長崎に落とされた原爆の爆風にも耐えた、山王神社の鳥居と大楠の生命力-長崎旅行記10

【甥っ子ちゃんとの長崎旅行】2日目

【個人旅行-スカイマーク便】2019年8月5日~2泊3日

 生命力の凄さ・・!

長崎旅行2日目、幸いにも台風の影響はあまりなく小雨が降る程度。まずは平和公園を訪れて沢山の像を見学し、原爆が投下された中心地にも立ち寄り、お次は原爆資料館に向かいます。

 

広島の原爆ドームには行った事があるけど、その時はあまり原爆投下時の出来事については勉強しなかった。今回は資料館も訪れて、その時に比べると少しは詳しく知れる機会を設ける。

 

昔は折れたけど、今ではすっかり折り方自体、忘れちゃった千羽鶴。

 

  長崎原爆資料館に入場!

こちらは長崎原爆資料館の入口。平日だったし、台風が近づく日だったので想像よりもあまり人は居なかった。


【長崎原爆資料館】

住所:長崎県長崎市平野町7−8
TEL:095-844-1231
営業時間: 8時30分~17時30分 ※5月~8月は8時30分~18時30分
※8月7日~9日は8時30分~20時00分
ただし入館は閉館30分前まで


 

円状になったエントランス・スロープを下って、資料館入口に向かいます。

 

館内には千羽鶴が目立ちます。建物内にはカフェも併設されています。

 

こちらはちょっとブレちゃったけど、原爆資料館の入場チケット。入場料は大人200円、高校生~小学生は100円、小学生以下は無料。

 

ただし残念ながら原爆資料館内は写真撮影が禁止されています。資料館には、長崎に投下された原子爆弾、通称「ファットマン」の模型も飾られています。

そしてその原子爆弾が爆発した時には、地表面の温度は爆心地辺りでは実に3000~4000度だったという。この爆心地付近にいた人達は一瞬にした体が炭化してしまったそうだ。また爆心地から1km離れていても1000度近い温度だったようで、それを浴びた人の皮膚はズル落ちたという。。

とても悲惨だった長崎の現状、しかしどんなに過酷な場所であったとしてもそこから目を背ける訳にはいかない。見て見ないフリをしても何も解決されない。どれだけツラくてもしっかりと事実を受け止めて、前に進むしかないのである。

 

 

出口を過ぎた所にはたくさんの千羽鶴が飾られている。この千羽鶴が”平和の象徴”と思われるようになったのは、広島で被爆者した佐々木禎子さんが入院中に千羽鶴を折った事が由縁である。そして彼女の思いは世界中にも繋がっていった。

 

 

それ以降はすっかりと平和を願う行動として、千羽鶴が折られるようになったという。

 

ただ祈るだけより、こうやって願いを込めて鶴を折った方が形としてそれが表れるので、そういった気持ちが具現的に見えて判り易いのだろう。

 

小さい頃は鶴を折れたけど、大人となった今は鶴を折れなくなっている。たまに大人でも鶴を折れる人を見ると感激してしまう。

 

ひたすらに千羽鶴が飾られている。恐らく毎年原爆記念日に対して、作り込まれるのだろう。

 

何か所かで見かけた「さるく」というキャラクターとここでも遭遇。この「さるく」とは「街をブラブラ歩く」という長崎弁の事。

ボクの得意技は「さるく」です!!

 

旅行に来たらその土地を何も考えずに「さるく」するのが、ボクにとってはとても楽しい。だけど一緒に行動する甥っ子ちゃんにとってはシンドイ行動なのだとか。普段は数千歩程度しか歩かないのに、オジチャンと旅行に行くと2万歩近く歩くので筋肉痛になるようだ。でも旅行に来たらある程度歩くのは当然の事なんだけどね。

 

じっくりと資料館で原爆の被害について、学ぶことが出来ました。

 

お次は歩いていける場所にある「山王神社」に向かいます。原爆が爆発した時の爆風にも耐えたという鳥居があるようです。

 

  山王神社の鳥居にて

階段の上に半分だけが残った鳥居が見える。どうやら目的の鳥居のようだ。


【山王神社 二の鳥居】

住所:長崎県長崎市坂本1丁目5 坂本2-6-56


 

長崎に原爆が落ちた時、爆心地から約900m離れていたこの場所にも爆風が吹き荒れて、4つあった鳥居の内、第1鳥居はそのまま残存し、この第2鳥居は半分だけ原形を残し向きが変わっていたという。原爆投下後、この付近はガレキ地帯と化したがそこで残っていた鳥居はその爆風が進んだ方向と同じ平行に建てられていたので残存したという。

 

しかしそのまま残存していた第1の鳥居は、原爆の爆風には耐えたものの1962年に交通事故で倒壊してしまったという。そして鳥居の復元を願う市民の声も虚しく、跡形なく撤去されてしまったという。。何とも無念な出来事である。

 

その為山王神社の鳥居で現存するのは、この片足立ちの第二の鳥居だけになってしまったのである。ただしそのまま残っていた第一の鳥居よりも、半分は倒壊してしまったけど”残り半分で必死に立ち続けている”という印象を人々に与え続けている。

 

この付近で生き残ったのは、この後ろの方にある「被爆クスノキ」と呼ばれる、樹齢約400年前後の楠木のみ。

 

そんな片足で立つ第二の鳥居の後ろから、長崎の街を眺める。

 

そしてこの辺りはで野良猫と見られる子猫ちゃん達が遊び回っていた。

 

 二の鳥居近くでじゃれ合う子猫達 動画

 

近くには親猫もいたけど、その毛模様で直ぐにドレとドレが親子っていうのがすぐに分かる。

 

ただしあまり人慣れしていないみたいだったので、一定距離を保ってこちらには興味深々の様子だったけど近寄ると逃げていった。。

 

そんな”原爆からの生き残りの象徴”があるこの場所でも逞しく生きる猫達。

 

こちらには吹き飛ばされた二の鳥居の残り半分の説明が書かれていた。

 

そんな柱の残骸は、後ろに置かれていた。

 

そんな柱の残骸も子猫ちゃん達にとっては、楽しい遊び場所となっていた。

 

ただ倒壊したものの、溶けたりするまではいかなかった石。

 

この辺りでこの猫ちゃんは暮らしているようで、この辺に固まってウロウロしていましたね。

 

  山王神社の境内にて

そして上に上がっていくと、大きな楠木が見えてきた。

 

今ではすっかり青々と葉を備えているけど、被爆した当時は丸裸になってしまっていた。

 

この地は神社であるけど、この被爆から立ち直って生きる”不屈の生命力”を見せ付ける楠木の方が有名になってしまった。

 

被爆当時は幹肌も焼かれて、枝も折れて無残な姿だったそうだ。しかし命の再生力というのは素晴らしく、また新しい枝葉が伸びて来て今日のような姿を取り戻したのである。

 

そんな2本のクスの木には、太い綱で繋がれている。最近では戦争終結からだいぶ時間が経ち、被爆者達の生き残りはだんだんと少なくなってきているが、このクスノキはこれから数十年~数百年と被爆した事実を残しながら人々の記憶と共に生きていくのである。

 

そんな長崎の復興のシンボルでもあるクスノキ。改めて生命力の凄さを目の当たりにする。

 

このクスノキは「山王神社の大クス」として長崎市の天然記念物にも指定されている。

 

そんな楠木を下から見上げてみる。

 

右側のクスノキには階段が付いていて、ちょっと上まで登れるみたい。幹の真ん中に空洞が空いているようだ。

 

その空洞の中には原子爆弾によって起こった爆風にて、飛ばされてきた石が入ったとの事。

 

そしてこちらが階段を登った場所から見れる、その空洞。今は金網が張られていますが。

 

その中には、こんな大きな石が入っていました。最初はもっと小さい石かなと思っていたけど、その時の爆風の凄さを改めて思い知らされる瞬間である。

 

そんな”被爆クスノキ”の偉大さを目の当たりに出来て、とても素晴らしい時間を過ごす事が出来ました。原子爆弾という、とてつもない威力の人間が作りだした過去最悪の兵器と、それにも負けずに生き続ける、地球が生み出した植物の生命力の凄さを思い知った。

この旅の続きはまた次回に!

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