ポルトガル初代国王アフォンソ1世が生まれたギマランイス城を訪れる-ポルトガル旅行記-11

ポルトガル旅行記:3日目

阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日

ポルトガルが生まれた場所!

さてこのポルトガル旅行は3日目に突入します。ここはポルトガル第2の都市であるポルト。世界遺産にも登録されているポルトの街並みですが、残念ながらこのホテルはそんな街中からは13km程離れている、空港の真横にある郊外のホテルです。

 

昨晩は近場のスーパーへ行くだけの夜歩きだったので、元気は有り余っています。

というか海外で長い時間夜歩きした時でも、翌日は元気が有り余っていますけどね!

 

こちらは本日の朝食です。あまり野菜が無かったので、アメリカンスタイルな感じの内容となっております。その代わりにヨーグルトは2個食べる事にしました。

 

ホテルの外に出てみると、僅かにパラパラと雨がちらついている。しかし雲の切れ間に青空が顔を覗かしているので、青空の頑張りに期待である!

 

今日はバスの前方座席をゲットしたので、前の景色がよく見える。前に座ると前方の景色も楽しめるので、後ろの席に比べると得をした感じにもなる。しかし一応団体行動なので毎回同じ席には座らずに、みんなが順番でいい席に座れるように日替わりで席を交代していかないといけないのである。

 

ギマランイスまで移動 動画

 

 

ギマランイスにて

ポルトからバスに乗る事、約50分にてポルトガル北部のギマランイスの街に到着します。ここはポルトガルという国が初めて生まれた12世紀に、その独立を果たして初代国王になった「アフォンソ(1世)・エンリケス(Afonso Henriques)」が生まれた場所なのである。

 

 

ここも緑が多くて、綺麗に管理されている芝生が青い青いとして、とても綺麗な景色が見える。

 

そんな初代ポルトガル国王アフォンソ1世が生まれたお城の前には、彼の銅像があります。1109年頃生~1185年没と当時としてはそこそこ長生きした初代国王。彼のお父さん「エンリケ・デ・ボルゴーニャ(Henrique de Borgonha)」はフランス人で、当時イスラム教徒に支配されていたイベリア半島でキリスト教勢力が支配地を取り戻す為の”レコンキスタ(国土回復運動)”に参加し、北ポルトガル地域を奪還するのに貢献した。その殊勲として彼にその地域を支配する事を認めた。

 

そして今のポルトの街を統治していた父エンリケは男3女3の子供を設けたが、彼の息子で唯一成人まで生存したのは後に国王となるアフォンソ1世だけだったという。ちなみに父エンリケがフランスからポルトガルにワイン用葡萄の苗を持ち運んだ人物で、ポルトの街の名物ともなるポートワインの生みの親でもある。

 

今日は朝から絶好調な感じに見える”メルハバおっちゃん”、自分からボクが写真に撮る構図に入ってきた。去年夏に行ったトルコ旅行で知り合ったオジサンで、あまり強い個性が出ない、ふんわりとした感じの性格みたい。

 

こちらの建物は、ポルトガルで2番目の王朝(最初の王朝は”ブルゴーニュ王朝”でアフォンソ1世の父エンリケが創始者)である”ブラガンサ王朝”の創始者ジョアン1世の息子「アフォンソ1世(Afonso Ⅰ)」(こっちは初代ポルトガル国王とは違うアフォンソ1世・・・)がブラガンサ侯爵となり15世紀に建てた邸宅跡である。なお、20世紀に改装されて今では昔とは違う建築物となっているようだ。。

 

そんなギマランイス城の入口前には、小さいけどお土産屋さんが開いていたのでちょっと中の様子を見てみる事に。

 

ポルトガルはコルクの生産量が世界第1位で、ワインのコルク栓以外にコルクを使用したアイテムが沢山ある。こちらの小物入れや財布、帽子や靴までもある。

 

そんなお土産屋さんを軽く見学していると、添乗員さんから「さあ~~皆さん、行きますよ~~!」との声が聞こえたのでお店を出て付いていく。この旅行はパックツアーなので、添乗員さんに迷惑を掛けない程度に行動する必要があるのです。

 

 

サン・ミゲル教会にて

こちらの石造りの建物は「サン・ミゲル教会(Igreja de S. Miguel)」で、13世紀頃に建てられた教会。この横にあるギマランイス城で生まれた初代ポルトガル国王アフォンソ1世は、この教会で洗礼を受けたとされている。

 

この教会、外観から見ても分かるように当時はよくあったように教会&要塞として造られた構造になっている。当時の教会は祈る場所と共に外敵から守る必要もあったので、建物には窓が少なく、その窓も小さく内側より外側の方が狭くなっているのだ。

 

この教会は中世の頃に廃墟となり、その後再建されたもののようだ。

 

教会内には特に何もなく、奥に簡単な石の祭壇があるだけの内装。

 

こちらは先程正面から見たブラガンサ公爵の邸宅跡を、反対の後ろ側から見た景色。こちらも一時廃墟となっていたが、その後改修されて現在ではこのように綺麗になっている。

 

ギマランイス城にて

こちらの砦のように見える石造りの建物が10世紀に建てられたとされる「ギマランイス城(Guimarães Castle)」。この城を居城としたのはアフォンソ1世の父エンリケで、彼は11世紀の終わりにこの城を大幅に改装して彼の住む住居に変えた。そしてその後初代ポルトガル国王のアフォンソ1世がこの城で生を受けて、彼が国王となった後はこの城が王宮となったのである。

 

その後13世紀の終わりに最盛期を迎えていたブルゴーニュ王朝の国王デニス1世の指示で、ギマランイス城は改築を受けて、その姿が今見られるこの形になったそうだ。しかしエンリケの築いたブルゴーニュ王朝も終焉を迎え、この城もその後廃墟と化してしまうのであった。

 

その後、アヴィス王朝の時代にはこの城も見捨てられて廃城となってしまう。そして19世紀にはその後政治刑務所となっていたこの城を解体して、この城に使われていた石を再利用し、ギマランイスの街に新しい道路を造る計画もあったという。しかしその後、この歴史的な城は保護される事になり、このように今でも目にする事が出来るのである。

 

 

ギマランイス城に入城

そしてこのギマランイス城はツアー旅程には含まれておらず、この城前で自由時間に。ギマランイス城に入城したい人は各自入場料2€を支払い、城の中を見学するのであった。ちなみにさっきまで暇そうにしていた、入口に立っていた警備員は急に日本人の団体が押し寄せて来ていたので、少々ビックリしたような顔をしていた。。

 

入場料を払って、ギマランイス城に入る。城内に見える石には苔のように緑が生えていて、その歴史を感じされてくれる景色でもある。

 

今となっては城中央の砦しか建物はなく、本当にここが当時の王様の住居であったとは思えない城跡。

 

戦いの多かった中世なので、このように城壁がしっかりと築かれている。隙間なく石が積み上げられているのが分かる。

 

この城の外側に張り巡らされている城壁の上にも登れるみたいで階段が付いている。この城を王宮としていたブルゴーニュ王朝も、14世紀中頃に発生したペスト(別名:黒死病)により、大きく社会が乱れたのも影響し政権が滅びる事となる。コロナウイルス騒動で大変な2020年だけど、過去の事例を見ると大規模なウイルスの流行は社会の仕組みまで変えてしまうのである。という意味ではこれからの世界も大きな転換点を迎えたという、コロナウイルスの出現なのである。

 

ギマランイス城の城壁から、周囲の景色を見回す。近くに街があるけど、それ以外には特に大きな近代的な建物は見当たらなくて、中世の街並みが残っているように見える。

 

城と言っても中世の、本当に要塞といった感じの城の造りである。

 

ギマランイス城内の景色 動画

 

今ではギマランイス城と共に周辺も公園のように整備されているので、周りに生えている芝生の色がとても綺麗である。

 

映画などで見る中世の頃の、攻城戦を繰り広げる舞台の城のような造りのギマランイス城。

 

このギマランイス城内には、このように中央部分に四角い塔と大きな石の丘みたいなのがある。

 

そんな中央にある塔には橋が架けられていて、中に入れるみたいなので進んでみる事に。

 

塔の中は資料館のようになっていた。左に見える、くり抜かれた形はこのギマランイス城を上から見た形になっている。

 

「階段を一番上まで登れば、展望台みたいに周囲の景色が見えるハズ!」と意気込んで階段を駆け上がっていったけど、残念ながら2階部分で階段は通行止めになっていた・・・。

 

この階にはアフォンソ1世の後の歴代ポルトガル国王の肖像画などが飾られている。

 

ボクの後について、屋上からの景色を楽しみにして階段を登ってきた”メルハバおっちゃん”も、ここで通行止めという事でちょっと残念そうな表情を浮かべていた。。

 

残念ながら塔の上までは行けなかったけど、この城壁を一周してみる。そしてそんな城壁の上で記念写真を撮ってもらったけど、緑色のパーカーを着ていると周囲と馴染んだ感じになっていて、こちらもちょっとガッカリ・・・?!

 

ギマランイス城から見下ろす景色 動画

 

中世の城って感じをとても感じるギマランイス城。それに苔のようなのが付いているのが、この城の歴史を感じさせてくれる。

 

現代のポルトガルの礎を作った、このギマランイス城。その後大航海時代に繁栄したポルトガルもその後は低迷するのである。世の中の、移り変わりの激しさを体感させてくれるポルトガル。

 

日本の歴史に残っている記録では、初めて日本の地を踏んだヨーロッパ人はポルトガル人だった。その後1543年にポルトガル人が鉄砲を持って種子島に漂着し、ポルトガル人の存在がその後日本を大きく変える事になるのである。

 

そして織田信長が南蛮の物を興味津々で見ていたので、南蛮貿易が栄えて、それに伴いポルトガル語も沢山入って来て知らぬ間に日本語にも定着するのである。有名なポルトガル語から来た言葉では、タバコ(Tabaco)金平糖(Confeito)などが挙げられる。タバコはそのままの発音だけど、金平糖は「コンフェイトー」だったみたいだけど。。

 

今日は絶好調な感じの”メルハバおっちゃん”は、これまた元気な千葉からお越しの”自称後期高齢者オジサン”と、仲良くツーショット。

 

お次は交代してもらい、”自称後期高齢者オジサン”に写真を撮ってもらう。今までツアーでお会いした後期高齢者付近のオジサンにスマホで写真を撮って貰うと指が写真に入る事が多かったけど、このオジサンはスマホ馴れしているみたいで全然不安なくスマホで写真を撮ってくれた。

 

初代ポルトガル国王アフォンソ1世の丸いプレートが入れられている石が、城の横に置かれている。どの国でも独立を最初に勝ち取った人物は、その後永年に渡っても英雄として人々に尊敬され続けていくのである。

 

それにしても、ポルトガルは芝生が綺麗で、とても緑が気持ちよく感じる。コルクじゃないけど、こんな穏やかな気候と雰囲気がいい物を作りだすのだろう。

 

ギマランイス城付近の景色 動画

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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