い場所に腰掛けていたお友達?!
日本人ならあまり遺跡でこういった場所には登らないが、ここチュニジアではお構いなしのようだ。
短パン姿でリラックスして2階部分でくつろぐお兄ちゃん。
彼女か?兄弟なのか? お姉ちゃんも横に座る。
勿論2階部分から落ちると、そこそこのケガをする可能性がある。しかも柵とかはなく油断していると落ちるので、登るのも真剣にしないといけない。海外では基本”自己責任”なので、誰も注意はしてくれないし、同情もしてくれない。
結構好き放題に皆、遺跡の上に登っている。
ボクも日本人代表として、負けてはいられない!
そんな様子は次回に続きます!
↓↓↓↓チュニジア旅行記:初回↓↓
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