【チュニジア世界遺産紀行8日間】7日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】
塩の謎・・!?
最終日の観光はこちらの「ビュルサの丘」から始まります。古代カルタゴ時代に中心地となっていた場所です。
このビュルサの丘の横にはお土産屋さんが軒を開いています。ギリシャ神話に出てくるような白い像が並べられていました。
こちらに寄ってきた猫ちゃんは、そのお土産物屋さんが飼っている猫のようだ。まずは挨拶とばかりに・・・・
ドアップで出迎えてくれました。お店の店主には「観光が終わってから寄るよ!」と返しましたが、観光後は寄るのを忘れていましたね。。
こちらがカルタゴ遺跡のビュルサの丘の入口。
ビュルサの丘に入る
こちらも例の如く、現地ガイドさんがまとめてチケットを購入してくれて入口を進んで行きます。
こちらにも入口で荷物検査があります。皆カバン等をX線検査機に通しますが手ぶらのボクはフリーで入ります。
まずはチュニジア国旗が出迎えてくれます。
海外に来るといつも家でやっている”室内で器具を使わずにする筋トレ”をする時間がないので、どうしても体がなまってしまいます。。なのでちょっとここらで体を鍛えてみる。
このようにコブラストレッチで体を伸ばします。筋肉を鍛えるのもいいけど、その分使った筋を伸ばすストレッチも同じくらいに重要なのです。
昔の柱跡が沢山置いてあります。がほとんど原形が残っている柱はありません。。
このビュルサの丘の横に建てられている「サン・ルイ教会」はそんなに古くはなく、1890年頃に建設されたもので比較的新しく感じる。1270年の十字軍遠征に参加しチュニジア付近の包囲戦で亡くなったフランス国王ルイ9世に捧げる為に造られたそうだ。
この土地には2000年以上前に栄えていたポニエ時代のカルタゴの街があった。この遺跡から発掘されたものは近くにある博物館に展示されている。
こんな柱の跡もその時代の物なのかな?!
元々は丘の上に建てられていた要塞であった。
瓦礫と化している柱の上で、色んなパワーを受け止めようとする男。
ポニエ戦争で大活躍したハンニバル将軍は”アルプス山脈越え”の行軍で有名である。
約60,000の軍勢と37の戦象で2ヶ月を要して、大幅な犠牲を出しながらローマに攻め込んだ。まさかの奇襲にローマ軍は太刀打ちできずにハンニバル軍の大勝利となった。
ちなみにそんな業績からイタリアでは今でも子供が悪い事をすると、親が子供を叱るのに「ハンニバルが来て、あなたを連れて行ってしまうよ」と言うのだとか。。
ハンニバルは闘将としてではなく、政治家としての手腕も評価されている。カルタゴは第二次ポエニ戦争後にローマから膨大な賠償金の支払いを求められた。国が潰れる位の金額であったそうだが、ポニエ戦争で地位と名誉を得たハンニバルが政治の権限を掌握して改革を行った。そしてその膨大な賠償金の支払いを完納したのである。
しかしローマ帝国は属州国であるカルタゴのそんな急成長している力を恐れて、カルタゴを叩き潰す事に繋がるのである。
最終的にはローマに攻め入られ、3年にも及ぶ包囲網の末に陥落したカルタゴ。
そんな跡地が残る、このビュルサの丘。ちなみにガイドブックにはローマに破壊されたカルタゴの街で”簡単に再生されないように塩を撒いた”とされているが、これは史実ではないようだ。約2000年前の時代は塩というものは貴重品でローマ軍では給料代わりに塩を配っていた程だ。古代ローマで公用語だったラテン語で塩の事を”Salarium”と言っていた。そこから”サラリーマン”の語源が来ているそうだ。
そんな訳でそれ程大事なものを広大な土地にばら撒くだろうか? 今で言えば潰した敵地にお金をばら撒くようなもの・・・。
丘の上にあり、景色がいいので皆さん遺跡見学もそこそこに記念撮影タイムに突入しているようです。
カメラオジサンもたまには自分も記念撮影。スマホとかだと気軽に「写真、撮ってもらえますか?」と頼めるけど、一眼レフカメラのようなしっかりした物だと頼みづらいのかも。
こちらの神戸からお越しの奥様も、嬉しそうに記念撮影中。
この辺りには住居が並んでいたそうな。かつて繁栄した跡が虚しく残る場所。。
こちらの教会もこんな古い遺跡の横にあるからもっと古い時代に建てられたのかと思ってしまうが、1890年と意外と最近に建てられたもの。
ビュルサの丘の景色 動画
ケルクアン遺跡でもそうだったけど、建物自体の原形が殆ど残っていないので想像力を豊かにして遺跡を見る必要がある。
今では石の残骸しか残っていない。。当時のローマは敵の都市を破壊した跡地の上に新しいローマの都市を築くものだが、この地は破棄されたようだ。その為、イタリアではローマ遺跡の下を更に掘れば、また別の遺跡が出てくると言われている。
あえて遺跡や景観の写真ではなく、ツアー参加者さん達の背中と一緒に記念撮影する男。「この人達と今回一緒に旅を楽しんでいます!」と。できれば人が撮らない写真を撮りたく思っております。。
”カジ~~”さんも記念写真のポーズは控えめ、真面目そうな性格なのだろうか?本人に聞いてみると周りからは「変わっている!!」と言われるそうな。
この先には地中海が広がっている。ちなみにこの2000年以上前のポニエ戦争でローマとカルタゴが戦ったが、その勝敗次第では地中海の覇権はアフリカが握っていたのかもしれない。
よく見かける顔の無くなった像。
カルタゴの場所を説明する地図。全盛期はモロッコの北端とスペインの南端も領土に収めていた。
それにしても毎回現地ガイドさんの話はすぐに忘れてしまう。せっかく説明してくれているのだから、覚えておきたいのだが。という事は興味が無いだけなんだろうな。。
今日の午後のフライトでチュニジアを発つので、近くにある博物館の見学はしません。
このカルタゴの街の起源は紀元前814年頃。今では大統領官邸も近くにあり、このカルタゴの街は高級住宅街となっている。
関東組からすると神戸の人も”面白い関西人”になるのだが、こちらの奥様も言っていたが”コテコテの大阪のオバちゃん”レベルには勝てない・・・。よくテレビなどの街頭インタビューで喋っているような感じ。神戸人は気品がいいので、ちょっと系統が変わるのである。
このカルタゴの遺跡も世界遺産に登録されている。これでチュニジアにある8つの世界遺産を全て制覇!
このチュニジア・ツアーのメインでもある世界遺産を巡る旅、本日にて終了するのである。
ただ曇りなどの天候が多かったが4月下旬に訪問したにも関わらず、結構日焼けをしてしまった。勿論日焼け止めクリームなどは塗らなかったのでそれも要因かもしれないが、地中海沿岸の場所は日焼けし易いのでそれが嫌な人はちゃんと対策をして行きましょう!
ビュルサの丘の景色 動画2
こちらの柱はローマ時代の柱かな?この一本だけそこそこキレイな状態で残っていました。
そんな柱の前で記念撮影。「チュニジアの世界遺産を制覇しましたよ~~!」とご満悦の男。
こちらの顔なし像の前で、記念撮影タイム。ちゃんとそれ用に後ろに足を乗せる石が置かれています。
続いてカメラマン・オジサンの順番。
意外と上手い事、顔の部分に収まっていましたね!
これでこのビュルサの丘の観光は終了。敷地内にある無料のトイレを済ませて、バスで集合となります。こちらでは他の団体観光客がモザイク画の説明を受けています。
カルタゴが戦争で勝っていたら、アフリカ大陸が世界経済の中心になっていたのかもしれない。
その当時、狩りをしていた様子かな?!
無料のトイレでしたが、とてもキレイで臭くもなかったので余っていたチュニジアのお金をチップとして掃除している人にプレゼントしました。このようにキレイにトイレを管理してくれていると、感謝の気持ちとしてチップを払いたくなります。
時間があればこの大聖堂の中にも入って見たかったのだけど。。それに入口横にあるお土産物屋さん、訪れるの忘れてた・・・。
バスで次の遺跡に移動
バスに乗り、近くにある別のカルタゴ遺跡に向かいます。
その様子は次回に続きます!
↓↓↓↓チュニジア旅行記:初回↓↓
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