【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】7日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
最終観光日も楽しく!
遂に最終観光日となりました。日程的にはもう一日あるのだけど、それは飛行機で移動日となるので実質は今日でこの旅行も終わり。ちなみにこちらのカードはイスラエルの出入国カード。イスラエル入手国の際にはパスポートにはハンコを押されません。というのもイスラエルは中東で揉めている国なので、他の国によってはイスラエル国籍の人物は入国拒否している所もあります。なので観光客には他の国に入る際に支障のないようにという配慮なのか、パスポートのハンコ代わりに貰うこちらのカードを入国中は大事に保管しておきましょう。
と言ってもまだ半日は楽しめるので、最後の最後まで思い残す事なく楽しんでいきます!
エルサレムの朝食!
昨晩は寝るのが夜中2時過ぎだったので、午前6時起きは眠たかった。。まあでも後で乗る飛行機は寝てるだけなので、多少眠くても構わない。
朝食はホテル内のバイキングで、昨日置かれている料理とさほど変化はないようだ。
こちらはイモの薄切りスライス。ただそこまで薄切りでもないけど。
こちらは基本的に味付けをあまりしないからか、こういった調味料的なものが目立つ。ただ生の味が好きな面倒くさがりのボクは、それをかけずにそのまま頂く。
こちらが本日の朝食。イスラエル料理的な感じは一切せずに、どこでも食べれる朝食にしてみた。やっぱり野菜はどこでも美味しいので、優先で取ってしまいます。
今回の旅行でも体調を壊す人が居なくて、一安心。昨晩ハイテンションになっていた”食パンマンお兄ちゃん”も元気に朝食を食べていた。やっぱり若いってイイね!
ヨルダン側の死海で一緒に泳いだラクダちゃんは、まだ内側が乾いてなくて持つと手がびちょびしょになる。。このまま持って帰ってもスーツケースという密封された空間内であまり乾かない環境で、ラクダちゃんに負担を掛けたくないので、断腸の思いでこのエルサレムでお別れする事にした。
しっかりと体を乾かせて、また次のご主人を見つけてください!
最終日なので全ての荷物をスーツケースに詰め込み、チェックアウトしにロビーに向かうと何故かザワついていた。。
するとある人から「アソコ、見て!」と言われる。そして目線を言われた方向に向けるとゴミ箱に刺さったビニール傘を見つける!
「遂に最終日に傘を捨てたよ!でも何でまた最終日に?!ここまで来たら持って帰ったらいいのに!」と言う声が聞こえる。確かに誰もが思う感想である。
こちらはこのホテルのフリーWi-Fiパスワード。分かりやすい番号でいいネ!
エルサレムのホテルをチェックアウト!
2日も滞在すると、すっかり慣れ親しんだ場所のように見える。去るのが惜しく感じる瞬間である。
そんな気持ちで写真を撮っていると、画面端から”ウッディ姉さん”が飛び込んで来た。今日も元気そうで何よりだ、そして意外とお茶目なウッディ姉さん。
バスは最前列が空いていたので、前に陣取りエルサレムの街並みを逃す事なく喰いつくように眺める。
こちらはエルサレム旧市街地を取り巻く城壁に設置されている8つの門の中でも、最も美しくて賑わいを見せている「ダマスカス門」。この門から通じる街道は、隣国シリアの首都ダマスカスまで続いているという。
エルサレム旧市街地には入らずに、そのまま旧市街地の外を進み山の方に向かう。
エルサレムでも山手の方に行くと、パレスチナ人が住んでいる地区が見えてくる。パレスチナ人からすると、本来はエルサレム付近に住みたいのだが無理やりここに追いやられているのだろうが。
パレスチナ人地区をバスで通る 動画
この辺りに住むパレスチナ人は貧しい生活を送っているようだ。この辺りではあまり仕事がないので、エルサレムの旧市街地や新市街地で働いている人が多いそう。
これからオリーブ山の展望台に向かうのだが、その途中に観光客の人だかりが見える。
ここは「主の祈りの教会」と言う名前で、コンスタンティヌス帝の母ヘレナが元々は建てた建物だが、その後イスラム勢力に破壊されて19世紀に再建されたもの。中には100を超える言語で”主の祈り”の言葉が書かれているという。
オリーブ山からの眺め!
程なくしてオリーブ山の眺めがいい場所に到着。ただし現地ガイドさんから「この辺りはスリが多いので、荷物には注意してください!」とのアナウンスがある。眺めのいい景色に気を取られている間にスッとされる場合があるようだ。
ここはエルサレムの旧市街地が見下ろせるので、絶好の景色が望めるスポットで観光客に人気があるようだ。
ただこの下にある人工物はユダヤ人のお墓。ユダヤ人は土葬で1人ずつお墓に入れるので、とても土地を必要とする。あまり人口が増え過ぎると、お墓の土地問題が浮上する可能性が大だろうな。
ここからは真正面に金色に輝く”岩のドーム”がよく見えるし、エルサレムの旧市街地を一望できる。
これらの絵はイギリス人の画家が1840年頃にエルサレムを訪れて描いたもの。当時に比べると、発展して大分建物が増えた事が分かる。イスラエルは建国時より10倍以上の人口に現在なっているが、今後100年後はどうなっているのだろうか?
180年前頃は何も無かった荒野だったエルサレム周辺は今では建物だらけ。
オリーブ山からの眺め 動画
ここから見える景色は約50年前にヨルダンからイスラエルが奪い取った場所。その中東戦争の影では米ソの対立にも影響があったという。傍若無人なイスラエルがエジプト軍を攻め、それを止める為にエジプトに兵器を輸送したソ連。圧力をかけるソ連にウォーターゲート事件が起こり、その出来事を誤魔化す為(と言われている)に”デフコン3”の発令を当時のニクソン大統領が命令して、スイッチ1つで核弾頭を積んだミサイル数百基が発射される寸前までいったそうな。
アメリカ側から圧力をかけられたイスラエルは当時無茶な要望として、アラブ国の盟主であるエジプトに対話会談を持ちかけた。これを受けるとエジプトは”アラブ国への裏切り”とされて、周囲は受けるハズが無いと考えていたが当時エジプト大統領マサド氏はまさかのこの対話を受け入れ米ソ対戦は危機を寸前にして消滅したという。
そう思うと今この場所で平和にこのように気楽に記念撮影しているボクらだけど、裏側で多くの人達の苦しみや努力のおかげで今があるのだ。そんな人々の尽力に感謝し、目に見えている平和にも感謝し、楽しんで写真を撮ろうっと!
相変わらずウッディ姉さんは元気そのもの!普段は持って来ていたカメラで写真を撮っていたが、ここではスマホでも写真を撮っていたね。なかなか二刀流ってのもしんどそうな感じ。
ペトラ遺跡の凄さも吹っ飛ぶくらい、エルサレムでは色んな勉強をさせてもらった。やっぱり最初は興味無くとも、行けばその土地について興味が出てきて色々知識欲が湧いてくる。エルサレムは古代から歴史満載の都市なので、勉強し甲斐がある。
死海で真っ黒に日焼けした”清原似オジサン”は、午前中バスの中から既にアルコールを飲んでいたようで上機嫌。聞くと「お茶のペットボトルにウイスキーを入れて飲むと、傍目にはアルコールを飲んでいるように見えない」そうだ、なるほどまた1つ勉強になった。
15ドルで購入したハンドメイドのキッパを被って、しみじみエルサレムの街を眺める。エルサレムの街を夜な夜な歩いて、入った店でとても迷いながら買ったキッパだけどこうやって被るとみんなから「似合ってるよ!」と言ってくれたし、こう見ても全然違和感なくフィットしている。ユダヤ教やイスラム教の厳しい戒律を知ると、日本人に生まれて幸せだと本当に感じる。「とりあえず帰って真っ先に食べたいのは”トンカツ”」と思っている瞬間だった。。
2000年前、イエス・キリストが居たとされている時代のオリーブ山はどんな感じだったのだろうか?もっと緑が溢れていたのだろう。
中東なので砂埃の影響なのか、たぶん今日は晴れのハズだけど、イマイチすっきりとした青色になっていないように見える青空。
ひたすら金色の屋根の岩のドームを目に焼き付ける。このドームの屋根を金色に変えたのは正解だったと思う。そうじゃなかったら、ここまで目立つ建物になっていないと思うので。
エルサレム一番のビューポイントである。夜に来たら、ここから見える夜景も綺麗そうだけど見るチャンスが無く残念である。。
海外旅行に行く前は「毎回旅行が楽しいが、次はハズレを引くんじゃないか・・・?!」と思うが、実際に旅行に行ってみると毎回大当たりの連続。だから海外旅行は辞めれないし、行くスパンも短くなってくる。
1人で撮る写真もいいけど、みんなで撮る写真の方が楽しさが出ていて好きである。それにしても今回の添乗員さんも大当たりで、とても親切で優しく丁寧な人でした。年齢的には添乗員さんの方がボクより5歳程上だったけど、仲良く色々とお喋りもさせていただきました。帰りの空港で乗継時には約1時間程、ボクの喋りにお付き合いいただいたりと気さくな方でした。
そして岩のドームをバックにして、添乗員さんと記念写真。腰を引き気味な添乗員さんの姿勢に、思わず周囲から笑いがこぼれる瞬間(笑)。
とても楽しかったエルサレム。ヨルダンも楽しかったけど、その記憶がぶっ飛びそうな位に楽しかった。
両方とも楽しくて良かった!
ここでは観光名所だけあって露店で色んな商品が置かれていたけど、あまり積極的な売り方ではなかったね。
バスに乗り、エルサレムを後にする
そして去りがたいけど、10分程の自由時間が過ぎてエルサレムを去る時がきました。
元々はあまり水資源に恵まれておらず、魅力的な大地ではなかったエルサレム。ただ現代は多くの人が押し寄せる、物価も高い人気な都市になっている。
バスから眺めるエルサレムの街 動画
ヘブライ大学が見えてくる。イスラエルにある大学でもヘブライ大学は聖書の話を肯定的で、テルアビブにあるテルアビブ大学は聖書の話には懐疑的な傾向があるという。
しかしヘブライ大学は中東ではトップの学力の大学で、世界的にも30位以内に入る名門大学である。そんな名門大学にはアメリカの有名大学から留学する人が多いという。
バスから眺めるエルサレムの街 動画2
エルサレムの街を離れる毎に荒野が見えてくる。そういえば最初イスラエルに入ってきた時もこんな感じの光景だったなと思いだす。
この辺りは年間降水量がほとんど降らないので、あまり緑がない場所。
この辺りにはベドウィン族が電気のない暮らしをしている所である。
今の世の中、電気が無いと生活が送れない程のレベルとなっているけど、実際このように電気のない生活を送っている人々がいるのである。
イスラエル郊外の景色 動画
本当に荒野って感じの景色。その昔モーセはエジプトからヘブライ人を連れて逃げ出し、約束の地カナンを求めてこんな荒野を40年も駆け巡ったのだろうか?
旧約聖書の話によると40年とあるが、ただ単に迷って迷子になっていただけにしか思えないけど。。
そらこんな何も目印すら無い場所をよく我慢して移動し続けて、大変だっただろうと思う。最終的には何とか約束の地が見つけれて、モーセも安堵した事だろう。もし見つけられなかったら国賊のように扱われていただろうに。
イスラエル郊外の景色 動画2
世界最古の街エリコ(Jericho)に入る
今から約10,000年前に周囲を壁で囲った集落がこの辺りに出来た、世界最古の街とも言われるエリコの街に差し掛かる。
また世界で最も標高の低い街で海抜は何とマイナス250mの場所。近くに川があって氾濫すれば、一瞬で水浸し・・・と思うけどこの地方はほとんど雨が降らない場所。
そんなエリコの街にもなんと日本人街があるという。こんな日本から遠く離れた中東の荒野にある街にも日本人系が住み着いているという事実に驚く。驚きすぎてか、写真を撮りそこなってしまった。。
今から約一万年前というと、紀元前8000年位の時代にあたり”旧石器時代”という、とんでもない古い時代から街があった事になる。
始め現地ガイドさんがこの街の事を「エリコ、エリコ」と呼んでいたので、てっきり人の名前だと思っていた。アルファベットでは「Jericho」と書き、イェリコやジェリコとも発音する。
そんな世界最古の街はただバスに乗って、眺めるだけで通り過ぎるのである。
さてこれから数日振りのヨルダンに向かうのであるが、その様子はまた次回に!
↓↓↓↓ヨルダン&イスラエル旅行記:初回↓↓
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