パレスチナを隔てる分離壁、そんな壁にバンクシーが描く皮肉な絵とは?-イスラエル&ヨルダン旅行記26

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】5日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 新しいベルリンの壁?!

 死海で迎える朝!

この旅行、5日目の朝。ヨルダンにある死海に面した「ラマダ・リゾート・デッドシー・ホテル」にて朝を迎えます。朝6時前に起床し、まずはベランダに出て辺りを見回す。朝日は見えなかったが朝モヤが見える。

 

ホテルから死海が目の前に見える。この死海は塩分濃度が30%もあり、とても高く微生物以外の生物は生存できない。そして遊覧船とかもないので、船も見当たらない。

 

まずはラクダちゃんに「おはよう!」と挨拶をする。この辺りは湿度が低いので一晩外に出していたので、すっかり乾いているかと思いきやラクダちゃんの中身はビチョビチョ・・・さすが死海の水はそうは簡単には乾かないようだ。

 

 ホテルの部屋から死海を眺める 動画

 

 ホテル内の朝食会場にて

朝6時30分からオープンの朝食会場へ繰り出す。まだ全然人が来ていなかった。

 

昨日死海に浸かって、心配していた肌のむくみ等は何もなかった。ボクはアトピー性皮膚炎があるので気にしていたけど、何も無くてよかった。

 

ここのホテルもいい感じに野菜がある。

 

でっかいフランスパンなどもある。人によってはパンとかを持ち帰り、自分の好きな時間に食べたりする人もいるそうだ。

 

その内にゾロゾロと同じツアー参加者さん達が来て「おはよ~ございます~!」と日本語の挨拶が聞こえてくる。

 

大量のスクランブルエッグ、何個分の卵が使われているのだろうか?!

 

ポテトも安定の味。

 

ボクはあまり朝からガッツリと食べないタイプなので、これぐらいがちょうどいい。

 

朝食も1人で食べるより、何人かで集まって食べた方が面白い。人によって考え方が全然違うし、1人参加限定旅のように無作為に集まったメンバーなので普段生活している喋る機会も無さそうな人達と色々な話を聞くのがとても面白く感じる。

 

誰かがヨーグルトを食べているのを見て、ボクも真似して食べる。普段は毎日ヨーグルトを食べているので、この旅で初のヨーグルトをゲット!

 

チェックアウト時に昨日プールで飲んだビール代を清算。対応してくれたフロントが「このホテル、いかがでしたか??」と聞いてきたので「とても良かったよ!」と返しておいた。死海のプライベートビーチも良かったし、プールも楽しかった。

 

 ホテルを出発し、イスラエルに向かう!

8時前にホテルを出発し、イスラエルに向かいます。聞くところによるとイスラエルの入国には色々と時間が掛かるそうです。イスラエルは周辺のアラブ国と敵対状態にあるので、入国審査が厳しいのでしょうか?!

 

楽しかったラマダ・リゾート・ホテルを出発。久々にプールで遊んで楽しかった。しかもウォータースライダーで大声を出していたので、喉が枯れるか心配していたけど無事で良かったし!

 

イスラエルに入国する前に、まずはヨルダンを出国します。その為にまずは全員分のパスポートを集める添乗員さん。

 

ヨルダンとイスラエルの間には軍事境界線があります。中東戦争で敵同士となって戦った両国、領土を大幅に占領されたヨルダンだがエジプトに次いで1994年にイスラエルと和平条約を結ぶ事になる。しかしイスラエルはその他の周辺アラブ国とは敵対関係にあり、それらの国はイスラエル国籍の人間は入国できない措置を取っている。それらのアラブ国ではイスラエルに入国したハンコがパスポートにあると、入国拒否される可能性があるのでイスラエルに出入国する際はパスポートにはイスラエルのハンコが押されないのである。

 

その出国手続きの間に、ウッディ姉さんに折っていただいた”1ドル札の鶴”。こんな器用に折れるんだと感心する。

 

 ヨルダン国境付近の眺め 動画

 

 イスラエルに入国

イスラエルに無事入国を済ませる。入国審査も厳しいのかと思いきや、担当官によって差があった。ある列に並んだ人はあれこれ聞かれたらしいがボクの並んだ列は素通りだった。

 

こちらはイスラエル側のバス。日本人の現地ガイドさんが乗っていたが、我々のバスが来るまでの間は近くで待機しておかなければいけなかったそうだ。イスラエルはまだ戦争が起こるかもしれないという緊張感があるので、入国なども厳しくなるようだ。ちなみにこのバスにもWi-Fiが付いていた。さっきまでのバスが初めてWi-Fiが付いているバスだったけど、2台続けてとはラッキーである。

 

この辺りは全然雨が降らない地域で、降雨量は年間200mmほどしかないという。しかし海から水を引っ張ってきたりと治水技術にも長けており、意外と農業とかは充実していて国内自給しているという。イスラエルでは自分達が作ったものしか食べてはダメで、他の国からの持ち込み物を食べる事を禁じている。なので他国の調味料とかもイスラエルには持ち込み禁止なので、添乗員さんもヨルダンで調味料を使っただけで置いていったそうだ。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画

 

こちら、道の横では大量の羊を放牧して生活しているベドウィン族の姿が見える。イスラエルの人口の約4%を占めるベドウィン族は今でも昔ながらの生活を続けている人もいるが、最近は現代生活をしている人の割合の方が高いらしい。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画2

 

丘の上には新しそうなアパート群が見えている。このイスラエルの人口は1960年頃は約200万人だったのが、現在は約850万人にまで増えている。その大きな要因は世界各地に住んでいたユダヤ人がこのユダヤ人の為の国であるイスラエルに流入してきた事による為だ。大昔はこの地区に住んでいたユダヤ人が国を追われて、ロシアやドイツなどのヨーロッパやエチオピヤやモロッコなどのアフリカまで逃げてそこで安住していたが、このイスラエルという国が建国された事に伴って、それまでの生活基盤を捨ててまでこのイスラエルにまで来たのである。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画3

 

1990年頃にはソ連の崩壊により、ロシアより大量のユダヤ人が移民として移り住んできて、ロシアのユダヤ系は音楽家が多かったらしく当時のロシアでは音楽コンサートが人手不足により中止になる事があったという。ただしその移民も全員がユダヤ人ではなく、偽造証明書も出回っており、あくまで経済的な問題で流入してきた人達もたくさんいたようだ。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画4

BGMで流れているのは「黄金のエルサレム」という曲で、イスラエルでは”第二の国歌”とまで言われている。この曲は第三次中東戦争の戦中、戦後を通じて大ヒットを遂げた。第三次中東戦争の3日目にイスラエル軍がエルサレムを手中にした時、ユダヤ教の聖地である”嘆きの壁”の前で精鋭の兵士達がこの「黄金のエルサレム」を歌い出したという。

 

ユダヤ教は日本にいると全然馴染みがない宗教である。イスラム教の方がまだ少しは知識があるが、そのイスラム教のルーツはユダヤ教にあるのだ。元々ユダヤ教で行っていた断食や食べてはいけない動物などをアレンジしたのがイスラム教だ。ユダヤ教の預言者であるモーセはキリスト教でもイスラム教でも預言者として扱われている。だから起源を遡ればユダヤ教に行きつく訳である。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画5

 

イスラエルはユダヤ人の移民が増えたが、元々住んでいるイスラム教徒やキリスト教徒、アルメニア人など人種は多様。歴史的な旧市街地もそれぞれにエリア分けがされている。

 

イスラエルはアメリカが経済を後押ししている。というのもアメリカに渡ったユダヤ人は主に金融業で儲けて莫大な富を築いた。アメリカに渡ったユダヤ人はイスラエルが建国された後も移住はせずに、その代わりに経済援助を行っているのである。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画6

 

イスラエルのユダヤ人にとって一番重要な城壁というと”嘆きの壁”である。この城壁はそれではないけど、その嘆きの壁はユダヤ人にとってはイスラエルの王様であるダビデ王が作った神殿の跡で唯一現存しているものだからだ。その神殿は古代ローマ帝国に攻められた際に破壊されてしまった。その後の時代で神殿の再建策は出たものの、実行までは行かなかった。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画7

 

ダビデというと、ミケランジェロが掘った彫刻作品がとても有名である。巨人ゴリアテに石を投げて退治したという話が残っている。そして新約聖書ではイエス・キリストはダビデの子孫になるという。英語の男性の名前で「David」というのはこのダビデから来ているのである。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画8

 

このイスラエル国旗の六芒星は別名「ダビデの星」と呼ばれている。そしてユダヤ人は自分達の祖先がこのダビデだと信じている。それだけユダヤ人にとっては重要な人物なのである。

 

 イスラエル郊外をバスの車窓から眺めた景色 動画9

 

 ヨルダン側西岸の分離壁をくぐる

この壁は「21世紀のベルリンの壁」とも言われるイスラエル政府が作った分離壁。元々この地方に住んでいたパレスチナ人はイスラエルに占領された土地を取り戻す為に「インティファーダ」という市民が投石などを主に活動した反抗活動を行った。その後アラファト率いるパレスチナ解放機構(PLO)がイスラエルと和平を結び、ガザ地区とヨルダン川西岸の領土を確保するがあくまでもPLOは土地奪取をする組織であり、その都市を創り上げる組織ではなくパレスチナの貧困状態は向上しなかった。

 

その後パレスチナ自治区とイスラエルの関係性は向上しそうな雰囲気であったが2000年に当時のリクード党シャロン党首が東エルサレムにある神殿の丘の視察を強行した。そのアルアクサモスク(銀のドーム)のすぐ脇で警官隊とパレスチナ側が衝突し、石しか持たないパレスチナ人の4人を警官隊が射殺したのである。これが引き金になって起こった反イスラエル抗争を「第二インティファーダ」と呼ぶ。

 

この第二インティファーダ以降はエルサレム側は爆弾を体に巻き付け自己犠牲の爆弾テロが相次いた。この特攻的な攻撃はパレスチナ人側からは”殉教者”と呼ばれ、遺族は周囲の称賛や見舞金まで届いたという。そんなテロ攻撃に対抗手段がなかったイスラエル側は反撃すると世論の批判を受けるので、それを回避する策としてこの”分離壁”と呼ばれる壁を国中に造る事となった。高さ8m程の壁は全体で見ると1割程の割合で、幅50mを取れる場所には鉄条網の柵が設置されている。

 

イスラエル側はこの分離壁を設置した事により「この壁がテロ攻撃を大幅に減少させた」と、その効果を絶賛しているが新たな国際的な批判も作りだした。というのもこの分離壁は当初国際法で定められたイスラエル側の領土に沿って造られたのではなく、大きくパレスチナ自治区側に食い込むイスラエル側が占領をした入植地を含んだ形で造られていたのである。

 

全長723km、このエルサレム周辺でも122kmの分離壁はパレスチナ人にとっては「アパルトヘイトの壁」とも呼ばれている。壁と言えば”ベルリンの壁”が有名であるが、21世紀にもなってまだ領土争いや人種争いに壁が造られる。「歴史は繰り返す」という言葉通りの世の中である。

 

周りを中東のアラブ国に囲まれて、ユダヤ人だけの孤立した国のように思えるイスラエル。そんな国が周りを気にせず、好き放題自分達のやりたいようにやっている裏にはアメリカの存在があるのである。

 

イスラエル以外に住むユダヤ人の割合が一番大きいのがアメリカ合衆国である。そんなアメリカに住んでいるユダヤ人は金融業などで裕福になり、アメリカでの人口比率では高くないもののロビー活動などによる経済的活動では力を持っている。そしてこのアラブ系の中東地方を抑える要としてもアメリカはこのイスラエルを後押ししている。だからいくら周辺アラブ国が文句を言った所で超大国アメリカをバックに抱えるイスラエルは批判を受けつつも、前に進めるのである。

 

 ベツレヘムのお土産物屋に到着

そんな分離壁に囲まれた「Bethlehem Souvenir Center」というお土産物屋さんに到着します。

 

ヨルダンのお土産物屋さんとは、全然置いてあるものが違っています。昔から大した産業の無かったエルサレムはイエスが磔にされた場所として、キリスト教では聖地になっているのでその巡礼者相手の商売で栄えた。

 

その名残か、お土産物屋さんはキリスト教関連のお土産ばかりが目立つ。

 

「エルサレム十字」という、このエルサレムではよく目にするけど他の場所ではあまり見かけない十字が置いてあります。大きな十字架の四隅に小さい十字架が配置されていて、キリストが磔にされた時に釘を打たれた手足の場所だとされています。そして有名なとこだと、聖地エルサレム奪還を行った十字軍の紋章としても使われた。

 

こういったお皿やコースターや鍋置きもあったけど、ボクがチョイスしたのはエルサレム十字の紋章が入った司教が付けるマフラーのようなもの。赤の地色とエルサレム十字に”ビビッ!”と来て買おうと思ったが、値札を見ると60ドルと意外といい値段をしていた。。しかしここではあまり迷わずに思い切って購入。そのマフラーもどきはまた後程披露します。

 

アクセサリー類のデザインはその地方のイメージを象徴する。ここではイスラエルだけにダビデのマーク(六芒星)や色んな形の十字架が多い。

 

 分離壁に描かれている絵

そんな買い物を終えて、バスに乗り込み分離壁の前を通る。そんな人種を隔てる壁には色んな落書きの絵が描かれている。

 

そこにはイスラエル側への暴挙を非難するメッセージが込められた絵ばかり。この分離壁には世界的な落書きアーティスト「バンクシー」の絵も何か所かに描かれているようだ。そしてこの分離壁の目前に「世界一眺めの悪いホテル」というのを建て、そこにバンクシーの絵も展示されているそうだ。

 

こちらにはトランプさんの風刺画も描かれていたが、コメント部分などは黒く塗りつぶされている。

 

皮肉にもこのトランプ大統領もメキシコ国境沿いに不法移民を入国させまいとする壁を造ろうとしている。しかし人間は目の前に壁が立ちふさがっても、いずれその壁を乗り越えて行く生き物である。

 

分離壁にはこんなにも沢山の絵が描かれている。なのでどれがバンクシーの絵とまでは分からないが、実際にバンクシーがこの壁で絵を描いていると、イスラエルの兵士が来て銃口を向けられたり空に向かって威嚇発砲をされたりしたがバンクシーは怯まずに絵を描き続けたという。

 

実際イスラエル側の兵士も敵国との戦闘には喜んで参加するが、武器を持たないパレスチナ人と闘う事を拒否する者は後を絶たないという。徴兵制のあるイスラエルでは特例を除き軍隊に一定期間所属しないといけないが、所詮彼らもロボットではなく血の通った人間なのである。

 

 分離壁をバスから眺める 動画

 

こちらの先に黄色いタクシーが止まっている壁にバンクシーの有名な絵が描かれているとの事で、みんなカメラを構える。

 

こちらのオリーブの木の枝を口に咥えた”平和の象徴”である鳩に、防弾チョッキを着させている絵がバンクシーの描いた作品である。イスラエルに対して平和への皮肉として表現されたものだ。

 

ここでバスは止まらずだったので、他の絵をゆっくりと眺めれるチャンスが無し。

こんなイスラエルの様子はまた次回に続きます!

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