クラクフの象徴である夜のヴァヴェル城は平和?編-ポーランド旅行記-31

ポーランド旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–

相変わらず夜行性徘徊・・

ポーランドで世界遺産になっているクラクフ旧市街地の夜散策はまだまだ続きます。すっかりとボクの中では恒例になってきた”夜の街歩き”。最初に”夜の街歩き”を始めたのは去年ギリシャに行った時だったけど、日中とは違った景色が見れるし、それと1人で外国の街を夜歩きすると程よい緊張感が得れて、すっかり”夜の街歩き”にハマったボクなのである。

 

クラクフ旧市街地にて

こちらは聖ヴォイチェフ教会でポーランドでも最古の石造り教会で、11世紀に建てられたもの。その後建物は一部改修されたものの、下部の造りはその当時のもの。そして約1000年の間にこの周辺は4m高さが増したので、入口は地下にあるんだとか。

 

この広場に面するレストランでは、テラス席が沢山出ていてお客さんもそれなりに入っているようです。

 

夜の旧市街広場にて 動画

 

冬になりつつある、秋のポーランドの夜はそこそこ冷える。でもテラス席好きのヨーロッパ人は厚着をして、ストーブも設置してテラス席での食事を楽しむのだ。

 

広場の端っこを歩いていると、怪しそうなお兄ちゃんが片言の英語で喋りかけてきたけど、そういったのは全て無視。何を英語で言ってきたかというと「マリファナ、コカイン!」と怪しい物の売り子のようだ。だからそういった輩は無視に限る。

 

旧市街地はこのように明るく、現地の女性も1人で歩いていたりするので治安もいいのだろう。

 

固く門を閉ざされた教会。あんまり大き過ぎる教会だと、スマホで写真を撮っても全体像が入らない時がある。。

 

一応ポーランド旅行する前にポーランドの歴史を勉強しておかないといけないと思って「ポーランドの歴史」という本を購入して読んでみた。しかし同じようなカタカナの王様や侵略されてコロコロ国が変わったりする変動ばかりの歴史で、イマイチ頭に入らなかった。。

 

 

ちょっとお疲れのような顔をしているように見える、こちらの像。。

 

このクラクフも19世紀はオーストリア領であった。その後第一次世界大戦後にポーランドが独立し、ポーランドの都市になるのである。

 

織物会館内に設置されていたランプには鳩除けの為に、何本もの針金が設置されていた。キリスト教にとっては鳩は平和の象徴として、大事にされている生き物だけど流石に世界遺産に糞を落として汚される訳にはいかないのだろう。

 

ポーランドの中でも多くのユダヤ人が暮らしていたクラクフ。第二次世界大戦中にはユダヤ人を閉じ込める為の”ゲットー”と呼ばれる壁で区切られたユダヤ人専用居住区を造った。ちなみにアカデミー作品賞を受賞した「シンドラーのリスト」はこの地方が舞台になっていて、この街でもロケが行われた。

 

 

こちらは14世紀の終わり頃に建てられた、かつてここにあった旧市庁舎の塔。1820年に都市整備計画の元に旧市庁舎のシンボルである、この塔だけを残して本舎は解体され広場になったのである。

 

島国の日本に生まれ育つと、そこまでの侵略された歴史を知ると驚くけど陸続きのヨーロッパでは攻めては攻められるという歴史が昔から繰り広げられているのである。

 

11月中旬の夜は、そこそこ冷えるけどここまで約1時間かけて歩いてきたので体が暖まっている。

 

何とも不気味なステンドグラスに掛かれている絵。

 

旧市街地広場を見回った後は、ヴァヴェル城に向かいます。夜なので入場は勿論出来ませんが、ライトアップされているのでその写真を撮りに行きます。

 

こちらのショーウインドウにはオーナーが猫や動物好きな感じが、とても出ているように見える。

 

夜はホテルでゆっくりするよりも、こうやって自分の足で実際に街を歩いてみると凄く勉強になる。バスに乗って眺めているだけとは全然違い、たまに道を間違えたりするのも逆にそれが記憶に残ったりして、後になってみて「あの時間違った道を歩いていたけど、この道やったんや!」と思い返す事が意外と多かったりする。

 

こちらクラクフでも多いケバブ料理屋。ポーランドではケバブ料理ブームなのかもしれない。

 

日本の建物とかは無機質なものが多いけど、ヨーロッパは独特な形をした建物が多いので、このようにライトアップするとそれぞれにいい雰囲気が出てくる。

 

こちらはまた古そうな教会が見えてきた。左側の教会は「聖アンドリュース教会」と呼ばれていて、11世紀終わりに建てられたロマネスク様式の要塞教会である。要塞教会とは単なる教会ではなく、街の防御機能も備えて建てられたもので、13世紀のモンゴル勢の襲来で唯一耐えた建物だったとか。なのでこの辺りでは「下の城」という別名もあったのだとか。(ちなみに上の城はヴァヴェル城)

 

こちらの建物は語学学校のようだ。

 

入口にはスペインの国旗が飾られており、スペイン語を学ぶには適しているようだ。

 

手前に12使途の像が並ぶ、こちらの教会は「聖ペテロ聖パウロ教会」。1619年に完成したバロック様式の教会で収容人数としてはクラクフで一番なんだとか。

 

そんな教会などを見ながら先へ進みます。

 

ヴァヴェル城が出現!

やっと姿を表した「上の城」こと、ヴァヴェル城。クラクフ旧市街の観光は明日ではなく、明後日午前中の予定。明日はアウシュビッツ強制収容所とヴィエリチカ岩塩坑の見学で一日が埋まっているので。

 

この辺りに建物が造られだしたのは10世紀頃から。

 

そして今あるヴァヴェル城は14世紀に建てられ、その後は歴代の王様の居城となっていた歴史のある建物である。

 

今の時間は22時過ぎで流石に門はこのように閉まっていたね。。

 

この道は昔城壁があった場所。それを撤去して、このような公園みたいな道になっている。

 

この真ん中に見える建物には歴代ポーランド王のお宝が収められているらしい。後日クラクフの街を案内してくれる現地ガイドさんも「20年近くガイドやっているけど、その宝物庫には一回も入った事が無い」とか。

 

ヴァヴェル城には入れないので周辺を歩いていると、後ろから蹄の音が聞こえてきたので振り返るとこんな場所まで馬車がやって来ていた。

地面まで明るく照らしている馬車は何とも新鮮な感じだ!

ヴァヴェル城に近づき過ぎたので、あまり城のいい感じの写真は撮れなかった。。

 

ビスワ川に反射して写る、クラクフの街の灯。

 

夜のヴァヴェル城付近の景色 動画

 

そんなビスワ川のほとりにはシェラトンホテルがあった。ちなみに明日アウシュビッツ強制収容所の見学があるが、行きたくない人用に「クラクフの街で自由散策」プランもあり、その時に集合する待ち合わせ場所がこのシェラトンホテルの前だった。

 

最初クラクフに入ってきた時にバスから見えた建物。この周辺にもノボテル・ホテルがあるのだけど、そっちのホテルからだと旧市街地が近くてあまり歩かなくても良かったのに。。

 

さて旧市街地を見たし、ヴァヴェル城も見たしという事でそろそろホテルに引き返すとします。

 

街歩きをしていると至る場所で見かける事の出来た、乗り捨てられた電動キックスクーター。便利なものでもあるが、無造作に街中に乗り捨てられていたり、接触事故も多発していたりと色々と問題になっているようだ。

 

クラクフはポーランドでも学問の街で、大学もクラクフだけで10個以上と沢山ある。こちらは考古学など、遺跡の発掘の仕方などを教える大学のようだ。

 

この時の気温は12~13度。歩いているからそこまで寒くないけど、じっとしているとそこそこ冷えてくる。

 

こちらの建物に描かれている絵は、宇宙戦艦大和をイメージして描かれたような感じに見える。

気のせいかな??

さて来た時の道を引き返してホテルまで戻ります。このように道自体は暗くないものの、人があまり歩いていません。

 

この辺りは学生向けの寮が多い地区らしく、月12,000~15,000円位の寮費なんだとか。

 

ホテルを出発後、約2時間半歩いて再びノボテルホテルに帰ってきました。既に時間は23時とそこそこにいい時間になっていました。

 

ホテルの横にはこのようなカジノが併設されていた。ホテルのお客さんをターゲットにしていたのか?!

ちなみにノボテル・ホテルでは両替が出来ずに、両替をしたい人はこのカジノを案内されたようだ。

 

クラクフの街歩きを堪能して、満足気分で部屋に戻ります。

 

そして部屋のドリンクバーにあったビールは飲まずに、初日に購入していた瓶ビールを飲んで長い一日を振り返りながら夜が更けていくのであった。。

この旅はまだまだ続きます!

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