ユダヤ人の聖地”嘆きの壁”の地下で、エルサレム神殿跡を散策する-イスラエル&ヨルダン旅行記38

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】6日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 エルサレム神殿の地下!

エルサレム旧市街地にあるユダヤ人の聖地”嘆きの壁”は地上に見える部分だけではなく、地下にも約13m程埋まっています。そしてその地下部分を見る地下通路をこれから進んで行きます。

 

地下にある神殿跡というよりかは、そんな神殿跡の上に現在の建物などを建てたという方が正しい表現だろうか。古代ローマ帝国は滅ぼした国の建物の残骸の上に、新しく自分達の建物を建てていた。なのでローマ帝国の遺跡をさらに掘ると新しい別の遺跡が出てくる可能性があるそうだ。ただしローマ時代の遺跡自体が世界的な遺産になっているので、それを壊してまで更に発掘する事はほとんど無いようだが。

 

 嘆きの壁の地下部分を進む!

この先の壁がエルサレム神殿の西側の壁跡、いわゆる”嘆きの壁”の地下部分である。

 

ユダヤ人が使ってきたヘブライ語も何が書かれているか、全然分からない。ただ挨拶で「シャローム」(Schalom)だけ覚えた。

「こんにちわ!」という意味でハロー代わりに使えるので最低これだけでも覚えておこう!

今回の旅行中、靴は得意の地下足袋シューズではなく、こちらのクロックスのライトライドという靴底が通常のクロックスに比べて柔らかくクッション性がある素材を使用した新作を主に履いていました。海外旅行中はバスや飛行機で移動する時間が多く、靴を履き替えたりスリッパをわざわざ持っていく事を考えると現地でそのまま履けるこのようなスリッパ的な靴を履いていった方が合理的です。デザイン的にも普通のクロックスのような安っぽい感じもしないし。

 

 

 

この奥に見える壁がエルサレム神殿の城壁跡。先程地上で触れた”嘆きの壁”と呼ばれる、西側の壁である。

 

城壁といっても、増築を繰り返した壁なのでその時代時代によって壁を構成する岩や造り方が違っているのがよく分かる。下は小さい石をコンクリートのようなもので固めているが、上の方は大きな石をキレイに積み重ねている。

 

この西側の壁の地下部分は、予約などがないと入れない場所のようであまり人は多くなかった。

 

そしてその西側の壁沿いに通路があって、地下の城壁跡を実際に触りながら進む事が出来る。

 

地上でこの壁を見た時は約57m部分を嘆きの壁だと思っていたが、実際には全長は約490mもあるという。こういった様子は地上で見ているだけでは分からずに、このように実際に地下に降りて見てみないと分からないのである。

 

壁の石にはこのような穴が定期的に空いている。建設時に足場を作る為に必要なのか、それともこの石を運搬する時に必要なものなのか??

 

この辺りに先程訪れた城壁の向こう側の”神殿の丘”に入れる入口があったようだ。

 

地上だけではなく、地下でも嘆きの壁に触れてお祈りする人が見える。嘆きの壁も地下は人があまり居ないので、空いていてじっくりと祈りたい人にはこちらの方がいいのかもしれない。

 

この地下通路は観光用に整備されているので、至る場所で綺麗にライトアップされている。それに地下でヒンヤリとしているので、蒸し暑くも無く快適な通路である。

 

感慨深そうに嘆きの壁の地下部分を眺める人達。ちなみに奥にいる”ビニール傘オジサン”は一切写真は撮らずに、脳裏に焼き付けるタイプだそうで、カメラは持たず携帯電話すら持っていないというアナログ世代を貫くオジサンでした。

 

この下に見える部分が当初エルサレム神殿があった時代の地層というか、地面だったのだ。これだけ下の部分から壁が造られていて、地下だけで13mもある。現在では壁自体の高さ全長は32mもあるという。ちなみにこの壁は外側から見上げた時に圧迫感が出ないように、内側に少しだけ傾斜を付けて造られているという。そんな細かい細工までされているのである。

 

この地下部分から地上に見える7段目部分までの壁は、ヘロデ王時代に造られたものでエルサレムで採れる石灰石を切り出して運んできたもの。それがこれだけキレイに残っている事にも驚いてしまう。

 

 エルサレム神殿跡の城壁の地下部分 動画

 

これから先はちょっと頭上が低くなってきていますが、大男の人でなければ頭は打たないと思います。ボクは176cmの身長でしたが、問題なく進む事ができました。

 

この辺りは壁沿いに配線や金属パイプがあったりで、ちょっとゴチャゴチャしている場所。

 

 エルサレム神殿跡の地下城壁横を歩く 動画

 

2000年も前に造られた城壁であるが、意外と正確に加工された岩が並んでいる。逆にそれだけの精巧さで造られていたから、現在に至っても現存している理由なのかもしれない。

 

たまに足元がこのようにガラスになっていて、下が見えるようになっています。まあそんなに下は深くないので高所恐怖症の人でも問題なく歩けると思います。

 

この地下通路はあまり広くないので、片側一方通行で1人ずつしか通れない位の道幅になっています。

 

この壁の隙間には折り畳まれた紙が詰め込まれています。先程訪れた嘆きの壁では願い事を書いた紙を詰め込む隙間すら無かったのですが、この地下の壁はその紙を簡単に差し込める穴場なのです!こちらを訪れる予定の人は、地上ではなく地下の壁の隙間に紙を差し込みましょう。

 

地上で見ている分には僅かな部分の城壁だと思っていたが、こうやって地下に降りて歩いてみると意外と長い範囲に渡って造られていた城壁だという事が分かる。

 

この城壁を造らせたヘロデ王は建築技術についても高く評価されている。しかし彼が指示して造らせた”第2神殿”と呼ばれるエルサレム神殿の大改築では、完成を見る事なく死去してしまったのである。紀元前20年頃に建築が開始され、完成したのは紀元後64年で実に84年程建築に歳月を要した。ちなみにイエス・キリストは「この神殿を壊せ!私は3日で建てる」と言っていたそうだ。。

 

 エルサレム神殿跡の地下城壁横を歩く2 動画

 

何でもそうであるが、土台がしっかりしているものは長持ちするのである。その土台作りで手を抜けば、簡単に壊れてしまう。このように歴史がそれを証明している。

 

ある程度進んだところで、こちらの部屋に到着し少し休憩。

 

地下通路はヒンヤリしていて、特別変な匂いもしなかった。

 

このエルサレムの旧市街地は国際法上ではイスラエルの土地ではなく、ヨルダンの土地なのである。そんな土地を第三次中東戦争で奪ったイスラエルは、その土地を発掘した。

 

占領地での発掘作業は国際法で禁止されているのだが・・・・。

 

この部屋ではモニターが何台かあって、動画が流れている。

 

モニターが数台あるので、上にも登って各自見やすいモニターを見る事に。

 

ここではこのエルサレム神殿を造る為に持って来られた巨大な岩や柱をどのようにここまで運んできたかというのを説明する動画を見る事が出来る。

 

 城壁地下で壁を造るVTRを見る 動画

 

その動画を見て少し休憩した後は、また城壁沿いに続く地下通路を進んで行きます。

 

途中からは城壁から少し外れて、細長い縦穴のような道を進みます。

 

先程訪れた”神殿の丘”部分は、基本底上げ大地のような構造になっていて、その内部はアーチで支えられただけの空洞になっているそうです。となるとこの通路のような造りになっているのかな?!

 

ペトラ遺跡で見たシークっぽい渓谷のような道を進みます。どうもこの辺りは大昔は水路だったような跡が見えます。

 

 エルサレム神殿跡の地下城壁横を歩く3 動画

 

そんな通路をひたすら進むと・・・・・

 

ここは昔からあった場所で、水資源の乏しいエルサレムで重要な水を貯めておく貯水池が見えてきました。

 

 エルサレム神殿跡の地下で貯水池を眺める 動画

 

ここもライトアップされていて、金魚のような黒い魚が数匹泳いでいましたね。

 

貯水池内には折れた柱の残骸なども沈んでいます。

 

他には特にお宝的というか、考古学的に重要なものは無いようですがこれからエルサレムの発掘を続けていけばその内凄いものが出てくるかもしれませんね。

 

そうして歩いたりして滞在時間約30分で出口に辿り着きます。

 

こちらのオジサンは杖を突きながら歩いていましたが、ツアー団体から遅れる事なく頑張って歩かれてました。ただ結構吞兵衛で、バスの中でもお茶のペットボトルにウイスキーを仕込んでいて道中は酒盛りをしていたようです。

 

出口はよくある回転式の扉。これってもし出るのに失敗して挟まれた場合はどうなるのだろうか??

 

そして30分振りにエルサレムの地上に戻ってきました。そしてどうもこの辺りから「ヴィア・ドロローサ(苦難の道)」と呼ばれる、イエス・キリストが自分を吊るす十字架を背負って歩いたとされる道が始まるようです。

その様子はまた次回に続きます!

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