【チュニジア世界遺産紀行8日間】7日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】
生贄の痕・・!?
カルタゴでビュルサの丘の見学を終えて、お次は近くにあるトフェへ向かいます。
トフェ(タニト神の聖域)に到着
バスに乗って5分程でお次のカルタゴ遺跡に到着します。
入口付近にはお花が咲いていました。ここは公園のように開放されていて、荷物検査等は無かった。
ここに並んでいる石は全て墓石で、この付近で骨壺が2万個以上も発見されたそうな。
とある文献によると。カルタゴ時代に子供を殺して神様への生贄としていたそうだ。実際に幼児の物と見られる小さな骨が出てきたそうだ。
そんなお墓跡でリラックスしている猫ちゃん。
この辺りはあまり人が来ないのか?「今リラックス中なんで邪魔しないでくれ!!」という感じ。
「ここは単なるお墓でそこまで見るべきものではナイゾ!」と言っているような顔?!
「生贄」という儀式は昔のもの。昔は人間を生贄に用いた事例も確認されており、荒ぶる天候を治める為に大事な人の命を差し出すという考えのようだ。昔は頭を悩ます天災が続くと人々は疲弊し、その内に神頼みしか選択肢が無くなったのだろう。
古代ギリシャの歴史家「ディオドロス」の著書では、「司教が子供達の首を落とし、燃え盛る火の中に投げ入れた」と記述があるそうだが本当かどうかは謎のまま。。
ポエニ人の墓地の景色 動画
こちらの墓石には表が掘り込まれていて、ちょっと特別なお墓のようだ。
左の墓石には小さな人が彫られており、幼くして亡くなった我が子を偲んで造らせたのだろうか。こういうのを造れるというのは当時の有力者だったのか?
この見学の時は何とも思わなかったが、今写真を見返すと元々ここにこれらの墓石があった訳ではなく、見易いようにわざわざここに並べているのだろうな。
こちらの一見”女性トイレを示すマーク”のようにも見えるのが、ケルクアン遺跡でも見た「タニト神」の印である。古代カルタゴ時代に人々が崇拝していた神様で、母神であり冥界の神でもあったという。
そのタニト神と共に主神として崇められていたのが「バアル・ハモン」と言われる神。バアル・ハモンの妻がタニトだったとされている。
古代も現代も「信じるものは救われる」なのか?!
そういえば大ヒットした映画「マトリックス」でもキアヌ・リーヴス演じる主人公:ネオが救世主と覚醒する条件は”自分を救世主だと信じる事”だった。”自分を信じる”事って、意外と難しいのである。
この「トフェ」という名前は聖書にも出てくるエルサレムにある谷の名前で、そこでは乳児を火に投げ込む儀式が行われていたという。1920年代からその名前で呼ばれているそうだ。
そんなお墓の中で、隠れる男。
どこにいるか?分かりますか??
写真を撮ってくれた添乗員さんから「日陰に居ると分かりづらいので、日向でも撮ってみましょう!」と言ってくれたので、もう一枚撮るもド真ん中に入れてくれたのでバレバレですね。。
ここでは他に観光客もいなく、のんびりした雰囲気の場所。
こちらの丘の下に見える穴の先は4世紀頃のローマ時代に造られた穀物庫だそうだ。
その付近にも墓石が沢山並んでいる。
このポニエ人の墓地はこれだけ。ホントに質素な感じの場所。
中心に大きな木が生えていて、何かこの場所の守護神のようにも感じれるような。。
この辺りでも陶器の壺の破片が足元に落ちている。ひょっとして2000年も前の物だろうか??
このカルタゴの街は今ではチュニジアでは一番の高級住宅街となっている。横にある元住宅では土地から遺跡跡が出てきたので立ち退きさせられたようだ。
そんな昔の場所にも色んな花が咲いている。人の命も昔も今も一緒で、咲いては枯れる。。
近くの湖に寄る
先程のトフェから少し歩いたところに湖がある。
こちらは昔は軍港として使われていたそうだ。
そこに居た子供は知り合いの子供なのか、現地ガイドさんが握手していましたね。
ここは湖のように見えるが海と繋がっている。
こちらの先に行けば地中海に繋がっている。ただそんな感じはしない位、穏やかな水面。
軍港跡の湖の様子 動画
ここにはトフェ(Tophet)の案内板があります。歩いてすぐの場所です。
特に釣りをする人もいなくて、特徴もこれといってなさそう。
このカルタゴの港は軍港と商業港に分かれていたそうだ。
「とりあえずここでも写真を撮っておきますか」というポーズ。
目の前の通りは「ハンニバル通り」。チュニジアとか外国では、偉人の名前や革命日の名前を付けた通りや広場が至る所にある。
再びバスで移動
こちらは毎日1本支給してくれたミネラルウォーター。事前の話ではミネラルウォーターが付かない予定だったが、ラッキーな事に支給してくれた。
こういう片面が平らな形状だとバスのシートにある網に入れ易かった!
この辺りはチュニジアでも超が付く高級住宅街。1軒2億とも言われていて、それもチュニジアの物価で。。恐ろしい値段である。
そんな高級住宅街はさすがに人通りが少ない。
こんなチュニジアでも高級住宅街の値段は想像以上のもの。。
そろそろ次の目的地に着いたようだ。何か記念写真を撮れるゾーンが見える。恐らく有料だろうけど。
アントニヌスの共同浴場に到着
ここがあのヒット映画「テルマエ・ロマエ」の元にもなったと言われているローマ時代の風呂場跡。ヨーロッパでは”お風呂に浸かる”という文化が無いように思えるが、古代ローマ人はお風呂を好んで入っていたようだ。
ここでも入口で荷物検査があります。テロの後はこういった警備が厳重になったのでしょうか?
こちらから「アントニヌスの共同浴場跡」に進みます。別にマシンガンを携帯した警官とかは居ませんでしたが。
こちらのゲートから、中に入っていきます。
中に入ると、まずは色んな木が生えているのが目に入ってきます。まるで「ここは植物園か!?」と思う位の。
ここから見てるだけだと、全然そんな浴場跡が有りそうな雰囲気が無い。。
道端に置かれている小さな石棺には、子供の骨が入れられていたそうな。
そんな様子を見ながら、こちらの通路を進んで行きます。
その後の様子は次回に続きます!
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