ギンガ王妃の伝説は・・・本当??ヴィエリチカ岩塩坑編-ポーランド旅行記-40

ポーランド旅行記:5日目

阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–

ギンガ王妃の伝説は・・?!

ここはポーランド南部にある1978年に最初の世界遺産が登録された年に、認定されたヴィエリチカ岩塩坑の洞窟の中。ただ洞窟というよりかは、人類が700年近く掛けて掘り続けた跡はさながら”アリの巣”のようになっていて、部屋の合計はなんと約2,300個もあるんだとか。。

 

 

ヴィエリチカ岩塩坑内の見学

13世紀頃に本格的に始まった岩塩の採掘。当時は削りだした岩塩の塊は柱に巻き付けたロープを使い、運搬していた。

 

昔はこういった、人力による運搬が主であった。ギリシャのメテオラ地方の奇形の上、辺鄙な場所に建てられていた教会でも物資を引き上げる為にこのようなやり方をしていたのを思い出す。

 

 

ここの地層は昔海だった場所が隆起し、そこに溜まっていた海水が蒸発した為に大量のミネラル分が含まれた岩塩になっているのである。

 

その為、ここではそのミネラルを用いた病院としても使われる事もある場所なんだとか。でも最初は全然信用していなかったけど、そんなミネラル豊富な岩塩層を歩いていると、ず~~っと旅中鼻をすすっていた添乗員さんは鼻通りが良くなったみたいで鼻を全然すすらなくなっていた。

さらにボクも慢性鼻炎があり、鼻が詰まり易いがここに滞在している時は鼻詰まりが一切なかった。という事でここに治療目的で来るというのも、あながちあり得そうに思う。

ここであれば、長年付き合ったアトピーともお別れできるかもしれないな!

 

この岩塩坑は1666年から観光客の受け入れを開始したようだ。個人的には「こんな岩塩坑を見学用にしたって、観光客が来るのかな??」と思ってしまうが、実際にはポーランドでも年間140万人の観光客が来る、観光業の儲け頭にまで成長した場所になっているのである。

 

坑道、白いのは通路を補強している木が白ペンキで塗られているから。

 

その先はこのような壁になっていて、これらの壁は石や土ではなく全て岩塩なのである。なのでこれらの壁を舐めるとショッパイのである。ちなみにここを訪れる観光客の半分は地元ポーランド人らしく、彼らは平気で壁の岩塩を舐めるんだとか・・・。

 

コペルニクスの間

こちらは”地動説”を唱えたトルン人、ニコラウス・コペルニクスがここを訪問した記念に造られた部屋である。

 

そんなコペルニクスの訪問を記念して、その後に造られたコペルニクスの像も見える。

 

こちらの像はコペルニクスが生まれた1473年から500周年の記念の年となった、1973年に造られたコペルニクスの像である。彼は1493年にここを訪問した事があるらしい。

それ以外にもショパンやヨハネパウロ2世など、ポーランドを代表する人物は殆どここを訪れているので、ポーランドのエキスがミネラル豊富な岩塩と共に凝縮された場所でもあるのだ。

 

こちらの床も岩塩で出来ている。特に気にしなければ普通の床に見えてしまう。勿論ここで床を舐めてみれば、ショッパイらしいので岩塩と分かるのですが。。

 

坑道を歩く様子 動画

 

観光客が歩くルートは多少階段はあるものの、平坦な道が多いのであまりしんどくはない。年配の観光客の体力を考慮して、あまりしんどくないルートにしているのだろう。

 

こんな岩塩坑の中にも光り輝くシャンデリアが設置されていた。こちらのシャンデリアも岩塩を削ったパーツで出来ているんだとか・・。こんな地下にも礼拝堂がある。カトリックが多いポーランドらしい場所でもある。

 

 

ヤノヴィツェの間

 ここではこのヴィエリチカ岩塩坑がここまで大きくなる元になった、13世紀に存在したギンガ王妃の特別なエピソードが再現されている間である。1224年にハンガリー王ベラ4世の子供として生まれたアールパードハージ・キンガ姫

15歳の頃に政略結婚でポーランド王国ボレスワフ5世と結婚させられ、ポーランド王妃になる。その後1279年に夫のボレスワフ5世が死去すると全ての財産を売り払い、貧しい人達に全てを分け与えて、その後は修道院に入り世間の前に出てくる事は一切なかったという。その後カトリックで列福・列聖し、ポーランド及びリトアニアでは守護聖人として祀られているのである。

 

それ程までに敬虔なクリスチャンだったギンガ王妃。結婚せずに一生を祈りに捧げる人生を決めていたが、王女の宿命かポーランド王と嫌々政略結婚をさせられる。それに憤慨し、送られた結婚指輪を地元ハンガリーにあるマラムレシュという岩塩坑の中に放り込んで捨ててしまった。

その後結局結婚せざるを得ず、ポーランドに移り住む事になったギンガ王妃。それから約10年後にポーランドのクラクフ近くにあるヴィエリチカ村から「とても立派な指輪が岩塩坑から発見された!」という知らせを受け取る。その知らせを聞いて指輪を確認しにきたギンガ王妃が見たものは、なんと自分が昔ハンガリーの岩塩坑で投げ捨てた自分の結婚指輪だった。こちらの間にはその時の場面を再現した、岩塩で造られた像が展示されている。

 

当時のポーランドでは岩塩坑の採掘は大規模には行われておらず、岩塩はハンガリーからの輸入に頼っていた。そしてハンガリーから輸入された岩塩を保管していたのが、このヴィエリチカであった。ハンガリーから採掘された岩塩の中にギンガ姫が捨てた指輪が紛れて、それがポーランドのクラクフまでやってきたのである。

その話を聞いた当時のポーランド王室は「この奇跡は何かを導いているのかもしれない!」と考えて、それまで地元の有力者が行っていた塩の採掘を援助し大規模に行った。すると予想以上の規模の岩塩層が発見されて、ここを買い取り国営の岩塩坑として採掘を始める事になるのである。

 

その後ポーランドではこのヴィエリチカ岩塩坑を国の事業と定め、大規模な投資を行って事業を展開する。その甲斐もあってか、莫大な利益を生み出す場所となりヨーロッパ最大の岩塩坑として、また最古の企業の1つとなるのである。

さて、本当にこんな話があったかを信じるかはあなた次第です!

 

さっきまで見ていた岩塩の壁は灰色で塩っぽく見えなかったけど、この辺りの壁には白い塩の結晶が付着していた。

 

ガイドさんから「この塩、是非味わってみてください。取って食べてみてもいいので!ただし頭の高さまでは誰かが舐めた後かもしれないので、出来るだけ上の方のを取った方がいいですよ!」との助言がある。

 

この塩の結晶を爪で削って取って、食べて見ると予想以上にショッパイ・・・。でもこれがヴィエリチカ岩塩坑の味なのである。ボクが塩を削り取っていると、背の低い奥様が「私の分も取って~~!」と言ってきた。なのでその奥さんの分も削ってあげた。

 

ポーランド王国を支えていた財源の主な部分を占めていた岩塩坑からの莫大な利益。塩の採掘というのは昔から、人類にとって大事な事業であった。

 

採掘した岩塩の代わりに、地盤が崩れないように丸太を組み合わせて支えられているのである。

 

メタンガスの焼き場

地下での採掘で一番気を付けないといけない事が、そこで働く人間が吸う空気の確保である。ここは地下から湧き出てくるメタンガスを見つけて、それを燃やしていた「焼き場」と呼ばれる部屋。

 

空気や酸素は勿論、メタンガスも目に見えない。なので辺りに充満していても見えないし、酸素が無くなっても気付くまでは分からないし、それに気付いた時には手遅れになる。このようにたいまつに火を付けていれば、酸素が無くなれば火が消えてしまうのでそれに気付けるという工夫でもある。

 

岩塩坑道を歩く 動画

 

昔は今のように電灯など無かったから、全部たいまつを灯していたのだろう。そう思うと自分が生きる現代は、とても便利な時代になったものだ。

 

シェレツの間

こちらの部屋は1642年以前に行われていた岩塩の運搬作業を説明するゾーン。

 

こんな地下にはなんと馬が連れて来られていて、運搬作業に充てられていた。

 

台車の足がこの溝にハマって、ソリのように滑り易くなってたのかな?!

 

軽い荷物は人間がロープを引っ張って運んでいた。

 

ここで働かされていた馬は一回地下に入れられると、次にここを出る時はこの仕事を引退させられる時だったという。そんな重労働に文句の言えなかった馬だったが、その後動物愛護の声が高まり、馬の労働は廃止されるようになったという。

 

この辺りの人形は昔は、置いてなかったもののようだ。観光地として人気があるので、観光客を飽きさせないようにこういったオブジェを増やしていっているのである。

 

これらの人形の中に、一体ぐらいパフォーマーが侵入していて、実物の人間がそのまま立っていたりしていたら面白いかもしれない。

じ~~っと見てると、目が動いたりして?!

 

ここのガイドのお姉さんはハリーポッターに出てくるようなマントを着ていた。気温が14~16度の坑道なので、上着を羽織っておかないと寒いのだろう。

 

 

カジミェシュ3世の間

こちらの間にはまず左手に、小さな小川が流れていてだいぶ昔の人類のような人形が設置されていた。

 

人類がここに住み着いた時代、岩塩から湧き出る水に塩が含まれていたので、この地方に住んでいた人達はその水を蒸発させて塩を精製して食料品などと取引をしていた。

 

しかしある時を境にして塩の含まれた水が出なくなってしまった。困った村人たちは塩を求めて、地面を掘り続けた。すると岩塩が見つかり、それからこの岩塩坑の歴史が始まっていったのである。

 

岩塩坑内を歩く 動画

 

ここでも馬を働かせていた。動物を飼い慣らして自分の利益の為に活用していたのは、地球上の生物の中では人間位ではなかろうか?!

 

ここでも古典的な滑車を馬に引かせて、岩塩を運搬させていたようだ。

 

ここにはその模型とは別にミニチュアの模型があって、ボタンを押すと中の馬が回転しだすギミックがあった。

 

馬を使った滑車ギミック 動画

 

こちらはまた別のミニチュアで、さっきの滑車では垂直に輸送できるシステムを18世紀頃に造っていた。その当時になると段々深く掘り進んでいた為に、垂直に引き上げる方法が重要になってきたのだろう。

 

カジミェシュ3世の像

こちらもポーランドの英雄の1人として数えられる「カジミェシュ3世ヴィエルキ」(Kazimierz III Wielki、1310~1370年没)という、ポーランド王国の王様だった人。

別名「カジミェシュ大王」とも呼ばれて、ポーランドの地盤を強固なものにした立役者として今日でもポーランドでは尊敬されている人物。

 

ポーランドで彼が愛されている証拠に、ポーランド50ズローチ紙幣には彼の肖像画が入っているのである。

 

ちなみにこのカジミェシュ3世の母親は、先程見たギンガ王妃の妹の娘(姪)に当たり、親戚関係になるのである。

 

ここにも滑車があってガイドさんが「滑車を体験したい人はご自由にどうぞ~!」と言っていた。てっきり冗談かなと思っていたら、本当に体験用に触って押してもいい滑車だった。

 

という事で興味津々な男。実際に滑車を回すと、思った以上に大きく「ギ~~コ!ギ~~コ!」という音がした・・・。

こんな様子はまた次回に続きます。

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