長崎の街で原爆の犠牲になった人を偲んで「平和公園」を慰問-長崎旅行記9

【甥っ子ちゃんとの長崎旅行】2日目

【個人旅行-スカイマーク便】2019年8月5日~2泊3日

 原爆投下の事実に向き合う・・

 ホテルで朝食を!

長崎旅行2日目。朝食込みプランで予約していたので、ホテルの朝食会場でバイキング。ホテル・フォルツァ長崎ではロビー階の奥にバイキング会場がありました。

 

意外と日本のホテルで朝食を食べる事はほとんど無く(泊まる機会も殆ど無いけど・・)、トンカツやカレーがあったので思わず取ってしまう。。海外のホテルに泊まった時の野菜中心の食事とは全然違う・・・。

 

朝はあまり強くない甥っ子ちゃん。まだ眠そうな感じの顔。

 

そしてここではちゃんぽんも用意されていた。自分で麺を茹でて、スープを入れて完成。素泊まりと朝食込みでは1名で1500円位も料金が違っていたけど、バラエティー豊かな朝食だけどイマイチ安っぽい印象を受けた。

 

甥っ子ちゃんもちゃんぽんを食していた。なかなかの味だった。朝からバクバク食べるタイプにはバイキングはいいのだけど、あまり食べないタイプにはこのホテルの朝食はちょっと微妙だったのかもしれない。ここで食べるならホテルの下にある「PRONTO」(プロント)でモーニングを食べた方が良かったのかもしれないな。

 

海外のホテルで色々と朝食バイキングを食べてきたけど、ここのホテルのバイキングの印象はイマイチ。どちらかというとビジネスホテルの感じだったのでこんなものなのかもしれないけど。。

 

  電車で平和公園へ向かう

朝食を食べ終わったのは朝7時過ぎ。部屋に戻って出発しようかと思ったら外は台風の影響で雨が降っていた。なので眠たい甥っ子ちゃんと軽く寝ようという事になって、気付いたら10時まで寝てしまっていた・・・。そこから慌ててホテルを飛び出す。せっかく旅行に来ているのにホテルで寝ているだけなんて。。

 

こちらは甥っ子ちゃんが捕らえた写真。何とも微妙な写真。

 

というより隠し撮りに近い・・・。

 

外は雨が降っていたけど、朝食後よりも雨脚はマシになってきている模様。

 

最寄りの平和公園駅で路面電車を下車。路面電車一日乗り放題もあったけど、普通に乗車料金を払って下車。ここ長崎の路面電車ではICOCAが使えなかった。普段使い慣れているけど、たまに使えないととても不便に感じてしまう。。

 

  平和公園に到着!

この日は8月6日で広島では原爆投下された記念日として式典が行われていたけど、ここ長崎では何も無かった。入口にあるエスカレーターは台風の影響で使用禁止になっていた。

 

エスカレーターを登っていくと、まずは噴水がある。

 

「のどが渇いてたまりませんでした」と始まるメッセージが書かれた慰霊碑が置かれている。原爆の投下された場所のイメージはというと、子供の頃に見た「はだしのゲン」が思い出される。現場は悲惨という言葉では表現し難い状況だったのだろう。

 

 

 平和公園内にある噴水の様子 動画

 

この平和公園内には沢山の国から寄せられた、平和友好を記念する銅像が飾られている。こちらはソビエト連邦から贈られた「平和」というタイトルが付けられた像。

 

こちらはチェコ・スロバキア社会主義共和国より1980年に贈られた「人生の喜び 」というタイトルが名付けられた像。新しい命が生まれた瞬間が、人生でとても喜びが溢れる瞬間なのか?!

 

こちらは1981年に当時まだ分裂していた東ドイツから贈られた「諸国民友好の像」。色んな人々の姿が掘られている。

 

こちらの石には「和平」と刻まれている。この和平とは戦争状態を終わらせる為の方策を指す言葉である。

 

こちらは「乙女の像」というタイトルの1985年に中国から贈られた像。

 

こちらは金網みたいなものが置かれていた。

 

そして平和公園を進むと、テレビで見た事のある有名な像の「平和祈念像」が見えてきた。

 

こちらの像は長崎県生まれの彫刻家「北村 西望」が5年の歳月を掛けて1955年に完成させたものである。北村氏は長崎県名誉県民にも選定されている。

 

広島で原爆を投下されたのは本日8月6日、長崎では3日後の8月9日で現場ではその式典の準備中だった。辺りには工事関係者の姿が目立つ。

 

この「平和祈念像」は神の愛と仏の慈悲を象徴していて、天を指差している右手は長崎に落とされた”原爆の脅威”を、真っ直ぐに伸ばした左手は”平和”を意味し、閉じている目は長崎での原爆投下による犠牲者の冥福を祈っていると言われている。

 

こちらは「太陽と鶴」のタイトルで1988年にキューバより贈られたもの。

 

こちらは「∞無限」というタイトル。先月行ったトルコのアンカラから贈られたものだ。

 

それぞれの像には、このように説明もちゃんと記載されていた。

 

こちらは「地球星座」というタイトルでアメリカから贈られた像。原子爆弾を投下した国から、こうした友好の像が贈られていた。原爆を投下したアメリカでも国民全員がそれに賛同している訳ではない。

 

まだ天気はスッキリせずにパラパラと小雨が降っていた。台風8号が九州地方に上陸していったけど、夜中に通っていったので今日は風もそんなに強くなくて台風の影響はなかった。

 

そして近くにあった”原爆落下中心地”の方向に歩く。

 

小雨もパラついていたので、あまりここには人がいなかった。

 

この辺りが1945年8月9日午前11時02分に原爆を投下された中心地「松山町171番地テニスコート跡地」。この上空503mで「ボックスカー」(Bockscar)と名付けられたB-29爆撃機から投下された「ファットマン」とあだ名がついた原子爆弾が炸裂したのである。

 

この原子爆弾の投下により、1945年当時長崎市人口約24万人のうち、約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または大破したとされている。

 

そんな日本にとっては悪夢のような出来事が起きた場所。最初に広島で投下された原子爆弾、2回目は小倉の街を狙っていたが悪天候などにより標的を変更し、雲の隙間から見えた長崎の街に投下したのである。

 

その時の状況は何とも言い難いものであったのだろう。この後に長崎原爆資料館を訪れるのであるがそこでヘルメットにこびり付いた頭蓋骨の欠片など、見るのも忍びない現状だったようだ。

 

こちらは浦上天主堂の遺跡の説明が書かれていた。

 

こちらは爆心地中央から約500m離れた場所にあった大浦天主堂の遺構の一部を、ここに運んできたもの。遺構の上にはフランシコス・ザビエルと使途の像が残っている。大浦天主堂は日本でカトリック教会として最大規模であるが、そんなカトリック信者の頭上に大量破壊兵器を投入したカトリック教の信者が多いアメリカ。宗教とは殺人の歴史でもあるのだ。自分達の考えを受け入れない人々を弾圧し、殺した事実は世界中に残されている。宗教と言ってもあくまで建前で、個人の利益を優先して人間は行動しているのである。

 

こちらの川沿いの壁には地元の子供達が描いたと思われる絵が、描かれていた。

 

雨が降って湿度が高かったからか、窓ガラスは残念ながら曇っていた。。

 

しかし近寄ってガラスを覗き込むと、被爆当時の地層が見える。瓦が砕けたのが地面に混ざっていた。。

 

日本に住んでいると戦争の悲惨さは全然感じないが、最近海外に行ったりこういった戦争痕の残る場所に来ると、戦争というものについて考えさせられる。争いというものが人類から無くなる事は恐らくない。地球上に生まれる生物自体、全てに闘争本能が植え付けられているから。

 

でも人間は考えられる力を持っていて、考えを変えれる力も持っている。今までの人類同士で流しあった血を教訓にして、いい未来を迎える事に尽力しなければならない。それは現代に生きる我々の宿命であろう。

 

そんな被爆地を見学して、お次は長崎原爆資料館を訪れます。

その様子はまた次回に続きます!

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