ポーランド旅行記:7日目
阪急交通社ツアー「おひとり様参加限定:決定版ポーランド8日間」にて–2019年11月–
復活を果たした街
曇り空となった、ポーランド旅行実質最終日の空模様。天気はいいに越したことはないけど「これも天候の1つであって何でも受け入れるべし!」という気持ちで前向きに今を楽しむだけなのである。
ワルシャワの旧市街地にて
ワルシャワの世界遺産に認定されている、この辺りの歴史観光地区には車両の立ち入りが禁止されている場所もある。ここに停まっていた黄色のレトロな形をした共産主義時代の名残が残るこちらの車は、ポーランドのタクシー。ただご覧のように車体が小さいので、大柄な人が乗るにはちょっとキツイみたいだけど・・・。
こちらは先程トイレが中にあった建物内にある、斜め型のエレベーター。ケーブルカーなどではこうやって斜めに動くのを見た事があるけど、このようなエレベータータイプは実際に初めて見た。。
下には駅でもありそうな感じでエスカレーターが伸びている。
ツアーも人数が20人前後だと、トイレ休憩にも時間がそれなりに掛かる。外で待つとちょっと寒いので構内で待っていると、警備員のオジサンが広がって待つ日本人団体に「通行人の邪魔にならないように、道をアケロ!」と怒られた。。
さてトイレ休憩が終わって、再び観光開始。ちょっと肌寒い外に飛び出す。まずはジグムント広場に向かう。目の前に見えているのは、復元された王宮跡である。
昨日の夜に来た時は分からなかったけど、地面に赤レンガで印されている部分は元々城壁が築かれていた場所なんだとか。
ヨーロッパの街の旧市街地に来ると、城壁を見る事が出来るけど昔は今よりももっと沢山城壁が長く築かれていた。今の時代には防御よりも経済発展の優先の為に城壁は取り壊されているものも多い。
ワルシャワの象徴でもある王宮跡。こちらも第二次世界大戦後に再建されたものだが、中の展示品の多くはほぼ無傷で持ち出されて保存されていたオリジナル作品ばかり。
第二次世界大戦後に再建された建物ばかりだけど、その時に建てられた建物だとして既に約70年は経過しているのでそんなに新しい建物でもない。なので建物の補修工事が至る所で行われている。
だから今見える建物も新しそうに見えるけど、全てこまめに外装の補修がされているのである。
窓枠にこんな像が設置されているなんて、いかにも”ザ・ヨーロッパ!”という感じ。
だけどよ~~く見たら小僧のアソコ部分が無くなっているような・・・
こちらも昨晩見た「聖ヨハネ大聖堂」。ローマカトリック派の大聖堂だが、勿論この建物も第二次世界大戦で破壊されてしまっている。
こちらは琥珀屋さんのようだ。女性はこのようなアクセサリー屋さんの中を見たいような顔をしているけど、男性陣は全く興味なさそうな顔をしていて、男女で非対称の反応をしているのが何とも面白く感じる。
この琥珀、実はポーランドが世界一生産量が多いという。ポーランド北部にある、バルト海に面したグダニスクという街で実に80%以上の琥珀が採れるという。
ただこういったアクセサリー類も偽物も多いので、購入する際には慎重にお願いします。
こちらのオジサンは寒いからか、懐にワンちゃんを入れて歩いていた。人間も運動不足の時代だけど、ペットも運動不足になってきているように感じたシーン。
ローマカトリック派の大聖堂の隣に、また別の教会が建てられている。キリスト教に興味の無い者からしてみると「こんなに接近して建てる必要なんて、無いんとちゃうの??」と思ってしまう。。
戦後に再建されたにしては、建物の一部がちょっと場違いな感じで古いように見える。しかもボコボコと穴が空いてるし。ただこれらには理由があり、実は第二次世界大戦で破壊された建物の一部を再利用して新しい建物に組み込んでいるのである。その時の記憶を後世に渡って残す為に、あえてこのようにしているそうだ。
だから新しい建物でありながらも、昔の歴史もそのまま引き継いでいくというポーランドなりの主張である。
社会見学に来ていた小学生たちは、警備員が来ているような蛍光ベストを着ていた。
旅行慣れして今まで色んな国へ行ってきた経験のある人は、既に今まで色んな物を買ってきたからもう買い物に興味が無くなるみたいだけど、そこまでの境地に至る人は少ないので皆さんはお土産物屋さんに興味深々なご様子。
旧市街広場にて
昨日もここへ来たけど、その時は暗かったから分からなかったけども昼間に来てみるとここが旧市街の中心広場だった。それにしては夜の活気が無かったな。。
地面にはワルシャワ歴史地区として1980年に世界遺産に認定されたという内容のプレートが設置されている。1978年にポーランドから2箇所(クラクフ歴史地区・ ヴィエリチカ・ボフニア王立岩塩坑)が選ばれ、翌1979年にも2箇所(アウシュヴィッツ・ビルケナウ/ナチスドイツの強制絶滅収容所・ビャウォヴィエジャの森)が選ばれて、更に翌1980年にはこのワルシャワ歴史地区が選ばれた。
なので世界遺産が発足して僅か3年間の間に、計5箇所も選ばれたのである。これがポーランド人の誇りでもあるという。
こちらは戦時中にこの旧市街地付近を上空から捉えた航空写真である。ほぼ焼け野原状態だったようだ。
ポーランドの首都であったワルシャワはドイツ軍が撤退する直前に、徹底的に破壊されてしまったようだ。
戦争が終わった時の写真。広島や長崎のように原爆を落とされた訳ではないので、建物も形を残しているものがそこそこある。
そんな戦前の建物のイメージをそのまま復元して、再建されたのがこちら。
こちらはこの旧市街地広場の建物を再建し出している時の様子。戦後落ち込むのではなく、早速再建に乗り出したポーランド国民の心の強さが表れているように思う。
ただこの旧市街地広場はあまり賑わっていないというか、活気がない感じだった。
この広場の中心には人魚の像が置かれているのだが、その周辺にはクリスマスマーケットに向けてスケートリンクを造っている真っ最中のようで近寄れなかった。。
この人魚像も何回も破壊されて、一時は他の場所にも設置されたりした過去がある。なお、オリジナルは博物館に保管されていて、今展示されているのはレプリカなんだとか。
クリスマスマーケットの時に来ていれば、ライトアップされてスケートリンクも完成していて大勢の人達がスケートしていて賑わっているのだろう。11月中旬~下旬にヨーロッパを訪れた時の「クリスマスマーケット準備中の為に、景観が良くなかった・・・」というアルアル話。。
この広場に面する建物にある、右側の入口のレストランが後で昼食を食べる場所。ここで一旦解散し約30分の自由時間となる。
まあそこまで欲しい物もないけど、まだ手持ちズローチが余っていたので近くのお土産物屋さんに寄ってみる。
ポーランドの国旗の色である赤色のTシャツ。最近は赤色か黄色のTシャツばかり着るボクにとっては、思わず欲しくなるものであったが生地が安っぽかったのでパス。。
少しだけお土産物を買い、まだお金が余っていたので広場にあったホットワイン屋さんに目を付ける。
クリスマスマーケットと言えば”ホットワイン”なので、先取りして1杯を飲んでみる(10ズローチ:約300円)。ただ次の旅行先エストニアのクリスマスマーケットで飲んだ美味しいホットワインに比べれば、イマイチ美味しくはなかったけどね。。
昼食タイムへ
さてホットワインで体を温めた後は、自由時間30分が過ぎて再集合し昼食レストランへ進んで行きます。
住所:rynek Starego Miasta 21, 00-272 Warszawa
ここのレストランは地上階ではなく、地下に降りて行った場所にあります。
建物内はレンガ造りの内装になっていて、古風な感じを思わせる雰囲気になっています。
さて、この昼食がポーランドでの最後の食事となります。
これまでハズレ無しの当たりの食事ばかりだったので、それが最後まで続くだろうか?!
奥の通された部屋には大きな魚の絵が描かれています。それ以外にも沢山の写真も飾られている。
ツアー恒例のドリンク代を読み上げる添乗員さん。それと共にテーブル上に置かれている水を配る人達。
こちらの本は先程の自由時間に購入した、ワルシャワの戦争で崩壊した建物と再建後を比較している写真集。
最後までトコトン、ビールなり!16ズローチで約420円。
やっぱり肌寒い時期には温かいスープは、体にとっても心にとっても優しく感じる。
旅行も最後の頃になると、すっかりツアー参加者さん達とは仲良し状態に。1人参加限定ツアー旅もこれで10回目になるけど、これまでと同様に今回もとても楽しい人達と楽しい時間を過ごせた。
といってもまだ終わりじゃありませんけどね・・・もう少しだけ続きます!
スープには薄切りのソーセージなどが入っていて、具沢山で美味しかったですね。
昼食のメインはこちら。
確かカモっぽいような肉だったと思うけど・・・何だったか覚えておりません・・・。
これも何の肉かは覚えてなかったけど、美味しかったのだけは覚えてます!
そして食後は恒例の添乗員さんからの差し入れタイム。ただこういった差し入れとかは添乗員さん次第なので、デフォルトで必ず何かしらがあるという訳でもありません。そういう意味では今回の添乗員さんは非常に気遣いがあり、マメで真面目でとてもいい方でしたね。
添乗員さん差し入れのデザートは、トルンで購入したジンジャーブレッド。それにしてもポーランドの料理は、全てに美味しかった。他のツアー参加者さん達に聞いても皆同じ事を仰っていましたね。
こんな旅はまた次回に続きますが、次回がポーランド旅行の最終話となります。
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