【トルコ周遊10日間ツアー】9日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年7月中旬
イスタンブールでリベンジを!
さて最終日、昼間の自由時間でイスタンブールの旧市街地をヒッポドローム目指して、徒歩で移動します。なお急ぐあまりに赤信号を気にせず渡ったので、お供する”LOVE×4姉さん”が信号に囚われている時の写真。
「赤信号だから止まる」のではなく、「車が来ていないから渡る」という考えの男。
路面電車沿いに進んで行くと、アヤソフィアの”ツノ”が見えてきたので、少し安心。
後で振り返ってみたら、路面電車に乗るという選択肢もあった。ただ自分の所持金しか考えてなかったので、道中は全然お金を使う気もなく歩きオンリーしか考えていなかった。
これから訪問する予定の地下宮殿も初日に入口の前を通った場所。その後グランドバザールで自由時間となったけど、その気になればその自由時間内で地下宮殿まで行って観光し帰ってこれたと思う。
大きな塔はこういう街歩きの目印に便利なので、重宝します。特にメディナとか迷いやすい迷路のような道が走っている場所では、こういったモスクが目印になりやすい。
そしてアヤソフィアの前を通過します。この日も入口前には長蛇の列が出来ています。イスタンブールでも人気の観光スポットなので大勢の人が並んでいます。
急ぎ進んでいると写真を撮る団体さんを見つけます。
アヤソフィアをバックに記念写真を撮る所を、一緒に撮らせてもらいます。オッサンだとこういった写真も絵にならないけど、女子が写ると何となく絵になる感じ。
ヒッポドロームに到着!
そして古代ローマ時代に競技場となっていたヒッポドロームに到着します。初日にもここを通ったのですが、見たかった「蛇の柱」を思いっ切り見逃していたのでまずはここでリベンジします。こんな歴史的なオベリスクが置かれている広場なのに現地ガイドさんは残念ながら何も説明がありませんでしたね・・・。
まずは興奮を抑えるように、こちらはイスタンブール初日に写真に収めたオベリスクと記念撮影。知らない人にはただの柱に思えるかもしれないけども、こちらのオベリスクは約3500年前にエジプトのカルナック神殿で建てられたものを、こちらに運んできたものである。
そのオベリスクの根元にあるレリーフは、西暦390年に戦勝記念としてオベリスクを運ばせたその時のローマ皇帝テオドシウス1世とその家族のレリーフ。こちらから見える面の左側の上段中央に、勝利した証として月桂冠を勝者に与えるテオドシウス1世の姿が掘られている。
遂に「蛇の柱」とご対面!
そして念願の「蛇の柱」が目の前に現れる。恋焦がれていた憧れの人にやっと出会えたような感覚だろうか。この2019年1月にギリシャを訪問した際にデルフォイの遺跡でこの蛇の柱のレプリカを見てから「これの本物がコンスタンティノープルにあるのか、トルコに行ってみる機会があれば見たいな~~!」と思っていた。
そんな”憧れの物”に出会えて、感激である。ただ他の2本あるオベリスクに囲まれると、全然高さが低いので、こりゃあ気付かなくて当然だ・・・。
こちらの蛇の柱は紀元前470年頃にギリシャのデルフォイ遺跡に戦勝記念碑として建てられたものを324年にコンスタンティヌス皇帝により、この地に運んだものである。
この「蛇の柱」に感激して、夢中で写真を撮る男を捉えた貴重な一枚?!
近寄って現物を見てみると、先端が割れて破損してしまっていた。
こちらは1700年代前半にある画家によって描かれたこの場所の絵であるが、蛇の柱には3匹の蛇の頭があるように見える。その昔はこの蛇の頭の上に黄金のボウルのようなものを乗せていたという。
その後17世紀の終わりには、その蛇の頭は3匹ともに破壊されてしまったという。その残骸の一部はイスタンブールの考古学博物館で所蔵されているそうだ。
残念ながら蛇の頭は無いものの、蛇の柱を見れて満足な男。。
ここには戦勝記念で3本の柱がありますが、観光客が一番群がっていたのはやっぱり一番大きなオベリスクでしたね。。
地下宮殿へ向かう
さてイスタンブール初日のリベンジを済ませて、鼻息荒く興奮しているボクは次に近くにある地下宮殿へ歩みを進めます。
アヤソフィアを見ながら、路面電車の様子を見ながら道を渡ります。
それにしてもイスタンブールは見所があり過ぎる。旧市街地でもあれこれあるのに、新市街地にも行きたい所があるし。。一回では周り切れないイスタンブールの街。
地下宮殿に到着!
程なくして地下宮殿前に辿り着きますが、この行列を見た瞬間「やべ~~っ!」と心で叫んじゃいました。さっきこの前をチラっと見た時はここまで列が出来ていなかったので、先にこちらを見学しとけばよかった・・と心の中で呟く。。
まあでもここまで来て、見学しない訳にはいかないので勿論列に並びます。
地下宮殿はトルコ語で「Yerebatan Sarnıcı」と書きます。
4世紀~6世紀の間に建てられて、一度は焼失したものの再建された地下貯水池。「地下宮殿」という名前は付いているものの、実際の役割はベオグラードの森から、ヴァレンス水道橋を通ってここに水を貯めてトプカプ宮殿やアヤソフィアに水を流していたようです。
この地下には336本の柱があり、長さ141m・幅73m・高さ8mの空間に約8万㎥もの水を貯める事ができたという。一般公開が始まったのは1987年からである。
入口に行列が出来ていたにも関わらず、待つ事5分位で入場できた。入口でチケット(入場料20TL)を購入し中に入ります。
地下宮殿に入り見学する
入口から中に入るといきなり階段があり、それを降りて行くと地下宮殿の景色が目に飛び込んでくる。
自然光が入らない場所なので、薄暗く外に比べるとヒンヤリしていた。
階段を降りた場所では、観光客向けに民族衣装を着て記念写真を撮れるブースもあった。勿論我々にはそんな風に悠長に遊んでいる暇はないので、先を急ぐのであります。
宮殿内は薄暗く、柱はそれぞれイメージ的にあまり明るくなり過ぎないように、ひんやりとライトアップされている。
地下宮殿内の景色 動画
こちらはツレの・・・・じゃなくて、たまたまここで写真撮影をしていた美人さん。後ろに見える柱がボワっとライトアップされている感じが何とも言えない。
そんな美人お姉さんに負けずに記念写真をと。
今度は背中を向けて・・・と思っていたら、手前に自撮りオジサンが居て、なかなかドカない。。
やっぱりトルコでもオハバーTシャツである!
そして宮殿内でも明るくライトアップされていたこちらの場所、何があるのだろうか??
そのライトアップされた先にあったのがこちらの丸い模様が掘られた柱。
一説にはこの貯水池は7000人の奴隷が建設に関わり、その内数百人が建設中に亡くなったという。そんな奴隷たちに捧げる為に造った柱と言われており、こちらは目玉から涙がこぼれ降ちている様子だという。
「Craying Column」で直訳すると「泣く円柱」となる。
この地下宮殿でも、ひと際明るくライトアップされていました。
そしてガイドブックに載っていたメドゥーサの頭を探して進むと、奥の方に若い女性の大群がいて記念撮影を行っていた。
中学か高校生ぐらいの社会見学の団体かな?!
そしてやっと見つけたメドゥーサの頭。こちらは横向きになっています。実はこの地下宮殿内の柱は、ローマ帝国内から集められた柱をリサイクルして使っているのです。
そしてこのメドゥーサの頭の頭もギリシャ系の神殿から持って来られたものだそうだ。一説にはメドゥーサの目を見ると”見た者は一瞬で石にされる”という伝説があるので、それを防ぐ為に横に向けたという話もあるがどうも俗説のようだ。
実際には縦より横向けた方が、この上に柱を乗せるのにいい按排(あんばい)だったようだ。そしてこの地下宮殿が発見された後、1984年から3年かけた修復作業中に底に溜まる泥を排出していた時に発見されたようだ。
奥にはもう一個メドゥーサの頭がある。こちらは逆さまにした時の按排(あんばい)が良かったのだろう。このメドゥーサは大昔にはギリシャのコリントス地方では”大地の女神”とされていた。このメドゥーサの像を造った人は、自分の造った像がこういう形で使われている事を知ったらショックだろうな・・・。
第2チェック・ポイント、完了!!これで後残すのはガラタ塔のみ。
このメドゥーサの頭がある水溜りにはコインが投げ込まれていました。ここでも何かおまじないがあるのかもしれませんね。
しかしこうしたメドゥーサの像の頭を大胆にもこういった柱の下にかますとは、恐るべきローマ人の知恵である・・・現代人にはこんな事をやる度胸などないだろう・・・。
こんな感じで、とても幻想的で涼しくて居心地の良かった地下宮殿。ただしここでもゆっくりとする時間は我々にはないので先を急ぎます。
ちなみにアヤソフィアの近くにはこのように最近新しく公開された「テオドシウスの水槽」という綺麗な地下宮殿のような場所があります。ただこちらの存在を知ったのは帰国してからだったので、これからイスタンブールを訪問予定の方は是非とも訪問してみてはいかがでしょうか??
テオドシウスの水槽【Theodosius Cistern】
住所:Binbirdirek, Piyer Loti Cd. No:25, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
そして速足で出口に向かいます。明らかに他の観光客たちとは、歩くスピードが速い我々。この時の時間は11時52分。意外といい時間になってきました。
残り時間はあと約1時間、勝負の時間です!!
その様子はまた次回に続きます!
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