ポルトガル旅行記:2日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:決定版ポルトガル8日間」-2020年1月13~20日
旧市街地を散策
サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街地にて
ヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まるサンティアゴ・デ・コンポステーラの街。北スペインにある、中世から巡礼地として人気ある街は世界遺産にも登録されています。そんな旧市街地で昼食までのちょっとした時間に、周辺を1人で散策する事に。
旧市街地の開けた場所にて 動画
このサンティアゴ・デ・コンポステーラでは、9世紀にキリストの弟子である聖ヤコブの遺骨が発見されたという。それは聖ヤコブが西暦44年にエルサレムで当時のヘロデ王により斬首刑に処された後の、実に約800年後である。
そんな聖ヤコブと彼の弟子2人(聖ヤコブの遺体をこの地まで運んできたのは彼ら)の遺骨が収められたという棺を発見した人は、聖なる光に導かれてそれが埋められている場所を発見したとか?!
キリスト教を信じる人達にはロマンを感じる話だろうけど、宗教には一切興味がなく現代の発展した科学水準からするとキリスト教なんかに全然ロマンを感じない現代人。だからこの21世紀は先祖代々受け継がれてきたキリスト教への信仰を無くす若者たちがヨーロッパには多いそうだ。まあそれは発展してきた科学の問題ではなく、捏造を繰り返して信者を無理やり信用させてきた宗教団体の腐敗した上層部の問題なのかもしれないが・・・。
そんな宗教批判はさておき、そんな宗教への信仰がこれだけの街を造り上げてきたのは事実である。
アラメダ公園にて
30分程しかない自由時間であったけど、お買い物はするつもりがなかったので行ける範囲まで一人で自由に行ってみる事にする。
すると緑豊かな公園が見えたので、道路を渡って行ってみる事にする。
こちらはアラメダ公園(Parque da Alameda)という名前が付けられている公園。こちらに見える銅像はこのガリシア地方出身の「Méndez Núñez」という19世紀のスペイン海軍の将校。なお、軍艦で世界を初めて一周した人物でもあるようです。
アラメダ公園の景色 動画
そんな銅像以外には特に特徴的な物は見られない公園。冬なので、枯れた木々が見える。
こちらも先程街中を歩いていた時に、入口が侵入禁止になっていた公園だった。別の入口から入ったので入る事が出来たけど、充分周りには注意する必要がある。侵入禁止の場所には入る事も出来るけど、そこで万が一事故が起きてもそれは自己責任である。
そんな公園ではよくできた、こんな色付けまでキレイにされている像も見える。
左の黄色い女性の像「お母さん、今日は急ぐのであまり時間が無いのよ、だから遊んでいる暇はないですよ!」
右のピンクのオバサン「そんな固い事を言わずに、ゆとりを持って生きないと。可愛らしい生き物が沢山いるのに!」
といった感じなのかな?!
侵入禁止だった公園なので、足早に公園を脱出し近くを散策する。このサンティアゴ・デ・コンポステーラでも一段と高い高台の場所に大聖堂が造られているので、このように街中からもその尖塔がよく見える大聖堂。
この街はまだポルトガルではなく、北スペインなので名物イベリコ豚のお店がある。ただし店内にはお客さんの姿は無かったけどね。。
街の名前がそのまま付いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。その名の通りに大聖堂が中心となって、その為に出来た街なのである。
信仰深いというか、当時はキリスト教などの宗教を信じるしか自分の迷える魂を救う手段の無かったと思われる中世。「自分の犯した罪が、大聖堂を巡礼すれば許される」という安易な宣伝を真に受けた、巡礼者の多くがヨーロッパ中から訪れてきた街。
現在みたいに世界中の出来事や歴史などがスマホ1つで瞬時に調べる事が出来なかった中世の時代。今の時代から見ると閉鎖的な社会では、親などが信じる宗教を頼りに生きざるを得なかったのだろう。
旧市街地の景色 動画
壁に紋章の半分が刻まれている。しかし逆に宗教があったからこそ、これだけの人類が生きてこれたのかもしれない。
そろそろ集合時間が近づいてきたので、大聖堂近くに戻ってきた。こちらは大聖堂の先程立ち寄ったお土産店だけど、中にはツアー参加者の姿は見られない。
こちらが集合場所の、大聖堂の正面にあるオブラドイロ広場前。
こちらは1501年に設立されたサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の建物のひとつ。こんな中心部に大学があるというのは、それだけ歴史的にみても大学の存在価値が重要視されていたのだろう。
間近で再びサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を見上げると、その迫力に感激してしまう。
それに比べて内部は改装中でガッカリしたけどね・・・
こちらは大聖堂の広場を挟んだ反対側にある建物の2階テラス。中央にはガリシア州の紋章も見える。
そんな建物の1階には、こちらのような記念碑が置かれている。
1985年にパリで行われた世界遺産の登録で、文化遺産に認定されたサンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街地。勿論この周辺の建物を含んだ地域が認定されたのである。
そんな街の歴史も全てイエスキリストの影響である。彼とその弟子も全くゆかりのない、この土地で彼の弟子の遺骨がたまたまここに辿り着いたというだけで、聖地となった場所なのである。
スペインで今日までに世界遺産に登録されたのは46箇所もある。それに対してポルトガルは15箇所。ちなみに今回の旅ではポルトガルのそんな世界遺産の中から、6箇所を訪れる予定である。
度重なる改装を経て、現在の形になった大聖堂。元々聖ヤコブの遺骨が収められていた小さな教会は、当時イベリア半島で大きな勢力であったイスラム教徒に破壊された。それもあって、その場所に大きな大聖堂が建設される事になった。
しかしその後に建てられた大聖堂も、その後の時代遷移と共に新たな建物へと生まれ変わっていくのである。そういう捉え方で考えると、こういった建物も時代によって大きく進化しているのかもしれない。
ここを訪れたのは1月中旬だったので、あまりこの広場には観光客の姿は見えなかったけど、夏場とか人が多い時期は混雑する場所のようだ。
大聖堂の周りには他にも教会がある。キリスト教には興味の無い人間からすると、同じような教会や大聖堂がこんな密集して建てられていると思うけど、彼らからすると同じキリスト教でも宗派が微妙に異なっているので、それぞれに教会などを建てる必要があるんだろう。
第二次世界大戦の影響で、昔からの建物が破壊された都市が多いヨーロッパだけど、このポルトガルは中立の立場を守っていた為にあまり街は破壊されなかった。
・・・と言いつつだけど、ここはまだポルトガルではなくて北スペインでしたね。。
この辺りは中世の頃にはイスラム教徒に支配されていた。キリスト教の後に派生したイスラム教は6世紀にムハンマドが洞窟の中で、”神様からの言葉を聞いた教え”を伝えるだけの内容の宗教だけど、キリスト教全盛のヨーロッパまで普及して一時はヨーロッパを席巻したのである。
こちらはパラドール・チェーン店のホテルとなっている、五つ星高級ホテル。前にスペインに来た時はロンダという街で、パラドールのホテルに泊まった事がある。
そんな歴史ある建物の入口。ここで写真を撮ろうとすると、入口近くに立っているポーターさんが入口の扉を毎回開けようとしてくれる。。
ここのロビーに入ったツアー参加者さんもいるようだ。だけどボクは宿泊予定の無いホテルのロビーに入るのは、ちょっと畏れ多く思ってしまうタイプなので入れなかった。。
こちらの建物の入口周辺には、ご覧のように細かい彫刻だらけ。中央の男性像はアソコが葉っぱで隠されていたけど、サンティアゴ・デ・コンポステーラだけに帆立貝で隠していた方が面白いと思うんだけどね。。
このサンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街地周辺はこのように細かい彫刻が為された建物がとても多く見られる。それだけ歴史がある建物が今日まで残っているという事の裏返しでもあるのだろう。
スペインに来たなら一度は泊まってみたい、高級ホテル・チェーンのパラドール。
勿論ツアー料金の安い旅では、泊まる事が出来ないけどね・・・
そんなパラドール・ホテルの横には、ご覧のように日産のクルマが置かれていた。何かこんな歴史ある旧市街地には向かない展示車であった・・・・。
ボクがこの広場にやって来た時には、ツアー参加者さん達はほぼ全員集合していた。やっぱり日本人団体は時間には真面目であると、再認識する瞬間でもある。
昼食会場に向けて移動
全員揃った所でこれから近くにある昼食会場に向かいます。まずはこちらのなだらかな坂を下って行くようです。
あまり人は多くないけど、とても雰囲気のある旧市街地。やっぱり気候のいい夏場とかよりも、人が少ない冬の時期の方が個人的には好きである。
旧市街地を歩いていく 動画
ツアー2日目で、それぞれにツアー参加者さん達はみんなお互いに手探り状態だけど、色々とそれぞれに話をして様子を見ている状態の頃。ボクは初対面の人にでも心を開く事には抵抗がないけど、一般的には簡単には心を開かないようだ。。
落ち着いたサンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街。逆に言えば大聖堂以外に目立った建物などの名所が無い街なのかもしれない。
昼食会場に到着
そしてこちらのレストランが本日の昼食会場のようです。他人のブログなどを見ていると、このレストランが出ていたのでパックツアーではお馴染みのレストランなのかもしれません。
入口には「2018 MICHELIN」のプレートが飾られています。ただしこれで期待してはいけないのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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