【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】5日目
【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日
聖地は長い列を並ぶのが当然?!
今回のヨルダン&イスラエル旅は早くも折り返しの5日目を迎えています。本日はヨルダンからイスラエルに移動し、まずはベツレヘムでイエス・キリストが生まれた教会跡をこれから見学しに行きます。
ここイスラエルでは日本食も人気のようで寿司屋さんもよく見かけます。
ユダヤ人が多く住むイスラエル。ただしユダヤ教では「カシュルート」と呼ばれる食品規定・食事規定があり”不浄な物は食べてはいけない”というルールがあるのです。4本足の草食系動物で(肉食のライオン等は不可)で蹄の先が割れていて”反芻”する事が条件で、例えばウサギやラクダやブタはダメ。魚介類ではヒレと鱗が付いているのはOKで甲殻類や貝類、タコやイカなどはダメ。鳥も肉食や死肉を喰らう鷹やカラスなどもダメ。昆虫はイナゴやバッタだけOK。
ユダヤ教で食べれる食品などを総称して「カシェル」と言われ、基本的にイスラエルのレストランやスーパーなどでは置かれている。ただしイスラエルにはイスラム教徒やキリスト教徒も住んでいるので、カシェル以外の食品も置かれている事がある。
このカシュルートの教えは「モーセ五書」と呼ばれるモーセが書いたとされる旧約聖書からの教えである。ユダヤ人はこのカシュルートと土曜日の安息日を大事にしている。これを守る事により、自分はユダヤ人であるという誇りと認識ができるという。
土曜日にある安息日は、基本的に仕事をしてはいけなく、車の運転は勿論冷蔵庫の開け閉めによる灯を付けてもダメなんだとか。よく聞く話ではエレベーターのスイッチを押すのもダメで、イスラエルではボタンを押さなくても自動的に1階ずつ上に上がる仕組みになっているのだ。だから例えば20階に住んでいたら1階ずつ登っていって20階に到達するまでエレベーターに乗っている必要がある。ただし高層マンションなどでは奇数・偶数階で止まるエレベーターや高層階まで一気に上がるエレベーターなどもあって工夫されている。
また電気製品は一切ダメなので、ライターを使ってタバコに火を付ける事は出来ない。それとペンで文字を書いてもいけないとかで日本では考えられない事ばかりのユダヤ教。
でも2千年もそんな生活を続けてきたユダヤ人達には、敬意を払うけど彼らからするとそれが生まれた時からの常識となっているようで、逆に我々の生活を見て驚くのではなかろうか。
バスを降りて生誕教会へ徒歩で向かう
こちらのショッピングモールでバスを降ります。辺りには広い場所が無いので、この地方で人気の生誕教会へ向かう団体は恐らくみんなここでバスを降りるのでしょう。ここにはそれを狙ったお土産物屋さんが立ち並んでいた。
ただまだイスラエルに着いたばかりなので、あまりユダヤ人についての実感はない。ケンタッキー・フライドチキンもちゃんと営業できているようだし。
相変わらず8月と暑い時期なので、イスラエルでも日差しはとても強い。
こちらは「SQUAREBUCKS COFFEE」という名前のお店。某世界的コーヒーショップ・チェーン店のパクリ。
ただ全然イメージが違うけどね(笑)
そしてそんなお店のすぐ近くにあるこちらは「STARS&BUCKS CAFE」。店舗規模が違い過ぎるので、社名パクリで訴える程でもないようなお店。
このベツレヘムという場所はイエス・キリストが生まれたとされている場所。そのイエス・キリストの生涯と言葉は”新約聖書”というものに記載されて現代までその伝説が引き継がれてきた。旧約聖書とはキリスト以前の神の話であって、新約聖書はキリスト以降のキリスト物語というようなもので、一般的に聖書というと新約聖書を指す場合が多い。
ただしこの新約聖書も4人による書き手がおり、それぞれによって話の内容が細かく異なるのである。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人だが、有名な「受胎告知」という聖天使ガブリエルがマリアの受胎を知らせる瞬間があるがマタイの書いた内容ではその受胎告知をマリアの旦那であるヨセフにしたのに対して、ルカの内容ではマリアにした事になっている。またルカの話ではヨセフは旦那ではなく、いいなずけになっている。
こちらの「受胎告知」の絵は、イタリアのウフィツィ美術館に展示されているアンドレア・デル・ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの作品である。受胎告知の絵で天使ガブリエルがその受胎を告知している相手は殆ど現代に見られるのはマリア相手。これがヨセフという男性相手にしても、世間的にそれが受けなかった為と考えられている。
ベツレヘムでは、一番の観光地とあって路上には物売りの姿が見える。たくさんのカバンを抱えていた。
しかしこの物売りのベストには”物売りの公式ライセンスを持っている”と入っていて、物売りもちゃんと登録されているようだった。
生誕教会に到着!
こちらの建物がイエス・キリストが生まれた場所とされている生誕(降誕とも)教会である。
この生誕教会は元々キリスト教を初めて認めたローマ帝王コンスタンティヌスの母親「聖太后ヘレナ」が大のキリスト教徒であった為に、その巡礼地などを巡りキリストゆかりの場所を訪れてその生誕地に教会を建てさせたのが始まりである。
その後火災などの影響を受けて、6世紀に改装されて更にその後十字軍によって改修されている。
この生誕教会にはそのキリストにあやかろうと、横にはギリシャ正教の教会やアルメニアの教会、カトリックの教会などが隣接されている。
キリスト教も大きく宗派が分かれているが、その原点でもあるイエス・キリストの存在はとても重要である。
教会の上にはそんな十字軍の紋章でもある”エルサレム十字”が飾られている。
こちらは「謙虚の門」と呼ばれていて、人1人がかがんで入らないと進めないようになっている入口である。
現地ガイドさんから、この時期のイスラエルはとても暑いけど湿気が少ないので汗を掻いてもすぐに蒸発してしまう。なので汗を掻いているという実感はないけど確実に汗を掻いて体の水分は出ていっているので、必要以上にこまめに給水してくださいとの事。
生誕教会の中に進む
生誕教会の中に入る。こちらでは特にチケットとかはなく無料で入れた。ただしキリスト教の聖地だけあってたくさんの観光客の姿が・・・。
ここで生まれたとされているイエス・キリストの誕生を見届けに来たとされている「東方の三賢者」。彼らはダビデ王の子孫で救世主である人間が生まれた事を星を見て察知し訪れてきたのであるが、同時に当時のヘロデ王の手からエジプトへ逃げるようにマリア達に告げる。マタイの福音書(聖書)ではそのイエスの誕生から2年後に三賢者が訪れた事になっていて、東方の三賢者に裏切られたと分かったヘロデ王はベツレヘムの2歳以下の子供を全て虐殺したのだ。
ちなみにこのヘロデ王はとても猜疑心が強かったようで、身内といえども信用していなかった。彼は全部で5回結婚したとされていて、その内2回目の結婚した妻の家族を最終的に皆殺しにして、さらにその妻との間で生まれた自分の息子3人を殺してしまった。
それだけ猜疑心が強かったので、自分の王様としての地位を守る為にベツレヘムの2歳以下の乳児を全員虐殺するという暴挙に至ったのである。彼は自分が王様で居続ける事が大事だったようだ。
ちなみにイエス・キリストの誕生日といえば12月25日であるのはとても有名な話であるが、4人の書いた福音書(聖書)では、その日付を明確に記したものはなく、その後のキリスト教徒達によって日付は作られたものであるようだ。
まあ冷静に考えれば、キリスト教の聖書に書かれているような眉唾な話は殆どがその時の作家毎に作られたフィクションであるように思う。現にキリスト教徒は別にして、多くの学者でも新約聖書や旧約聖書の話はフィクションであると考える人間が多い。まあ何を信じるかは、その人次第である。
「信じる者は救われるのである!」
だからあまり聖書の内容やキリスト教には興味がなかったけど、こうしてキリスト教の聖地に来てみるとその歴史が気になって勉強してしまう。勿論帰ってから興味が出るのであって、現地に行っている時は大体「へえ~~!」で終わってしまうのだけどね。
こちらの建物は十字軍の時代に要塞として改修されたようだ。昔ながらの木組みの天井裏のように見える。
生誕教会内部の様子 動画
壁には残ったイコンが飾られている。火災などで焼け落ちた為に現存している部分のみが残っているのであろう。
イエス・キリストは、ヘロデ王より約1000年も前のイスラエルの王様であったダビデの子孫だとされている。救世主は「ダビデ王の子孫から生まれる」と信じられており、その為ダビデの生まれた街でもあるベツレヘムでキリストは生まれる事になったようだ。
上ばかり見るのもアレなんで、床にも目を向けようと思って頭を下げた視線の先には同じような足元のデザインが見えた。「アレっ、2人は同じ靴??」と聞くと「ローライズとハイカットで違う!」と返ってきた。確かに靴を履いている人間からすると、そう違うのであるが見ている人間からすると同じようにしか見えない。。
ここで大司教が着けるというマフラーのような首飾りを付けていたので、周りから少し注目される。こちらが先程寄ったお土産物屋で購入したもの。値札は60ドルで、阪急交通社ディスカウント(?!)で50ドルになった品物。今までだったら買ってないけど、ここは聖地の雰囲気に乗じたつもりで購入して早速着用してみる。
こうやって改めて写真を見ると、大司教っぽい(笑)
という事で何人かで即席大司教との記念撮影。意外とスペインで買った闘牛赤Tシャツの色と馴染んでいて「いい感じ!」と声をかけてくれた。
この生誕教会の知識はここを訪れた時点では、実は殆ど知らなかった。現地ガイドさんが「だいぶ混んでますけど、中に皆さん入りたいですか~??」と聞いて、「入りたい!」という声しか聞こえずに中に入る事になったのだがこの教会の中に何があるのか全然知らなかったのであった。。
基本的にあまり現地情報を頭に入れずにツアーに参加している。情報を頭に入れておかなくても現地ガイドさんや添乗員さんが色々と教えてくれるので。。後になって考えると、いかに他人に頼っていたのかがよく分かる・・・。
現地ガイドさんから「多分1時間以上は並ぶと思います・・・」と言われた。今思うとここの生誕教会に行ったら「どれだけ長い列が出来ていても、中は見ておけ!」と他の人にはアドバイスするだろう。
キリスト教は宗派は沢山分かれているけど、世界的な宗教の割合からいくと約1/3を占めている。だからキリスト教徒は約20億人ほど地球上に存在する訳である。だからそんなキリスト教で一番重要な人間の生まれた地がこれだけ混むのは当たり前なのである。
こちらはDavid-Robertsというイギリスの画家が1839年にエルサレム付近を訪れた時に描いた絵である。この生誕教会はだいぶ昔からキリスト教巡礼コースに入っていて、主要な産業の無かったこの街の大事な収入源であった。この絵は教会の中に入った、キリストが生まれたとされている場所の穴がある所である。
そんな全然神に対しての信仰心もなく、キリスト教についての宗教心もなく、この場所についての知識もなく、いい歳して無邪気に遊び回る、大司教もどきの恰好をして楽しむ男。。
ただし無知な人間程、強い物がないときもある。下手に知るよりかは全然知らない方がいいのである。
柱には十字架をイメージしたような穴が空いている。たまたま空いていた穴を十字架にイメージして、穴を追加したのか?!
そんな十字架のような穴も無知な男にかかれば、ボーリングの指を入れる穴にしか見えない・・・とりあえず指を突っ込む。。
このイエス・キリストが生まれたとされている場所を一目見る人達の列。結果的にはこの列に並んで約1時間30分かかってやっと見れた。
無知な人間でも、これだけの大の大人が1時間以上もかけて列に辛抱して並ぶのだから、その先にはそれなりに価値のあるものがあるハズだと考えれる。
こちらの場所もカトリックとギリシャ正教とで生誕の地を争っている様子が分かる。お互いに生誕の地の上に建物をかぶそうとしている。
天井から吊るされたシャンデリアと丸い金属の玉のような物が吊るされた教会内。至って地味な内装である。
ただこの生誕教会はキリストが生まれたとされているクリスマスの時期にはとても混雑するようだ。そんな時期に来たら、1~2時間では済まないようだ。
この辺で列に並んでいたら、近くにいた日本語を話せる若い女のコ1人が寄ってきた。個人で旅行に来ていてガイドを雇って来ていたようだ。20代前半の女の子のように見えたけど、凄い行動力である。「久々に日本語喋れて嬉しい」と言って、一緒に記念撮影をして去っていった。
やっと次の部屋に移れたが、まだこの先で沢山の人が並んでいる。ここまでで1時間ほど並んだ。
こちら側はギリシャ正教の教会のようだ。もうあと少しで目的の場所を拝めることが出来る。
そんなキリストの生まれた場所の様子は次回に続きます!
↓↓↓↓ヨルダン&イスラエル旅行記:初回↓↓
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