イスラエル博物館で2000年前のエルサレム神殿と死海文書を眺める-イスラエル&ヨルダン旅行記30

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】5日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 エルサレム繁栄の神殿跡!

イスラエルに移動してきて、まずはベツレヘムにあるイエス・キリストが生まれた場所とされている”生誕教会”を見学しその後昼食を食べて、次はイスラエル博物館に向けて移動します。

 

この丘に見えるマンション群は近年新しくまとめて造られたもの。イスラエルが建国された時の人口から比べると現在のイスラエルは約10倍にもなっている。建国後に大量にイスラエルに渡ってきたユダヤ人の移民の影響で、人口が急増している。また出生率も他の国に比べて高いので、更に拍車をかける形で人口は増え続けているのである。

 

 イスラエル博物館に到着!

先程昼食を食べたベツレヘムからバスで約30分移動した所でイスラエル博物館に到着します。1965年に建てられた国立の博物館で、1947年にヨルダン川西岸の場所でベドウィン族がたまたま洞窟から発見した、約2000年前に書かれた旧約聖書の写本である「死海写本(死海文書)」の最初の7つが保存されている。

この入口でまずは荷物検査があります。それを抜けて中に入ります。

 

まずは入口の横にあったトイレに向かい、トイレに行かない人はお土産屋さんを物色中。

 

この博物館にはアート館もあり、そこで展示されている芸術品に関してのお土産も置かれている。

 

可愛らしい猫ちゃんのポストカードもある。

 

本好きにはたまらないブックエンド。無機質な本棚に本を入れるより、ちょっとお洒落なブックエンドを使って気に入った本を飾りたくなる。

 

他にも色々と売られている。イスラエルのガイドブックの日本語Verも置いてあったが、中身の日本語への翻訳がだいぶ酷かった。あまりにも内容が酷かったので、日本人の現地ガイドさんが店員のオバサンに「コレじゃダメだよ、日本語は・・・」と言っていた。

 

あまりイスラエルっていう感じのしなかったアヒルちゃんが結構ツアー参加者さん達の注目を浴びていた。

 

 約2000年前のエルサレム神殿のミニチュアを見学!

博物館を入って正面にはエルサレムにユダヤ人の為の神殿が建てられていた様子を再現したミニチュアが設置されていた。

 

 エルサレム神殿のミニチュアの眺め 動画

 

エルサレム神殿は旧約聖書に登場するイスラエル王「ダビデ」の息子であり、第3代イスラエル王になったソロモンが建造させた建物である。それは紀元前900年代とされていて、その神殿の一番奥の部屋にはレバノン杉で造られており、金箔を張ったその礼拝所として使われていた場所に、モーセに与えられたという十戎が刻まれた石板が収められた”契約の箱(アーク)”が置かれていたという。

 

しかしそのエルサレム神殿も紀元前586年に新バビロニア帝国によりエルサレムを占領されて、神殿も破壊されるのである。その際に”契約の箱”は行方不明となってしまった。映画『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』では、その箱を探し出しナチスと争うストーリーになっている。現在までその契約の箱は見つかっていないが、エチオピアにあるという伝説もある。

 

他の団体ツアー客がいたけど、ここは日差しを遮るものが無くてとても暑かった。

 

このエルサレム神殿は2代目のもので、最初の神殿が破壊された50年後に建て直されたものを再現している。しかしこの2代目神殿も西暦70年にローマ帝国の侵略により、その時に破壊されてしまい、今となってはその壁が一部残るだけである。その後エルサレム神殿の再建案が出るものの、実際に再建される事はなかった。その神殿無きユダヤ人達は、そんなエルサレム神殿時代があった場所に残されている壁に対して日々祈り続けている。その壁が”嘆きの壁”と言われるものである。

 

オリーブ山側からエルサレムを見た時の方向と、同じ方向の内容で2代目エルサレム神殿の説明が書かれている。

 

この城壁内は今では旧市街地と呼ばれている場所。強固な壁であったが、ローマ帝国の前には微々たる障害であったようだ。ユダヤ人はその頃に自分達の国を奪われて約1900年程に渡って、一部はこの地に残り、他は世界中へ流れていって生き抜いていったのである。


by『THE HOLY LAND-YESTERDAY AND TODAY』DAVID ROBERTS-VMB PUBLISHERS

こちらはDavid-Robertsが1839年にオリーブ山から見た、エルサレムを描いたもの。当時はこの神殿周りには全然建物が無かったけど、今はこの辺は建物だらけである。


 

第2神殿は紀元前20年頃に当時のヘロデ王によって、大幅に改築された。元々は小高い丘の上にポツ~~ンと小さな神殿しかなかったのであるが、その丘の上に箱を置いたような形状で土台を作った。このヘロデ王はイエス・キリストが生まれた時のエルサレムの王様で、当時2歳以下の乳児を虐殺させた、あの王様である。

 

それについても8月のエルサレムは暑い・・・気温というより日差しがキツ過ぎる・・。

 

エルサレムにあるヘブライ大学の学者は旧約聖書を歴史書として捉えているが、イスラエルの首都であるテルアビブにあるテルアビブ大学の学者は旧約聖書の内容はおとぎ話のように捉えていて、懐疑的だそうだ。

 

こういう暑い場所では日傘がとても大きな役割を果たす。この日差しを遮れるだけで、全然暑く感じないのである。

 

このエルサレムでは未だに発掘されて、古代の物が出てくる事がある。ただしそれらを全て旧約聖書の内容に結びつけるイスラエルの考古学学者。そんな彼らを皮肉った表現で「ボタンを見つけたら、それに合うスーツを仕立てようとする」と言った人がいるという。

ただし人間の習性で、起こった出来事(点)を全然関係性が無いのに、何個かの点を結んで自分の好き勝手な線を引くような、自分都合で結び付けて考えてしまう習性があるらしい。夜空に浮かぶ星に正座を命名したような感じだろうか?!

 

 エルサレム神殿のミニチュアの眺め 動画2

 

ただし2000年前のエルサレムでは大した産業もなく、このように降雨量が少ない場所で近くに水も無かった為にあまり農作物も取れなかったと予測されている。なのでローマ帝国もエルサレムを支配下に入れるものの、一旦は直接統治せずに間接統治(現地に任せる、この時はヘロデ王)という形を取ったと考えられている。

 

こんなあまり広くない元神殿があった旧市街地は、ユダヤ教(エルサレム神殿跡)、キリスト教(イエス・キリストが磔にして殺されたゴルゴタの丘とそのお墓跡)、イスラム教(岩のドーム:ムハンマドが昇天したとされる場所)という3つの宗教の聖地が密集しているのである。

 

 エルサレム神殿のミニチュアの眺め 動画3

 

さらに下の段に降りて、神殿のミニチュアの近くを歩きます。

 

この旧市街地の外側を形成する城壁は、現在のエルサレムでも見られるがそれはオスマントルコ帝国時代の1536年に皇帝スレイマン1世が命じて再建されたものだ。ちなみに今でも残る城壁には何個かの門があり「ライオンの門」と呼ばれる門は、そのスレイマンの夢に出てきたライオンをモチーフに造られたものだという。

 

そんな旧市街地の壁が再建された後の1553年に行われたエルサレムの人口調査では13,384人が住んでいて、その内3割がユダヤ人とキリスト教徒だったという。

 

近年ではオスマン帝国時代の影響により、イスラム教徒が多くなっていたエルサレムの街。

 

 エルサレム神殿のミニチュアの眺め 動画4

 

昼食でビールを2本も飲んで、気分良く観光中の男。

 

購入したエルサレム十字が入った大司教が着けるマフラーも、長さがちょうどボクサイズになっていて首からかけても地面に擦らない位と絶妙な長さであった。

 

そんな色んな支配者に翻弄させられるエルサレム。この20世紀も旧市街地はヨルダンの土地として決められていたのであるが、中東戦争で強奪したイスラエル。

 

今後のイスラエルはどうなっていくのだろうか、この後も注目である。現在ではIT産業などで発達しており、生産性の高さの目安となっている国民一人当たり「国内総生産(GDP)」では日本はイスラエルに抜かれている(2014年)のである。

 

イスラエルは意外と軍事大国でもあり、近年出来た国としては周囲をアラブ国に囲まれていながらも、進出して領土を奪っていったのである。

 

この博物館に収められている”20世紀の考古学上で最高の発見”と言われている死海文書も、最初は東エルサレムにある現ロックフェラー博物館に保管されていたが、中東戦争の結果ヨルダンの領域となる。その後続いた中東戦争でイスラエル軍はその博物館を襲撃し占領し、そこに保管されていた死海門書をこの博物館に移管した経緯がある。

 

さて神殿のミニチュアを見終わった後は死海文書が公開されている場所へ向かいます。

 

  死海文書が保管されている場所へ

こちらの建物が死海文書が保管されている場所。

 

その前の空き地にはオリーブの木が植えられていた。オリーブは水の少ない地域でも育つので、人類にとっては欠かせない植物である。

 

死海文書が保管されている建物の入口を写真に撮ろうとすると、それを見つけた”ドSチャン”こと、こちらのお姉さんがカメラを意識しポージング!

 

ただしその建物内は一切写真撮影が禁止だった・・・・。約2000年も前に旧約聖書の内容をヘブライ語で写本した物が現代でも見れるとは驚きである。昔はコピーとか、印刷技術がなかったので本は人がその内容を写し書きしていたのである。だから当時のコピー本は”写本”と呼ばれるのである。この写本などは昔の修道士のメインの仕事でもあったようだ。ただし今では完全に無くなってしまった仕事でもある。

 

 博物館内でフリータイム!

そんな死海文書を見学した後は、ここでフリータイム。約1時間後に出口に集合との事。

 

色んな時代や地域の骨とう品を並べた建物や、アート館もあるようでそれらを見て回るとそれなりに時間がかかるようだ。

 

こちらの”ストレッチ中です!”みたいな恰好をした像にエルサレム十字が入ったマフラーをかけて記念撮影。

 

博物館内の敷地にはこのようなアート作品がそこら中に置かれていた。

 

向こうの壁には馬を透かして見たように骨まで描かれている。ちなみに馬の足はとても繊細で、先の方は細くなっていてサラブレッドなどで、もし足の先が粉砕骨折したりすると安楽死させる。それを放っておいても患部が壊死して腐っていき、いずれは死ぬからだ。

 

キレイにかじられたリンゴのオブジェ。ああやってリンゴを噛むのもカッコイイけど、歯に不安のあるボクには出来ない荒業・・・。

 

 考古学品が置かれているブースにて

こちらの建物に入ると、エアコンがとても快適に効いており、その素晴らしさについて少々感動する・・・・。しかしここからも色んな物が置かれているので、まだしっかりと見ていかないといけない。。

その様子はまた次回に続きます!

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