エドディルからの帰り道は予想以上に長かったペトラ遺跡・・・-イスラエル&ヨルダン旅行記20

【神秘のペトラ遺跡&死海&聖地エルサレム巡礼旅】3日目

【1人参加旅ツアー・阪急交通社(トラピックス)】2019年8月23日~30日

 ペトラ遺跡で1人だけ走る男!

 帰り道のシークを通過中

ヨルダンにあるペトラ遺跡の観光は著名なスポットの見学を終了し、後は「シーク」と呼ばれる渓谷を抜けて出口に向かうのみ。遺跡の外にある駐車場で待機しているバスが集合場所となっております。その集合時間は17時、今は16時37分であと23分。てっきりシークを抜けたらすぐに出口があったと勘違いしていて、シークでは速足で歩いたものの所々で写真や動画を撮る余裕ぶりでした。

 

ペトラ遺跡の入口からエル・ハズネに向かうまでに、すでにこのシークを通ったけど帰りは反対に歩くので行きに見た景色と少し違う。それと太陽の位置が変わっているので、それによっても違って見える。

 


8月という夏なので、まだ日はそれなりに高い。夏だけは遺跡内の滞在できる時間が18時までと長い。他のシーズンは16時までしか入れないようだ。

 

しかしこのペトラ遺跡だけで8時間も滞在して、沢山の物を見れたし沢山歩いたしと、とても充実していた。早くも3日目でこれだけ楽しめたら後の日程が逆にそんなに楽しめないかもしれないと下手な心配をしてしまう。。

ただ実際には最終日まで盛り沢山で、とても楽しめる旅になったんだけどね!

さすがにこの時間からペトラ遺跡の観光を始めようとする人は少なく、大体の人達は出口に向かっていた。

 

速足で歩いていたら「ツアー参加者さんの誰かと出会うかな?」と思っていたけど、さすがに誰にも遭遇しない。皆さん、早々にバスの方へ行かれたみたい。

 

こちらの壁にはナバタイ人が掘ったものなのか、神様に祈る為に掘られているのでしょうか?!

 

そんな帰り道でも差し込む光に照らされて、ペトラ遺跡を最後まで楽しむ男。

 

来る時に通った同じシークではあるけど、こういった光が差し込んだ景色はとても幻想的に見えて素晴らしい!

 

この辺りには石畳が残っている。その石畳に細長~~い光が差し込んでいるのは、このシークならではの光景。ここでしか見れないシークから差し込む光と影である。

 

古代ナバタイ人の技術はこの用水路を見れば、その凄さが渡る。この1.2kmに渡って続くシークの根元部分を用水路に仕立てたのである。この水が少ない地域では、こういった生き残るスキルが無いと生き続けてはいけなかったのだろう。ただ最終的にはローマ帝国には武力では歯が立たず、属州となりローマ帝国下に組み込まれてナバタイ王国は消滅するのである。

 

 帰り道にシークを歩いた景色 動画

 

 帰り道にシークを歩いた景色 動画2

 

もうこんな景色自体が世界遺産でもあるような気がする。ペトラの都市が衰退する原因にもなった大地震でもビクともしなかったこのシークと呼ばれる渓谷も、何千年以上もかけて流れた水によってここまで削られたのである。塵も積もれば・・・はないけど「雨も降りつづければ渓谷ができる」って感じだね。

 

 帰り道にシークを歩いた景色 動画3

 

所々で石畳が無くなっている箇所もあるけど、この地で起きた洪水で流されちゃったみたい。この8月にここを訪れると雨なんて降るイメージはないし、そんな雨で洪水になるなんて想像すら出来ない。

 

行きと違って、じっくり見ながら観光している訳ではないので速足でサクサク進めている。でもよ~~く考えればシークを抜けても直ぐに出入口じゃなかったような気がしてきた・・・アレっ?!

 

まあ行けばもうすぐ分かるし、最悪間に合いそうになければ走ればいいしな。。

 

さっき犠牲祭壇がある頂上でちょっと休んだので、痙攣していた左足もマシになったけどまた走ったら痙攣するかもしれない。まあもう帰るだけなので足を引きずっても走るしかないんだけどね。

 

このシークでは壁登り(ロッククライミング)が禁止されている。

 

 帰り道にシークを歩いた景色 動画4

 

このヨルダンという国自体は歴史が浅い。この地方は西暦160年頃にローマ帝国の属州として組み込まれ、その後はローマ帝国が分解した後に東ローマ帝国だったビザンチン帝国、そして7世紀にイスラム教徒の波にのまれてイスラム化し、その後はオスマン・トルコ帝国の支配下に。そして第一次世界大戦後の1923年に”アラブ人の国”としてイギリスの統治下で認められて国となり、その後1946年に独立を果たしたのである。

 

そんな色んな歴史があった中東ではあるが、このペトラではイスラム教徒の支配下になった7世紀以降は地震などの影響で都市として衰退していき最終的には放置され、その後の大部分が”空白期間”となってしまった場所なのである。

 

 帰り道にシークを歩いた景色 動画5

 

このシーク(渓谷)は1.2kmもある為、なかなか終わりが見えない。。もう16時50分となり、集合時間まで10分を切った・・・ちょっとこのままではヤバい・・・。

 

という事でここから走る・・・。ここで1人だけ走っていると「コイツ、何を焦って走ってるんだ??」という顔で見られる。。

 

道端に落ちている糞には注意しましょうね!

「やっとシークを抜けた!!」と思ったら、まだまだ道が続いている・・・・朝にここを通った記憶が今頃思い出した。「あちゃ~~!こりゃ間に合わない・・」と気付いたのも既に手遅れだけど、ここからもひたすら走るしか選択肢はない。

 

ここでも1人だけ走っていると、ボクを見かけた観光客の人が声援を送ってくれた(笑)。そんな優しい人に手を振りながら走るも、途中で左ふくらはぎがまた痙攣してきて、さらに太腿まで痙攣してきた。さすがにゆっくり休んでいる間もないし、時間に遅れるのはイヤなので足を引きずりながらひたすら走るしかないので、走る。。

 

するとある集団を交わした時に、そこに暑苦しいニット帽を被っている人が見えた。「アレッ??このニット帽はどこかで見た事があったな~!?・・・・・あ~~!添乗員さんだ!」とまだ出口が見えない場所で出会ったのであった。だいぶ疲れたオジサンと一緒に歩いていたようでこれが我々のツアー参加者さんの最終尾のようだ。さすがにこれ以上走れなかったので、これぞ”天の御恵み”みたいに感じたのであった。

 

 ペトラ遺跡を退出!

結局ペトラ遺跡の出入り口を出たのは17時ちょうどだった。もし添乗員さんと出会わずにあのまま走っていたら間に合っていたかは微妙だったな。。

 

そんなお疲れの状態だったけど、ペトラ遺跡入口前のアルファベット・オブジェでは写真を撮りたかったので、ちゃっかり記念写真を撮りました。一緒にいたお疲れのオジサンからは「凄いね、彼は!あれだけ動き回って疲れているハズなのに、ちゃんと最後に記念写真まで撮って!」と少し感心されてましたね。

 

残念ながら時間がなかったので博物館内は見れませんでした。でもその分ペトラ遺跡を堪能できたのでヨシとする。

 

添乗員さん曰く「帰りはバスがこの道路まで出てきて、待っててくれてるハズなんですけど?!」と言っていた。どうもコミュニケーションが上手く取れてなかったようで、後で現地ガイドさんとちょっと言い合っていた。

 

マイペースで、ず~~っと笑顔で丁寧な対応をしてくれる今回の添乗員さん。こんな恰好で暑くないっていうのが本当に信じられないのですがね。。

 

こちらはだいぶお疲れのオジサマ。エド・ディルに登った時点で既にヘバっているような感じでしたね。

 

バスに乗り込んだのは17時7分、結局7分遅れでバスに到着しました。ちなみにバスに辿り着いてから、ちょっと遅れて先に戻っていたハズの若手3人がバスに乗ってきました。どうも近くの売店でビールが置いてあったようで、先に乾杯をしていたみたい。。

 

久々にだいぶ疲れたけど、その分大満足だったペトラ遺跡。前日の発砲事件で入場禁止にならなくて、本当に良かった。。

 

 ホテルに帰って食事を!

やっと部屋に戻って来れました。ちなみに廊下の一番奥の部屋でした。

 

ズボンの左膝部分が破けていた。元々生地が薄めのズボンだったし、結構長くお世話になってたのでここヨルダンの地でこのズボンとはお別れする事に決める。旅のお供である足袋シューズは砂だらけで洗おうとしたけど、連泊はこの後イスラエルに行くまではないのでそこまで靴の洗濯は保留にする。

 

そして晩飯タイム、ただこのホテルのレストランにはビールが置いてなかったのだった。ビールのように泡立ったドリンクが置かれていたのを見て、思わず「ビールあるやん!」と言ってしまったけど、それは残念ながらノンアルコールビールというオチでした・・・orz

 

意外と食べれたヨルダンのライス。

 

あまり分からない料理にはチャレンジしないタイプなので、結構パスが多かった。。

 

チキンは骨なしがいいんだけどな~~。

 

中東では魚を食べるイメージがないので、魚類もパス!

 

となると必然的に野菜メインになっちゃいますよね!

 

こうやって料理を取っていると「夕陽が今ならキレイですよ~~!」という声が聞こえたので、急いで皿をテーブルに置いて写真を撮りに外に出てみる。

 

するとちょっと時間的に遅く、夕陽が建物に隠れてしまっていた。。

 

料理を取る前に先にこっちに来ていればバッチリと夕陽を見れたそうだ。タッチの差である。

 

ペトラ遺跡では週3回、日の沈んだ夜に「ペトラ・バイ・ナイト」というショーをしているようだ。他の旅行会社のツアーパンフレットを見たら、それが日程に入っていたのでそっちにしようかとも迷ったけど、”1人参加限定旅”には勝てなかったね。

 

入口からエル・ハズネまでの間をロウソクを置いて、灯代わりにしているようだ。

 

さてもう夕陽は沈んじゃったので、テーブルに戻って夕食としますか。

 

今日は動き回ってだいぶ体力を使ったけど、野菜メインの夕食。もでやっぱり夕食にビールが無いと何とも寂しい・・。

 

こっちは人参を細かく砕いたようなキャロットースープ的な感じ。

ドッサリと具を入れてみました!

団欒が進むお食事、今日は長い時間一緒に行動したので、それぞれに仲良くなったようで話が盛り上がっているようだ。

 

夜のペトラの街の夜景も結構キレイ!あとはアルコールさえあれば・・・

 

その後バルコニーでお酒を持って来ていたオジサンに招かれて、数人で飲み&お喋り会。日が落ちて夜になると、とても過ごしやすい気温になって気持ちよかった。久々にブランデーを飲んだけど、アルコールが入ったので気分も良くなって楽しくお喋りが出来ました!

 

「あっオレもつまみ持って来ているんで!」と差し入れがあった。酒飲みの人は、大体お酒と一緒につまみも持って来ている確率がとても高い。逆にボクはつまみ無しで酒を飲むタイプなので「みんな準備いいな~~!」と思って感心する。

 

ここヨルダンで食べる日本のツマミ。基本ボクは日本の食べ物やお茶とかは持って行かないけど、逆に何か日本の食べ物などを持って来ている人の方が多いハズ。特に女性陣は殆どの人がお菓子を持っていて、よくバスの中でそれぞれが持ってきたお菓子をお裾分けしている姿を見かける。

 

旅行に来る度思うけど、こうやって食事の後も一緒にお酒を飲んだりしてお喋りしたらとても仲良くなって旅がこれまで以上に楽しめる。”飲みニケーション”というのはとても大事なものであると再認識した。

 

女性陣が帰った後はオジサン連中で、色々とヨルダンの夜風に吹かれながら女性陣の前では話しづらい話題とかで盛り上がります。

 

いや~~とても楽しかった今日。でも明日もとても楽しい一日になるハズ!そう思って眠りにつくのであった・・・・。

この続きはまた次回に!

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