【甥っ子ちゃんとの長崎旅行】1日目
【個人旅行-スカイマーク便】2019年8月5日~7日
長崎市内をブラリ!
さて長崎市内に到着し、眼鏡橋を見学してから徒歩で軍艦島クルーズを予定している「軍艦島コンシェルジュ」の店舗へと向かいます。どうもグラバー園の手前にあるようなので手探りで向かう。
こちらは長崎空港からリムジンバスに乗ってきた時に、通ってきた高速道路の出入り口。
そしてこちらの坂は「オランダ坂」という名前が付いている。外国人居留地として貸し出されたこの大浦湾の土地には欧米人の邸宅が並んでいたという。当時の長崎の人々は外人を見ると「オランダさん」と呼んでいたらしく、それが由来になっているようだ。
今となってはその面影もなく、普通の道にしか見えないけどね。。
長崎は昔から外国との貿易を行っていた場所なので、それが色濃く残った文化の街である。
右側には大きなクルーズ船が見えてきた。ただクルーズ船でもこの船はそんなに大きい方ではないらしい・・・。
”世界の願い”となってしまった「交通安全」。
クルーズ船の旅っていうのも、個人的にはお歳を召された方の優雅な旅行のイメージがある。移動の道中は同じ部屋ってのも何だか面白味に欠けて、インドアな人向けの旅行のように感じる。でもクルーズのピースボート号に乗った人からは「とても楽しかったよ!」という感想も聞いているので、いつかは乗ってみたい!
グラバー園が近づいてきたので、もうそろそろ軍艦島コンシェルジュの店舗が近くに見えるハズ。
軍艦島コンシェルジュに到着!
こちらの「長崎堂のカステラ」という黄色い看板が目立つ建物が、軍艦島コンシェルジュの入った建物。
【軍艦島デジタルミュージアム】
住所:〒850-0921 長崎県長崎市松が枝町5−6
tel:095-895-5000
元々事前に軍艦島クルーズを予約していたのだが、発生していた台風8号の影響で中止になるかもと予約をキャンセルしていた。なので当日は予約無しで向かった。その予約キャンセルの電話をした時に「当日、空きがあれば対応できます」との事だった。
優先乗船プラン:乗船料(軍艦島デジタルミュージアム入場も含む)は大人1名子供1名で合計8300円。ただ体験した感想から言うと、この搭乗プランで更に上のクラスの”プレミアム”というのがあり、そのクラスと同じ船室でクルーズしたのだがそちらの扱いがこちらとの扱いとあまりにも差があり過ぎて(当然高い料金を払っているプレミアムの方が特別扱いなのだが・・)、それを間近に見過ぎて嫌気が刺した。クルーズ船のデッキに出るのもこちらは制限されていて、そんな説明も事前に無かったので久々にイライラ来ちゃいました。。
という事で軍艦島クルーズ前に、デジタル・ミュージアムにて事前勉強を行う。あいにくこの数日前、7月31日から軍艦島でアスベストと見られる物質が検出されたとの事で上陸は禁止になっていた・・・。
結局調査した結果、アスベストは見つからずにその後8月10日からまた軍艦島は上陸可能になった。。
何よりもこのミュージアム内はクーラーがキンキンに効いていて、先程まで灼熱の暑さの中をず~~っと歩いてきたのでその涼しさに喜ぶ甥っ子ちゃん。
ミュージアム内ではこのように画像が壁に流れて、解説してくれる人は実際に軍艦島で生まれ育った人。なのでとても説明が分かり易いしリアリティーが溢れる。
デジタルという名前が付いているだけあって、館内にはVR(ヴァーチャル・リアリティー)の設備が沢山あって楽しめる。
軍艦島とは名前は聞いた事はあるけど、イマイチその知識はないので今回は勉強できるいいキッカケになりそう。
それ以外にも色々な産業革命の跡があるので、それも勉強になりそうだ。
軍艦島は正式名称は「端島(ハシマ)」と呼ばれる。2015年に世界遺産に登録されたが、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として複合登録されている。
小さな島で石炭が発見されたと言われているのは1810年の事。本格的に探鉱として発掘が始まるのは明治時代。その後大正時代を経て昭和初期には最盛期を迎えて一時は5000人もの人がここで生活していたという。この端島(軍艦島)では生活に必要な施設が全部揃っており、この島で生まれ育つ環境も整えられていたのである。
その後、エネルギーは石炭から石油に転換し、1974年を最後に炭鉱は閉山されて島民も全て退去したのである。
ここは昭和時代を懐かしむ一室。「巨人の星」のイメージが甦る、ちゃぶ台と差布団。
端島に出来た集合住宅の模型。人口密度は東京都より高かった端島。沢山の集合住宅ができてこの「30号棟」は1916年に建てられた”日本発の鉄筋コンクリート造り”の建物である。
端島内の建物にはエレベーターは設置されなかった。というのも海風をモロに受けたりしてすぐに錆びてしまう問題があったという。ただし食事を運ぶような貨物エレベーターのみはあったようだ。
まさしく昭和初期の生活。それが再現されている模型。
内部の階段まで細かく作られている。
ただ現存するこれらの建物も人が住まなくなった為にだいぶ劣化していて、度重なる台風などの影響もあり、いつ崩れ落ちてもおかしくない状況だそうだ。
約1時間、デジタルミュージアム内を見学し、そろそろ軍艦島クルーズに向かいます。その船乗り場まではここからみんな一緒に徒歩で向かいます。
先程大きなクルーズ船が停まっていた桟橋の場所に、軍艦島コンシェルジュの乗り場があります。
こちらのクルーズ船は昨日到着し、本日出航予定だとか。
桟橋に向かうと、一般客の姿が見える。この軍艦島コンシェルジュは①プレミアム②優先搭乗組③一般組と同じ船に搭乗するにもランクが分けられている。なので②優先搭乗組で参加しているので、既に待っていた一般客を尻目に先に船に乗り込みます。
最初に見えたこちらの船。「え~~これが今回乗るクルーズ船???」って声が聞こえてくる。
案内してくれた人も冗談で「そうです、こちらの最新式のお船で・・・・」と返してくる。
というやり取りは別に、今回乗るクルーズ船はこちらのジュピター号。思った以上にシッカリとした船である。
普段の時なら、天候によって軍艦島に上陸できたり、できなかったりするのだけど今回は最初から上陸できないのが確定していたので案外気楽に乗る事が出来た。マルタ島の「青の洞門」もダメだったし、イタリアのカプリ島での「青の洞窟」もカッパドキアでの気球ツアーもダメだったし、長崎の軍艦島クルーズでの上陸もダメという生まれ持ったダメダメ気質なのかもしれない。
軍艦島クルーズに出発!!
外は気温が暑いので、早めに船内に乗り込んだ特典を活かして冷房の効いた室内の席に座る事にした。
そしていよいよ軍艦島クルーズに向けて出航の時間です。
眠気と炎天下の中、歩いた疲労もあるけどワクワク気分で出航する甥っ子ちゃん。
ただこの船内の部屋、窓際は”プレミアム”で参加した人達の専用座席。空いている席にも座らせてくれない。
大きなクレーンが見えてくる。あれは三菱長崎造船所が所有する「ジャイアント・カンチレバークレーン」と言われるもので1909年に導入されて今もなお現役で活躍するクレーンである。なおこの長崎で造られた「戦艦武蔵」を造る時にも使用されたという。空襲に遭った長崎で100年経った今も現存しているという事に驚くものの、窓際に座ったプレミアムシートでオジサンは早々に眠りだす・・。
こちらは「女神大橋」と呼ばれる、長崎の南部と西部を結ぶ橋。夜にはライトアップしていて、それも綺麗みたいだ。
正面にはカトリックの教会も見える。長崎には外国との貿易をしていた関係で、外国の宗教も入って来ていた。江戸幕府が外国の宗教を禁じていなかったら、日本の社会もキリスト教に牛耳られていたのかもしれない。。
左にも大きなクレーンが見える。クレーンの真ん中に入っているマークの部分の大きさは、テニスコートが1個分入る大きさだという。
横のプレミアムのお客さんはお茶からジュース、お菓子から双眼鏡の貸し出しまで至れり尽くせり。。そして軍艦島に着くまでに船外にて辺りの景色を見れる時間があったが、それもプレミアムのお客さんだけ。別にまだ軍艦島に着いた訳でもなく、船外から辺りの景色を見るだけなのでいいかなと思って席を立とうとすると「スイマセン、ダメです!」と言われて、久々にイラっと来た。。
そんなにプレミアムのお客さんを別扱いにするのであれば、別の船室にしてくれたらよかったのに。という事で軍艦島コンシェルジュの評価はダダ下がり中・・・。そうしている内に軍艦島のような島が見えてきた。
上陸できないのは残念だけど、この時期(8月上旬)は暑いので暑さ対策はして行く必要がある。
軍艦島が見えてきました。やっと船外に出て、生で軍艦島を見ます。この時もプレミアムのお客さんは前方からで、それ以外のお客さんは後部から見るというランク分け・・・。
しかしこの時期はとても暑い。こんな船の上で写真を撮っているだけと思っていてもかなり体力を消耗する。軍艦島の写真を撮っていた甥っ子ちゃんも最後には「暑すぎてシンドイ・・・部屋に先戻っておくよ~~」と言い残して、船室に消えて行ったっけ。。
この軍艦島と長崎の夜景を撮る為にわざわざ重たいカメラを持ってきた甥っ子ちゃん。ここから彼の出番である。
だんだん軍艦島に近寄ってきました。勿論上陸禁止なので、誰も島内には見かけませんでした。
辺りには他の船も見えずに、我々の独占です。この軍艦島クルーズも長崎市に認められた6つの会社にしか、開催が出来ないようです。さてこれから30分に及ぶ、軍艦島付近を周遊します。
その様子はまた次回に続きます!
↓↓↓↓長崎旅行記:初回↓↓
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